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第22話:渦の中

分厚い絨毯が敷き詰められた、20畳程の広々とした空間。

そこに置かれた深いボルドー色のソファに、島津ヨリコは独りで座っていた。


「総理、お疲れ様です。今日もご多忙のようですね」

「予定では時間通りに着くはずだったのよ」


タカシの言葉に対して溜息をついたヨリコは、「ま、予定通りにいかないのも予定通りみたいなもんだけどね」と、どこか他人事のように言葉を足した。


「ちょっと込み入った話をしたいのだけど?」

「承知しました」


タカシが振り返ると、荒とキョウコが頷いて部屋を退出した。

これで、この場にいるのは3人だけだ。


「で、彼が例の?」

「はい、ウチの倅です」

「今出川シュウジです。島津総理には父がいつもお世話になってます」


タカシに軽く背中を叩かれたのを合図に、シュウジは定型文を口にした。


”永田町の猛獣使い”、”鉄の女”、”タフ・ネゴシエーター”


メディアからそのように評され、連日メディアに取り上げられている総理大臣・島津ヨリコ。

国家権力の頂点に君臨するこの女性のことは、画面の向こうでは何度も見たことがある。もちろん、直接会うのはこれが初めて。


――思ってたより厳しそうな人だな


装飾を一切排した襟の鋭いテーラードジャケット、首元までボタンを留めたストイックなインナーブラウス、ネックレスもスカーフもなく、代わりに襟元で照明の光を冷たく吸い込いんでいる一粒の黒真珠。


その隙の無いミニマリズムな出で立ちから受ける印象のせいか、シュウジはヨリコを冷徹な人物と判断した。いや、正確には、そう判断しそうになったが、次の瞬間には評価がガラリと変わっていた。


「シュウジくんね!島津ヨリコです。どうぞよろしく!」


満面の笑みを浮かべ、シュウジの手を包み込むように握ったヨリコの体温は、思いのほか高かった。


僅か数秒間の出来事。


しかし、その立ち振る舞いから「立場や年齢、性別を超えて、わたしはあなたを対等な相手として扱います」との言外のメッセージを、シュウジは確かに感じ取った。


――いや、そんな訳ない


直感と理性が反発し、握手を交わした右腕に鳥肌が立った。


「ヨリコさん、ウチのシュウジはこういうのに慣れてないんだ。ちょっとは加減してやってくださいよ」

「あら?じゃあ、これからのためにもますます慣れていかないとね」


向けられた笑みに、シュウジは頷くことしかできない。

身体を硬直させている少年から視線を外したヨリコは、タカシに向き直り、声のトーンを下げて言葉を放った


「ところでタカシくん、会場の雰囲気はどうなの?」

「思ってたよりも悪くありませんよ。もう少し欠席者が多いかと思ってたんですが、なかなかどうして、皆さん島津政権に期待しているんでしょう」

「あら、嫌味かしら?……まぁ、わたしの支持率が下がってるのは事実だけど、それが即政権交代に繋がるかは確信が持てない。だから、今日は様子見ってところなんでしょうね」


