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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第124話 緩む身分

青の月の十五日。


集会所の机には、乾いた泥の粒が落ちていた。

朝の畑から来た人が、草履の裏につけてきたものだ。


窓の外では、麦の穂がもう少しだけ青い。

風が通るたびに、薄い葉がこすれて小さな音を立てた。


机の真ん中には、町から来た紙が置かれている。


灰色の紐でくくられた紙束。

上の一枚には、ハーラム町の印が押されていた。


ハインリヒ村長は、その印を親指で軽く押さえた。


「町から、信号士見習いの名簿を出せと言ってきた」


集まっていた若い人たちが、少しだけ顔を上げる。


ダンは入口に近い壁にもたれていた。

ニコは机の端に立ち、読み札を両手で持っている。


父は、紙束の横に小さな木札を並べた。

まだ何も書かれていない木札だ。


「町の塔で番につく者には、番料が出る」


村長が続けた。


番料。


その言葉が落ちた途端、部屋の空気が変わった。


ただ手伝うのではない。

練習でもない。

仕事として、銅貨が動く。


(——名前が、帳面を越える)


(——お金の流れに入る)


わたしは、机の木目を見た。

古い傷の間に、昨日の墨が少し残っている。


コルネリアさんの紙には、細かい字で条件が並んでいた。


塔番号を読めること。

発信地を記録できること。

短い光と長い光、間を取り違えないこと。

急報と通常伝言の札を混ぜないこと。


魔力の有無、という欄はない。


◇◇◇


「でもよ」


一人の若者が、気まずそうに口を開いた。


「ニコは、魔力がないだろ」


その声は大きくなかった。

責める声でもなかった。


ただ、いつも村の中にある順番を、そのまま口にしただけだった。


ニコの肩が動いた。

読み札を持つ指に、力が入る。


わたしはすぐに言い返しそうになって、唇を閉じた。


ここで怒るだけでは、たぶん届かない。

紙に書かれた条件を、ちゃんと机の上へ置く必要がある。


父が、町の紙を少し前へ出した。


「ここを読め」


若者は眉を寄せた。


「俺がですか」


「読めるなら」


若者は紙を覗き込んだ。

しばらく字を追い、それから困った顔で言う。


「魔力のことは、書いてねぇな」


「そうだ」


父はそれ以上足さなかった。


ハインリヒ村長が、帳面を開いた。


「町が求めておるのは、符号と記録と番の決まりじゃ。魔力で灯りを出す仕事ではない」


ニコは、まだ顔を上げなかった。


「でも、俺、字は全部は読めません」


声が小さい。


ダンが、壁から体を離した。


「俺もだ」


その言い方が少し乱暴で、でも変に明るかった。


「俺なんか、自分の名前と塔の番号で詰まる」


数人が笑った。

けれど、馬鹿にする笑いではなかった。


父が木札を四枚、机の上に並べる。


一枚目に、読む。

二枚目に、起動。

三枚目に、送る。

四枚目に、書く。


「全部を一人で持つな」


父はそう言った。


「ただし、逃げるな。自分の名、塔番号、時刻の印。これは覚える」


ダンが顔をしかめた。


「時刻もか」


「番料を受け取るなら、いつ働いたか残す」


「そりゃ、そうか」


ダンは頭をかいた。


その手の指先には、操作紐の跡が薄く残っていた。


◇◇◇


練習は、灯り箱ではなく机の上で始まった。


父が黒い板を置く。

白い木片を短く見せる。

隠す。

長く見せる。


ニコの指が、読み札の溝を追った。


「短い。長い。文字の間」


「よし」


父が頷く。


次に、父はわざと少しだけ遅らせた。


短い光のつもりで白を出し、消す。

間だけが、わざと短い。


ニコの指は、そこで止まった。


「今のは、近すぎます」


「どう近い」


「豆を二つ同じ穴に落とすみたいです」


部屋の隅で、誰かが小さく笑った。


ニコは顔を赤くした。


でも父は笑わなかった。


「なら、やり直しだ」


父は同じ動きを、正しい間で繰り返す。


ニコの指が進む。


「短い。短い。長い」


「合っている」


ニコは、読み札から顔を上げた。

その目が、少しだけ明るくなる。


わたしは音を立てずに息を吐いた。


(——魔力じゃない)


(——手が覚えた間を、別の場所へ移している)


