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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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108/211

第108話 親方の工房

グスタフ親方の工房は、朝から鉄の匂いがした。


炉にはまだ大きな火は入っていない。

けれど昨日の熱が土壁に残っていて、戸口に立つだけで頬が少し温かくなる。


親方は大きな木槌を肩に担いだまま、わたしと父を見た。


「今度は何だ」


父が革袋から紙を出した。


「村の北に、灯りを置く」


「灯り?」


親方の眉が上がった。


「夜に見える合図だ。村長の許可は取った」


「許可だけ先に取ったのか」


親方は鼻を鳴らした。


「それで、俺に何を見ろって言うんだ」


「倒れないか。燃えないか。風で壊れないか」


父の答えは短かった。


親方は紙を受け取らず、まず工房の外へ出た。

わたしたちも後を追う。


工房の裏には、乾かしている木材が積まれていた。

雨上がりの木は表面だけが湿り、中の乾いたところと色が少し違っている。


親方は一番上の板を持ち上げた。

重さを確かめるように片手で揺らす。


「嬢ちゃん」


「はい」


「お前さんの頭の中では、灯りは空に浮いてるんだろう」


「浮いてはいません」


「似たようなもんだ」


親方は板を地面に置いた。


「実際には脚がいる。脚は地面に刺さる。地面は雨で緩む。上に灯りを置けば重くなる。風が吹けば、上から倒そうとする」


言われたことは、全部当たり前だった。

でも、頭の中の図面にはまだ薄かった。


(——光を見せる機械じゃない)


(——まず、倒れない構造だ)


前世なら、通信のプロトコルから考えたかもしれない。

ここでは、最初に杭と脚と土が来る。


父が紙を広げた。


紙の端には、昨日わたしが書いた丸が残っていた。

少し強く握ったせいで、角がよれている。


「古い狼煙台脇に仮設する。村長の条件は、家々から離すことと事前に知らせることだ。火と木組みは俺とお前で見る」


「ふん」


親方はようやく紙を覗いた。


「なら、塔なんて大げさなもんじゃねぇ。最初は脚の長い灯り箱だ」


「灯り箱」


「箱にしろ。むき出しの火を高い所へ置くな」


親方は作業場へ戻ると、煤けた鉄板を一枚引っ張り出した。


「雨避けの屋根。火皿を囲う箱。前だけ開ける」


鉄板を作業台に置く音が、がん、と響いた。


「後ろには光を返す板を入れる。鏡は高い。磨いた金属でいい」


父が頷いた。


「銅板を磨けば足りるか」


「近い距離の試しならな」


親方はわたしを見た。


「で、嬢ちゃん。光をどう切る」


待っていた問いだった。


わたしは、持ってきた小さな木片を出した。

狼煙台で使った遮蔽板の形を、少しだけ写したものだ。


「前に板を置きます。灯りを見せる時は開ける。隠す時は閉じる。短く開ければ短い光。長く開ければ長い光です」


「煙を切ってた板を、光に使うわけか」


「はい」


親方は木片を指で弾いた。


「板が軽すぎる。風でばたつく」


「重くすればいいですか」


「重くしすぎると、今度は動かすのが遅い」


父が作業台の端から細い軸を取った。


「軸で吊るす」


「ああ」


親方が頷いた。


「上から吊るすな。横に軸を通せ。板の下に重りを少しつける。閉じる方へ戻るようにする」


頭の中で、板が動いた。


手を離すと閉じる。

引くと開く。

長く引けば長い光。

短く引けば短い光。


(——基本は閉じる)


(——失敗した時に光が出続けない)


「閉じる方に戻るの、いいです」


思わず声が強くなった。


親方が片眉を上げる。


「何がいい」


「紐が切れたり、人が手を離したりしても、光が出っぱなしになりません」


父が短く頷いた。


「村長の条件にも合う」


「やめろと言われたら止める、だったな」


親方がにやりと笑った。


「手を離せば止まる。分かりやすくていい」


◇◇◇


午前のうちに、灯り箱の形が決まった。


三本脚の台。

上に鉄板の屋根。

中に火皿。

奥に磨いた銅板。

前に横軸で吊った遮蔽板。


父は寸法を紙に書き、親方はその横に木材の太さを書き込んだ。

わたしは板の開く角度と、紐を引く長さを小さく描いた。


三人の線が一枚の紙の上で重なる。


「脚は四本じゃないんですか」


わたしが聞くと、親方は短く笑った。


「地面が悪い時は、三本の方が座る」


「四本の方が安定しそうに見えます」


「見えるだけだ。四本は一本浮く。浮いた脚があると揺れる」


父が工房の隅から丸椅子を二つ持ってきた。

一つは三本脚。

もう一つは四本脚だった。


床のわずかな段差に置くと、四本脚の椅子だけがかた、と鳴った。


三本脚の椅子は鳴らない。


「……ほんとだ」


親方が得意げに腕を組んだ。


「こういうのは、床と喧嘩したことがあるやつが知っとる」


(——机の水平と同じだ)


(——理屈より先に、床が答えを持っている)


わたしは紙の脚を四本から三本へ直した。


◇◇◇


昼過ぎ、卓上の試作が動いた。


本物の塔ではない。

作業台の上に置ける、小さな灯り箱だ。


火皿には細い芯が入っている。

親方が少しだけ油を垂らし、父が火を移した。


箱の中で、小さな炎が立つ。


奥の銅板に光が反射して、前の口から黄色い光が伸びた。

思ったより強い。

工房の壁に、四角い光の跡ができた。


「眩しすぎるな」


父が言った。


「読む方が目を痛める」


「銅板の角度を下げる」


親方が箱の奥に手を入れ、銅板をほんの少し寝かせた。


壁の光が少し下がる。


わたしは遮蔽板についた細い紐を持った。


「開けます」


「短くな」


父が言った。


紐を引く。


板が開く。

壁に光が出る。


すぐに手を緩める。


板が戻り、光が消える。


かた。


小さな音がした。


もう一度。


今度は長く引く。


壁に光が伸びたまま残る。

一つ、二つ、三つ。


手を離す。


かた。


光が消えた。


胸の中で、何かが静かに揃った。


煙の時は、火と草と空が必要だった。

今は、火を消さずに板を動かすだけで短長が作れる。


(——同じ符号)


