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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ③村を変える小さな発明

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第53話 動かない機械

金の月二十九日の朝、わたしは父の工房に座っていた。


机の上に、数表生成機が静かに置かれていた。先日カイル爺さんやマリスのおばさんが見学に来た時から、ほとんど触っていない。エルナが「機械でいいのね」と確認してくれた、あの装置。


ハンドルに手を添えた。


回した。歯車が動く。出力の桁が一つ進む。

回した。出力の桁がまた進む。

止めた。


(——止まる)


机に頬杖をついて、機械を眺めた。


ハンドルから手を離せば、機械は止まる。それは当然だ。動力源がなければ、歯車は回らない。


(——でも)


(——機械が、ひとりでに動き続けることはできないのだろうか)


頭の中で前世の言葉が立ち上がった。


——『自動化』。


人が手を動かさなくても、機械が決められた手順を最後までやり遂げる仕組み。前世の世界では当たり前のように存在していた概念だった。


そして、もう一つ。


(——『記憶』)


ハンドルを止めたら、機械はそれまでの計算の途中の値を覚えていない。一時的な状態は歯車の位置に残るけれど、それは外部に取り出して再利用できる『記憶』ではない。次にハンドルを回すときには、また最初からやり直しになる。


(——途中の値を、機械の外側に書き残して、別の機械にも渡せたら)


(——それを別の機械に渡して、続きを計算してもらえたら)


(——同じ計算を、何百回でも繰り返せる)


頭の奥が静かに熱を持った。


◇◇◇


工房の扉が開いて、父が入ってきた。


「ふん。早いな」


「うん」


父はわたしの隣の作業台に向かいかけて、足を止めた。机の上の数表生成機を見て、それから、わたしの顔を見た。


「動かんのか」


「動かないんじゃなくて、動かしてないだけ」


「ふん」


父は短く息を吐いた。


「『動かしてない』のと『動かない』の違いは、お前さんの頭の中だけだ」


これは父にしては珍しい、少し長めの一言だった。わたしは机の前で、もう一度ハンドルを眺めた。


(——お父さんの言う通りだ)


(——機械から見れば、動かしていないのは動かないのと同じこと)


そして、それを動かす力をわたしの手だけに頼っているうちは、機械はずっと『動かない』も同然だった。


「お父さん」


「ん」


「機械が、誰の手も借りずに動き続ける方法って、ないかな」


父は作業台の椅子に腰を下ろした。引き出しから工具を取り出しながら、答えた。


「ある」


「ある?」


「ぜんまいだ」


——あ。


工房の壁際に並んでいる置時計たち。父が修理したり整備したりするあの時計たちは、確かに『誰の手も借りずに』動いている。ぜんまいを巻いて手を離せば、何日も振り子を揺らし続ける。


(——機械の中に、動力を蓄えておく仕組み)


「ぜんまい、か」


「あれは『力を貯めて、ゆっくり吐き出す』機構だ。お前さんの加算機にも、たぶん応用できる」


父はそれだけ言って、自分の作業に取りかかった。


頭の中でぜんまいの機構が動き始めた。前世の言葉なら『バッテリー』に近い。蓄えた力を、必要なときに少しずつ放出する。確かにこれで「動かす人がいない」問題は解決する。


(——でも、それだけじゃ足りない)


胸の奥でもう一つの問いが立ち上がっていた。


ぜんまいで動かしただけでは、機械は『同じ動き』を繰り返すだけだ。置時計が同じ動きを繰り返して時刻を刻むように。


わたしが欲しいのは、それじゃない。


(——機械が、計算の手順そのものを覚えてくれる)


(——『次は足す』『次は掛ける』『次は止まる』を、機械の中に書き込んでおく)


——『プログラム』。


頭の中でその言葉が立ち上がった。前世のわたしが、毎日のように書いていたもの。


◇◇◇


午後、わたしは工房の隅で考え続けていた。


(——機械に手順を覚えさせる方法)


