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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第100話 符号化の設計

朝の食卓には、豆が三つの山に分けられていた。


煮豆にする前の白い豆。

昨日ノラが遊びに使った小さな木片。

それから、お兄ちゃんから届いた古い手紙。


萌の月二十二日。

窓の外では、若い麦が朝の風に揺れている。

けれどわたしの目は、麦ではなく紙の上の文字を追っていた。


「また数えてるの?」


ノラが椅子の端に膝をかけて覗き込んだ。


「うん」


「何を?」


「よく出てくる音」


ノラは首を傾げた。


「音、紙にいる?」


「いるよ。声に出す前の音が、紙の中にいる」


そう答えると、ノラは少しだけ真剣な顔になった。

それから、豆の山を一つ指で押した。


「これも、音?」


「今は、数」


「むずかしい」


「うん。少し難しい」


(——わたしも、まだ難しい)


(——でも、昨日よりは形がある)


父は食卓の端で、紙を押さえていた。

押さえ方がいつもの工房と同じだった。

紙の端が丸まらないように、親指の腹で静かに止めている。


◇◇◇


昨日、狼煙台で見た短い煙と長い煙。


あれを一つだけ使えば、二つ。

二つ並べれば、四つ。

三つ並べれば、もっと増える。


そこまでは分かった。


でも、増えればいいわけではなかった。


「全部同じ長さにすればいいんじゃないのか」


父が言った。


「例えば、煙三つで一文字。短い、長い、短い。長い、短い、長い。そう決める」


「それでもできます」


わたしは頷いた。


「でも、よく使う音まで長くなる」


父の眉が少しだけ動いた。


「長いと困るか」


「煙は待つものだって、ヤンさんが言ってました」


紙の上に、短い線を一本引く。

その横に、長い線を一本引く。


「よく使う音を短くすれば、待つ時間が少し減ります」


父は黙って、わたしの線を見た。


「少し、か」


「はい」


「その少しを積むのか」


「はい」


父は短く息を吐いた。


「なら、数えろ」


その一言で、やることが決まった。


◇◇◇


エマが戸棚から古い紙束を持ってきてくれた。


家計の覚え書き。

布の注文を書いた紙。

お兄ちゃんからの手紙。

わたしが王都へ返すために書きかけた下書き。


「全部を混ぜていいの?」


エマが聞いた。


「ううん。お兄ちゃんに送る言葉に近いものを多めにしたい」


「なら、家の中の言葉ね」


エマはそう言って、お兄ちゃんの手紙を一番上に置いた。


その上に、ノラが受け取った木片の包み紙をそっと重ねる。

包み紙には、ヨハンの字で短く「ノラへ」と書かれていた。


「これも、入れる?」


「入れる」


ノラが胸を張った。


「ノラの」


「うん。ノラの」


わたしは紙の端に、音の表を書いた。


あ。

い。

う。

え。

お。


その下へ、家族の名前に出てくる音を足していく。


リ。

ナ。

ヨ。

ハ。

ン。

ノ。

ラ。


本当は、もっときちんと全部の音を並べなければならない。

でも今日は、全部を完成させる日ではなかった。


まず、よく使うものを見つける日だった。


◇◇◇


わたしは手紙を一行ずつ読み、出てきた音の横へ豆を置いた。


お兄ちゃん。

元気。

町。

夜番。

母さん。

父さん。

ノラ。

リナ。


同じ音が出るたびに、豆が一つ増える。


最初は楽しかった。

けれど三枚目の手紙に入る頃には、指先が疲れてきた。


十一歳の手は、思ったより小さい。

豆をつまむだけなら簡単なのに、何度も同じ場所へ置くと指の付け根がだるくなった。


(——表計算がほしい)


(——でも今は、豆)


わたしは小さく息を吐いて、もう一粒を置いた。


ノラは途中で飽きたらしく、自分の前に豆の家を作り始めている。

エマはそれを止めず、わたしの横で紙を揃えてくれた。


父は何も言わない。

ただ、豆が多い列を見つけるたびに、そこへ小さな木片を置いた。


「これは多い」


「はい」


「これも多い」


「はい」


父の木片は、わたしの代わりに目印になった。


◇◇◇


昼前には、いくつかの山がはっきりしていた。


家族の手紙では、人の名前に出る音が多い。

それから「元気」「帰る」「待つ」「行く」に出る音も多い。


わたしは一番高い豆の山を見た。


「これを短くします」


短い線を一本、横に書く。


次に多い音には、長い線を一本。

その次には、短い線と短い線。

さらに次には、短い線と長い線。


父が、紙の上を指でたどった。


「短いのが先か」


「はい。よく使うものほど、短く」


「珍しいものは長くてもいい」


「たまにしか使わないから」


父は頷いた。


「歯車と同じだな」


「歯車?」


「よく動く軸ほど、軽くする。滅多に動かない軸に、重いものを持たせる」


わたしは瞬きをした。


紙の上の短い線が、父の言葉で急に木と鉄の重さを持った。


(——そうか)


