第三部:迎えに行く者 ――「三度目の礼」
まえがき
この文章を書いていて。
自分は、誰かに対して酷いことをしていたのかもしれない、と考えるようになりました。
何度か、自分は「三度目」を迎えさせていたのではないか、と。
誰かが勇気を出して差し出してくれた感情を、
自分は「正しさ」や「合理性」のつもりで、
明確に拒絶してきたのではないか、と。
今になって思えば、
あれは自分にとっての「救い」だったのかもしれません。
誰かに必要とされること。
誰かに感謝されること。
誰かが、自分へ何かを返したいと思ってくれたこと。
本当は、それらに救われていたのかもしれない。
けれど当時の自分には、
それを受け取ることが、
どこか怖かった。
だから拒絶しました。
それが正しかったのか。
間違っていたのか。
今の自分にも、よく分かりません。
この物語は、
その答えを出すためのものではなく、
ただ、その矛盾を忘れないために書いた話です。
冬の雨だった。
佐藤の事務所の前に、一人の老人が立っていた。
何度も見た顔だった。
最初に来た時、老人は深々と頭を下げ、「あなたに救われた」と言った。
二度目に来た時は、自分で作った菓子を持ってきた。
そして三度目の今日。
老人は、小さな紙袋を抱えていた。
中には、古びた腕時計が入っていた。
「これしか、もう残ってなくてね」
老人は笑った。
「若い頃、妻に買ってもらったんだ。でも、あんたには返せないものを貰ったから……」
佐藤の胸が重く沈む。
時計の価値ではない。
その人が、
「人生の一部」を差し出そうとしていることが苦しかった。
(こんなの、受け取れるわけがない)
そう思った。
だが同時に、
別の感情が喉を塞いでいた。
冬の雨だった。
佐藤の事務所の前に、一人の老人が立っていた。
何度も見た顔だった。
最初に来た時、老人は深々と頭を下げ、「あなたに救われた」と言った。
二度目に来た時は、自分で作った菓子を持ってきた。
そして三度目の今日。
老人は、小さな紙袋を抱えていた。
中には、古びた腕時計が入っていた。
「これしか、もう残ってなくてね」
老人は笑った。
「若い頃、妻に買ってもらったんだ。でも、あんたには返せないものを貰ったから……」
佐藤の胸が重く沈む。
時計の価値ではない。
その人が、
「人生の一部」を差し出そうとしていることが苦しかった。
(こんなの、受け取れるわけがない)
そう思った。
だが同時に、
別の感情が喉を塞いでいた。
(ここで拒絶したら、この人はどうなるんだ)
老人は、もう三度ここへ来ている。
それは単なる贈り物ではなかった。
「あなたに届きたかった」という感情を、
何度も勇気を出して運んできたということだった。
佐藤は、昔読んだ話を思い出す。
三度、山奥まで訪ねて、ようやく人が動いた話。
あれは本当に、
「誠意の美談」だったのだろうか。
もしかしたら。
三度目というのは、
断ることそのものが、
相手の尊厳を切り裂いてしまう地点なのではないか。
一度目なら、まだいい。
二度目でも、まだ引き返せる。
だが三度目まで来た人間は、
もう「条件」では動いていない。
そこにあるのは、
「あなたに必要とされたかった」
という、
剥き出しの感情だけだ。
それを拒絶することは、
申し出を断ることではない。
「あなたの勇気は届かなかった」
と告げることに近い。
それはきっと、
誰にとっても屈辱だった。
佐藤は、時計を見つめた。
受け取るべきなのか。
拒絶するべきなのか。
正解は分からなかった。
受け取れば、
この老人はさらに自分へ依存するかもしれない。
拒絶すれば、
老人の「誰かに返したかった人生」を壊してしまうかもしれない。
どちらも、
人を傷つける可能性があった。
だから佐藤は、
しばらく黙ったあと、
こう言った。
「……預からせてください」
老人は、泣きそうな顔で笑った。
その顔を見た瞬間、
佐藤は理解してしまう。