前世なら、答えは決まっていた。


——『パンチカード』。


紙に穴を開けて、その穴のパターンで命令を表現する。機械は紙を読み取って、穴のあるなしを『一』『〇』として解釈し、決められた手順を実行する。


歴史で言えば、ジャカードの織機が最初だった。模様を織るための型紙が、穴のあるなしで縦糸の上下を制御していた。それが計算機に応用されて、コンピュータの祖先になった。


——でも。


机の上に紙はない。代わりに、父の修理用のメモが書かれた木の板が一枚。


この世界の紙は高価だった。村の祭司が儀式の記録に使う羊皮紙はあるけれど、あれは何匹もの羊から作られる貴重品だ。職人の家で日常的に使うものではない。


そして、穴を開ける道具——穿孔機もこの世界にはない。


(——紙じゃない、別の素材で記憶を作れないか)


(——孔じゃない、別の方法で『一』『〇』を表現できないか)


頭の中で素材の候補が並んだ。木の板に切れ込みを入れる方法。粘土に窪みを作る方法。革に針で穴を開ける方法。


どれも、量を作るのは大変そうだった。


——そのとき、頭の奥で、何かが甦った。


母エマの織物部屋。萌の月の初めに、わたしが初めて織機を覗いた日のこと。


縦糸が上下二段に分かれていた。

横糸が左から右へ通る瞬間、上に来る縦糸と下に来る縦糸の組み合わせで、模様が決まる。

そして机の隅には結び目を作りながら巻き取った紐の束。エマは「これがあると、同じ模様を何度でも織り直せるの」と言っていた。


(——『これがあると、同じ模様を何度でも織り直せる』)


胸の奥で、何かがコトリと音を立てた。


紐の束は、紙ではなかった。糸だった。

結び目は、孔ではなかった。糸の隆起だった。


けれど、本質は同じだった。


(——あれは『記憶された命令列』だ)


(——お母さんの織機は、毎日、命令を読み取って実行している)


頭の奥で大きな音がした気がした。


机の上の数表生成機を見た。


(——これと、お母さんの織機を、繋げられないだろうか)


胸の奥で熱が一気に立ち上がった。


◇◇◇


工房の窓から夕方の光が入ってきた頃、わたしは立ち上がっていた。


父がドライバーを置いて、わたしの方を見た。


「もう帰るのか」


「うん」


「ふん」


「お父さん」


「ん」


「お母さんの織物部屋、見てきていい?」


父は一瞬だけ手を止めた。それから、何でもないことのように答えた。


「ああ」


それ以上は何も聞かなかった。


工房を出ると、空が金色から赤に変わっていく時間だった。麦の刈り入れがほとんど終わった畑の上を、秋の風が走っていた。


母の織物部屋は家の北側にあった。半屋外のような場所で、織機が一台と糸の束がいくつか置かれている。冬の前にエマがよく座っている場所だった。


家の戸を開けると、台所からエマの声がした。


「あら、リナ。お帰りなさい」


「ただいま、お母さん」


「お父さんは?」


「あとから戻る」


エマは粥を温めていた。鍋からゆっくり湯気が立っていた。


「お母さん」


「うん?」


「あとで、織物部屋を見せてもらってもいい?」


エマが少しだけ手を止めた。それから、わたしの顔を見て、ゆっくり頷いた。


「いいわよ。明日の朝でも?」


「うん。明日でいい」


「珍しいわね、リナが織物に興味を持つなんて」


「うん。ちょっと……気になることがあって」


エマは何かを問いかけそうな顔をした。けれど、結局問わなかった。問わないこと、それがエマの距離の取り方だった。


「わかった。明日の朝、見せてあげる」


「ありがとう、お母さん」


椀を受け取って、わたしは食卓の椅子に座った。


◇◇◇


その夜、屋根裏でノラの寝息を聞きながら、わたしは天井を見上げていた。


頭の中で、織機と数表生成機が並んでいた。


(——お母さんの織物が、機械を動かす)


