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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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102/211

第102話 試作と失敗

朝の工房は、昨日より静かだった。


机の上には、途中で止まった試し布がそのまま残っている。

藍色の糸が一か所だけ、針に押されて少し浮いていた。


小さな板は半分だけ開いた形で止まっている。


まるで、言いかけた言葉が喉に引っかかったまま固まったみたいだった。


(——げんき、の最後で止まった)


(——原因は、最後じゃないかもしれない)


わたしは椅子に座り直した。

十一歳の足は、まだ床にぴたりとは届かない。

椅子の横木に足先をかけると、昨日の疲れがふくらはぎに少し残っているのが分かった。


「始めるぞ」


父が言った。


「はい」


返事をして、紙を一枚引き寄せた。


◇◇◇


最初にしたのは、装置を動かすことではなかった。


止まった場所を写す。


布のどの目で針が引っかかったか。

板がどの揺れで震えたか。

振り子が何回鳴ったところで父が止めたか。


全部を紙に書いた。


「リナ」


「うん」


「昨日の続きから動かすんじゃないのか」


「動かす前に、失敗した場所を残します」


父がわずかに眉を動かした。


「残す」


「はい。消す前に」


前世なら、記録を見る。

再現手順を書く。

どこで止まったか、どの入力で壊れたかを残す。


でもここにあるのは、紙と炭と布と針だった。


(——記録は、自分で書く)


(——昨日の失敗は、消したらもう戻らない)


わたしは浮いた藍の目を描いた。

その横に、振り子の印を三つ並べる。

三つ目の印だけ、少し黒く塗った。


父は黙って見ていた。


それから、針を指先で軽く押した。


「戻りが遅い」


「うん」


「針が布を押しすぎている」


「でも弱くすると、藍の目を読めない」


父は短く頷いた。


「そこだな」


◇◇◇


午前中は、針の力を変えるだけで終わった。


父は針をほんの少し寝かせた。

布に真上から刺さるのではなく、斜めに触れるようにする。


わたしは隣で、藍の目に針が乗る角度を見た。

強すぎれば糸を押す。

弱すぎれば読み逃す。


「ここ?」


「少し強い」


父が針の根元を爪で押した。


「ここ?」


「今度は弱い」


「ふむ」


父はそれだけ言って、針の支点を半目分だけずらした。

半目。

小指の爪より小さい距離。


それだけで、針の戻り方が変わった。


布を一目送る。

針が浮く。

歯車が動く。

針が戻る。


戻りきる前に次の目が来ると、板の開く長さが少し伸びる。

戻りきってから次の目が来ると、線は正しく短くなる。


(——一つの部品の遅れが、次の文字に混ざる)


(——煙なら、もっと見えにくい)


机の上の小さな板でこれなら、空に上がる煙ではもっと曖昧になる。


胸の奥が少し重くなった。


◇◇◇


昼前、エマが工房に来た。


手には椀ではなく、針箱を持っている。


「布の方も見せて」


「お母さん」


「昨日の糸、少し浮いていたでしょう」


エマは椅子に座り、試し布を膝の上に広げた。

指先で藍色の糸をなぞる。

わたしには同じ高さに見える目でも、エマの指はすぐに一か所で止まった。


「ここだけ、糸が少し甘い」


「甘い?」


「張りが弱いの。針に押されたら、逃げずに持ち上がる」


父が机の向こうから布を見た。


「針だけじゃないか」


「ええ。布も悪いわ」


エマはそう言ったけれど、責める声ではなかった。

ただ、原因の半分を自分の手元に引き受ける声だった。


「お母さん、直せる?」


「試し布ならね」


エマは細い針を取り出し、浮いた藍の目の横に生成色の糸を一本だけ通した。

結び目は作らない。

糸を布の裏へ逃がして、指で軽くならす。


「これで、少し沈む」


布の表面が、ほんの少し平らになった。


(——機械の不具合じゃない)


(——入力の形も、壊れ方を決める)


