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第13章 静かな確信


一月三日――


明日から野球部の練習が再開される。


今日は、その前の最後の休日だった。




俺と蒼司は、家の近くのショッピングモールに出かけていた。




目的はシネコン。


久しぶりに、映画を観るためだ。


エスカレーターを上がりながら、


掲示されたポスターに目をやる。




蒼司が、少しだけ首をかしげて言う。


「……観たい映画って、これなの?」


指差した先には、


――『100年の恋 2』。




俺は一瞬、言葉に詰まる。


「……悪いかよ」


照れ隠しみたいに言うと、蒼司は小さく笑った。


「悪くはないけどさ。


カイトがこういうの選ぶの、珍しいなって思って」


「たまにはいいだろ。


どうせ、しばらく忙しくなるし」


そう言うと、蒼司は少しだけ黙ってから、


「……じゃあ、これにしよ」


そう言って、チケット売り場に向かった。




チケット売り場の端末を操作する。


画面に座席表が表示された。


「どの席がいいかな」


蒼司が言うと、俺が軽く身を乗り出す。


「このカップルシートってやつにするか?」


「えっ、普通のシートでいいよ」


蒼司の即答に、俺は小さく笑った。


「はいはい」


そう言って、隣同士の席をタッチする。




そのときだった。


横から、どこかで聞いたことのある声。


「青さん、これだよね。100年の恋 2。」



一瞬、指が止まる。横をみると岡谷蒼太がいた。


「前、観たとき――青さん、大泣きしたやつだよね」


「言うな」


青が俺に気づく。


「あ……」


「あ……」


俺の言葉が、同時に喉で止まる。


一瞬、空気が固まった。


「……あっ、佐々木先生」


青に続いて、蒼太も挨拶する。


「あっ、佐々木コーチだ。こんにちは。」


俺は、引きつった笑顔のまま、軽く会釈する。


「あ、あ……あ、佐伯に、それに岡谷……久しぶりだな」


声が、少しだけ裏返った。


「……はい」


「お久しぶりです」


青が俺の隣にいる蒼司に気がついた。


「あれ、青柳先生も」


「佐伯先生。こんにちは。すごい偶然ですね」


蒼司は、いつも通り落ち着いた口調だった。


隣を見る。


――蒼司は、驚くほど冷静だ。


表情も、声のトーンも、何一つ乱れていない。



その落ち着きが、逆に胸に刺さる。


「……あれ?」


蒼太が、小さく首をかしげる。


「佐々木コーチと、青柳さんが……なんで一緒なんですか?」



その一言で、時間が一瞬、止まった気がした。



青は、何も言わない。


ただ、黙ったまま、俺たちを見ている。


――察してる。


そう思った。



「あ、あれさ……その……」


言葉を探す俺を遮るように、


「時間、押してるから」


俺は、少し早口で言った。




「またな」



そう言って、逃げるように端末を操作する。


背中に、いくつもの視線を感じながら。


俺は慌てて、自分の席に滑り込む。


少し遅れて、蒼司がトレーを持ってやってきた。


「カイト、どうしたの」


声は、いつも通り穏やかだ。


「飲み物と、ポップコーン買ってきたよ」


「あ……わりィ。忘れてた」


俺は受け取りながら、視線を落とす。


「いやさ、いきなりで……ちょっとビックリして」


蒼司は「そっか」とだけ言って、


何も深くは聞いてこなかった。



その沈黙に、少しだけ救われる。


……と思った、そのとき。



「あ」


視界の端に、影が落ちる。


振り向くと、青と蒼太が、通路に立っていた。


「同じ映画だったんですね」


青が、軽く微笑む。


「あ、ああ……」


気まずさを誤魔化すように、俺は小さくうなずく。


二人は、俺たちのすぐ隣に腰を下ろした。



――結果。



周りは、見渡す限りカップル。


寄り添う肩、重なる手、ささやき声。


その中で、男四人が、横一列。


……逆に、目立つ。



蒼太が小声で言う。


「なんか、僕たち浮いてない?」


「言うな」


青が、短く返す。



俺は、肘掛けに置いた手を、ぎこちなく動かす。


蒼司は、スクリーンをまっすぐ見つめている。


表情は変わらない。


