合理的な戦争
まえがき
本作品はフィクションです。
登場する国家、人物、出来事は架空のものであり、現実の特定の国や組織、個人を描いたものではありません。
この物語は、戦争という極限状態において、人間や組織がどのような合理性によって動き、なぜ終わらせることが難しくなるのかという一つの仮説を、小説という形で表現したものです。
戦争が始まった日のニュースで、誰も「戦争を始めたい」とは言わなかった。
大統領は国民に語った。
「我々は平和を守るために、この決断をした」
軍人は語った。
「国を守るために、必要な行動だ」
政治家は語った。
「未来の危険を防ぐための選択だ」
誰も、自分が悪だとは思っていなかった。
それぞれの立場では、それは合理的な判断だった。
相手国も同じだった。
「我々は攻撃される前に備えなければならない」
「弱さを見せれば、さらに危険になる」
「国民を守るためには、強くならなければならない」
そこにもまた、別の合理性があった。
二つの国は、互いに自分たちの正しさを信じていた。
そして不思議なことに、両国の指導者は同じ言葉を使っていた。
「平和のため」
「未来のため」
「国民のため」
戦争は、憎しみだけで続くのではなかった。
合理性によって続いていた。
何年も経った頃、一人の研究者が戦争の記録を調べていた。
彼は疑問を持っていた。
「なぜ誰も止められなかったのか」
歴代の指導者の発言を調べても、狂気の人物は見つからなかった。
軍人も、政治家も、官僚も、それぞれの役割を果たしていただけだった。
誰か一人が間違えたわけではない。
誰か一人を排除すれば解決する問題でもなかった。
研究者はノートに書いた。
「戦争は、悪人によって始まるとは限らない。」
「多くの場合、それぞれの合理性が重なった結果として生まれる。」
ある日、研究者は停戦を求める若い外交官と出会った。
外交官は言った。
「なぜ、誰も終わらせようとしないのでしょうか」
研究者は答えた。
「終わらせる理由がないわけではない。」
「ただ、それが今の合理性の中では見えなくなっているのだ。」
外交官は首をかしげた。
「どういう意味ですか」
研究者は窓の外を見た。
「戦争を始めた時の理由が、いつの間にか戦争を続ける理由になる。」
「ここで止めれば犠牲が無駄になる。」
「ここで譲れば弱いと思われる。」
「ここまで来た以上、勝たなければならない。」
「すべて合理的に聞こえる。」
「だからこそ、危険なのだ。」
しかし、戦争を終わらせたのは勝利でも敗北でもなかった。
一人の老人の言葉だった。
彼は国会でこう語った。
「我々は相手を理解できないと思っている。」
「しかし、相手もまた、自分たちを守るために合理的な判断をしているだけなのではないか。」
議場は静まり返った。
それは相手を許せという言葉ではなかった。
自分たちの合理性だけが、世界のすべてではないという指摘だった。
その後、停戦交渉が始まった。
誰も完全な勝者にはならなかった。
誰も満足する結果ではなかった。
しかし、人々は気付いた。
戦争を止めるために必要だったのは、より強い合理性ではなかった。
自分の立場から見た合理性だけではなく、相手の立場から見た合理性を想像することだった。
研究者は最後の論文にこう書いた。
「人間は、模倣によって成長した。」
「過去から学び、他者から学び、合理的な選択を積み重ねてきた。」
「しかし、その能力が強くなりすぎた時、人間は自分自身の作った流れから抜け出せなくなる。」
「合理性は、人類を進歩させた力である。」
「そして同時に、疑うことを忘れた時、人類を縛る力にもなる。」
最後に彼は一文を加えた。
「戦争を終わらせたのは、最も合理的な者ではなかった。」
「まだ存在しない未来を想像できた者だった。」
あとがき
戦争は始めることよりも、終わらせることのほうが難しいと言われます。
その理由の一つには、合理性(模倣)が関係しているのではないか、と私は考えました。
戦争を始める時、多くの場合、それぞれの立場では合理的な理由があります。
国を守るため。
将来の危険を防ぐため。
相手に弱く見られないため。
しかし、一度その判断が組織全体に広がると、その合理性は次第に疑いにくいものになります。
特に縦割りの強い組織では、自分の担当する範囲の正しさが優先され、全体を見る視点や反対意見が届きにくくなることがあります。
誰かが悪意を持っているわけではありません。
それぞれが、自分の役割の中で正しい判断をしている。
しかし、その正しい判断が積み重なることで、全体としては別の方向へ進んでしまうことがあります。
そして、その流れを変えることは、始めることよりも難しくなる。
なぜなら、戦争を止めるという行為は、それまで信じてきた合理性そのものを否定することになるからです。
もし社会が、自らの合理性を修正できなくなった時、外部からの圧力や大きな危機、あるいは内部からの変化によってしか方向転換できなくなる可能性もあります。
それは、人類が合理性を持ったことの皮肉なのかもしれません。
合理性は人間を発展させた力です。
しかし、その合理性を疑う力を失った時、人間は自分たちが作った流れに縛られてしまうのではないでしょうか。




