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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ④「水路を動かす」

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第61話 爺さんの許し

村長の許可をもらった翌日、わたしは一人で家を出た。


エマが戸口で見送ってくれた。


「リナ、ちゃんと爺さんと話してきてね」


「うん」


「無理して上手く言おうとしないで。リナの言葉でいいから」


小さく頷いた。


エマが少し笑って、わたしの上着の襟を直してくれた。


(——お母さんはたぶん、わたしが今日何のために爺さんに会いに行くか分かっていない)


(——でも、『リナの言葉でいいから』と言ってくれた)


肩の力が少しだけ抜けた。


◇◇◇


タール爺さんは、その日も水路にいた。


二つ目の水門のところで、水位の杭を眺めていた。爺さんはわたしに気付くと、ゆっくり腰を伸ばして、こちらを見た。


「またお前さんか」


「タール爺さん、おはようございます」


「ふん。何の用だ」


少し迷ってから、深く息を吸った。


(——専門用語じゃなくて、爺さんの言葉で)


「タール爺さんに、お願いがあります」


「お願い?」


頷いた。


爺さんが顎を撫でながら、水路の縁に座った。隣を指さして、わたしも座らせた。秋の朝の水路の縁は、夜露が残っていて、お尻が冷たかった。


「言ってみい」


「機械を、水路に置きたい」


「機械を」


「縄を引くのも、水位を見るのも、機械がやります」


爺さんの目が、すっと細くなった。皺の奥の目が、わたしの顔をじっと見ていた。


「お前さんは、わしの仕事を、取りに来たのか」


——あ。


頭の奥で何かがピンと張った。


(——お父さんが言った通りだ)


(——爺さんは、わたしを試している)


少し迷ってから、慎重に答えた。


「ううん。爺さんの仕事は、取らない」


「ふん」


「爺さんの仕事は、二つあると思うんです」


「二つ」


「一つは『縄を引いて、水門を動かす』。これは身体の仕事」


「ええ」


「もう一つは『水路を見守る』。これは目と頭の仕事」


爺さんが、ふっと笑った。


「ほう」


「機械が代われるのは、身体の仕事だけ」


「身体の仕事だけ」


「水路を見守るのは、爺さんにしかできない」


爺さんがしばらく黙った。皺の奥の目が、わたしの方ではなく、水路の方を向いていた。流れる水の音が、二人の間を満たしていた。


「リナ嬢ちゃん」


「はい」


「お前さんは、まだ八歳だな」


頷いた。


「八歳の言うことじゃない」


「……」


「だがな」


爺さんが、もう一度わたしの方を向いた。


「言うとることは、当たっとる」


指先が一度、軽く動いた。


◇◇◇


「身体の仕事と、目と頭の仕事か」


爺さんが繰り返した。


「はい」


「わしも、十年前ならよかった。縄を引くのも、何回続けても疲れんかった」


黙って聞いた。


「最近じゃ、朝の二回目で、もう肩が上がらん」


「……」


「家の中じゃばあさんが心配しとる。『そろそろ、水路守を誰かに譲ったらどうか』と」


胸の奥が静かに沈んだ。


「でもな」


爺さんが水路の方を向いた。


「わしは、譲りたくない」


(——だろうな)


「水路を見守るのは、わしの仕事だ。五十年やってきた。簡単に譲れん」


胸の奥で、何かが温かくなった。


(——爺さんも、自分の仕事を大切にしてる)


(——『機械が代わる』と聞いて、最初に身構えたのは、そのため)