前世で見た、きれいな画面の裏にある汚れた入力を思い出した。

でも今は画面ではなく、母の膝の上の布だった。


◇◇◇


午後、もう一度動かした。


父が振り子を弾く。


かち。


かち。


布が進む。

針が藍の目で浮く。

板が開く。


短い線。

長い線。

間。

短い線。


今度は、最後の「き」に入っても針は布を押しつぶさなかった。


長い線。


板が三つ分、開いたまま止まる。


閉じる。


短い線。


今度は最後まで動いた。


わたしは紙の符号表を見た。


げ。

ん。

き。


机の上の小さな板が、確かにその順番で動いた。


「読めた」


声に出した瞬間、胸の奥が熱くなった。


父は小さく頷いた。

エマは布を見て、ほんの少しだけ息を吐いた。


ノラが戸口から顔を出した。


「お兄ちゃん、げんき?」


「うん」


わたしは笑いそうになって、少しだけ頬が緩んだ。


「机の上では、聞けた」


ノラは首を傾げた。


「机の上?」


「まだ、空には届いてない」


そう答えると、ノラは真剣な顔で小さな板を見た。


「じゃあ、もっと大きい机?」


「そうかもしれない」


父が短く息を吐いた。

今度は、はっきり笑っていた。


◇◇◇


次に出したのは、台所の古い着火魔石だった。


エマが普段使っているものではない。

端が欠けていて、火は小さい。

けれど試すには十分だった。


小さな陶皿の上に置くと、魔石は薄い赤茶色に見えた。

母が火を起こす時には何度も見ている石なのに、工房の机に置かれると別の道具みたいに見えた。


「今日は火を大きくしない」


エマが言った。


「うん。点くかどうかだけ」


父は小さな板の代わりに、細い木の棒を装置の先に取り付けた。

板を開け閉めしていた軸の動きを、そのまま棒の先へ渡す。


棒の先が、魔石の側面に触れる。


それだけの仕組みだった。


「押せば、点くのか」


父が聞いた。


「分からない」


正直に答えた。


「お母さんが使う時は、手を添える。言葉を言う。石が温かくなります」


「言葉もいる」


「はい。でも狼煙台では、決まった手順で点けていました。魔石そのものに、起きる場所があるはずです」


言いながら、自分でも言葉が弱いと分かった。


あるはず。

たぶん。

見つけたい。


どれも、設計ではなかった。


◇◇◇


父が振り子を弾いた。


かち。


棒が動く。

魔石の側面に触れる。


何も起きない。


もう一度。


かち。


棒が触れる。


魔石は冷たいままだった。


三度目。


父が棒の角度を変えた。

今度は少し強く当たる。


陶皿の上で、魔石がかたりと鳴った。


エマがすぐに皿を押さえた。


「強すぎる」


「ああ」


父は手を止めた。


わたしは魔石を見つめた。

目を凝らせば、模様の流れはたぶん読める。

けれど、今知りたいのは模様の意味ではなかった。


(——どこに触れば、起きるのか)


(——人の指は、何をしているのか)


母の指は魔石に触れる。

言葉を添える。

ほんの少し待つ。

それから火が起きる。


機械の棒は触れる。

待たない。

場所も分からない。

力も強すぎる。


同じ「触れる」ではなかった。


「お母さん」


「なに?」


「いつも、どこを触ってる?」


エマは魔石を見た。

それから、困ったように眉を下げた。


「どこ、と言われると」


「ここ?」


「たぶん、もう少し上」


「上」


「でも、手が勝手に探しているだけよ」


その言葉で、胸の奥が小さく沈んだ。


手が勝手に探している。


それは、わたしが紙に写せないものだった。


◇◇◇


夕方まで、棒の角度を変えた。


上。

下。

横。

少しだけ押す。

長く当てる。

一度離してから、もう一度当てる。


机の上の板なら正しく動く。

布も読める。

振り子も狂わない。


でも魔石は点かなかった。


最後に、父が棒を外した。


「今日はここまでだ」


「まだ」


言いかけて、口を閉じた。


指先が炭で黒くなっていた。

紙の端も汚れている。

肩が重い。


前世のわたしなら、ここで「あと一回だけ」と言っていた。

そして、たぶん本当にもう一回では終わらない。


(——止める)


(——今は、止めるところ)


わたしは息を吐いた。


「はい」


父が魔石を陶皿ごと机の端に寄せた。

エマが布を畳む。

ノラは眠くなったのか、戸口で目をこすっていた。


机の上には、最後まで「げんき」と言えた小さな板と、何も答えなかった魔石が並んでいた。


機械の失敗は直せた。


でも、魔石の失敗はまだ直せない。


わたしは窓の外を見た。

萌の月の夕方の風が、庭の若い草を揺らしている。


あの風の向こうに、狼煙台がある。


煙を毎日見ている人の手がある。


(——机の上だけでは、足りない)


そう分かったことだけが、今日の最後の成功だった。


■あとがき・解説


第102話は、試作機を動かして失敗を切り分ける回でした。


机の上の小さな板は最後まで「げんき」と動くようになりましたが、魔石の点火にはまだ届いていません。

今回は「失敗を残す」「針の力」「入力の形」「魔石を点ける壁」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「失敗を残す」——直す前に原因を見えるようにする


うまく動かなかった時、すぐに直し始めると原因が分からなくなることがあります。


リナはまず、どの目で布が引っかかったか、どの揺れで板が震えたかを紙に写しました。


これは、あとから同じ失敗を再現するための記録です。


■「針の力」——強すぎても弱すぎても読めない


針は強すぎると布を押しつぶし、弱すぎると藍色の目を読み逃します。


ほんの少し角度や支点を変えるだけで、戻る速さが変わります。


機械では、小さな遅れが次の動きへ混ざってしまうことがあります。


■「入力の形」——装置へ入るもののそろえ方


今回の失敗は、針だけでなく布にも原因がありました。


布の糸が少し浮いていると、針の動きが変わります。


機械が正しくても、読み込むものの形がそろっていなければ結果は乱れます。


■「魔石を点ける壁」——機械の動きを魔法へ渡す難しさ


機械の棒で魔石を押しても、火は起きませんでした。


魔石には「どこを、どれだけ、どの順で触れるか」という手順があります。


リナたちはまだ、その手順を机の上の仕組みに変換できていません。


装置は動くようになりましたが、通信として使えるところまではまだ距離があります。

失敗を見える形に残したことで、次の試作へ進む準備が整いました。

次の話もお楽しみに。


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