表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
157/211

第157話 旅立ちの朝

霜の匂いがした。


まだ暗い土間に、竈の火だけが赤く息をしている。

ランプの炎の前で、白い息が揺れた。


旅立ちの朝なのに、台所はいつもの朝の顔をしていた。

黒パンの匂い。

豆を煮る湯気。


(——いつもの朝にしてくれている)


それが、ありがたかった。


母は粥を二つの椀によそった。

一つをわたしの前に、一つを父の席に置く。


「食べてから。荷より先に、腹よ」


「うん」


外では父が、荷馬車の縄を確かめていた。

手で木箱の重さを量り、角を押し、結び目を二度引く。


父らしい順番だった。


椀の縁が、指に熱い。

わたしはその熱さを、しばらく握っていた。


(——この熱さを、覚えておこう)


王都に、同じ朝はないかもしれない。


◇◇◇


粥を半分ほど食べたころ、ノラが寝間着のまま下りてきた。


七つになった妹は、眠そうな目をこすりながら、両手で何かを抱えている。


折り線のついた封紙が、二枚。

昨日、母と練習していたものだ。


「ねぇね」


「おはよう、ノラ」


「これ」


ノラはわたしの膝に、封紙を一枚押しつけた。


白いままの、空の封紙だった。


「中、何も入ってないよ」


「いいの」


ノラは首を横に振った。


「王都に、ついてから、あけて」


「空っぽなのに?」


「ついてから」


妹は同じ言葉を繰り返した。

それ以上は説明しない。


七つの理屈は、七つの理屈で固い。


わたしは封紙を両手で受け取った。

軽い。

紙一枚の重さしかない。


(——空の封を、持って行く)


それなのに、鞄のどの紙よりも置いていけない気がした。


「もう一枚は?」


「これは、帰る封」


ノラはもう一枚を母に渡した。


「ねぇねが帰ってきたら、ノラが、あける」


母が封紙を受け取り、棚の決まった場所に立てた。


「行く封と、帰る封ね」


「うん」


母の指が、封紙の折り目をそっと撫でた。


「帰ってくる道は、ここに置いておくから」


その声は、いつもより少しだけ低かった。


◇◇◇


外へ出ると、空はまだ藍色だった。


東の端だけが薄く白んでいる。

霜が畑の畝を白くしていた。


父はもう御者台で、手綱を手の中に確かめている。

村からハーラム町までは、この荷馬車で下りる。

町でヨハンと落ち合い、王都への隊商に乗り換える手はずだった。


母とノラが、戸口に立っている。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


母はそれだけ言った。

余計なことは、何も言わなかった。


ノラが一歩、前に出た。

けれど母の手が、その肩にそっと置かれる。


走って追いかけないように。

そういう手だった。


(——泣かないでいてくれ)


そう思ったのが、ノラのためか自分のためか、分からなかった。


荷台に乗り、村の道を下りはじめる。


ふと振り返ると、村の丘の上で、古い狼煙台に一つだけ灯りがともっていた。


夜番のダンか、ニコか。

旅立ちの朝に、見送りの一灯を入れてくれたのだ。


その光は、わたしが線を引いた網の、最初の塔だった。


わたしがいなくても、誰かが点け、誰かが消す。

光は、立つ人の中に残る。


丘へ、小さく手を上げた。

灯りが、ひとつ瞬いた。

返事のつもりかもしれなかった。


◇◇◇


街道の丘を越え、ハーラム町の西門に着くころには、陽が昇っていた。


西側塔の下に、ヨハンが立っていた。


町の上着。

腰の木札。

背には、自分の荷を一つだけ。


「遅い」


「馬車は二時間半かかるの」


「分かってる」


ヨハンは短く笑い、父に頷いた。


「組頭に返事は書いた。戻ったら、報告も書く」


「そうか」


父はそれ以上聞かず、門の脇に停まった荷馬車を見た。


幌のかかった、商人の荷馬車だった。

ベルマンさんの紹介状の道を行く、隊商の一つ。

御者は無口な男で、わたしたちに短く頭を下げただけだった。


父が紹介状を見せると、御者は紙の隅の印を確かめ、荷台の後ろを指した。


「乗れ。日のあるうちに、次の宿場まで行く」


それだけだった。


わたしは父の手を借りて、荷台に上がった。

板の床が、思ったより高い。

十二の背丈では、ひと跨ぎでは乗れなかった。


(——前は、もっと簡単に乗れた気がするのに)