そこまで言ってから、ヨリコは視線を外して、独り言のように言葉を続けた。


「とは言え、彼らが離れていってしまわないよう、もう少し期待値をコントロールする必要はありそうね……シュウジくん、何かいいアイディアはないかしら?」


突然の問い掛けに、シュウジは思わずタカシを見た。


「あれ、おまえにも伝えてあっただろう?ヨリコさんはおまえのことを知ってるよ。俺との契約内容も、俺と出会う前の過去についてもな」

「あ、いや、うん……そうでしたね」


確かに聞かされてはいた。

しかし、いざ初対面の相手が自分を知っている状況に直面すると、動揺はする。


「どう、シュウジくん?わたしこれからすぐにゲストの前でスピーチするんだけど、あんな事故の後だもの、皆には少しでも希望を持ってもらいたいのよ」


――そんなこと言われても


ちょっと思いつきません。

そう言おうとして、ヤメた。


タカシもヨリコも情報を寄越せとは言うが、肝心の国家側が何を知っていて、その情報をどう扱うつもりなのか、そのあたりが見えない。

自分は情報を差し出す側なのに、向こうの手札は伏せられたままだ。

黙っていても情報が降りてこない現状で、自分から探りを入れるなら今以上の好機はそうそうない。


「……総理の覚悟次第だと思います」

「わたしの、覚悟?」


中学生に覚悟を問われて流石に意表を突かれたのか、ヨリコが真顔で聞き返した。


「国民に希望を持たせたいなら、黄色い石のことをアナウンスすればいいだけだと思います。変容石の存在が明るみに出れば、ダンジョンの価値は跳ね上がります。ただ、政府はこれまでその秘密を隠してきました。これからも公にできないのであれば、ダンジョンは今まで通り、”危険な高級石炭の採掘場”でしかありませんから――」

「ヨリコさん、すみません。ウチのシュウジが生意気を言って」

「構わないわ。あなたに比べたら可愛いものよ」


シュウジの発言にタカシが割って入ったが、ヨリコは涼し気に当て擦りを返した。


「一つだけ教えて。躙口広場に現れた地下への階段。あの先には何があるの?」

「……モンスターが徘徊する全く新しいエリアです」


その回答に、総理大臣が微笑みを浮かべたままフリーズした。


「……なんとも扱いにくい情報ね。少なくとも、今日の場で流すのは危険だわ」

「そうですね。この先、”攻め”に転じるチャンスはいくらでもあります。今回は”情報はあるけど言えない”テイでいきましょう。そっちのほうが支持者の離反は防げる」


政治家のふたりが意見を一致させたタイミングで、部屋の扉がノックされた。

続いて、黒服を纏った年嵩の男性が顔をのぞかせた。


「お話し中失礼します。総理、そろそろ主賓挨拶をして欲しいと主催者側が……」

「あと5分で行くわ。タカシくん、スピーチの前にあと何点か確認させて」

「わかりました……シュウジ、おまえは先に戻ってろ」


義父からそのように言われたので、一礼してから部屋を出た。


そのまま来賓エリアに戻ると、そこでは坂柳頭取と斯波総裁がゲストと挨拶を交わしていた。更にエリアと一般エリアを隔てるロープの前には、ふたりに取次ぎを願うゲストが列を作っている。

