山の中の家
「 いや、そこじゃねえんで。 それを仕上げて帰るとき、山で、迷っちまいましてね」
「それは、あぶないところでしたなあ。山をあまくみるなと、ヒコイチさんがよくおっしゃる」
「そうなんで。このはなしをしたら、ヒコさんにまた説教されちまいました。 ―― まあ、たしかに前、山にすこし長居したことはあるが、もうしねえって約束はしてる。ただ、ちょいと、こっちに行ったら近いんじゃねえかって道をえらんじまったんですよ」
キヘイジはまったく悪びれることもなく言い切って、それに、とつけたした。
「あれから山に入るときは、ササゲをもっていくようになったんで、なにかありゃあ、それを食えばいいし、もしかしたらまた、あの《山のひとたち》が助けてくれるかもしれねえっておれはおもってンですがね」
わらって膝をなでるこの男なら、もしかしてそれもあり得そうだとダイキチもおもわず笑う。だが、ヒコイチがこれをきいたら、きっとまたキヘイジは説教されるだろう。
「 ―― それで、山の中で?」
ダイキチが水をむけると、ようやく張っていた気もゆるんできたキヘイジがあしをくずし、「そう、山の中の家をね、―― 」と、あぐらにくみかえた。
「 ―― 家が、あったんですよ。山の中に。もう陽がかたむいてたんで、おれは提灯持って歩いてたんだが、いきなり、ひらけたとこにでましてね。その家が、こじんまりしてるが、えらく造りがよかった。屋根が茅葺きじゃなくて、板葺きでね。お社みてえに壁も床もぜんぶが木だ。そう、だから最初は、なにかのお社かとおもったんですよ」
だが、みまわしてみても、鳥居らしいものはない。ただ、その社のまわりだけは草も木もなく、だれかが手いれをしているのがわかる。
「声をかけてね、みたんですよ。戸がしまってたんで、たたいて、こえを」
だが、なかからこたえはなく、ひとの気配もない。
「留守かもしれねえとおもって、戸を開けてなかをみたら、 ―― 」
そこでキヘイジはことばをとぎらせた。
《百物語会》に来てはなしをきかせる者のなかには、こうした『間』をうまくとって、次にとっておきのこわい場面をもってくる話し慣れした者も多くいる。
だが、キヘイジはそういうことではなく、そのときのことをただ思い出し、ことばがとぎれただけのようだった。
なにしろつぎにでたのは、残念そうなため息だった。
「 ・・・あけてみたら、・・・くずが・・・」
「『くず』?」
「木屑が、ね。コッパが、だいぶあって・・・。そう、ありゃあ、引いたり削ったりのクズじゃねえ。ありゃあ、彫った木のクズよ。おれの仕事場にも、ああいうクズが散って溜まるんで、家に帰る前にはできるだけ着物をはたいてかえる。赤ん坊もいるし、マチがえらく怒るんで、脱いではたくんだ」
「そのぅ、木屑があったのですね?その家のなかに。 ということは、そこは、キヘイジさんとおなじような仕事をなさるかたの家だということですな」
「そうなんだよ、ご隠居。おれもそうおもったから、こえをかけながらあちこちのぞいてみたんだが、二間と土間、それに裏の方に薪をおいておく納屋があるだけだった。どこをみても人はいねえし、ひとが住んでたのはだいぶまえじゃねえかって気がしたよ。だがな、裏には沢をひいた樋もきれいで、納屋にあった鉈や包丁なんかは、まださびてねえ。こりゃあ、ときどきつかうだけの家なのかもしれねえと思って、とりあえず陽もくれてきて寒くなってきたから、そこに一晩とめてもらうことにしたんだ」




