三十、花嫁の仕返し
※この回には後書き部分に花嫁の肖像画があります。
苦手な方は回避行動などをお取りください。
翠玉は妻の水玉と空を眺めていた。地平線近くに月がぽっかりと昇り始めている。明日は満月、黄玉の婚儀が予定されている日だ。しかし。
「大姐も罪な人だな…」
「何が?」
「いや」
結婚して五年が経過しているが、小柄なせいか水玉は今も少女のように瑞々しく、可愛らしい。二人の間にはまだ子が生まれていないが、夫婦仲の睦まじさに影を差すものではない。翠玉は姉の巫女白玉に似た白い顔に苦笑まじりの笑顔を浮かべた。
「お預けを食らっている犬は哀れだなってことさ」
そう言って翠玉は妻の肩に手をかけ、屋内に戻った。
「支度は?」
爽やかに心地よい低音が響いて、巫女はそちらを振り向いた。語尾に微かに籠もったような響き。紅玉の好きな声である。
「一応、準備万端に整えてありますが」
「大姐のことだから間違いはないだろうが、な」
「はい」
微笑む茶色の瞳には、明るい光が差し込んでいた。
「これから天祥おじいさまのところへ……」
「はい」
星の光を集めたような明るい巫女の瞳に、微かな違和感を憶えながら、青玉は長老の下へと足を向けた。
「来たか」
「やはり?」
「流石に白玉。ここまで当てるとはな」
力の漲る黒瞳には、老いの影は感じ取れない。二人は礼儀正しく長老に頭を下げ、退出した。その後姿を見つめながら天祥は思う。青玉の父が、今在ったならと。
翌日の夜。漆黒の天鵞絨の布に微細な銀砂を撒き散らしたような空が広がっていた。満ちた月は山から跳躍したてで、心なしか弾んでいるようである。しかし黄玉の心はその月に反して沈んでいるようであった。
今夜は「良宵」になるはずだった。ならなかったその理由は。
「婚儀を三年延期するか、今夜婚儀を行って三年の間指一本触れないか、どちらかをお選びなさい」
そう黒玉が言い切ったからである。
「黙って私の体を良いように弄んだけじめはつけて貰いますからね!」
弄んだという訳ではないが、断りもなしに体に触れまくったことは疑念の余地がない。当時彼は幼児ではあったが、確信犯なのだ。
「また『お預け』ですか…」
珍しくしゅんとしている姿を見ると、悪いことをしたかなという気分に一瞬囚われる。しかしいくら幼児だったとはいえ、許されることと許されないことがあるのだ。ここで甘い顔を見せてしまえば、つけあがるに違いない。
「七年待ったなら、あと三年くらい大したことないでしょ」
目の前からご馳走を持ち去られた犬みたいな表情の黄玉に、やや冷たい一瞥を投げかける。
「また害虫駆除の日々が始まるなんて、うんざりですね。ようやくと思ってたのに」
「お互いの視野と選択肢を広げる機会を作らないとね」
「要りません、そんなもの」
「なんでよ?」
「白玉大姐の預言だったんです。この婚儀は」
「白玉の…?」
「それに、大姐。浮気を危惧してるわけじゃないでしょう? 俺が将来大姐以外の若い女性に目を向けて、大姐を蔑ろにするとか思っているんじゃないですよね?」
「……思ってないわよ」
本当は、ほんの少し考えていたかもしれない。
「それとも、ご自分の気持ちにまだ不安がありますか? 俺じゃ頼りないですか」
「それも、思ってない……」
褐色の滑らかな頬が仄かに染まる。黒い光の襲撃を受けて黄玉が自分を庇った時、ようやく気付いたのだった。今、自分に必要な存在を。
「じゃあ何が不満なんですか? 何が欲しいのか言ってくれないと、俺だってお手上げです」
「……」
何かを期待するような眼差しだった。これくらい察してよ、という声が聞こえてきそうな程の。
「……じゃ、せめて一年にしてください」
「い・や!」
黒玉はとびっきりの笑顔で微笑んだ。逃げ水のように遠のいていった「良宵」に嘆く少年が、ふと星空を仰いで深い溜息を一つ吐くと。楽しそうな声が響いた。
「三年したら、婚礼衣装を着てあげるわ。それまでは…」
磨き上げた虎目石で作られた指輪を懐から取り出し、少年の右手の薬指に嵌めた。同じものをその掌に落とし、自分の右手を差し出す。
「大姐、これ……」
答えるかわりに微笑みを深くした。黄玉は慌ててその褐色の指に、自分と同じように嵌める。鈍い茶色の中に鋭く黄土色が光る指輪を。お揃いになった指を並べて見た。
「欲しい?」
「ええ。でも焦りませんよ、もう」
「どうして…?」
「大姐の気持ちが判らないのが不安だったんですよ、俺も」
赤い髪の娘は、少年がいつも自信たっぷりに見える迫り方をしていたその裏に、隠していた一面を見て、意外な感に打たれた。
「……あなたでも不安になることがあるのね」
意味ありげな目で見上げる。心外だと言わんばかりの顔でその視線を受け止める少年は、吐息まじりに呟いた。
「体を手に入れても心が手に入る訳じゃないのは判ってますけどね」
「体も、心も愛してくれる?」
「まるごと愛してます」
即答したその口調に一瞬の躊躇いもなかったこと、少年がじっと自分を見つめていることに蒼い瞳は少し安堵したようである。
「なら、いいわ」
黒玉は許婚の首に両手を掛けて耳元に声を注ぐように何事かを囁く。それから素早く少年に口付けをすると、黄玉は苦笑まじりの微笑みを浮かべて、赤い髪の娘をふわっと抱き上げた。白い満月の光が地上に降り注いでいる。
良宵は、もうすぐそこまで来ているようだった。
元々予定してた海黄玉の年齢を、白虹連載時に誤って三つほど下で登場させてしまったのが、この花嫁花婿の極端とも言える年齢差です。
某商業作家さんの作品に、十三くらいで嫁を娶り、子持ち出戻りのその女性を性的に翻弄する少年が出ていたので、十二歳でもまあ大した違いではないな、と当時連載してました。
ただ、現代日本での倫理性を考慮した当時の読者様に早婚過ぎるのではとご指摘に頂き、某作家さんの小説には触れず、最終回の婚礼を延期とした次第です。
しかし。単純にどたばたとした恋愛ものを書こうという構想だけで、年齢差夫婦が絡んできたまでは良かったんだと思うんですが。某友人T氏の癖を一つ、海黄玉に付けてみましたところ、あっという間に黄色が似合うへんt← になってしまいました(涙)
そのためでしょうか。友人には徹底的に嫌われているようです(苦笑)
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篁文箱にも掲載している通り、実際に頂いたのはかなり前ではありますが。
狩野弥琴様から頂きました!
花嫁肖像画です。