「タール爺さん」


「ん」


「機械が縄を引いても、水路を見守るのは、爺さんのままです」


爺さんが顎を引いた。


「機械が判断を間違えた時に、止めてくれる人が要る。見守る人が、絶対に要る」


爺さんが、わたしの方をもう一度見た。


「機械が判断を間違える、と」


「はい。前世のわたしが、何度も見てきた」


——あ。


しまった、と思った。『前世』なんて、言ってはいけない言葉だった。


爺さんが、ゆっくり目を細めた。


水路の水音だけが、二人の間を満たしていた。


「前世」


「ええと、その、夢で見たような」


爺さんはすぐには返事をしなかった。

皺の奥の目がわたしの顔の上をゆっくり一往復して、それから水路の流れの方へ戻る。

秋の冷たい風が一度だけ、爺さんの白い髭を撫でた。


「……ふん」


長い息が漏れた。


「リナ嬢ちゃん。今の話は、わしの胸にしまっておく」


「えっ」


「お前さんが何を口にしたか。わしは聞かんかったことにする」


胸の奥がきゅっと縮んだ。

爺さんは怒っているのでも面白がっているのでもなかった。ただ、聞いてしまったことの重みを、自分の側だけで黙って引き受けようとしていた。


「ええと——」


「言わんでいい」


爺さんが手のひらをゆっくり水路の縁に置いた。


「五十年水路を守っとるとな。村の人が口を滑らせるのを、何度も見てきた。そういう時は、聞かんかったことにするのが、いちばん収まりがええ」


それから、爺さんは少しだけ笑った。


「リナ嬢ちゃん、お前さんは『夢で見た』をよく使うらしいな」


「お、お父さんが、そう言ってた?」


「いや」


爺さんが空を見上げた。


「お前さんを見ていれば分かる。八歳の頭じゃ思いつかんことを、お前さんは時々、口にする」


「……」


「だが、わしは詮索しない」


爺さんがそう言って、水路の縁に手を置いた。


「お前さんが何を持っているのか、わしには分からん。バルドゥス爺さんなら、知っとるかもしれんがな」


「バルドゥス爺さんを、知ってるんですか」


「同じ年寄り同士、よく話す」


——あ。


頭の奥で、もう一つ、何かが繋がった。


(——タール爺さんとバルドゥス爺さんは、繋がっていた)


(——だから、爺さんはわたしのことを、薄く知っている)


「リナ嬢ちゃん」


「はい」


「機械の話に戻ろう」


「うん」


「お前さんは、わしの仕事を取らないと言った」


頷いた。


「爺さんの『見守る』は、爺さんのまま残ると言った」


もう一度頷いた。


「機械が判断を間違えた時に、わしが止める」


「そうです」


爺さんが、ふっと笑った。


「それなら、わしは構わん」


胸の奥で、熱が一気に広がった。


◇◇◇


「ありがとう、タール爺さん」


「礼はいい」


「ほんとに、ありがとうございます」


「ただ、リナ嬢ちゃん」


「はい」


「機械を作ったら、わしに動かし方を、教えてくれ」


「もちろんです」


「機械が間違えた時に、わしがどうすれば止められるか。それを、わしが分かっとらんといかん」


「分かりました」


爺さんが、わたしの肩を軽く叩いた。骨ばった指だった。


「お前さんが作るものは、たぶん、わしには見たこともない仕組みだろう」


黙って頷いた。


「だが、わしが村でやってきた水路の仕事は、五十年分の経験がある」


「はい」


「お前さんの新しい機械とわしの古い経験が、ちゃんと噛み合えば村のためになる」


頭の中で配線が、もう一段繋がった。


(——爺さんが、わたしの作るものを、自分の経験と並べて考えてくれている)


(——前世のわたしが PM だった頃、現場のキーパーソンとこうやって話を作った)


頭の中で前世の感覚が立ち上がっていた。


『現場の経験を尊重する』。

『機械が代われる範囲と代われない範囲を、明確に分ける』。

『キーパーソンの仕事を奪わない設計にする』。


それを八歳の体で、秋の朝の水路の脇で、わたしは爺さんと一緒にやっていた。


◇◇◇


「リナ嬢ちゃん」


「はい」


「いつから、機械を作る」


「明日から、お父さんとグスタフさんと相談する」


「ふん」


「水門の構造を、もう一度ちゃんと見せてもらいたい」


「ああ。何回でも見に来い」


「ありがとうございます」


爺さんがゆっくり立ち上がった。腰の音がまた小さく鳴った。


「やってみい」


短い言葉だった。けれど、五十年水路を守ってきた爺さんが、わたしに渡してくれた『許し』だった。


「ありがとうございます」


頭を深く下げた。


爺さんは何も言わず、水路の上流の方へ歩き始めた。


◇◇◇


家への帰り道、わたしは秋の畑を歩きながら、頭の中で次の段取りを組み立てていた。


(——爺さんの許しは取れた)


(——次は、お父さんとグスタフさんに、水門の構造を見てもらう)


(——機械の動力源・判断機構・出力機構を、それぞれ設計する)


歩きながら、頭の中で部品が並んでいく。


——ぜんまい(動力源)。

——機械式の時計(時刻測定)。

——浮き+歯車(水位測定)。

——論理ゲート+穿孔布(判断機構)。

——カム+縄巻き機構(出力=水門の開閉)。


これら全部を、一つの装置として、水路の脇に組み立てる。


(——大きな仕事になる)


(——でも、できる)


家が見えてきた。窓から温かい光が漏れていて、エマがわたしを待っていた。


「リナ、お帰りなさい」


戸を開けるとエマが台所から振り返って、わたしの顔を見た。それだけで何かを察したらしく、小さく笑った。


「うまく行ったみたいね」


「うん。爺さんが、許してくれた」


「よかったわ」


エマが粥を椀によそって、わたしの前に置いてくれた。


「お父さんが、もう工房に行ったわよ」


「あとで行く」


椀を受け取って、温かい湯気を顔に当てた。冷えていた指先が、椀の温度でじわじわと戻った。


(——明日から、装置を作る)