(——違う媒体)


父が紐の結び目を見た。


「ここに直接結ぶと、後で困る」


「困りますか」


「紐を替えるたびに、板の動きが変わる」


父は細い木片を一つ取り、遮蔽板の軸の横に当てた。

板から小さな腕が出るような形だった。


「引く場所を別に作る。手で引く時も、別の機械で引く時も、ここを引く」


別の機械。


その言葉で、狼煙の時の試し布が頭に戻ってきた。

布が一目進む。

時計が間を刻む。

機械が板を押す。


(——自動にする前に、動かす場所を揃える)


グスタフ親方が木片を覗き込んだ。


「腕を一つ出すわけか」


「ああ。板には触らん」


狼煙の時に使った試し布を、この腕につなげばどうなるだろう。

布が一目進むたびに腕が引かれ、時計が間を刻む。


でも、同じ腕に紐を結べば人の手でも動かせる。

止める時は紐を放せばいい。


(——入口を一つにする)


(——中で動かすものは、後で替えられる)


父は木片の端に小さな穴を開けた。


「ここを引き腕にする」


父が紐を結び直した。

今度は遮蔽板ではなく、その小さな腕の穴に結ぶ。


「もう一度」


わたしは紐を引いた。


引き腕が動く。

遮蔽板が開く。

壁に光が出る。


手を緩める。


かた。


光が消えた。


さっきと同じだった。

違うのは、紐が板ではなく、小さな腕を引いていることだけだ。


グスタフ親方は壁の光を見ていた。

腕を組んだまま、しばらく黙っている。


「親方さん?」


「……これなら、夜に見える」


その声は、いつもの大きな声より少し低かった。


「ただし丘に置くなら、脚はもっと太くする。箱は雨を受ける。風抜きもいる。火皿は倒れても外へ転がらんように囲う」


「はい」


「あと、嬢ちゃん」


「はい」


「これは一人で運ぶな」


十一歳の身体は、すぐに見抜かれる。


「……はい」


父が短く息を吐いた。


親方は灯り箱の横に、太い指で印をつけた。


「明日は本番用の脚を組む。丘に置く前に、エルナ様と村長にも見せろ」


「はい」


「ハーラム町の見張りにもだ。知らん光は騒ぎになる」


昨日ハインリヒさんに言われたことと同じだった。

村長は村の側から。

親方は物の側から。

同じ危険を見ている。


◇◇◇


夕方、工房の壁に最後の光を出した。


短く。

長く。

短く。


まだ意味のある言葉ではない。

ただの試しの点滅だ。


それでも、壁の上で光が切れるたび、わたしの頭の中ではハーラム町の屋根が浮かんだ。

ヨハンが立つ詰所の屋根。

ヤンさんが目を細める狼煙台。


父が灯りを消した。


工房の壁から、四角い光がすっと消える。


作業台の上には、まだ温かい小さな灯り箱が残っていた。

煙を切っていた板が、今度は光を切る板になっている。


わたしはその板に触れないまま、少しだけ身を乗り出した。


明日は、これを丘に置く形にする。


光はまだ、壁の上でしか走っていない。

でももう、空へ出るための箱はここにあった。


■あとがき・解説


第108話は、光信号塔をいきなり丘に建てるのではなく、親方グスタフの工房で卓上試作機に落とし込む回でした。


今回は「三本脚」「遮蔽板」「引き腕」「フェイルセーフ」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「三本脚」——地面が悪い時に座りやすい形


四本脚の台は一見安定して見えます。

でも地面や床が少しでも歪んでいると、一本だけ浮いてがたつくことがあります。


三本脚は、三点で必ず面が決まります。

だから凸凹した場所では、四本脚よりも座りがよくなる場合があります。


グスタフが最初に見るのは、光の仕組みではなく「丘の上で倒れないか」です。

この視点が、リナの設計を机の上から現場へ下ろしてくれます。


■「遮蔽板」——煙を切る板から光を切る板へ


狼煙の時は、煙を見せたり隠したりする板でした。

光信号では、同じ役割を灯りの前で行います。


見せる。

隠す。

短く見せる。

長く見せる。


媒体が煙から光に変わっても、短長符号を作る考え方は同じです。

第108話は、その抽象化が実際の部品として形になった回でもあります。


■「引き腕」——手でも機械でも同じ場所を動かす


今回、父は紐を遮蔽板に直接結ばず、小さな引き腕を間に入れました。


手で引く時も、あとで布と時計をつける時も、同じ引き腕を動かせば遮蔽板は同じように開きます。


これは、後から仕組みを差し替えやすくするための入口です。


プログラミングでいうと、内部の作りを隠して、同じ呼び出し方で使えるようにする考え方に近いです。


■「フェイルセーフ」——失敗した時に危なくならない


今回の遮蔽板は、手を離すと閉じる向きに作られました。

これは、紐が切れたり人が操作をやめたりした時に、光が出っぱなしにならないためです。


現代の設計では、こういう考え方をフェイルセーフと呼びます。

失敗しないことを祈るのではなく、失敗した時に安全側へ倒れるようにしておく。


リナの前世知識と、父やグスタフの現場感覚が重なる部分です。


次の話もお楽しみに。


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