笠松・3
じじっ、
鶴丸がわずかにふるえる。
「・・・」
籬がそれを宥めるように柄に手を添えると、琳の脳波を走査し始めた。
――脳波ニ異常ナシ。脈ニ異常ナシ。心音ニ異常ナシ。
梅紫の目の奥に、異常を知らせるシグナルはとうとう発せられなかった。
だが、なぜか「引っかかる。」
籬は油断せずに琳へと視線を向けたまま、うすいくちびるをわずかに開ける。
「貴殿は、何者だ」
「私は、私ですよ。それ以外の何者でもない。そういう君は…一体何者なのかな?」
「自分は、葵重工製合成人間漆番号、籬漆号だ」
「そうじゃない」
あまりにも闇。
あまりにも、黒。
その光景に籬の人工脳は、わずかに異変を覚えた。
まるで、この暗闇自体が琳のような――。
それは、錯覚だ。
籬はそれを知っている。知っているが、「なぜか」そう感じた。
「私は、"何者なのか"と聞いている」
「理解できない。自分は戦う事を目的とされ造られ、」
「それは他人が決めた事だ。君が決めた事ではない。そんな事では、真を守れませんよ。籬君」
「どういうことだ」
「真は、『特別』です。この国、この国の未来。それが真にかかっている」
籬があらかじめインプットされていない言葉ばかりを話す。
――計算が追いつかない。
籬は表情を変えないまま、人工脳の範囲で懸命に計算をするが、一向に追いつかない。
「・・・」
「父も私も、真を守るために様々なものを犠牲にしてきました。それが真の意思に関わらず、ね。籬君。私は君に期待していますから」
「・・・」
琳は静かに、音もさせずに背を向け、暗闇の中に消えていった。
一人残され、今だ計算が追いついていない籬は丁度18秒、襖の前に立ったまま動かなかった。
心――。
心ほど不確かで、不気味めいたものはない。
琳はわずかに自嘲気味に笑った。
彼は愛国心のために戦っているわけではない。
そこに自己を見出すために戦っているわけでもない。
ではなぜ戦わなければならないのか。
それは、まだ分からない。
なぜ普通の家庭に生まれなかったのか。
なぜ、こんな時代に生まれてしまったのか。
籬が羨ましい。
何も思考せず、使命を使命として働き、戦う彼が。
心などなければよかったのに。
琳の目は、絶望の底を見つめていた。
「・・・」
手に持っている白木の仕込み刀を手で握りしめ、きつく見えぬままの目をつむった。
「室長」
「どうした」
未明、高峯の携帯に五室から連絡が入った。
女の声。
五室の室長補佐兼中将である、金居アヤナであった。
「朝早くに申し訳ありません。また、遺物が人を襲ったようです」
「状況は」
「は。当市、607地点。被害者は47歳の男性。今五室が全力をあげて駆除していますが、手こずっているようです。私も、今から出向きますがいかがされますか」
「私もすぐに行く。早まるなよ」
「了解」
携帯が切れ、すぐに高峯は家から出た。
まだ霞がかかった、薄暗い朝。
霧もあいまって、ひどく視界が悪い。
「・・・」
漆黒の着流しをひるがえし、高峯は音もなく薄霧の道をひた走った。