でも、その横顔が、やけに遠く感じた。


やがて、場内が暗くなる。


予告が終わり、


スクリーンにタイトルが映し出された。



――映画が、始まった


* * *


映画は、終わった。


エンドロールが流れている間も、俺はしばらく動けなかった。


……泣いていた。


自分でも驚くくらい、感動して。


「……いい映画だった」


小さくそう呟くと、隣から蒼司が覗き込んでくる。


「カイト、大丈夫?」


少し心配そうな目。


「……うん」


そう答えながら、目元をこすった。


そのとき、ふと横を見る。


――青も、泣いていた。


いつも冷静な青が、


何も言わず、ただスクリーンを見つめたまま。


……ああ。


「良かった……」


青が、ぽつりと言う。


「今回も、二人……結ばれて」


その声は、どこか安心したようで、


どこか羨ましそうにも聞こえた。


すると、


「青さん、ハンカチ、いる?」


蒼司が、ためらいなく差し出した。


一瞬、青は驚いたように目を瞬かせてから、


小さく笑った。


「……ありがとう」


その光景を見ながら、


俺は胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。


スクリーンを出て、ロビーの明るさに目が慣れる。


俺と青は、並びながら映画の話を始めていた。


「あの伏線回収、良かったよな」


「はい。


途中から、ずっと泣いてました」


「だよな。音楽も良かった」


「あれ、反則ですよね」


二人して、同時に小さく笑う。


少し後ろで、蒼司と蒼太が並んで歩いている。


「……面白かったみたいですね」


蒼司が、穏やかに言う。


「そうですね」


蒼司がうなずいてから、少し言いにくそうに付け加えた。


「じつは……ちょっと、寝てました」


「えっ?」


蒼太が目を丸くする。


蒼司は、慌てて周りを見てから、人差し指を立てた。


「……ここだけにしといてください」


一拍おいて、


「はい!」


蒼太が、妙に素直に返す。


さっきまでの緊張が、少しだけ、ほどけた気がした。



「なぁ、せっかくだから、なんか食べようぜ」


俺が言うと、青がうなずく。


「そうですね」


「蒼司も、いいだろ?」


「うん、いいよ」


少し考える間もなく、蒼太が前を指差した。


「じゃあ、あそこにしようよ」


看板には、ワールドクックスタジアム。


ビュッフェ式のレストランだ。


「いいな」


「そうですね」


「いいぜ」


自然に意見がまとまり、店に入る。


さっそく、それぞれ料理を取りに散る。


俺は、迷わずピザと肉料理。


トングが止まらない。



蒼太は、一直線に寿司コーナー。


「やっぱり、まずは栄養バランスを考えて」


青は、野菜、魚、肉をバランスよく皿に並べていく。



そして――蒼司。


サラダを少し、そのあと迷いなくプリン。


さらにデザートコーナーへ。


「……蒼司」


思わず声をかける。


「なんで、いきなり甘いものなんだよ」


「えっ?」


蒼司は本気で不思議そうな顔をした。


「だって、先に食べないと


お腹いっぱいになっちゃうだろ」


「そういう問題か?」


横から、蒼司が俺の皿を見て笑う。


「カイトは、やっぱりピザだね」


「当たり前だろ」


俺は胸を張る。


「今日は――全種類制覇するぜ」


その宣言を聞いて、少し離れた席から、



青と蒼太が顔を見合わせる。


「……若いね」


「だな……」


二人の視線が、なぜかやけに温かかった。


四人が、同じテーブルに揃う。


蒼司は、黙々と食べている。


目の前の皿と、プリンに集中しているように見えて、


ほとんど周りを見ていない。



青は――


何か言いたげだ。


けれど、あえて口を開かず、様子をうかがっている。


しばらく続いた沈黙を破ったのは、蒼太だった。



「あの……」



箸を止めて、こちらを見る。


「さっきから、佐々木コーチと青柳さん」



一拍。



「……名前呼び、でしたよね」


――ハッとする。


その瞬間、


俺の手元から、ピザの具が一切れ、皿の外に落ちた。


「あっ……」


心臓が、一気に跳ねる。


「そ、そうだったかな」


