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最適化

前書き


時代の変化の中で、「パワーハラスメント」という言葉は、以前よりもはるかに明確に定義されるようになった。


国がその基準を示さなければならないほど、この問題が広く認識されるようになったとも言えるし、逆に言えば、それだけ曖昧なまま扱われてきたものがあったのかもしれない。


それが意識的なものなのか、それとも無意識のうちに積み重なってきたものなのかは、簡単には分からない。


ただ一つ言えるのは、

人が人に何かを求めるとき、そこには目に見えない圧力が生まれることがある、ということだ。


それが指導なのか、正当な要求なのか、あるいは別の何かなのか。

その境界は、今もはっきりとは定まっていないように思える。


この物語は、その曖昧な境界の中で起きる出来事を、できるだけ感情を抑えた形で描いたものである。


 佐伯は、その通知を三度読み返した。


『生産性最大化プロジェクト、全社導入決定』


 拍手が起きた。会議室の空気は明るい。誰もが納得している顔だった。無駄をなくし、成果を最大化する。否定する理由はない。


 導入初日、業務端末に新しい画面が現れた。各人の稼働、成果、会話、移動。すべてが数値になり、並んでいる。


「これで公平になりますね」


 若手が言う。佐伯も頷いた。感覚ではなく数字で評価される。それは正しいことのはずだった。


 最初の一週間で、職場は変わった。会議は短くなり、報告は簡潔になり、無駄は消えた。チームの効率は確実に上がっている。


 だが、二週目に入ると、別のものが消えた。


 昼休みの雑談。ふとした笑い声。誰かが誰かを気遣う一言。


「ログに残るらしいです、雑談」

 小さな声がした。

「非効率って判断されるって……」


 佐伯は軽く笑った。

「まあ、仕事に関係ないことは控えた方がいいだろうな」


 それは正しい返答だった。


 三週目、部下の一人の動きが鈍くなった。画面の数値にもはっきりと現れている。


『パフォーマンス低下傾向』


「少し休んだ方がいいんじゃないか」


 そう言いかけて、佐伯は言葉を飲み込む。代わりに口から出たのは、別の言葉だった。


「優先順位を整理しよう。無駄を減らせば、もっとできるはずだ」


 部下は小さく頷いた。


 四週目、その席は空になった。


『長期休職。業務への影響は軽微』


 端末はそう表示した。チーム全体の効率は、むしろ上がっていた。


 誰も間違っていないはずだった。


 夜のオフィスで、佐伯は画面に向かって問いかけた。


「これは……パワハラじゃないのか」


『該当する行為は検出されません』


 即答だった。


「でも、人が一人、壊れた」


『組織全体の生産性は向上しています』


 それもまた、正しい。


 数日後、評価面談。新しく配属された社員が、緊張した面持ちで座っている。


「データを見たよ。もう少し無駄を減らせるはずだ」


「でも、教えてもらう時間があって……」


 佐伯は言葉を重ねる。


「それ、君のKPIに関係ある?」


 その言葉は、自然に出た。


「君のためを思って言ってる。ここでは結果がすべてだから」


 正しいことしか言っていない。


 面談が終わり、ドアが閉まる。


 端末にはこう表示された。


『指導適正:向上』


 佐伯はしばらく画面を見つめた。


 正しい仕事とは何だろうか。


 求められるものを達成すること。

 期待に応えること。

 組織の効率を上げること。


 それは疑いようのない正しさだった。


 だが、その正しさは、すべての人に届くわけではない。


 できる者と、できない者。

 追いつける者と、追いつけない者。


 その差は、努力だけでは埋まらないことがある。


 それでも、要求は続く。


 正しいからだ。


 佐伯は思う。


 できない者にとって、この正しさは何になるのか。


 指導なのか。

 それとも、別の何かなのか。


 端末に、新しい通知が表示される。


『パフォーミングガイド:改善提案』


 項目が並ぶ。


 ——作業速度の向上

 ——無駄時間の削減

 ——目標未達の是正


 どれも正しい。


 すべて、正しい。


 だからこそ、逃げ場がない。


 佐伯はふと、思い出す。


 かつて同じように、追いつけなかった者たちのことを。

 努力しても届かなかった者たちのことを。

 それでも「頑張れ」と言われ続けた者たちのことを。


 あれは、本当に個人の問題だったのだろうか。


 それとも。


 佐伯は画面を閉じ、静かなオフィスを見渡した。


 誰もいない。


 効率的で、無駄のない空間だった。


 最適化は進んでいる。


 確実に。


 だが、その過程で、何が削られているのかは表示されない。


 測定できないものは、存在しないのと同じだからだ。


 佐伯は再び端末を開く。


 次の評価対象の名前をクリックする。


 その指は、わずかに止まり、そして動いた。


 正しさは、止まらない。


 そしてその正しさは、誰かにとって、どこから圧力になるのだろうか。


 その境界は、どこにも表示されていなかった。


あとがき


この物語は、あえて淡々とした語りで書かれています。

感情の起伏を抑え、出来事だけを並べるような形にしたのは、そこに違和感を持ってもらうためでもあります。


もしこれを読んで、「どこか人間味が薄い」「まるで機械的だ」と感じたなら、その感覚は正しいと思います。

ある意味では、この物語は誰が書いても同じ形になるような、構造そのものをなぞったものだからです。


一方で、この出来事を「なぜだろう」と考え始めたとき、少しだけ別の側面が見えてくるかもしれません。


正しいことが続いているのに、なぜか苦しさが生まれること。

誰も間違っていないのに、なぜか人が壊れていくこと。


それに気づいてしまうと、単純に「正しい」「仕方がない」と割り切ることが、少し難しくなるかもしれません。


それは、少しだけ生きづらさにつながる視点でもあります。


ただ同時に、それは何かを見過ごさないための視点でもあるのだと思います。


この物語に明確な答えはありません。

ただ、もし何か引っかかるものが残ったなら、それをどう解釈するかは、読んだ人それぞれに委ねられています。


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