人は、
正しいから繋がるのではない。
時に、
間違えるかもしれないと分かっていても、
誰かの感情を、
切り捨てずに持とうとした時に、
初めて誰かと繋がるのだと。
雨はまだ降っていた。
だが佐藤には、
あの日より少しだけ、
世界が温かく見えた。
(ここで拒絶したら、この人はどうなるんだ)
老人は、もう三度ここへ来ている。
それは単なる贈り物ではなかった。
「あなたに届きたかった」という感情を、
何度も勇気を出して運んできたということだった。
佐藤は、昔読んだ話を思い出す。
三度、山奥まで訪ねて、ようやく人が動いた話。
あれは本当に、
「誠意の美談」だったのだろうか。
もしかしたら。
三度目というのは、
断ることそのものが、
相手の尊厳を切り裂いてしまう地点なのではないか。
一度目なら、まだいい。
二度目でも、まだ引き返せる。
だが三度目まで来た人間は、
もう「条件」では動いていない。
そこにあるのは、
「あなたに必要とされたかった」
という、
剥き出しの感情だけだ。
それを拒絶することは、
申し出を断ることではない。
「あなたの勇気は届かなかった」
と告げることに近い。
それはきっと、
誰にとっても屈辱だった。
佐藤は、時計を見つめた。
受け取るべきなのか。
拒絶するべきなのか。
正解は分からなかった。
受け取れば、
この老人はさらに自分へ依存するかもしれない。
拒絶すれば、
老人の「誰かに返したかった人生」を壊してしまうかもしれない。
どちらも、
人を傷つける可能性があった。
だから佐藤は、
しばらく黙ったあと、
こう言った。
「……預からせてください」
老人は、泣きそうな顔で笑った。
その顔を見た瞬間、
佐藤は理解してしまう。
人は、
正しいから繋がるのではない。
時に、
間違えるかもしれないと分かっていても、
誰かの感情を、
切り捨てずに持とうとした時に、
初めて誰かと繋がるのだと。
雨はまだ降っていた。
だが佐藤には、
あの日より少しだけ、
世界が温かく見えた。
あとがき
この物語は、三部で終わる短い話です。
感謝を拒絶する人。
感謝を受け入れる人。
そして、誰かの感情を「迎えに行こう」とする人。
世の中の正しさで言えば、感情とお金を切り離そうとする人の方が、誠実に見えるのかもしれません。
実際、それは間違いではないと思います。
けれど。
人は時に、「ありがとう」という言葉だけでは、自分の感情が届いたと信じ切れないことがあります。
だから時間を使い、
勇気を使い、
時にはお金や物にまで、自分の感情を乗せようとする。
それは商品の対価ではなく、
「あなたに救われた」
「あなたに必要とされたかった」
という、自分の存在の証明なのかもしれません。
そして、ふと思うことがあります。
昔から語られる「三顧の礼」という話も、もしかしたら単なる誠意の美談ではなかったのかもしれません。
一度目なら、まだ断れる。
二度目でも、距離を置くことはできる。
けれど、三度目になると。
それはもう、条件や合理性ではなく、
「ここまであなたを必要としている」
という感情そのものになっていく。
だからもし、その三度目を拒絶するとしたら。
それは相手の勇気や誠意、
そして「あなたに届きたかった心」そのものを、
完膚なきまでに拒絶することを意味するのかもしれません。
そしてそれは、
誰にとっても、とても屈辱的なことなのだと思います。
だから結局、
どうするのが正しいのかは分かりません。
感謝を受け取れば、依存や支配になることもある。
拒絶すれば、誰かの尊厳を傷つけてしまうこともある。
どちらを選んでも、
人はきっと、誰かを傷つける。
だからこの物語は、
答えを書くためのものではありません。
ただ、
人はなぜ、
傷つくと分かっていても、
それでも誰かに「ありがとう」を渡そうとしてしまうのか。
その矛盾を書き残したかっただけなのだと思います。




