4話 儚げ美人とじゃがバター
あれからひと月が過ぎた。
突然現れた旅人(という設定)の私にも村の人たちはとても親切で、すぐに村に馴染むことが出来た。
今ではすっかりマルタの家の居候だ。
世話になるばかりも落ち着かないので、出来ることは何でも手伝った。
朝はテオと畑に出る。
二人で水をやり、慣れない手つきで雑草を抜く。
メルシーのおかげか作物の育ちは順調で、土から顔を出した葉っぱが毎日丈を増していく。
テオはその様子を見るのが毎朝待ちきれないようで、「メイ、早く早く!」と私の手を引き、勢いよく畑へ駆け出していく。
昼は森で山菜やきのこを摘む。村の食卓は、硬い黒パンと茹でた豆、蕪や玉ねぎが少し。
パンは痩せた畑のライ麦を挽いて、村の共同の窯で焼いたものだ。
塩と乾いた香草だけで、味つけはそれだけ。採れるものを採ってあるものを食べる。
夜はマルタと二人、暖炉のそばで縫い物をした。
自分達の衣類だけでなく、月に一回来るという行商へ売るためのものも作る。
花を刺繍したハンカチや、子供用の小さな帽子…前世では家庭科の授業以来の裁縫だ。
マルタの刺繍の腕は素晴らしく、私の不揃いな縫い目を見ては、二人でときどき笑い合った。
そして、メルシーの商品棚も少しずつ満ちていった。
誰かの顔が浮かぶたび、私は手を握って百貨店を開いた。あの扉は、届けたい相手がいるときにだけ開く。
自分のためには、どんなにケーキやプリンが恋しくても、うんともすんとも言わない。
畑仕事を教えてくれたお茶目で気さくな隣の家のおばあさんには、苺をひとパックを。
「こんなに美味しいものを食べれるなんて、お姫様になった気分だわ」と可愛らしい笑顔で喜んでくれた。
いつも井戸で水を分けてくれるおじさんには、焼き菓子をひとつ。
無口な人が、ひとくち食べて、ふにゃっと笑った。
あの不愛想がほどけた瞬間、メルシーがいつもより多く増えた。
テオの遊び仲間の子供たちには、小さなサブレを順番に渡した。きゃあきゃあと跳ね回って、村に笑い声が響いた。
風邪気味の若い奥さんには、鶏と生姜の入ったお粥を。ひと匙食べて、ほうっと息をついた顔が忘れられない。
大きなことはせず、顔の見える人へ、手の届く範囲へ。
届ける度に残高の星がひとつ、またひとつと増えていく。
深く喜んでもらえた日は、ふたつ、みっつとまとめて増えていった。
そうして気付けば、『メルシー ★30』まで増えていた。
ひと月前、六つで大はしゃぎしていたのが、嘘みたいだ。
ひとつずつの「美味しい」が、こんなにも積もる。
そうして迎えた、じゃがいも収穫の朝だった。
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本来、じゃがいもは収穫までに九十日から百二十日ほどかかる。
だがメルシーの効果か、僅かひと月で実ってしまった。
メルシー、未知すぎる。
畑の土をそっと掘り返すと、ころりと丸いものが顔を出した。
ひと月前、テオと一緒に植えたあの小さな芽が、こんなに膨らんでいる。
「うわっ メイ、出てきた!いっぱい出てきたよ!」
テオが泥だらけの手でじゃがいもを掲げる。その顔がぱあっと太陽のように輝いていた。
あの、寝床でぐったりしていた子と同じ子とは思えない。
掘っても掘っても出てくる。
痩せた土からこんなに採れるなんて、とマルタも目を丸くしていた。
「ねえマルタ。せっかくだから、みんなで食べない?」
その日の夕方、村の広場で小さな炊き出しをした。
じゃがいもは蒸して、じゃがバターを作る。
バターは旅の途中で手に入れた分が残っている、ということにした。
嘘は最小限。畑で採れたじゃがいもは本物だし、私が前にいた土地で食の仕事をしていたのも、だいぶ端折ったけれど本当のことだ。
集まってきた村人たちが、湯気の立つじゃがいもをおそるおそる口に運ぶ。
「……うまい」
「この村で作物が育つとは……。そして、芋は昔食べた事があったが、こんなに美味かったか……?」
ざわめきが喜びに変わっていく。
その顔を見ているだけで、胸の奥がじんわり温かい。
メルシーがことり、ことりと積もっていく感覚もあった。
テオが得意げに胸を張っていた。
「これ、ぼくが育てたんだよ!」と、村の子供たちに自慢している。その姿がまたかわいい。
——と、そのときだった。
広場の入口のあたりに、ふらりと人影が立った。
見慣れない男の人だ。背が高い。
旅装らしいけれど、布の質がこの村のものとは明らかに違う。仕立てのいい上等なもの。
何より目を引いたのは、その髪だった。
淡く青みがかった綺麗な白銀色。陽の光を受けてきらきらと発光し、宝石かのように輝くさまは現実離れして見える。
綺麗な人だな、と思った。
甘い顔立ち、とは少し違う。砂糖菓子の甘さじゃなくて、もっとひんやりしてどこか壊れそうな…。
例えるなら、口に入れた瞬間にすっと溶けて消えるジェラート。
触れたら指の熱で形をなくしてしまいそうな、薄い氷みたいな飴細工。
そんな、危うく澄んだ甘さの人だった。
でも、その儚げ美人が、片手をお腹のあたりに当てて青い顔をしている。
そして、私の手元の鍋を——いや、じゃがバターを食い入るように見つめていた。そして…
