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いびつな円の勇者

 3畳の薄暗がりで、僕はレポートの再提出を書き終えた。「阿Qは成長し続ける勇者である」という、一回目とは正反対の結論。キーボードを叩く指が少し震えたのは、画面の向こうに広がるイランやウクライナのニュース映像が、あの滑稽な男の末路と重なったからだ。


 世の中は、阿Qを「精神的勝利法」に逃げた愚か者だと嘲笑する。安全な場所に座り、一定の社会的地位という鎧を着た人々が、彼を蔑みの対象として消費する。かつての僕もそうだった。でも、今は違う。

 

 引きこもりがちな僕にとって、阿Qは眩しいほどの「勇者」だ。


 彼は閉じこもらなかった。何度殴られ、唾を吐きかけられても、未荘という理不尽な「外」へ向かって足を踏み出し続けた。自分の居場所を求めて、順応しようと、前へ進もうと足掻いた。その滑稽さは、生きていこうとする意志の裏返しだったはずだ。


 物語の最後、処刑台に送られた彼は、署名のために「円」を書かされる。

 彼はそれを完璧な丸にしようと執着する。それは彼が人生の最後に描こうとした、自分だけの「正義」や「納得」だったのかもしれない。だが、現実は残酷に彼の指を震わせた。出来上がったのは、無惨にいびつな「〇」だった。


 もし、彼がそこで完璧な円を書けていたなら、僕はこれほどまでに胸を締め付けられはしなかっただろう。その「いびつさ」こそが、剥き出しの死を、理不尽な運命を、彼が初めて正面から受け止めた証拠だったからだ。


 今、世界中で誰かが描こうとしている「正義」という名の完璧な円。その裏側で、無数の阿Qたちが「いびつな〇」を書き残して消えていく。それを「かわいそうに」と眺める自分の言葉さえ、欺瞞に満ちている気がして吐き気がする。


 けれど、僕はレポートを閉じない。


 阿Qが震える手で筆を握り続けたように、僕もこの「いびつな違和感」を抱えたまま、画面の外の世界と関わり続けたいと思う書。


 完璧な円なんて書けなくていい。


 その震えを、いびつさを、隠さずに生きていくこと。

 それが、僕が阿Qから受け取った、呪いのような、けれど確かな「成長」の形だった。

あとがき

 

この物語を書くきっかけは、ネット小説の持つ圧倒的な熱量に触れたことだった。日々膨大な作品が生まれ、時間が経てば忘れ去られていく中で、AIによって書かれたものであっても、明日また読みたくなるような、あるいは時代を超えて読み継がれるような「重すぎる小説」がある。自分にとって、その最たるものが『阿Q正伝』だった。


 正直に言えば、最初に『阿Q正伝』を読んだ時は何も感じなかった。しかし、レポート再提出のために時系列に沿って彼の足跡を辿り直した時、自分の中で阿Qという存在が全く違う側面を見せ始めた。


 彼は決してただの愚か者ではなかった。彼は、彼なりに世の中に順応しようとし、前へ進もうと成長し続けていたのだ。その方向が少し、あるいは大きくズレていたとしても、彼は外の世界に出ることを諦めなかった。


 引きこもりがちな自分から見れば、傷だらけになっても「外」へ向かい続けた彼は、滑稽なピエロではなく、一種の「勇者」にすら見えた。そのため、レポートの最後に僕は「成長し続ける阿Qでありたい」と書いた。


 その後、月日は流れて、その時の思いをAIに投げかけてみた。返ってきたのは「それは自分の殻に閉じこもる状態ではないか」という問いかけだった。その答えを見た瞬間、僕は「えっ……?」と戸惑い、足が止まった。しかし、AIが示したその危うい理由は、驚くほど今の国際情勢と酷似しているように思えた。


 阿Qの「タフさ」を肯定しようとした瞬間に見えたのは、今の世界情勢だ。イラン、アメリカ、ウクライナ、ロシア……。現代の悲劇の中で、各国が「自分たちだけの正義」という名の精神的勝利法を武器にして、対話を拒絶し、それぞれの殻の中に閉じこもっている。もし、僕が求めた「タフさ」が、単に現実を遮断して閉じこもるための防壁になるとしたら。それはあまりに危うく、欺瞞に満ちた考えではないか。


 阿Qが最期に書いた「いびつな〇」は、彼がどれだけ無視しようとしても隠せなかった、死という理不尽な現実の現れだったと思う。阿Qを侮蔑し、笑える人々は、きっと安全で社会的な地位がある側の人だ。自分のような立場から、彼を「勇者」と呼ぶことさえも、特権階級の勝手な感傷であり、一種の欺瞞かもしれない。


 それでも、僕は「成長し続ける阿Qでありたい」と書いたあの時の自分を、完全には否定しきれないでいる。たとえ世界が「閉じこもっている」と僕を呼んだとしても、阿Qは確かに、震える指先で「いびつな〇」を書き残し、最期まで世界と関わろうとした。


 完璧な円を書くことよりも、その「いびつさ」を、理不尽さを、そして自分の震えを誤魔化さずに生きていくこと。


 この小説は、阿Qという鏡を通して見えた、僕自身の「世界との向き合い方」への、終わりなき問いかけである。


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