俺は慌てて、グラスに手を伸ばす。


飲み物を一口、無理やり流し込む。



視線は、誰とも合わない。



すると、蒼太が、少しだけ首をかしげて――


核心を突いた。


「……二人、付き合ってるんですか」


「――っ!」


思わず、噴き出しそうになる。


「ぷっ……!」


危うく、全部出るところだった。


「ちょっと、カイト!」


蒼司が、驚いて身を乗り出す。


「大丈夫?」


その声が、やけに近くて、やけに優しくて。



俺は咳き込みながら、胸を押さえた。


……まずい。


これは、ごまかしきれないやつだ。


「……そ、そうだよ」


喉の奥が少し乾いていたけど、


俺は目を逸らさずに言った。


「俺と蒼司は、付き合ってる」




一瞬の間。




「えー、そうだったんだ」


蒼太が素直に声を上げる。


「……やっぱり」


青は、小さくうなずいた。


「別に、隠すつもりはねぇよ」


俺はそう付け足してから、グラスの水を一口飲む。


「ただ……話すタイミングがなかっただけで」


それ以上は、言わなかった。


テーブルの向こうで、青が少し姿勢を正す。


「……あの」


慎重に、言葉を選ぶようにして聞いてくる。


「青柳先生って、もしかして……青柳竜司さんの?」


一瞬、空気が張りつめる。


「はい」


青は、静かに答えた。


「俺は、弟です」


「えー、そうだったんですか!」


蒼太の声が、思ったより大きく響く。


「お、おい蒼太……」


青は慌てて制する。


「声、大きいから」


蒼太は「すみません」と小さく肩をすくめた。



少しだけ、間が空く。



俺は、深く息を吸ってから――


蒼司との、これまでの経緯を簡単に話した。


出会いのこと。


距離が縮んだこと。


曖昧な時間が続いたこと。


それでも、一緒にいることを選んだこと。



全部は話さない。


でも、嘘もつかない。



話し終えると、誰もすぐには口を開かなかった。



ただ、蒼司が、そっと俺の隣で、


いつもより少し近くに座っていた。


それだけで、もう十分だった。


蒼太が、少し考え込むように箸を止めたまま、


ぽつりと言った。


「……佐々木コーチって、大変だったんですね」


その言葉に、


俺は一瞬、どう返していいかわからなくなる。


「え?」


思わず、間の抜けた声が出た。


蒼太は俺の方を見て、どこか真剣な目で続ける。


「勝手なイメージですけど……


佐々木コーチって、もっとこう、ドンと構えてて、何があっても動じない人だと思ってました」



「……そうかよ」



苦笑いで返すと、



「でも」



蒼太は少しだけ表情を緩めた。



「話聞いてたら、すごく人間らしいなって思って」


「人間らしい?」


「はい」


うなずいてから、言葉を探すように間を置く。


「恋愛になると、不器用で。


でも、ちゃんと悩んで、ちゃんと傷ついて」



一拍。



「……正直、ちょっと意外でした」


「それ、褒めてんのか?」


思わず突っ込むと、蒼太は慌てて首を振った。


「ち、違います! 褒めてます!」


その様子に、青が小さく笑った。


「蒼太なりの、最大級の褒め言葉だと思いますよ」


「青さん……」


蒼太は少し照れたように続ける。


「あと……」


ちらりと俺を見る。


「佐々木コーチ、意外と泣き虫ですよね」


「――っ」


一瞬、言葉が詰まる。


「映画でも、さっき……」


「言うな!」


反射的に遮ると、蒼太は苦笑いした。



「でも、それもいいなって思いました」



意外と真っ直ぐな声。



「好きなものにちゃんと感動できて、


人の気持ちを大事にできるってことじゃないですか」


「……」


何も言えなくなる。



青が、静かに口を開いた。


「後輩として言うのも変ですが……」


少しだけ視線を落としてから、


「佐々木先生は、ちゃんと“向き合う人”だと思います」


「逃げないし、誤魔化さない。


自分が弱いってことも、認めてますから」



俺は、思わず苦笑する。


「そんな立派なもんじゃねぇよ」


「立派ですよ」


青は即答した。


「俺は、佐々木先生のこと、先輩としてじゃなく、


人としても尊敬してます。」


その言葉に、胸の奥が、ほんの少しだけ疼いた。