(——わたしが前世で書いた言葉でいえば、それは『プログラム』を機械に渡すこと)


(——お母さんが何十年も使ってきた『紐の束』が、機械の言語になる)


頭の中で配線が、じわじわと一段繋がった。


そして、もう一つ、別の感覚があった。


(——これは、お母さんと一緒に作る発明だ)


これまでの発明は、ほとんどが父かグスタフと一緒だった。エマは台所で粥を温めて、わたしの背中を見送るだけの場所にいた。


今度は、違う。


エマの織機が、機械の心臓になる。


(——お母さんは、いまから、わたしの工房の側に来る)


頭の中でもう一段、配線が繋がった気がした。


ノラの寝息が規則正しく繰り返されていた。屋根の向こうで木の枝が一度、軽く鳴った。


(——明日、織物を見直そう)


(——お母さんの紐の束は、たぶん、機械の言葉になる)


口に出すのはやめて、息だけを長く吐いた。


天井の梁の影が、月明かりの中でわずかに揺れていた。


■あとがき・解説


第53話は、ハンドルを回さなければ止まったままの数表生成機を前に、リナが「動かない機械」と「動かしてないだけの機械」の違いを父に突きつけられる回でした。ぜんまいという答えが父からぽつりと与えられて、けれどそれだけでは足りないことに気付き、リナの視線がだんだん母エマの織物部屋へと吸い寄せられていきます。今回は、その途中でリナが思い出した前世の言葉について、ゆるく解説していきます。


■この話で出てきた言葉


■「自動化」——人の手から、機械の手へ


リナが頭の中で最初に立ち上げた言葉が「自動化」でした。


人が手を動かさなくても、機械が決められた手順を最後までやり遂げてくれる仕組み。前世の世界では工場のベルトコンベアから、洗濯機のタイマー、自動運転の車まで、いろいろなものが「自動化」の名前で呼ばれています。共通しているのは、人が一回だけ「始めて」、あとは機械が自分で続きを進めるという形です。


父が答えた「ぜんまいだ」は、その自動化のいちばん古典的な解の一つでした。動力源を機械の中に持たせて、ぜんまいの力でしばらくの間、勝手に動き続けてもらう。置時計や懐中時計が、何百年もこの仕組みで動いてきました。


■「バッテリー」——力を貯めて、ゆっくり吐き出す


ぜんまいが頭の中で前世の「バッテリー」と重なる、というリナの呟き。


バッテリーというのは、エネルギーを内部に蓄えておいて、必要な時に少しずつ取り出せる仕組みのことです。乾電池、スマートフォンの電池、車のバッテリー、どれも基本は同じで、「外から力をもらえない時間でも、自分の中の蓄えで動き続けられるようにする」ための装置です。


ぜんまいは電気ではなくて、ばねの「巻かれた状態」という形でエネルギーを蓄えます。巻く時に人が力を入れて、巻き終わったあとはばねが元に戻ろうとする力で機械を動かす。エネルギーの形は違っても、「貯めて、少しずつ吐き出す」という発想は、電気のバッテリーと共通しています。


■「プログラム」——機械の手順を、外から書き込む


ぜんまいだけでは足りない、とリナが気付いた理由がこちらでした。


ぜんまいで動かしただけだと、機械はずっと同じ動きを繰り返します。置時計が同じテンポで秒針を進めるように。リナが欲しいのはそうじゃなくて、「次は足す」「次は止まる」「次はこの値を覚える」というような、手順そのものを機械の外から書き込める仕組みでした。


前世の言葉でいうとそれが「プログラム」です。動力ぜんまいと、手順プログラムが別々に分かれていて、同じ機械でも違う手順を渡せば違う動きをする。リナがエマの織機の紐の束を思い出したのは、そこで「手順を記録する素材」を探し始めたからでした。


机の上の数表生成機を見つめる、夕方の工房。リナの視線はもう、机の上ではなくて、母の織物部屋の向こうを見ています。次の話もお楽しみに。


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