表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ③村を変える小さな発明

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/211

第43話 最初のゲート

朝の空気に、わずかな涼しさが混じり始めていた。


土間で布を広げて、昨日仕上げた試作物をその上に置いた。歯車四つと軸三本、それと木の端材の土台。手のひらに収まる大きさの、見た目はただのガラクタ。


その上から布をもう一枚かぶせて、両端を縛った。


「リナ」


父の声が背後から聞こえた。振り向くと、上着を羽織りかけたところだった。


「グスタフのところまで送る」


「うん」


父はそれ以上は言わずに、扉を引いた。


外に出ると、麦畑の縁が少しずつ黄金から茶へと色を変え始めていた。村の朝はまだ静かで、誰かの家の煙突から薄い煙が立ち上っているだけだった。


しばらく並んで歩いた。


「リナ」


「うん」


「グスタフはな」


父はゆっくり言葉を継いだ。


「『面白い』と思ったら、容赦なくのめり込む男だ」


わたしは布の包みを胸の前でぎゅっと抱え直した。


「だが」


父が小さく息を吐いた。


「お前のことは、大事にしてくれる」


短い言葉だった。けれど、その短さに父の気持ちが詰まっているのを、わたしはもう知っていた。


「お父さん、ありがとう」


父は前を向いたまま、軽く頷いただけだった。


◇◇◇


グスタフの工房は村の南の端にあって、火床の煙突から黒い煙がもくもくと立ち上っていた。扉に近付くと、鎚を打つ音が断続的に聞こえてくる。


カン、カン、カン——。


父が扉を引いた。


熱気が顔に当たった。火床の脇でグスタフが鎚を振っていた。赤く焼けた鉄を金敷の上で叩いている。汗が髭から滴っていた。


「グスタフ」


父が声をかけた。


「リナが、見せたいものがあるそうだ」


グスタフが鎚を止めた。赤い鉄を一度水桶に沈める。ジュッと音が立って、白い蒸気が上がった。


「嬢ちゃん。何だ」


「はい」


わたしは作業台の隅に近寄って、布の包みを置いた。両端の結びを解いて、もう一枚の布をめくる。


歯車四つと軸三本でできた小さな機構が、薄暗い工房の光の中に現れた。


グスタフが目を細めた。


「これは、わたしが眼で見た差を、歯車の位置に写して比べる仕掛けです」


声が少し震えた。


グスタフは何も言わずに、作業台の脇に立った。その大きな体が試作物の上に影を落とす。


「やってみせます」


わたしは指で歯車Aだけを回した。


ゆっくりと、出力の歯車が回った。


止めて、今度はBだけを回した。


同じように、出力が回った。


両方の歯車を同時に押さえて、揃えて回した。


——出力は、止まった。


両方の指を離した。出力は、もう動かない。


数秒の沈黙。


グスタフは試作物に顔を近付けて、歯車の一つひとつを目で追っていた。髭の中に半分埋もれた口は固く閉じられている。


「嬢ちゃん」


「はい」


「これは——」


グスタフは一度、言葉を切った。喉の奥で何かを飲み込むように。


「これは、凄い」


胸の奥が、一気に熱くなった。


ぐっと喉がつかえて、わたしは何も言えなかった。


◇◇◇


グスタフは鎚仕事の続きを忘れたように、試作物の前から動かなかった。


「いつ、これを考えた」


「……ここ数日です」


少し迷ってから答えた。


「八歳の子供が、数日で、これを」


呟くように言って、グスタフは試作物を太い指でそっと持ち上げた。歯車を一つ、指の腹で軽く回してみる。続いてもう一つ。出力の歯車に触れて、その動きを確かめる。


火床の赤い光が、歯車の縁を照らしていた。


「お前さん」


「はい」


「これを、何に使う気だ」


問いの声は、いつものグスタフの大声とは違っていた。低くて、静かだった。


わたしはまた少し迷った。けれど、ここで黙るのは違う気がした。


「……魔法の不調に、役立つかもしれない」


グスタフの眉が、ぴくりと動いた。


「魔法の、不調」


「はい」


わたしは布の上の試作物を指差した。


「魔法陣を直すんじゃありません。入力と出力の違いを外から見るんです」


声を整えてから、もう一度言った。


「わたしが読み取った差を、機械に写して比べる」


グスタフは試作物を作業台に戻した。それから、わたしの顔をまっすぐ見下ろした。火床の赤い光に照らされて、皺の刻まれた顔が彫り物のように見えた。


