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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第五章
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エ霞・3

目では追えぬ速度で、高度200メートルを跳ぶ。

無論徒の人の目では追えず、ただ何かが通り過ぎたような、ただそれだけの感覚だろう。

それが、街から街へと高速で移動している。


黒くもじゃもじゃとした頭に、細身の身体を覆い隠す、派手な猩々緋の羽織。

だがその下は黒いライダースーツを着ていた。


目に表情はない。

だが、口もとだけが弧を描いている――。







「籬!まーがーき!」


真と籬は人ごみにまぎれ、葵重工へと歩いていた。

籬のメンテナンスをするために出向かなければならないため、百合子に会う約束をしている。

人ごみに慣れていない籬と真はあっちこっちに押し流され、ついにははぐれてしまった。


東京は、人が多い。


籬は理解していたつもりだったが、実際人ごみというものを体験すると、人工脳がショートするような思いになってしまった。


「・・・」


一人、ビルとビルの間に挟まるように立っている真は、おろおろと左右をみわたす。

人、人、人。

どこを見ても人ばかり。

ふう、と真はちいさく息を吐き出して、くらくらする頭をそうっと押さえる。

人酔いをしてしまったのだろうか。

それでも籬を探さなくてはならない。

しかし、もう一度この人波に飛び込む勇気もない。

もう一度ため息を吐き出して、このままここにいても仕方がないと、足を一歩、踏み出そうとした直前、


ひたり、


真のくびすじに、冷たいナイフが突きつけられる。


「…!」

「動かないでもらおうか」


どこぞのチンピラのような声色に、真は目を瞑った。

左腕以外の力を抜き、みたび、ため息を吐き出す。


真にとって、こういうものは日常茶飯事だった。

どこで聞いたのかは知らないが、真が五室室長の息子だと聞きつけて、襲ってくる。

それが人ごみだろうと、何だろうと。

ほぼ必然的に。


いちいち兄である琳に守られていたわけではない。


真は『強く』ない。だが、『弱く』もない。


左手がそのナイフの刃を掴み、ぐるっ、と捻る。

男の喉から悲鳴が上がった。


「・・・」


ただナイフの刃を捻っただけで、男の巨体はコンクリートの地面に叩きつけられる。


「畜生!てめぇ…!大人しく着いてこいってんだ!」

「・・・」


うしろから、3人の男がこちらに走ってきた。たぶんこの男の仲間だろう。

真はそれを見て、薄く目を細めた。

三文役者のように喚く男の声が聞こえない。


そのうち一人の男が日本刀の柄に手をかけようとした――時だった。


きん、


刀がはじけ飛ぶ。

真上にくるくると飛んで、真の目の前には真っ赤な羽織。


「!?」


ばたばたと隙間風に羽織が踊る。肩に日本刀を預けた、もじゃもじゃ頭の男。


「がっ…!」


羽織を羽織った男は、まるで『籬のような』スピードで日本刀を持った男の顎を蹴り上げた。

その蹴り上げた足をそのまま地に着け、反対の足でもう一人の男の足を足払いして倒す。

呆然としながらも、残った二人の男はナイフを持ってその「男」に突進してくる。

足払いをした格好のまま、男は両手で地を蹴り、高く、高く跳んだ。

つんのめった男二人はそのまま無様に地面に倒れ、顔面を思い切りコンクリートに叩きつけられ、そのまま動かない。


「…ふう」


一仕事終えた、とでも言うかのようなため息に、真はようやく男の顔を見た。


「…あの…ありがとうございます…」

「気にすんな。…にしても」


男はずいっ、と真に顔を近づけて、その目を見つめる。

顔を引くことさえ忘れて、男のその紅碧色の目を見つめかえす。

きれいな蒼。

ぽかんと口を開けている真に、男はにいっと笑った。


「あんたが、観世水真か」

「!!」


言い当てられ、逃げようとした真の首根っこを男が掴み、カエルがつぶれたような音が出る。

背が低い事が災いしてか、思い切り足が浮く。

首根っこを捕まえられて、そのままぶらんとぶらさがった。


「ぐえ」

「っと、悪い悪い」


ようやく離されて、すこしばかり咳き込む。


「あ、あなたは…?」

「俺?俺は――」


紅碧色の細い目が、余計ほそまった。


ざっ、


靴が地面とこすれる音。


「んお」


奇妙な声を出す男の前に、籬はいた。


「籬!」

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