ぐう、と。
静まった広場に盛大な音が響いた。
……お腹の音だ。
男の人がぴしりと固まる。きれいな顔がほんのり赤くなっていくのが見えた。
村人たちがぽかんとして彼を見ている。
ああ、と思った。この感じ知っている。行き倒れる寸前の、空きっ腹の顔だ。
頑張って終電で最寄駅まで帰ったのに、コンビニすら閉まっていて夕飯を買えなかった夜の私の顔である。
急いで木の皿に、一番ホクホクで美味しそうなじゃがいもをよそって、たっぷりとバターを落とす。
そこに塩をひとつまみ。それを持って彼に歩み寄った。
「あの。これ、良ければどうぞ」
男の人がきょとんと私を見る。
間近で見ると、本当に作り物みたいに整った顔をしていた。
でも今は、それどころじゃないだろう。
「困った時はお互い様っていいますから。あったかいうちにどうぞ」
……これはマルタの受け売りだ。私がこの村に来たとき、マルタが私にしてくれたこと。
あのとき分けてもらった温かさを、今度は私が誰かに渡している。
なんだか、それが少しだけ誇らしかった。
男の人は皿と私の顔を交互に見て。
それから、ためらいがちにフォークを手に取った。
「……すまない、助かる」
一口。
彼の動きが止まった。
切れ長の目がゆっくりと見開かれていく。
綺麗な所作も、旅人らしい警戒も、何もかもがどこかへ吹き飛んだみたいに。
「……っ、なん、だ、これは」
声が低く震えた。先程までの品のある話し方が、がらりと崩れる。
「待て、待ってくれ。何だこれは。芋だろう。ただの芋の……いや、違う。ホクホクしていて甘みがある。断面の黄色が濃いぶん、普通の芋よりも旨味も強いのか……?なぜだか力すら湧いてくる…。 そしてこの、口の中で溶ける塩気と芳醇なコク……これは乳の脂か? こんな、こんな滑らかな脂、見たことが——っ」
夢中で食べ進めながら、男の人は半分独り言のように、ものすごい早口で捲し立てている。
先程までの、近寄りがたい貴公子っぷりはどこへやら。
……えっと。
私はちょっと面食らっていた。喜んでもらえるのは嬉しい。
テオと一緒に作ったじゃがいもは「イ◯カの目覚め」という品種で、普通のじゃがいもよりも、栗やさつまいもに近い甘みとホクホク感がある。
だから美味しいのにも納得だし、勿論同意なんだけど、なんというか解像度がおかしい。
「乳の脂」「滑らか」。この人、ただの旅人じゃないのかもしれない。食にやたら詳しい。
そして——皿が空になった頃。
彼が動きを止めた。
まるで、たった今自分が何をしていたかに気づいたみたいに。
口元を手の甲で押さえて、こほん、と咳払いをする。
徐々に"綺麗な人"の表情が戻ってくる。
「……失礼した。あまりに空腹だったものでな」
取り繕うように背筋を伸ばすが、もう遅い。
全力でじゃがいもに感動していた姿をしっかり見てしまった。
綺麗な人が必死にじゃがいもを頬張る姿は、ちょっと反則だと思う。
彼は空になった皿をじっと見下ろした。
それからすっと目を細める。
何か言いかけて、ふと周りを見回した。
村人たちが遠巻きに私たちを見守っている。テオも不思議そうにこちらを見ていた。
彼は小さく息をついて、声を落とした。
「……すまない。少し、二人で話せないか?聞きたいことがあるのだが、ここではその、君が困るかもしれない」
どうやら村のみんなに聞かせたくない話らしい。
私は頷いて、彼を村の外れへ案内した。
誰の耳もないところまで来て、彼はようやく口を開いた。
「改めて礼を言う。助かった。……それと、ひとつ聞かせてほしい」
声の温度が変わった。静かで、けれど有無を言わせない響き。
そして、全てを見透かすような瞳をしていた。
「あの料理に使った『バター』とやら。それに、先程子供が食べていた赤い実。あれはどこで手に入れた?」
どきり、とした。
「ど、どこって……旅の途中で、その……」
「嘘だな」
あっさりと言われた。
「すまない。俺は少しばかり『視る』のが得意でね」
彼は軽く自分の目元を指した。
「鑑定、と言ってな。もっとも、世に多い鑑定は物の値打ちや真贋がわかる程度のものだ。
俺のは少し毛色が違う。出どころも、来歴も、詳細な部分まで視える。」
淡々とした口ぶりだった。けれど、それがどれほど稀なことかなんとなく察しはついた。
「だからこそ分かる。あれはこの世界のどこにも存在しない食だ。少なくとも、今のこの大陸のどの土地にも。なのに君は、それを当たり前みたいに持っている」
青色の瞳がまっすぐ私を捉える。怖いとは不思議と思わなかった。その目に責める色はなくて。ただ、抑えきれない好奇心の光がきらきらと宿っていた。薄氷みたいに涼しい顔の奥で、その目だけが子供のように輝いている。
「君は、いったい何者だ?」
しまった、と思った。
よりにもよって、一番誤魔化しの効かない相手にスキルを見せてしまったらしい。
昨日後書きに「更新は週一になりそう…」と書いたのですが、
ブックマークをつけてくださっている方がいるのが嬉しくて、続けての更新です。
(基本は筆が遅いので今後は週一ペースになりそうです。)
とても励みになります。有難うございます。