門番役の黒服が、彼らの選別を行っていた。


黒服に名刺を渡して終わりの者、ロープを挟んで挨拶が許される者、ロープを越えることが許される者。

彼らを隔てる身分の差が、ここでは残酷なまでに可視化されている。


――この場に独りでいるのは、なんだか居たたまれないな


無聊をかこっていたところで、不意に斯波総裁から声を掛けられた。

ちょうど客人が退席する、狭間のタイミングだった。


「シュウジくん。さっきの件だけど、ウチの娘たちに会ってやってくれないかい?」

「はい、是非」

「よかった!それじゃあ、ウチの秘書に案内させよう」


斯波が顎をしゃくると、後ろにいた黒服が「こちらに」とシュウジをエスコートしてくれた。

そうして紫色のロープを超え、一般エリアのビュッフェラインで料理を取り分けていた二つの背中に対して声を掛けた。


「お嬢様がた」


声に反応して、ふたりが振り返った。


「今出川様、こちらのふたりは斯波総裁の娘である、シズクさんとヒマリさんです。お嬢様がた、こちらは今出川長官のご子息である今出川シュウジ様です」


秘書はそう紹介をすると、「それでは」と来た道を戻って行った。

料理の盛られた紙皿を手にしたふたりの子女、その内の背の高い方が、徐にシュウジに笑いかけた。


「こんな状態で失礼すいません……わたくし、斯波ヨシハルの長女で斯波シズクと申します。これからどうぞ、よろしくお願いします」

「わたしは次女の斯波ヒマリ、中学3年生です。よろしくお願いします!」


口々に口上を述べた斯波姉妹。

姉であるシズクの方は、ピンと伸びた背筋が美しいスレンダー体型。顔には切れ長の涼しげな目と、父親譲りの鷲鼻がのっていた。

妹のヒマリは、姉と比べればもう少し丸みを帯びたシルエット。目元が少し柔らかいことを除けば、顔も姉とよく似ている。

ふたりとも品のある整った顔立ちだ。


姉は黒、妹は濃紺のシフォンドレスを身に纏い、その首元には若者らしくやや小粒の、ただし恐ろしくテリの良い一連パールネックレスが巻かれていた。


――本当に、良家のお嬢様ってカンジだなぁ


やや気後れしつつもシュウジが初対面の挨拶をすると、さっそくヒマリが身を乗り出して質問してきた。


「シュウジさんはおいくつなんですか?」

「今年で15歳だから、来年から高校に進学予定です」


この質問は、キョウコが用意した事前QA集にあったものである。

来年の4月より、シュウジは今や義理の祖父となった今出川ヤスシが設立に関わった名門高校、桐桜学園に進学することが予定されていた。

模範解答通りの返しをしつつ、しかしシュウジの頭には不意の疑問が浮かんだ。


――あれ、そもそもぼくって中学校どうするんだろう?元の学校に戻る訳にもいかないし……


「それならわたしと同い年ですね!高校は桐桜学園?」

「はい」

「じゃあ一緒だ!わたしも来年から桐桜学園だし、姉は桐桜の1年生です」

「シュウジさん、来年から学校でお会いできるの、今から楽しみにしています」


闊達なヒマリに、奥ゆかしく楚々としたシズクのふたり組に圧倒されるシュウジ。

言葉が出てこずに曖昧に微笑んでいると、ヒマリが姉に水を向けた。


「お姉ちゃん、それにしてもこんなに早く、ウワサのシュウジくんとお知り合いになれるなんてね」

「こら、ヒマリ」


姉が窘めたが、シュウジは反射的に聞き返していた。


「ウワサ?」

「あれ、シュウジさんご存じないんですか?シュウジさんの写真、SNSで結構出回ってますよ!?」


ヒマリはスマートフォンを取り出すと、何度かタップしてから画面を向けてきた。そこには、某SNSにアップされたシュウジとタカシ、それに先程挨拶を交わした山岸とのスリーショットが映っていた。


説明文には「今出川長官とご子息のシュウジくんと、安全なダンジョンの経済活用と次世代への責任を考える会にて」と書かれ、ご丁寧に#今出川タカシ、#今出川シュウジのハッシュタグまで付けられている。


ヒマリが画面をスクロールすると、似たようなものから、明らかに盗撮と思われるものまで、次々とシュウジの写真が表示された。

その内のとある投稿には、多数の”いいね”と共に「シュウジくんイケメン!」とか「顔も家柄もいいなんて嫉妬しかないw」、「これは未来の総理大臣ですわ」といったコメントまで書き込まれている。


――なに、これ?


あまりの衝撃に、この会場に入ってからずっと張り付けていた笑顔が抜け落ちていくのを感じた。


今出川シュウジという、偽りの名前と偽りの容姿。

その嘘が自分の知らないところで独り歩きし、急速に膨張していたのだ。


「シュウジさん?」


シズクが気遣わしげに声を掛けてきた。それに反応しようと口を開いたところで、会場のスピーカーからマイクの音声が流れてきた。


「皆様、ご歓談中のところ失礼いたします。ここで、皆様にご案内申し上げます。ただいま、多忙な公務の合間を縫いまして、島津ヨリコ内閣総理大臣が当会場に駆けつけてくださいました。本会の開催にあたり、島津総理より皆様へお言葉を頂戴いたします。皆様、どうぞ前方ステージにご注目いただき、拍手でお迎えくださいませ」


内閣総理大臣――


司会がその名前を口にした瞬間、それまで会場を満たしていた数百人のグラスの音や話し声が、一瞬だけピタリと止んだ。

しかし、ヨリコが姿を現すと、会場には割れんばかりの拍手が鳴り響いた。


安っぽい笑顔など浮かべず、厳粛な面持ちでステージに上がり、マイクの前に立ったヨリコ。

そのヨリコが口を開く直前、シュウジはこの女性と一瞬だけ目が合った。

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