↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/12

第4章 通じ合う想い


俺はいつも朝5時半には目を覚める。


ただ、今日は起きられなかった。


目を覚まして、枕元の時計を見る。


5時45分。



――やばい。



グラウンド集合時間は朝6時。


胸が一気にざわつく。



俺は布団を蹴飛ばすように起き上がり、


顔もろくに洗わず、急いで着替えた。


スパイクとグローブを掴み、家を飛び出す。



外はまだ薄暗く、空気がひんやりとしている。


息が白くなるほどではないが、寝起きの身体にはやけに冷たい。


全力でグラウンドへ向かった。



――間に合え。



息を切らしながら到着したのは、6時ちょうど。


グラウンドに入ると、すでに青が先に来ていて、黙々と準備をしていた。



朝六時。


簡単な朝礼を済ませ、練習が始まる。



今日も、球児たちはランニングから。



号令と同時に、グラウンドを駆け出していく球児たちの背中を横目に、俺は先に、黙々と準備をしていた青のところへ向かった。


「……佐伯」


声を落として呼ぶ。


「悪い。今日、寝坊した」


青は一瞬だけ手を止めて、こちらを見た。


「佐々木先生が寝坊、ですか。珍しいですね」


冗談めいた口調。


けれど、その目は、どこか探るようだった。


「やっぱり……最近、何かありました?」


「いや」


俺は首を振る。


「なんでもねえよ」


そう言ったつもりだった。


それ以上、踏み込まれるのを避けるように。


けれど、青は引かなかった。


「……佐々木先生」


静かに、名前を呼ばれる。


「なんかあったら……


俺でよければ、話、聞きますから」


俺は思わず、青を見る。


「俺、佐々木先生に、今まで……いっぱい助けてもらいました」


そう言って、青は少し照れたように視線を外す。


「だから……俺にできることがあったら。


何でも、言ってください」


胸の奥が、きゅっと締め付けられた。


守る側のはずだった。


導く側のはずだった。



なのに――


いつの間にか、こんなふうに、


背中を支えられる立場になっていた。


「……ありがとな」


俺はそれだけ言って、青の頭を、軽く叩いた。



* * *


昼休み。


チャイムが鳴ると、俺は体育準備室へ戻った。


青は、いつものように作ってきた弁当を机に広げていた。


「佐々木先生。今日は昼、買ってないんですか?」


「あっ……あぁ」


俺は、とっさに答える。


「忘れた。学食行くわ」


青は「そうですか」と小さくうなずいた。


「いってらっしゃい」


「おう」


俺は準備室を出た。


……気のせいか。


振り返った青が、少しだけ残念そうな顔をしているように見えた。


そのことが、なぜか胸に引っかかった。



* * *



俺は学食でささっと飯をかき込み、


そのまま美術準備室へ向かった。


「……青柳先生?」


おそるおそる、扉を開ける。


「カイト。いま、誰もいないよ」


中から聞こえた声に、ほっとする。


「そっか。蒼司、お疲れ」


「お疲れ」


キャンバスの前に立つ蒼司は、筆を持ったまま、振り返った。


「絵、描いてたのか?」


「そうだよ」


目を向けると、キャンバスいっぱいに、青と蒼の海。


深さの違う青が重なり合っていて、見ているだけで、胸の奥が静かになる。


その手前に、妙に丸くて、派手な色の物体が描かれていた。


「……かぼちゃみたいなやつ」


思わず言うと、蒼司が小さく笑った。


「かぼちゃ?」


そう言って、スマホを取り出し、写真を見せてくる。


「これ。**直島**って島にある、有名なオブジェ」


画面には、海沿いに置かれた、黄色と黒の水玉のかぼちゃ。


「……マジでかぼちゃじゃん」


「でしょ。でも、これが有名なんだよ」


蒼司は少し楽しそうに説明を続けた。


「直島は、香川県にある小さな島でさ。


島全体が、現代アートの美術館みたいな場所なんだ」


「島、全部?」


「そう。港を降りた瞬間から、もう作品。


建物も、景色も、アートの一部みたいになってる」


「このかぼちゃは、直島の象徴みたいな存在なんだ」


「へえ……」


「海と人工物が一緒にあっても、


不思議と、ちゃんと馴染んでるんだよ」



蒼司は、もう一度キャンバスを見る。



「自然の中に、ぽつんとあるのに。


邪魔じゃなくて……


そこに“あるべきもの”みたいに見える」 



その言葉を聞いた瞬間、俺は、なぜか胸がざわついた。



「……それ、好きなんだな」


「うん。たぶん」



蒼司は、少し照れたように笑う。


蒼司は、さらに写真をスクロールして見せてくる。



「これは――**小豆島**だよ」



画面には、穏やかな海と山。


どこか時間がゆっくり流れているような景色。


「へぇ……いいな」


「で、これ」


次に出てきた写真は、海の中に、細い道が一本、伸びていた。


「……道?」


「これはエンジェルロードだよ」


「干潮のときだけ、海の中から砂の道が現れるんだ」



蒼司は、少し嬉しそうに説明する。



「一日に二回くらいかな。


潮が引いた短い時間だけ、


向こうの島まで歩いて渡れる」


「へえ……期間限定みたいな感じか」


「うん。それでね、恋人同士で手をつないで渡ると、願いが叶うって言われてる」