(——タール爺さんと村とわたしと機械が、ひとつの仕事をする)


頭の中で配線が、もう一段繋がった気がした。


外で家の屋根の上を、秋の朝の冷気が静かに流れていた。


■あとがき・解説


第61話は、村長の許可を得た翌日、リナが一人で水路に向かい、タール爺さんと自分の言葉で再交渉する回でした。爺さんの「お前さんは、わしの仕事を取りに来たのか」という鋭い問いに、リナは「身体の仕事は機械、見守る目は人」という原則を即興で組み立てて返します。最後に爺さんが残した短い「やってみい」が、この回の閉じ方でした。今回はその「現場のキーパーソンと直接話す」という仕事について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「相手の領分を侵さない」——機械化の設計が、人間関係の設計でもある


リナが爺さんに対して提示した「爺さんの仕事は二つある。身体の仕事と、目と頭の仕事」という切り分け。これが前世の言葉でいうと「相手の領分を侵さない設計」と呼ばれる発想です。


新しい仕組みを導入する時、その仕組みは必ず誰かの仕事と隣り合わせになります。隣の人の仕事を全部奪う形で機械を入れると、その人は強く抵抗するか、表面上は受け入れて裏で機械を壊しにかかるか、どちらかになりやすい。逆に「あなたの仕事のここまでは、これからもあなたのものです」という線をはっきり引くと、その人は新しい仕組みの導入者になってくれる。


爺さんが「機械が判断を間違えた時に、わしが止める」という形で自分の役割を受け入れた瞬間、装置の中に「人が見守る」という機能がはっきりした形で残りました。これは譲歩でも妥協でもなく、装置の設計の一部として組み込まれた重要な仕様です。


■「キーパーソン交渉」——一対一で、自分の言葉で


父アルベルトが「タール爺さんには、お前さんが自分の言葉で説明しに行け。俺はついていかん」と言った理由が、この回でリナの体感として腑に落ちます。


権威ある人を間に挟んで話を通す方法は、効率はいいけれど、現場の人と自分の間に「他人が運んできた話」という空気を残してしまいます。「祭司様が言うから」「村長さんが言うから」やる、という形になると、いざ装置が動き始めた時に、現場の人は自分ごととして関わってくれない。逆に、よそ者でも自分の足でその人の所に行って、自分の口で話して、自分で「許してください」と頼むと、その人との間に細い直通の線が一本立ち上がります。


リナが秋の朝の水路の縁で爺さんと並んで座って、お尻の冷たさを感じながら交渉した時間。あの一往復ずつの会話の積み重ねが、後で機械が水路の脇で動き始める時の支えになります。


■「言葉が滑った瞬間の収め方」——『前世』『夢で見た』


「機械が判断を間違える、と」「うん。前世のわたしが、何度も見てきた」——リナが思わず口にしてしまった「前世」という単語を、爺さんが拾った場面。


ここで爺さんが追及せずに「だが、わしは詮索しない」と引いたことが、この回のもう一つの静かな贈り物でした。村の中で、リナが何かを「夢で見た」と言って説明する場面はこれまでもありました。タール爺さんとバルドゥス爺さんは年寄り同士で繋がっていて、爺さんはリナのことを薄くは知っていた。それでも踏み込まずに「お前さんが何を持っているのか、わしには分からん」と置いてくれた距離感。


前世の世界でも、ある程度の年齢を重ねた人は「相手の中にある自分には分からないもの」を尊重する作法を身につけている人が多い。爺さんが見せたのも、その種類の作法でした。


■「やってみい」——許可と委託は違う


爺さんが最後に置いた短い「やってみい」は、リナにとって村長の「いい」とは別種の承認でした。


村長の許可は「村として、これを進めてよろしい」という権威の表明。爺さんの「やってみい」は「五十年水路を見てきたわしの仕事の一部を、お前さんに預ける」という委託の表明。前者は制度、後者は信頼。どちらか片方では装置は動き始めません。


爺さんが帰り際に「機械を作ったら、わしに動かし方を教えてくれ。機械が間違えた時にわしがどうすれば止められるか。それを、わしが分かっとらんといかん」と付け足した場面。あの一言は、爺さんが新しい仕組みを「自分の管理の中に組み入れる」と宣言した瞬間でした。


秋の水路の縁で、八歳の発明家と六十過ぎの水路守が、お互いの仕事を尊重する形で握手をする——絵にすれば短い場面ですが、装置の運命にとっては第一回目の起動鍵が回された場面でもありました。次の話もお楽しみに。


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