隣を見ると、蒼司が、何も言わずに俺の方を見ていた。



静かで、でも、まっすぐな目。



「……カイトは」


蒼司が、ぽつりと言う。


「泣き虫で、面倒で、すぐ悩むけど」


「おい」


「でも」


言葉を切って、少しだけ口元を緩めた。


「そういうところが、好きなんだ」


一瞬、時間が止まった気がした。


「……ばか」


そう言いながら、俺は視線を逸らす。


胸の奥が、じんわり熱い。


蒼太が、そんな俺たちを見て、にこっと笑った。


「……いいですね」


「何がだよ」


「佐々木コーチ」



少しだけ、声を張って。



「ちゃんと、幸せそうで」


青も、静かにうなずいた。


「ええ。それが、何よりです」


俺は、グラスを持ち上げて、一口飲む。


「……大げさだって」


そう言いながらも、否定する気はなかった。


この瞬間、このテーブルに流れる空気が、


少しだけ優しくて、


少しだけあたたかいことを――



俺は、確かに感じていた。


「じゃあ……今日は、この辺で解散するか」


俺がそう言うと、テーブルの上の空気が、ふっと緩んだ。


「この機会だしさ」


グラスを置いて、少し照れ隠しみたいに続ける。


「今度は、四人で飲もうぜ」



一瞬の間。



青が、穏やかに笑った。


「……いいですね」


その笑顔は、


さっきまでの探るような視線とは違って、


どこか安心したような、やわらかいものだった。


「ぜひ」


蒼太が、勢いよく乗っかる。


「それなら、キャンプも行きましょうよ」


「キャンプ?」


「はい。みんなで」


目を輝かせて言う蒼太に、俺は思わず吹き出す。


「おっ、いいな」


「料理は僕がやります」


「じゃあ、俺は火起こしはまかせとけ」


「ベテランソロキャンパーを、なめんなよ」


「それ、自慢になるんですかww」


そんな他愛ないやり取りに、青がくすっと笑った。


「楽しそうですね」


「ああ」


俺はうなずく。


「そのうち、な」


無理に約束しない。


でも、確かに“続き”を思わせる言葉。



それで十分だった。



店を出て、モールの通路で立ち止まる。


「じゃな」


短くそう言って、俺は手を軽く上げる。


「お疲れさまでした」


蒼太が深く頭を下げる。


「また、連絡しますね」


青も、軽く会釈した。


「今日は、ありがとうございました」


その言葉に、俺は小さく笑って返す。


「こちらこそ」


最後に――


蒼司が、一歩だけ前に出て、静かに頭を下げた。



深くもなく、浅くもない。


ただ、丁寧な仕草。


「……では」


それだけ言って、俺の隣に戻る。



* * *


車に乗り込むと、


ドアを閉めた音が、妙に大きく響いた。


エンジンをかける。


「……ちょっと疲れたな」


俺がシートに深く座りながら言うと、


「うん、そうだね」


蒼司が、フロントガラスの向こうを見たまま答えた。


しばらく、ワイパーの音だけが流れる。


「でもさ」


信号待ちで、俺はハンドルから片手を離す。


「蒼司のこと、ちゃんと紹介できて……うれしかった」



一拍。



「……そうだね」


蒼司は、少し間を置いてから、静かにうなずいた。


「俺も」


アクセルを踏みながら、ふと思い出したように言う。


「蒼司、お前さ」


ちらっと横を見る。


「さっき、めちゃくちゃ落ち着いてたよな」


「……そんなことないよ」



即答だった。



「え、マジで?」


思わず笑う。


「顔色ひとつ変わってなかったぞ」


蒼司は、少しだけ視線を落とす。


「……めちゃくちゃ、緊張してた」


「は?」


思わず、声が裏返る。


「マジかよ」


蒼司は、苦笑いした。


「顔に出ないだけ。心臓、ずっと早かったし」


「手も、ちょっと冷たかった」


そう言って、そっと自分の膝の上で指を握る。


信号が赤になる。


俺は、無意識にその手に触れた。


「……全然、わかんなかった」


「そうでしょ」


蒼司は、小さく息を吐く。


「でも」


俺の方を見て、少しだけ柔らかく笑った。


「カイトが隣にいたから、それだけで、平気だった」


胸の奥が、じわっと熱くなる。


「……ずるいこと言うな」


