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名探偵の心臓は

 夜中。ふと目を覚ましたチャロアがいたのは、自分の部屋のベッドの上だった。ばらばらに並べられた本棚には難しい本など一切ない。それこそ、専門書や分厚い図鑑なんて。それがないだけで、寂しかった。

 雑多な部屋の中、開いたカーテンの下枕元においてあるカレンダー機能のある時計を眺めて。

 ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝わずに落ちる。一人ぼっちの家で、チャロアは声を殺して泣いた。殺そうとしなくても、声は出なかったが。その時に、本当に悲しくて泣く時は声が出ないのだと知った。引きつった声で、悲しくて苦しくて。

 それを必死に叫びたいのに、ぬくもりが、温度が消えてしまうかもしれないから出来ない。愛おしさが胸から消えないのに、もう決して会えないと分かっているから。




 名探偵、躑躅森・オニキスは。

 躑躅折チャロアの大伯母であり、四十八年前に鬼籍に入った人物だ。




 両親以外で、初めてチャロアを「チャロア」として見てくれた人。初めて「チャロア」を必要としてくれた人。孤独と独りは違うのだと教えてくれた人。頭が良くて、優しいからこそ理不尽に奪われても耐えた人。

 チャロアが「楽しい」をあげられた人。

 彼女のために、チャロアは怪盗にもなれた、何にだってなれたのだ。

『演技』のハイギフテッド。それがチャロアだった。ピッキングも工作も見たことがなくても役になりきれば出来た。それ故に異端、異質・理解されないことを避けるために隠してきたのに。

 オニキスの存在価値のために、自分の能力を役立てられることが嬉しかった。生まれて初めて、この能力を持っていてよかったと感謝した。彼女の敵になり得ることが嬉しかった。「楽しい」を知ってくれたことが、涙が出るほどに嬉しかった。

 言いたいことは山とあるのに、嗚咽が止まらないからこの言葉の群れはきっと涙に溶けているのだろう。


 カーテンの開いた部屋に空から降ってきた光が差し込む。

 紫から白へ、だんだんグラデーションがかってきた光に部屋を染められ、最後の雫を拭い不意にチャロアは立ち上がった。

 泣いていたとひと目でわかる目、噛みしめすぎて腫れた唇、涙でかぴかぴになった頬。それにも気づかずに、「よし」出した声がかすれているのも気に留めないで。

 ベッドの布団をはぎ、ひんやりとした床がここが現実なのだと伝えてくる。ふらふらした足取りで部屋を出ようとして、無意識のうちに壁にかかっていたそれをポケットに仕舞った。流れ作業すぎて、チャロアも気づかなかったくらい習慣化している行動。それは意識の外で、チャロアの意識はオニキスの探偵所へと向かっていた。

 身体の方も玄関でスニカーを履き、靴紐を確認して整える。


 そして、グラデーションがかった空の下を、チャロアは探偵所へと走った。


 探偵所には誰も入れない。なぜなら、オニキスが唯一の鍵を死ぬ前に処分して久しいから。しかし、そんなことはチャロアには関係ない。

 鍵をピッキングして入った中はひどく埃っぽいのに、あの当時のまま何一つ変わらずに時を止めていた。

 あの日、チャロアがおいたままの新聞紙がそのままデスクの上に置いてあって、別離を思い出し泣きそうになった。が、それよりも。

 チャロアがオニキスのために作った、椅子の下の宝箱。

 オニキスに「大切なものを入れるんですよ」と言ったらチャロアを入れようとしてくれた、その中が見たかった。

 オニキスが何を大切としたのか、どれだけ大切なものが出来たのか、別れた後の人生はどうだったのか。ただただ知りたかった。人伝えではなく、自分の目で。

 探偵所内を、ソファーを避けデスクを避けて椅子にたどり着く。屈んで目の前に来た椅子の座面はやはり埃っぽかったけれどチャロアは気にしなかった。

 おそるおそる、小さなきしみ音を立てて座面を持ち上げると、その中に。


 一緒に見るはずだった撫子の花の栞、拙い文字と絵で描かれた「ねこちゃん、ありがとう」の黄ばんだ手紙を一番上にした手紙の束。そして空になったクマのインク瓶に銀で装飾されたオニキスのブレスレットがかかっていた。銀の装飾はどこか歪で、素人によるものだとわかるそれ。


「先生ったら……お金、貯まったら新しく作り直してくださいって言ったのに」


 呆れた言葉とは反対に、涙が耐えなければとめどなく溢れてしまいそうなほどに、幸せだった。

 彼女の人生と共にあったことがわかる、傷だらけのブレスレットは大事に手入れされ使われていたことが分かったから。

 ブレスレットのかかっている、クマのインク瓶を持ち上げる。チャロアが遊び心で作った濃と淡、夜が明けきる前の空が混在する紫に似た色。比率もわからない、二度と同じものを作ることが叶わない、名前のない色の入っていたクマのインク瓶は透明になっていた。

 使い切られたインク瓶の足には「最愛」と消えかけたラベルが付けられている。

 大事な手紙を書く時だけ使われたていたインクが空になるほど、「大事な時」があったのが嬉しい。

 そこで、ふと気づいた。先程は暗くてよくわからなかったが二つ折りにされた紙がおいてあった。位置的にインク瓶の下にあったものだろう。

 片手でその紙を拾い開く。それは手紙だった、チャロアが作ったインクで書かれた、チャロア以外が読むなんて微塵も考えられていない、宛先の書かれてない手紙。


『未来にいるだろうあなたと重なることを信じて、わたくしの心臓を置いてゆくわ』


 透明になったクマのインク瓶、そこにかかったオニキスのブレスレット。生まれ持った石は半身だと言われている。

 名探偵ではない。チャロアにとってはちょっと強気で、そうやって自分を守っている本を読むのが好きな女の子。オニキスはずっと、インク瓶の形をした心臓の上でチャロアを待っていたのだ。

 おもむろに、チャロアは自分のブレスレットを手首から外してクマのインク瓶の首にかけた。掛けざるおえなかった。溢れていく涙を無視して、オニキスとチャロアイトのブレスレットを震えた指で隣り合って重なるように整える。

 半年と少し、いつも一緒に居たいつかの二人のように。それがあまりにも幸福で、このまま死んでしまえたらとすら思えたから。


 チャロアは今日、十六歳になった。大人になったのだ。もう、特別な経験は訪れない。オニキスには、会えない。

 二人でいられた子どもから、孤独な大人へ。あれほど厭うたはずの子ども時代を、オニキスとともにあれた、孤独ではない毎日を愛していた。独りと孤独の違いを知った半年を。

 嗚咽さえでない、静かな涙。頭の中をぐるぐる回る半年間の記憶。走馬灯みたいだとチャロアは薄く引きつった笑いを漏らして。

 半ば無意識に持ってきてしまったそれをポケットから取り出し手をかけた。


 年式の古い、小さな拳銃。護身用として持ってきていたそれのどこまでも冷たい引き金に指をかけて。


「孤独はもう、嫌ですねぇ」


 重いそれを持ち上げ、こめかみに当たる冷たく固い感触に目を閉じたのだった。

 そうして、ゆっくり引き金を――――――。


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