エ霞・3
目では追えぬ速度で、高度200メートルを跳ぶ。
無論徒の人の目では追えず、ただ何かが通り過ぎたような、ただそれだけの感覚だろう。
それが、街から街へと高速で移動している。
黒くもじゃもじゃとした頭に、細身の身体を覆い隠す、派手な猩々緋の羽織。
だがその下は黒いライダースーツを着ていた。
目に表情はない。
だが、口もとだけが弧を描いている――。
「籬!まーがーき!」
真と籬は人ごみにまぎれ、葵重工へと歩いていた。
籬のメンテナンスをするために出向かなければならないため、百合子に会う約束をしている。
人ごみに慣れていない籬と真はあっちこっちに押し流され、ついにははぐれてしまった。
東京は、人が多い。
籬は理解していたつもりだったが、実際人ごみというものを体験すると、人工脳がショートするような思いになってしまった。
「・・・」
一人、ビルとビルの間に挟まるように立っている真は、おろおろと左右をみわたす。
人、人、人。
どこを見ても人ばかり。
ふう、と真はちいさく息を吐き出して、くらくらする頭をそうっと押さえる。
人酔いをしてしまったのだろうか。
それでも籬を探さなくてはならない。
しかし、もう一度この人波に飛び込む勇気もない。
もう一度ため息を吐き出して、このままここにいても仕方がないと、足を一歩、踏み出そうとした直前、
ひたり、
真のくびすじに、冷たいナイフが突きつけられる。
「…!」
「動かないでもらおうか」
どこぞのチンピラのような声色に、真は目を瞑った。
左腕以外の力を抜き、みたび、ため息を吐き出す。
真にとって、こういうものは日常茶飯事だった。
どこで聞いたのかは知らないが、真が五室室長の息子だと聞きつけて、襲ってくる。
それが人ごみだろうと、何だろうと。
ほぼ必然的に。
いちいち兄である琳に守られていたわけではない。
真は『強く』ない。だが、『弱く』もない。
左手がそのナイフの刃を掴み、ぐるっ、と捻る。
男の喉から悲鳴が上がった。
「・・・」
ただナイフの刃を捻っただけで、男の巨体はコンクリートの地面に叩きつけられる。
「畜生!てめぇ…!大人しく着いてこいってんだ!」
「・・・」
うしろから、3人の男がこちらに走ってきた。たぶんこの男の仲間だろう。
真はそれを見て、薄く目を細めた。
三文役者のように喚く男の声が聞こえない。
そのうち一人の男が日本刀の柄に手をかけようとした――時だった。
きん、
刀がはじけ飛ぶ。
真上にくるくると飛んで、真の目の前には真っ赤な羽織。
「!?」
ばたばたと隙間風に羽織が踊る。肩に日本刀を預けた、もじゃもじゃ頭の男。
「がっ…!」
羽織を羽織った男は、まるで『籬のような』スピードで日本刀を持った男の顎を蹴り上げた。
その蹴り上げた足をそのまま地に着け、反対の足でもう一人の男の足を足払いして倒す。
呆然としながらも、残った二人の男はナイフを持ってその「男」に突進してくる。
足払いをした格好のまま、男は両手で地を蹴り、高く、高く跳んだ。
つんのめった男二人はそのまま無様に地面に倒れ、顔面を思い切りコンクリートに叩きつけられ、そのまま動かない。
「…ふう」
一仕事終えた、とでも言うかのようなため息に、真はようやく男の顔を見た。
「…あの…ありがとうございます…」
「気にすんな。…にしても」
男はずいっ、と真に顔を近づけて、その目を見つめる。
顔を引くことさえ忘れて、男のその紅碧色の目を見つめかえす。
きれいな蒼。
ぽかんと口を開けている真に、男はにいっと笑った。
「あんたが、観世水真か」
「!!」
言い当てられ、逃げようとした真の首根っこを男が掴み、カエルがつぶれたような音が出る。
背が低い事が災いしてか、思い切り足が浮く。
首根っこを捕まえられて、そのままぶらんとぶらさがった。
「ぐえ」
「っと、悪い悪い」
ようやく離されて、すこしばかり咳き込む。
「あ、あなたは…?」
「俺?俺は――」
紅碧色の細い目が、余計ほそまった。
ざっ、
靴が地面とこすれる音。
「んお」
奇妙な声を出す男の前に、籬はいた。
「籬!」