それは、前世で何度も見たやり方に似ていた。


ひとつの人に全部を押し込まない。

できる役目を分ける。

同じ形で使えるところだけを、何度も使う。


ここでそのまま専門の言葉を出しても、意味がない。

机の上にあるのは、読み札と木片と、泥のついた指だった。


◇◇◇


次はダンの番だった。


父は灯り箱の操作紐と同じ太さの紐を、机の横に結んだ。

紐の先には、小さな遮蔽板の模型がついている。


「短い」


父が言う。


ダンが紐を引く。

すぐに戻す。


「長い」


今度は少し長く引く。


ニコが読み札を追う。


「合っています」


「書く」


父の声で、隣の若者が帳面に印をつけた。


送信手、ダン。

読み手、ニコ。

記録係、隣の若者。


名前が三つ並ぶ。


一つの伝言の横に、一人だけではない名前が残った。


「これでいいんですか」


ニコが聞いた。


「俺、書いてません」


「読んだ」


父が答える。


「読んだ者の名前も残す」


ニコは、帳面を見た。


自分の名前の横に、小さな丸がついている。


その丸は、ただの墨だった。

ニコはそれを、じっと見ていた。


ダンが横から覗き込む。


「俺の字、曲がってんな」


「自分で書いたんですか」


「父さんに、書けって言われた」


ダンは面倒そうに言った。


目だけは、帳面の自分の名前から離さなかった。


◇◇◇


ハインリヒ村長は、町の紙を読み上げた。


「町側の番につく見習いは、ひと番につき銅貨二枚。村側の訓練番は、当面は村の帳面で管理する。急報時に実働した場合は、別に記録する」


銅貨二枚。


大きな額ではない。

畑の一日仕事よりは少ない。


それでも、名前がついた仕事の値段だった。


「ニコ」


村長が呼んだ。


ニコは背筋を伸ばした。


「はい」


「お前は、まず読み手だ。記録は練習する。魔力の欄はない」


「はい」


声が、少し震えていた。


「ダン」


「はい」


「お前は送信手だ。自分の名と塔番号は、毎日書け」


「毎日ですか」


「毎日じゃ」


ダンは口をへの字にした。


嫌だとは、言わなかった。


ハインリヒ村長は、二人の前に木札を置いた。

父が朝から削っていた、薄い木札だ。


表には、信号士見習い。

裏には、グレンフィールド村。


まだ町の正式な札ではない。

村が先に渡す、仮の札だった。


「町の印が来るまでは、これを持て」


ニコは、両手で木札を受け取った。


木札の端は少しざらついている。

紐を通す穴の周りに、細かい削り跡が残っていた。


ニコの親指が、そこを何度もなぞる。


「これ、俺が持っていいんですか」


「読み手で、いいんですか」


「お前の名で帳面に載せた」


村長の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「持たんでどうする」


ニコは返事をしなかった。


ただ、木札を胸の前で握った。


◇◇◇


昼近くになると、集会所の中は少し暑くなった。


窓を開けても、風は弱い。

紙の端が汗を吸って、わずかに波打っている。


父は、町へ返す名簿の最後に筆を入れた。


読む。

起動。

送る。

書く。

監督。


その五つの欄の下に、名前が並ぶ。


わたしは、監督の欄を指した。


「布時計を使う時も、この欄は要ります」


父がこちらを見る。


「布が動いても、間違いに気付いて止める人が要る。読んで、記録する人も」


手で引くためだけの仕事ではない。

機械が入っても、人が消えるわけではない。


父は少し考え、監督の横に小さく書き足した。


起動確認。

停止確認。


「これでいいか」


「はい」


わたしは頷いた。


ハインリヒ村長も、その字を見て頷く。


「なら、町へそう出す。手だけの仕事にしてしまえば、機械が来た時に名が消える。見守る仕事なら、残る」


その言葉に、ダンが少しだけ目を丸くした。


ニコは、木札を握ったまま聞いている。


わたしは机の上の名簿を見た。


紙の上の線が、いつもより細く見えた。


村の中にある見えない線も、こんなふうに少しずつ細くなるのだろうか。

魔力があるか。

字が読めるか。

家の何番目か。

畑でどれだけ働けるか。


全部が一度になくなるわけではない。


今日の紙には、別の欄があった。


短い光を読む。

長い光を送る。

布時計を起こす。

間を待つ。

止める。

記録を残す。


そこに丸がつけば、人は別の場所へ少しだけ移れる。


◇◇◇


集会所を出ると、空は白く明るかった。


ニコは木札の紐を、腰の帯へ通そうとしていた。

指が少し震えて、なかなか結べない。


ダンが横から手を出す。


「貸せ」


「自分でできます」


「なら早くしろ」


「今やってます」


二人の声は低かった。

どちらも、怒ってはいなかった。


しばらくして、木札がニコの腰に下がった。

歩くたびに、膝の少し上で小さく揺れる。


信号士見習い。


まだ軽い木札だ。

銅貨二枚の番も、毎日あるわけではない。


それでも、ニコは何度も腰へ手をやった。


畑へ戻る道の途中で、泥のついた草履が乾いた土を踏む。

木札が、こつ、と小さく鳴った。


ニコはその音を聞いて、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。


わたしはその後ろ姿を見ていた。


(——道具は、人の手を増やす)


(——ときどき、人の立つ場所も増やす)


別れ際、父が二人に言った。


「明日は夜明け前に、町の西側塔へ行く」


ダンが目を見開いた。


「夜明け前、ですか」


「番明けを見る。札を持つなら、夜の終わりを知っておけ」


ニコの手が、また腰の木札に触れた。


光はまだ空を走っていない。


けれど、村の道の上で、小さな札がもう揺れていた。


明日の夜明け前。

その札は、初めて夜の名残の中に立つ。


■あとがき・解説


第124話「緩む身分」でした。


今回は、信号士見習いが村と町の仕事として扱われ始める回です。


魔力があるかどうかだけで仕事の入口が決まる世界で、符号を読み、間を守り、記録を残す力が別の評価軸になります。

信号塔網は便利な通信手段であると同時に、ダンやニコのような人に新しい立ち場所を作る仕組みにもなっていきます。


第120話で布時計を使った半自動送信を試した後なので、信号士の役目は「手で動かす人」だけではありません。

機械が動く時にも必要になる「読む」「起動する」「止める」「記録する」役目として整理しました。


■この話で出てきた言葉


■「信号士見習い」——信号士になるために訓練中の人


短い光と長い光、間を読み、送信や記録を担当する見習いです。

魔力の有無ではなく、符号と決まりを守れるかが問われます。


■「番料」——番についた仕事への支払い


信号塔の番をした人へ支払われるお金です。

小さな額でも、仕事として名簿に載る意味があります。


■「停止確認」——信号を止められるか見る役目


機械が動くようになっても、正しく始めて、間違った信号を止める人は必要です。

信号士の仕事は手で動かすだけでなく、読むこと、起動すること、待つこと、止めることにも広がります。


次の話もお楽しみに。


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