「ふん」


短く息を吐いた。


数秒の沈黙のあと、グスタフは低い声で言った。


「お前さん、これは、本気の話だな」


「はい」


迷わなかった。


◇◇◇


グスタフは作業台に試作物を戻して、両手を腰に当てた。


「嬢ちゃん。お前のこれは、原型としては悪くない」


「はい」


「だが、歯車の精度が足りん」


軸の細い棒を一本、指でつまんで持ち上げる。それを目の高さまで上げて、片目で軸の通りを見る。


「軸が傾いてる。歯の噛み合わせも甘い。これじゃ、繰り返し使えば数日でガタが来る」


「……はい」


分かっていた。けれど、八歳児の手と父の作業台の隅で見つけた廃材だけでは、これが限界だった。


「俺の鍛冶で」


グスタフは軸を作業台に戻した。


「もっと精密な歯車を作れる。お前の設計通りに」


わたしの目が見開いた。


「親方さんが——作ってくれる、んですか」


「ふん」


グスタフは口の端を少しだけ持ち上げた。


「面白いからな」


胸の中で何かが熱く弾けた。


けれど、グスタフは続けて言った。


「ただし、条件が一つある」


声の調子が、少しだけ重くなった。


「……はい」


わたしは緊張して、布の端を握り直した。


「これは、村の魔法の不調を直すために使う——ということを、エルナ様にも知らせろ」


少し驚いた。


「エルナ様、ですか」


「お前さんが何かを作るのは、お前さんの自由だ」


グスタフは試作物に視線を落としたまま、続けた。


「だが、村の問題に使うなら、祭司の承認は要る」


(——グスタフさんは、正しい)


その言葉が、内側に深く響いた。


(——魔法陣の脇に観測の機械を置くなら、村の魔法を司る人の承認は要る)


(——わたし一人で抱えていい話じゃない)


「分かりました」


わたしは深く頷いた。


「明日、エルナ様に話してみます」


グスタフはそれだけで頷き返した。それ以上の説教はしなかった。


火床から赤い火の粉が、ぽつりと一つ、灰の上に落ちた。


◇◇◇


帰りの道は、来た時よりもさらに静かに感じた。


試作物を布で包み直して、また胸の前で抱えていた。麦畑の縁の色が、来た時と同じに、少しずつ茶に変わりつつあった。けれど、わたしの目にはどの穂もくっきりと見えていた。


「グスタフが」


父がぽつりと言った。


「『凄い』と言ったか」


「うん」


「ふん」


父が前を向いたまま、小さく鼻を鳴らした。


「あの男が『凄い』と言うのは、年に一度あるかどうかだ」


頬の奥が、また温かくなった。


しばらく無言で歩いた。風が麦の穂を撫でていた。


「リナ」


「うん」


「お前は」


父は言葉を選ぶようにゆっくり継いだ。


「何を作るにしても、家族の中だけで使う、と決めていたよな」


「……うん」


水時計の夜のことだった。家族で食卓を囲んで、わたしから「これは家の中だけで使う」と申し出た夜。父は「家の中だけ、だな」と短く言ってくれた。


「今回は」


父の声がさらに低くなった。


「村に、出る」


「……うん」


少し躊躇った。けれど、頷くしかなかった。


「お前の判断なら、お父さんは何も言わない」


「……」


「ただ、無理はするな」


目の奥に、急にじわりと熱が滲んだ。


「ありがとう、お父さん」


声が掠れた。父はそれ以上は言わなかった。前を向いたまま、ゆっくりした歩幅でわたしの隣を歩いていた。


◇◇◇


家の前まで来て、わたしは一度だけ振り返った。


南の麦畑の向こうに、グスタフの工房の煙突から立ち上る黒い煙がまだ見えていた。


(——わたしの作ったものが、初めて、家族の外に出る)


布の中の試作物を、胸の前でぎゅっと抱え直した。


(——一度、計算珠盤の時に、広がりすぎた失敗をした)


ハーラム町まで話がひとり歩きした、あの春の終わりのこと。わたしは止めようがなかった。父が町に持ち込んで、町のギルド長まで届いて、わたしは「子供を演じる」しかなかった。


(——今度は、自分で範囲を決めて、村のために使う)


胸の中で、新しい言葉がゆっくり形を取った。


(——全部を隠すのではなく、誰にどこまで見せるかを、自分で決める)


家族の中だけで抱えるのではなく。

かといって、勝手に外へ流れ出すのを許すのでもなく。


——誰に、どこまで——選んで、開く。


(——マルダさんの孫がもう冷たいパンを食べなくていい)