前の体のことを、また忘れていた。


◇◇◇


荷馬車は、街道を北東へ進んだ。


車輪が固い道を拾うたび、荷の紙束がかすかに鳴る。

父は腕を組んで目を閉じ、ヨハンは外を見ていた。


わたしは膝の上に、持って行く紙の一束を広げた。


信号塔網の図面の写し。

暗号の控え。

押収された紙の覚え書き。


王都で、また一から説明することになる紙だった。


図面の線を、指でなぞる。


テオドールさんが見せてくれた、古い技師団の図面。

あれにも、同じ線があった。


つなぎ目を決まった形にそろえる線。

入口で一度、確かめる線。

途中の道を、できるだけ単純にする線。


(——わたしと、同じ引き方だ)


それから、敵対商会の暗号文。

あの組み立て方にも、覚えのある癖があった。

言葉の間を残し、繰り返しを目印にする組み方。


司祭のリーゼ様が漏らした言葉も、思い出す。

押収した紙の中に、神々の古い字が混じっていた、と。


図面の線。

暗号の癖。

古い字。


別々の場所の、別々の紙。

どれも同じ順番でできていた。


世界を、ひと続きの手順として読む者の順番だった。


(——わたしのほかにも)


世界を、こう読む者がいるのか。


そう思った途端、背中の真ん中が、すっと冷えた。


ひとりではないのかもしれない、という温かさ。

では誰だ、という冷たさ。


二つが、同時に来た。


わたしは紙束を畳んだ。


膝の上で、空の封紙の角が、紙の間からのぞいていた。


ノラの、行く封。


——王都に、ついてから。


封紙を、もう一度鞄の奥へしまい直した。


荷馬車は、北東へ進む。


車輪の音が、固い道を拾い続けた。


■あとがき・解説


第157話は、リナが家族と別れ、村を出て王都への道に乗る、旅立ちの朝の回でした。


今回は「行く封と帰る封」「立つ人に残る光」「世界をこう読む者」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「行く封と帰る封」——空っぽの二枚


ノラがリナに持たせた封紙と、家の棚に立てた封紙は、対になっています。


どちらも、中身は空っぽです。「王都に、ついてから、あけて」という行く封と、「ねぇねが帰ってきたら、ノラが、あける」という帰る封。中身ではなく、二枚あること自体が、村と王都のあいだに細い線を張る約束になります。七つの妹の理屈は、七つの理屈で固い。説明はしないのに、姉には伝わってしまう。そういう距離の結び方を描きました。


■「立つ人に残る光」——持って行かないもの


村の丘を下りるとき、古い狼煙台に見送りの一灯がともります。


夜番のダンか、ニコか。リナが線を引いた網の、最初の塔です。リナがいなくなっても、誰かが点け、誰かが消す。「光は、立つ人の中に残る」——作った人がいなくても回り続けることが、発明が根づくということだ、という主題を、旅立ちの一灯に重ねました。


■「世界をこう読む者」——三つの紙


リナが王都へ持っていくのは、信号塔網の図面の写し、敵対商会の暗号の控え、神殿が漏らした古い字の覚え書きの、三つです。


別々の場所の、別々の紙なのに、どれも同じ順番でできている——世界をひと続きの手順として読む者の順番だった。「わたしのほかにも、世界をこう読む者がいるのか」という問いは、ひとりではないかもしれないという温かさと、では誰だという冷たさを、同時に連れてきます。膝の上には、ノラの行く封。その問いと、家族の温度を両手に抱えて、リナは王都への道を北東へ進みます。


次の話もお楽しみに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