「……へぇ、いいな」


そう言いながらも、俺はもう一度、写真に目を落とす。


海に挟まれた、細くて心もとない一本道。


でも、確かに――綺麗だった。


「カイト、こういうの……好きだよね」


不意に言われて、俺は一瞬、言葉に詰まった。


「はっ……ま、まぁ」



視線を逸らす。



「嫌いじゃねぇけど」


自分でもわかるくらい、不自然な照れ隠しだった。



蒼司は何も言わず、


ただ小さく笑って、スマホを伏せる。




しばし、沈黙。




美術準備室に、時計の秒針の音だけが響く。


蒼司が、ゆっくりと口を開いた。


「……カイト」


名前を呼ばれて、自然と顔を上げる。


「一緒に、行く?」



一瞬、意味がわからなかった。


「えっ……」


間の抜けた声が出る。


蒼司は、こちらを見ていた。


逃げ場のない、まっすぐな目で。


「あ……あぁ」


胸の奥が、じんと熱くなる。


「行こうぜ」


自分でも驚くくらい、その言葉は、すっと出た。



蒼司は、少しだけ目を細めて、うなずく。


「うん」


そして、静かに。


「……約束」


その一言が、胸の奥に、確かに残った。



昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。


「カイト、戻らないの?」


蒼司が、少し不思議そうに言う。


「あぁ。次、授業ねぇから」


それは事実だった。


でも――それだけじゃない。


俺はもう、この胸の奥で膨らみ続ける気持ちを、抑えることができなかった。

 


一歩、近づく。



蒼司は、逃げなかった。


その瞳を見た瞬間、もう抑えられなかった。


蒼司が何か言う前に、俺はそっと、その唇にキスをした。


一瞬だけ、時間が止まったみたいだった。


蒼司は驚いたように目を見開いたあと、


何も言わず、そのまま受け入れた。


離れたとき、俺の心臓は、うるさいくらいに鳴っていた。



「……好きだ」


声が、少し震える。


「返事はすぐしなくていいって、言ったけどさ」


一度、息を吸う。


「……ダメだ」


もう、逃げられなかった。


「俺、蒼司のことが好きだ」


真っ直ぐ、伝える。


「この気持ちは……ずっと変わらない」


蒼司は、何も言わない。


ただ、黙って、俺の言葉を受け止めている。


「だから……」



喉が鳴る。



「俺と、付き合ってほしい」



沈黙が落ちる。



長く感じたその時間のあと、蒼司が、ゆっくりと口を開いた。


「……うん」


小さく、でもはっきり。


「付き合う」


その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、一気にほどけた。


俺は蒼司を、強く抱きしめる。


「やっと……やっとだ」


声が、かすれる。


「もう、離さないからな」


蒼司は、俺の背中にそっと手を回して、


「……うん」


それだけ答えた。



短い言葉。


でも、それで全部、伝わった。



 * * *


俺は体育準備室に戻った。


中では、青が机に向かって、黙々と事務作業をしていた。


「あっ、佐々木先生」


顔を上げた青が、一瞬、きょとんとしたような表情になる。


「あれ……どうしたんですか?」


俺の顔を、まじまじと見る。


「なんか……顔色、良くなりましたね」


「えっ……そうか?」


無意識に頬に触れる。


青は、少し口角を上げて言った。


「はい。それに……なんか、ニヤついてますよ」


「えっ……」


慌てて表情を引き締める。


「ま、まぁな。ちょっと……いいことがあってさ」


それ以上は、言わなかった。


言えなかった。


「よっし」


俺は、無理やり明るい声を出す。


「六限の用意、ちょっくら行ってくるわ」


そう言って、準備室を出ようとすると、


青が、ふっと息を吐くのが、背中越しに伝わった。


振り返ると、そこには――少し肩の力が抜けた、安堵したような青の顔があった。


俺は何も言わず、軽く手を上げて、準備室を後にした。


胸の奥は、驚くほど、静かだった。



 * * *


19時、野球部の練習は終わった。


蒼司は、もう帰ったあとだった。


俺は手早く片付けを済ませる。


「佐伯、お疲れ」


「はい、お疲れさまです」


短いやり取りを終えて、部屋に戻る。


簡単に食事を済ませ、ふと鏡を見た。


――俺、そんなにニヤけてたか?



思わず頬が緩む。


ヤバ。



スマホを手に取り、蒼司にLINEを送る。


『お疲れ。明日、昼一緒に食べよ』


……高校生か、俺は。


しばらくして、返事が来た。


『わかった』


それだけ。


いかにも蒼司らしい。


その画面を眺めてから、はっと思い出す。


――そうだ、竜司のLINE。返事、してなかった。


どうする。


俺は、なんて返事をすればいいのか考える。



……わからない。



『竜司、俺は――』


ここで、指が止まる。


この先、なんて書けばいい。



迷っているうちに、間違えてそのまま送信してしまった。


すぐに、既読がつく。


……早いな。


たまたまスマホを見てただけか?


俺は、このとき。


竜司が何を考えていたのか――


知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。