(——ヒルダさんの井戸が朝一番で水を返す)


(——わたしの作る機械が、その朝食を取り戻すための足がかりになる)


(——魔法の揺らぎを、機械で見届ける)


魔法陣そのものを直すのではない。

揺らぐ魔石プロセッサの動きを、わたしの眼の代わりに機械が見守る。

今はまだ、眼で見た差をわたしが手で歯車に写し取る。それでも頭の中に置いておくより、揺らがない木と金属の上に置いた方がずっと比べやすい。


(——観察を、紙のように残せる道具)


(——それが、わたしの新しい道)


父はもう扉を開けて、わたしを待っていた。


家の中に入る前に、わたしはもう一度だけ南の空を見た。陽の月の風が、髪の先を撫でていった。


(——明日、エルナ様に会いに行こう)


(——そして、本当の試作が始まる)


■あとがき・解説


第43話は、リナが歯車の試作物を抱えてグスタフ親方の工房を訪ね、初めて「家族の外」に自分の作品を持ち出した回でした。今回は、この回で姿を現した「コンピュータ史の祖」たちと、リナの選んだ新しい戦略について解説します。


■この話で出てきた言葉


■「機械式計算機の祖」


電気を使わない、歯車だけで動く計算機のことを「機械式計算機」と呼びます。電卓やパソコンが生まれるよりずっと前、人類はまず歯車で計算をさせようとしました。


十九世紀のイギリスに、チャールズ・バベッジという数学者がいました。彼は「階差機関」「解析機関」と呼ばれる、巨大な歯車計算機を構想します。設計図のレベルではすでに、現代コンピュータと同じ「条件で動きが変わる」「途中の結果を覚えておく」といった仕組みが盛り込まれていました。


そしてそのバベッジの構想を読み解き「もしこの機械が完成したら、数字だけでなく音楽や絵まで作れるようになる」と書き残したのが、エイダ・ラブレスという女性でした。彼女は世界で最初のプログラマーと呼ばれています。


リナがガラクタの歯車で XOR を組み上げ、グスタフに「もっと精密な歯車を」と頼みに行く姿は、この十九世紀の二人を遠く彷彿とさせます。電気のない世界で、歯車だけで「判断する機械」を作ろうとする試みは、現実の人類史でも一度通った道なのです。


■「観察を助ける道具」


リナが作っている XOR は、魔法そのものを直す道具ではありません。魔法の入力と出力を機械が受け止めて「前回と違ったか/同じだったか」を歯車の動きで示してくれる、つまり「観察を助ける道具」です。


科学の世界では、新しい現象を解明するときに、まず「正確に観察する」ことから始めます。望遠鏡、顕微鏡、温度計、地震計——どれも人間の感覚を拡張して「見えないものを見える形にする」ための道具です。


リナの「眼」は前世のプログラマー的なデバッグ感覚で魔法の構造を読み取れますが、揺らぎは一瞬で消えてしまい、二回分を頭の中で比べる余裕がありません。そこに歯車の XOR を置くと「前回の状態」と「今回の状態」の違いだけが、機械的にくっきりと残る。眼が見落とした一瞬を、機械が代わりに覚えてくれる。


魔法陣には触れない。魔石も発動させない。リナの戦略は最初から「直す」ではなく「見る」に徹しています。


■「選んで開く戦略」


リナの胸の中で形を取った、新しい言葉でした。


ものづくりの世界では「誰に、どこまで、どう見せるか」を選ぶことを「公開戦略」と呼んだりします。完全に隠す、全部公開する、特定の人にだけ見せる——どれを選ぶかで、その作品の意味は大きく変わります。


水時計のときのリナは「家族の中だけ」というスコープを選びました。今回はそれを少しだけ広げ、グスタフ親方と、これから訪ねる祭司エルナまで——村の中で信頼できる二人の手元に、自分から進んで開いていく。隠匿でも全面公開でもなく、相手を選んで線を引き直す。これがこの回でリナがたどり着いた新しい立ち位置でした。


「面白いからな」とぶっきらぼうに引き受けつつ「ただし、エルナ様にも知らせろ」と条件を返すグスタフは、職人としても村人としても筋を通す男です。リナにとってこれ以上ない協力者を得た回でした。


そして、帰り道で父アルベルトが渡した「無理はするな」の一言。父娘の関係がまた一つ深まった瞬間でもありました。


次の話もお楽しみに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