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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第五章
15/56

エ霞・1

「何故、主を?」


籬にとっては見知りすぎている、リノリウムの床。

真に取り入っていた機材を全て撤去し、ベッドへと移されたのはこの研究所に入ってから10時間後の事だった。


目の前を通ってゆく高峯を壁に凭れ、腕を組んだままの籬が問う。

相変わらず漆黒色の着流しを着ている男は、ひたりとこちらに視線を移した。


「ほう。合成人間にも、疑問を感じる事もあるのか」


眉をわずかに動かし、驚いて見せようとしたのだろうが、どこかその表情は暗く、疲弊しきっているように見える。


「主に関するデータは、できるだけ吸収しておきたい」

「…成程。これだけは教えよう。私たちの世代よりも、ずっと若い人間たちの未来のためだ。…それ以上は君に教える事はできない。任務に支障をきたす恐れがある」

「・・・」

「いいね。余計な詮索はしない方が身のためだ。君も、真も、まだ若い」


高峰はこちらを一瞥したあと、袖をひるがえして去っていった。

一人残されるは、籬。

壁にもたれかかったまま、目を閉じた。


擬似的に送り込まれてくる、真の姿。

皮膚さえ見えず、イザヤに繋げられているその灰色。


「・・・」


ふっ、と目を開く。

凭れかかっている壁は、真が眠っている部屋のドアでもある。

わずかな血圧値の乱れがあったのだ。

だがそれは、ほとんど正常値に近い値まで上がっただけで、異常を知らせるものではない。


籬はそっとドアの取っ手を引いて、室内に足を踏み入れた。


蛍光灯が点いているなか、真はベッドに腰かけてぼんやりと天井を見上げている。


「あ…」


こちらに気付いたのか、視線をゆっくりと合わせた。


「籬…いたんだ」

「…ああ」

「ご、ごめんね」

「何故謝る」

「・・・」


突き詰めるつもりはなかったが、結局は責めるような口調になってしまう。

俯いた真は、赤い目をより一層赤くさせて、真っ白な入院着のズボンに手をあてた。


沈黙が流れてゆく。


「…貴殿は、承知しているのか?」

「なにを?」

「イザヤに潜る事を」

「・・・」


再び俯き、ちいさくうなずく。

その姿はあまりにもちっぽけだった。


「イザヤは、大事なものだから。でも、おれはいいんだ。別に、もうすぐ用無しになるんだし」

「…用無し?」


か細くなった語尾でも、籬はその聴覚で拾う。

俯いたまま、足をぶらぶらと遊ばせている真のその足には、痛々しく包帯が巻かれていた。


「・・・」


特別、いじけているようでも、達観しているようでもなく、ただただ淡々とくちびるを開く。


「おれはね、父さんや兄さんみたいに強くない。元々、そういう体質なんだ。ほら、おれはアルビノだからさ、そんなに体も丈夫じゃない。でも父さんは国の偉い人だから、おれに役目を与えてくれた」

「・・・」


ちいさく笑うも、籬は笑ってなどいない、と感じていた。

なぜかは分からない。

だが、確かに真は笑ってはいなかった。

そう、直感する。

それと同時に、「狼狽」する。

何故、とか、どうして、とか。そういう類いだ。

それは籬がどう計算しても、問いが出ない。


「未来の人ための、礎になること。それが父さんがおれに与えてくれたお役目」

「・・・」

「理解、してくれた?」


真は悪戯っぽく両目を細めて、そっと微笑む。


しかし、籬は――

イコールを未だに見出せないでいた。


「だからね、イザヤが完成するまでおれは死ねない。だから、籬を雇ったんだよ」

「用無しとは、何だ?用無しとは、自分たちが動かなくなったときに使う言葉だ。人間は、用無しにはならないと聞いた」


そうだ。

用無しと言う言葉は、遺物に負け、動かなくなって死んだときに初めて使われる言葉だ。

籬はそう認識している。


「籬だって、用無しにはならないよ」

「・・・」

「籬はすごい。だって、おれを担いで跳べるんだから。おれ、初めて地面をあんな遠くに見たよ!」


うれしそうに笑うその頬は、興奮からかわずかに紅潮していた。

まるで、自分の事のように誇ることができる真を、籬は無表情のまま見つめる。


なぜか分からない。

何を誇れる事ができるのだろう。

己を誇ろうとする事もせずに、ただ、ただ。


「あんなもの、誇れるようなものではない」

「…そうなの?」

「…ああ。自分は、兵器だ。兵器は、傷つけるためにある」

「違うよ」


籬にとっての当たり前である持論を、あっさりと否定した。

真っ白な髪をゆらしながら、腕に刺さっている点滴の針を見下ろしながら、ちいさな声でささやく。


「籬は、傷つけるためだけにあるんじゃない。だって、さっき言ったでしょ?『誇れるようなものではない』って」


はっ、と顔を上げる。

何故自分がそんな事を言ったのか分からない。

まるで、口をついたように出たのだ。


「籬だって、ちゃんとした心を持ってる。持ってるから、そんな事をいえるんだよ」

「自分に、心など…」

「おれにはないものを、持ってる」


それは、教えてもらっていないはずの「うらやむ」ような声色だった。

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