「事実だよ」


青に変わる信号。



俺はアクセルを踏みながら、小さく呟く。


「……ありがとな」


蒼司は、


「うん」とだけ答えた。


それ以上、言葉はいらなかった。



夜の道を、二人の車が、静かに進んでいく。


「なあ……」


信号を曲がったところで、俺は少しだけ声を落とした。


「今日、うち泊まるか?」



一瞬の間。



蒼司は、前を見たまま、


それからゆっくり、うなずいた。


「……いいよ」


その声は、柔らかかった。


「明日、学校で新学期の準備とかしたいし」


「そっか」


「それに」



少しだけ間を置いて、



「絵も、描けるしね」


そう言って、どこか安心したように微笑む。


「蒼司らしいな」


俺が言うと、


「そう?」


「うん」


アクセルを踏みながら、夜道に車を滑らせる。


「なんか……今日一日、いろいろあったし」


「うん」


「静かに過ごせるの、ちょうどいい」


蒼司は、小さく息を吐いてから、


「俺も、そう思ってた」


それだけ言って、視線を窓の外に戻す。


街灯が、リズムよく流れていく。


不思議と、気を張る感じはもうなかった。



* * *



家に着く。


靴を脱ぎ、上着を放り投げると、


ようやく一息つけた気がした。


キッチンでコーヒーを淹れる。


湯気が立ちのぼるのをぼんやり眺めながら、


二つのマグを持って戻る。


二人がけのソファに並んで腰を下ろす。


「……はぁ、落ち着くな」


俺が言うと、


「そうだね」


蒼司が、静かに返した。


肩が、自然と触れる。


少しして、蒼司がそのまま寄り添ってくる。



言葉はいらなかった。



しばらくして――


「あ、そうだ」


俺がふと思い出す。


「夕飯、どうする?」


蒼司は、少し考えてから首を振った。


「俺、さっき食べ過ぎたから……もういいよ」


「そっか」


「でも」


蒼司は続ける。


「カイトは、


何か簡単なものでも食べたほうがいいんじゃない?」


「んー……」


立ち上がって冷蔵庫を開ける。


中を見て、思わず固まった。


「……あっ、ヤバ」


「どうしたの」


「何も、買ってなかった」



振り返ると、蒼司が小さく笑う。


「カイトらしいね」


「くっそー、途中までスーパー寄るの覚えてたのに」


そのとき、ふと思い出して、俺は顔をしかめた。


「あっ……」


「まだあるの?」


「年末、洗濯するの忘れてた」


「えっ?」


「明日から練習あんのに」



慌てて洗濯機に向かい、ユニフォームを放り込む。


スイッチを押して、ようやく一息。


「……はぁ」


リビングに戻りながら、


「じゃあ、スーパー行くか」


蒼司が首をかしげる。


「今から?」


「面倒くさいけど……しょうがない」


そう言うと、蒼司が、くすっと笑った。


「ふふ」


「……なんだよ、蒼司」


「ううん」


少しだけ楽しそうに言う。


「カイト、こういうとこ、結構抜けてるよね」


「うっ、確かに」


俺は即答した。


「料理できねーし、家事もめんどくさい」


「正直だね」


「蒼司もそうだろ」


「まぁね、必要最低限かな」


蒼司は、マグを持ったまま、


小さな声でぽつりと言った。




「……一緒に住んだら、大変だな」


「……え?」


聞き返すと、蒼司は一瞬、視線を逸らす。




「え、今なんか言ったか?」


「……なんでもない」


「もう一回言って」


「ヤダ」



即答だった。


「なんでだよ」


「言わない」


そう言って、先に玄関へ向かう背中。


俺は少し遅れて、上着を掴む。


それから、二人でスーパーへ行った。


かごを押しながら、他愛ない話をして。


どの惣菜がいいとか、牛乳はどれにするとか。


特別なことは、何もない。


でも――


レジに並びながら、俺は思っていた。



ああ。



たぶん、こういうのが――幸せなんだ。



派手じゃなくて、


不器用で、


少し面倒で。



それでも、隣に誰かがいる。



それだけでいい。


俺は、この時間を、大事にしたいと思っていた。


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