(——これは、軽くする場所を決めてるんだ)


よく通る道を広くする。

よく動く軸を軽くする。

よく使う音を短くする。


全部、同じだった。


◇◇◇


「でも」


父が言った。


「短いのと長いのだけでは、どこで一文字が終わるか分からん」


わたしは頷いた。


「間が要ります」


紙の上に、小さな空白を指で作った。


短い線。

長い線。

少し空ける。

次の線。


「煙が切れたら終わり、では足りないです。短い煙の中の切れ目と、一文字の終わりの切れ目を分けないと」


「息で数えるのか」


「最初は。でも、できれば時計で」


父の目が、少しだけ工房の方へ動いた。


「短い間。文字の間。言葉の間」


「はい」


「三つ要る」


父は紙の端に、木片を三つ置いた。


小さい木片。

少し長い木片。

一番長い木片。


「これを間違えると、全部ずれる」


「はい」


前世で読んだ読みにくいログを思い出した。

改行も区切りもない文字列。

どこからどこまでが一つの値なのか分からない行。


あれは、読めない。


煙も同じだ。


(——短い、長い、間)


(——間も、文字の一部だ)


◇◇◇


わたしたちは食卓から工房へ移った。


父は作業台の上に、古い小さな振り子時計を置いた。

水門の試作に使ったものよりずっと小さい。

針は外されていて、軸だけが見えている。


「時を刻むなら、これを使う」


父は次に、歯車の入った箱を開けた。


「開ける。閉じる。待つ。もう一度開ける」


父の太い指が、歯車を四つ並べた。


「それだけなら、機械でできる」


「短いか長いかは」


「布に聞く」


父はそう言って、わたしを見た。


胸の奥が少し熱くなった。


母の織機。

父の時計。

ヤンさんの遮蔽板。

昨日見た着火魔石。


ばらばらだったものが、机の上で順番に並んでいく。


まだ繋がってはいない。

歯車も布も、ただ置かれているだけだ。

魔石もここにはない。


でも、何が足りないかは見え始めていた。


「布には、短いか長いかを覚えさせます」


「時計が長さを決める」


「歯車が板を開け閉めする」


「魔石は」


父がそこで止まった。


わたしも止まった。


昨日、狼煙台で見た魔石の縁の光が、一瞬だけ頭に戻る。

でも今日は、そこへ手を伸ばさない。


「そこは、まだです」


父は頷いた。


「なら、まだ触らん」


その短い言葉で、ほっとした。


◇◇◇


エマが工房の入口から覗いた。


「お昼にする?」


ノラがその後ろから顔を出した。

両手には、さっきまで遊んでいた豆が握られている。


「ねぇね、音のおうち、できた?」


わたしは作業台の上の紙を見た。


短い線。

長い線。

豆の山。

三つの間。

父が置いた歯車。


「まだ、家じゃない」


「じゃあ、なに?」


少し考えた。


「柱を置く場所」


ノラはよく分からない顔をした。

でも、納得したように頷いた。


「じゃあ、ごはん食べたら、おうちにする?」


父が小さく咳をした。

エマが笑いをこらえるように口元を押さえた。


わたしも少しだけ笑った。


「うん。少しずつ」


昼の光が工房の床に落ちていた。

紙の端で、短い線と長い線が静かに並んでいる。


それはまだ、お兄ちゃんに届く言葉ではなかった。


でも、もうただの線でもなかった。


■あとがき・解説


第100話は、狼煙を「合図」から「文字」に変えるための設計回でした。


家族の手紙を数え、よく使う音を短くし、煙の間まで情報として扱う。

今回は「よく使う音」「間」「まだ完成ではないこと」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「よく使う音を短くする」——頻度を見て符号を決める考え方


リナが今回やっているのは、現代でいう頻度分析に近い考え方です。


たくさん使う音を短い符号にすれば、全体の送信時間を短くできます。


ただし、今回はまだ完成した符号表ではありません。

家族の手紙を数え、最初の考え方を掴んだ段階です。


■「間も情報」——煙が出ていない時間にも意味を持たせる


短い煙と長い煙だけでは、どこで一文字が終わるのか分かりません。


そのため「短い間」「文字の間」「言葉の間」を分ける必要があります。


これは後の装置設計でも重要になります。


■「まだ完成ではない」——設計は入口に立ったところ


今回見えたのは、穿孔布、時計、歯車、遮蔽板をどうつなぐかという入口です。


魔石との接続点はまだ触っていません。


そこはこの先の試作と失敗を経て、狼煙装置の山場へ進みます。


第100話という節目ですが、通信の仕組みとしてはまだ小さな設計図です。

ここから実際の装置へ一歩ずつ近づけていきます。

次の話もお楽しみに。


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