笠松・1
外に出ると、冷たい風が容赦なく駆けている。
真は帽子をかぶり、眼鏡をして観世水邸を出た。
せめて、目立たぬようにとの配慮だが、真は人ごみを避けている。それは、人間がたくさんいるところは危険だと籬が判断したからだ。
真自身も人ごみを通ることは苦手としているからか、籬の配慮を(配慮と呼べるかどうかは分からないが)素直に受け止めた。
秋の夕刻特有の、薄藍の空が電灯がない道を照らしている。
二人分の足音が寂れた商店街に響く。
籬は鶴丸の柄に手をかけたまま、真を視界から決して外すことなく、ただただ付き従うように歩いていた。
「三角写真館」
と書かれた、今にも落ちそうな看板を確認して、古めかしいドアを引く。
からん、とベルが鳴り、奥からのっそりと年老いた男が出てきた。
白髪がほとんどで、しわくちゃの顔をしている。
それでも眼鏡の奥の目はしっかりとしていて、理性がともっていた。
「おや、こんにちは。真坊ちゃん」
「坊ちゃん、はやめてよ。あの、これ、おねがいします」
カメラを男に渡すと、彼は子どものように笑みを浮かべ、「おおう」と感動したようにカメラを持ち上げた。
「…おや?」
今初めて気付いた、とでもいうかのように、男は籬を見つめた。
黒髪に、ひどく整った顔立ち。
わずかに切れ目をしていて、薄いくちびる。
白磁の肌に、梅紫の目。
黒い外套のようなコートをきっちり着込み、黒いブーツを履き、腰には軍刀を下げている。
男は目を白黒させて、眼鏡をしきりにあげさげした。
「これは驚いた。わしが見てきた中で、いちばんの色男じゃわい。肌もすべすべ。若いっていいのう」
「…理解できない。自分は――」
「こりゃいい。真坊ちゃん。そこの色男。一枚どうじゃね」
籬の言葉を無視して、まるで興奮しているように両手を握りしめている。
「い、いいよ。おれは、フィルムを現像しにきただけだから」
「おおう、そうか。そうか。残念。無理にとは言いますまい。じゃあ、フィルムを預かるとしようか」
「うん」
カメラを渡すと、男は現像をするために現像室へ入っていった。
真は寂れた写真館を観察するように、まわりを落ち着きなくみわたしている。
籬と視線があうと、眼鏡の奥の目がすこしだけ細められた。
「どうしたの?」
「問題ない」
「?」
何が問題ないのか分からないのかと首をかたむけるも、問題ないのなら問題ないのだろうと自己完結する。
真は、何も知らない。
純粋に、ありのままに、世界を映している。その、赤い目に。
御曹司と言う名目で、大事に大事に日常と切り離されているその子どもは、あまりにも何も知らなさすぎる。
だからこそ、危険だ。
なにも知らないということは、真っ白な画用紙に、何色でも染められるということだ。
黒にも、無論、白のままにでもなれる。
その危険性は、真の父親、高峯、そして兄である琳にしか分からない。
人間の内情など、籬はどうでもよいことだ。
ただ、真を守る。
守るために戦う。ただ、それだけだ。
いたってシンプルで、いたって無慈悲な。
この構造。
現像されるまでの間、真と男は談笑していた。
籬はそこには入らず、ただ淡々とときおり通る人間を、遺物か否かを判断するため、常に鶴丸に手をかけている。
「・・・」
「籬?」
「どうした」
「ううん。ぼうっとしてたから、体調悪いのかとおもった」
「理解できない。自分に体調と言うものは存在しない」
黒く、冷たい髪の色がわずかな照明で反射した。
梅紫の、きれいな、人工的に作られた、照準器の目。
真にはないものを、籬は持っている。
だが、彼には「うらやましい」という感情はない。
そこまで「教えてもらっていない」のだ。
ヒトは、学ぶ。
一足す一は二、から学ぶように、それを応用することができる。
真はそれができるものの、ひどく時間がかかる。
人の倍、否、それ以上に。