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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第三章
11/56

笠松・3

じじっ、


鶴丸がわずかにふるえる。


「・・・」


籬がそれを宥めるように柄に手を添えると、琳の脳波を走査し始めた。


――脳波ニ異常ナシ。脈ニ異常ナシ。心音ニ異常ナシ。


梅紫の目の奥に、異常を知らせるシグナルはとうとう発せられなかった。

だが、なぜか「引っかかる。」

籬は油断せずに琳へと視線を向けたまま、うすいくちびるをわずかに開ける。


「貴殿は、何者だ」

「私は、私ですよ。それ以外の何者でもない。そういう君は…一体何者なのかな?」

「自分は、葵重工製合成人間漆番号、籬漆号だ」

「そうじゃない」


あまりにも闇。

あまりにも、黒。


その光景に籬の人工脳は、わずかに異変を覚えた。

まるで、この暗闇自体が琳のような――。

それは、錯覚だ。

籬はそれを知っている。知っているが、「なぜか」そう感じた。


「私は、"何者なのか"と聞いている」

「理解できない。自分は戦う事を目的とされ造られ、」

「それは他人が決めた事だ。君が決めた事ではない。そんな事では、真を守れませんよ。籬君」

「どういうことだ」

「真は、『特別』です。この国、この国の未来。それが真にかかっている」


籬があらかじめインプットされていない言葉ばかりを話す。

――計算が追いつかない。

籬は表情を変えないまま、人工脳の範囲で懸命に計算をするが、一向に追いつかない。


「・・・」

「父も私も、真を守るために様々なものを犠牲にしてきました。それが真の意思に関わらず、ね。籬君。私は君に期待していますから」

「・・・」


琳は静かに、音もさせずに背を向け、暗闇の中に消えていった。

一人残され、今だ計算が追いついていない籬は丁度18秒、襖の前に立ったまま動かなかった。




心――。

心ほど不確かで、不気味めいたものはない。




琳はわずかに自嘲気味に笑った。

彼は愛国心のために戦っているわけではない。

そこに自己を見出すために戦っているわけでもない。

ではなぜ戦わなければならないのか。

それは、まだ分からない。

なぜ普通の家庭に生まれなかったのか。

なぜ、こんな時代に生まれてしまったのか。


籬が羨ましい。


何も思考せず、使命を使命として働き、戦う彼が。


心などなければよかったのに。


琳の目は、絶望の底を見つめていた。


「・・・」


手に持っている白木の仕込み刀を手で握りしめ、きつく見えぬままの目をつむった。







「室長」

「どうした」


未明、高峯の携帯に五室から連絡が入った。

女の声。

五室の室長補佐兼中将である、金居アヤナであった。


「朝早くに申し訳ありません。また、遺物が人を襲ったようです」

「状況は」

「は。当市、607地点。被害者は47歳の男性。今五室が全力をあげて駆除していますが、手こずっているようです。私も、今から出向きますがいかがされますか」

「私もすぐに行く。早まるなよ」

「了解」


携帯が切れ、すぐに高峯は家から出た。


まだ霞がかかった、薄暗い朝。

霧もあいまって、ひどく視界が悪い。


「・・・」


漆黒の着流しをひるがえし、高峯は音もなく薄霧の道をひた走った。


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