エ霞・2
心など必要ない。
籬はそう理解している。
だが、真は「籬に心はある」と言う。
分からない。
理解できない。
イコールが出ない。
ふいに、ドアをノックする音が聞こえる。
返事を待ち、ドアを開けたのは琳だった。相変わらず黒いロングコートを着込んでいる。
「兄さん」
「体の調子はどうですか」
目が開く。鴉羽色の目が、まっすぐ真へと向けられていた。
「うん、いつもどおり」
「…そうですか。それはよかった」
「学校は?もう終わったの?」
「ええ」
微笑んだ琳の表情。それは確かに実の弟にむけるに相応しい、優しげな微笑みだ。
しかし、どこか負い目を感じている事は確かだ。
血圧値が、わずかに高くなっているし、脈拍もわずかに高い。
明らかに、緊張している。
「…籬君。すこし、いいですか」
「ああ」
「真。もう少し休んでいてください。あとでまた、迎えに来ます」
「う、うん」
連れ立って、真の部屋の隣にある防音機能を施してあるミーティングルームに入る。
籬が真から離れることを可としたのは、ここに危険性はないと判断したためだ。
ミーティングルームはそれ程広くはなく、白で統一された部屋はひどくつめたい印象を受ける。
尤も、籬がいえるようなことではないが。
椅子に座り、籬をまっすぐに見つめた。
「籬君。君は、金居アヤナとは会いましたか?」
「ああ」
「…そうですか。ならば、話が早い。…彼女に、気をつけることです。彼女は、『父側』の人間ですから」
「どういう意味だ」
梅紫の目がわずかに細められる。
琳は机の上に手を置き、しずかに呼吸をした。
「信用しない事です。たとえあなたと友好的な関係を求められても決して乗らずに、上手にかわしなさい。真を守りたいのなら」
「貴殿は何を言っているのだ」
「・・・」
真っ直ぐに疑問を突きつけると、わずかに顔を曇らせ、口をわずかに結ぶ。
「…籬君。人間関係と言うものはね、ひどく複雑なのです。複雑で、入り組み、そして自分でも気付かぬまま、交差している――」
「・・・」
「私は、父が嫌いだった。母が死んだ時も涙さえ流さない彼が。真をヒトとしてみていない。観世水の『御役目』と称して、その身を奉げよと豪語している父が、私は嫌いだった」
その声色は、わずかに震えている。
いかっているのだと、知った。
籬は口を挟まず、ただ彼の言わんとしている事に耳をかたむける。
「父も、金居アヤナも、五室の人間もみな、真を人間と見ていない。私にとって真は、かけがえのない、たった一人の…家族です」
「貴殿は、あの男の子どもでないのか?」
「子供ですよ!!」
言い捨てる。
まるで、それ自体がおぞましいとでも言うかのように。
「…あの血の通わぬような男の子供です。どう足掻いても、そうだ」
かたかたかた、
机の上の手がわずかに震えている。
怒りか、それとも、恐怖か。
「…私は真を、この手で…守りたかった」
「守りたかった?」
「私では…駄目だった。この手で、守ることはできなかった」
イザヤのコア――。
コアの、暴走だった。
「一番最初にイザヤに潜ったとき、左腕を失いました」
「!!」
「左腕を失い、義手を施されたのです。それも、特別製の」
あの時、籬の頬に触れたのは確か左手だ。
「左腕の構造は、私には分かりません。たぶん、五室も、執行部隊も分からないでしょう。すべては、イザヤの意思なのですから」
「意思…?イザヤに、意思があるというのか」
「…是とも、否ともいえません…が、同調している間、イザヤが真を取り込むように、真もイザヤを取り込むことができる。その際に、或は…」
機械に、意思がある。
AIとは違う、意思が。
籬にとってそれは驚愕に値するものだった。
危険だ。
人間と繋ぐことで動く機械が意思を持つなど。
「…籬君。以前も、言いましたね。私は君に期待している、と。それは嘘ではありません」
琳はそこで口を噤み、仕込みを持って席を立つ。
籬もそれに倣い、席を立った。静まり返っているミーティングルームは、まるで死んだように静まり返っている。
「・・・」
一つの人影が全てを聞いていた。
亜麻色の長い髪をした、革のボディースーツに身を包んだ女が。
その表情は、氷よりも冷たく、無表情よりも険しい――。




