第21話:上流階級の人々
安全なダンジョンの経済活用と次世代への責任を考える会。
その主催者である経団連の役員による開会の挨拶は、1分間の黙祷から始まった。
「魔素噴火で亡くなった方々に、心からの哀悼の意を捧げたいと思います」
その言葉を合図にメイン照明が落とされ、会場内はまるで映画館の上映前のような重く沈んだ暗さに包まれた。全員が沈黙し、頭を下げて目を閉じる。
残ったのは、空調の微かな駆動音と、誰かのグラスの氷が立てた乾いた音だけ。
瞼の裏に薄明りを映したシュウジは、つい先日まで一緒に働いていた仲間たちのことを考えた。
厳しくも頼りがいのある班長に、同い年として仲良くしてくれたハジメ。
念のため新聞で確認したが、やはりあのふたりは亡くなっていた。
覚悟していたこととは言え、それでも知り合いの訃報にイマイチ実感を持てないシュウジ。
ただし、社会面の犠牲者一覧に掲載されていた日野シュウジ(14)の名前の方が、更に現実感の無い違和感だった。
未成年の犠牲者は幸いにもシュウジひとり。それでも、法令に反して未成年者を働かせていた管理の杜撰さに対する厳しい意見が、社説として犠牲者一覧とセットで掲載されていた。
黙祷が終わると、また別のVIPによる献杯の挨拶。
その後、司会が「それでは皆様、しばしご歓談ください」と言ったことで、パーティーが始まった。
タカシとシュウジ、ふたりにとってその初手は、VIPへの挨拶回りだ。
来賓エリアは、紫色のテープで区切られたステージ横の空間である。
現在そこを定位置とするのはふたりの他、会の主催者であり会の冒頭で全体への挨拶をした五葉銀行の坂柳頭取、それに献杯の音頭を取った斯波グループ総裁の斯波ヨシハルの4人。
坂柳頭取は白髪交じりの髪を横に流した60がらみの男性。一方の斯波総裁はもう一回り若く、短く刈り込まれた黒髪に、高めの鷲鼻と黒縁眼鏡が印象的。ふたりとも胸元にアウェアネスリボンを着け、チャコールグレーのスーツを身に纏っていた。
ちなみに、シュウジとタカシのスーツはミッドナイトブルーで合わせている。
先に仕掛けたのは、タカシの方からであった。
「坂柳さん、斯波さん、ご無沙汰しております。すみません、何度か連絡をいただいていたのは秘書から聞かされていたのですが、今回の事故でどうしても身体が空きませんで……」
「いやいや、長官のお立ち場ともなれば無理もありませんよ。連日の報道、我々も胸を痛めて拝見しております。今日もお忙しいでしょうに、いらしてくださってありがとうございます」
タカシが頭を下げたのに対して坂柳頭取も頭を下げ、そこに更に斯波総裁が頭を下げて会話に加わった。まるで「より頭を下げた方が勝ち」とでも言わんばかりの動きに付いて行けず、シュウジは黙ったまま様子を伺う。
「長官、お元気そうで何よりです。今日お会いできること、楽しみにしてましたよ」
「いやはや、ご無沙汰してしまいまして……」
「ところで、そちらの方をご紹介いただいても?」
タカシの半歩後ろで佇んでいたシュウジに、急に全員の視線が向けられた。
こういったケースを想定して、事前にキョウコ相手の練習は何度もしていた。
ややぎこちないながらも微笑を浮かべたシュウジは、ふたりと一度ずつ目を合わせてから口を開いた。
「初めまして。先日タカシの養子となりました、今出川シュウジと申します。坂柳頭取と斯波総裁には父が大変お世話になっていると伺っています。今後とも、父をどうぞよろしくお願いいたします」
「これは立派な青年だ!シュウジくん、長官とは元々どのような関係で?」
「いやぁ、シュウジは遠縁の親戚だったんです。ほら、わたしには子供が居ませんから、こさえるか養子を取るかしなきゃいけないとは思ってたんです。そこに来てちょうど縁があったんで、ウチで引き取ることにしました」
坂柳からの問いを引き継ぐ形で、タカシが回答した。
「へぇ、どちらのご縁で?」
「以前から交流が?」
財界VIPのふたりが追撃すると、タカシは薄く笑いながら「まぁ、家の事情もありましてね」と含みのある言葉を残した。
シュウジはと言えば、何も言わずに取り敢えずニコニコと笑みを浮かべるばかり。
そんなシュウジに、斯波が咳払いしてから水を向けた。
「今日はウチの娘たちも来ているから、後で挨拶させてもらってもいいかな?だいたい同じくらいの歳だと思うけど、シュウジくんはいくつだい?」
「14歳で、来年から高校に上がる予定です」
「なら、下の娘と一緒だ。是非、仲良くしてやってくれ」
「はい、こちらこそ!」
シュウジの返事に満足そうに頷いた斯波は、続いて視線をタカシに向けた。
「ところで長官、このような場で不躾かと思いますが、ダンジョン運営に関する政府の方針について、少々お伺いしても?」
「はい……どのようなご質問でしょうか?」
質問されることが、さも意外。
そんな表情を浮かべてタカシが応じた。
「ダンジョンが閉鎖されたことで、我が社の魔炭精製事業は来月にも操業停止となる見込みです。無論、わたしもあのような事故の後で、安全確認もされないままダンジョンを再開すべきとは思いません。ただ、先が見通せない状態が続くと事業予測も立たず、株主が騒ぎ出すのも時間の問題です。
――魔炭の採掘は、いつ頃再開される見込みでしょうか?」
「それはウチとしても是非知りたい。これまで当行はダンジョン関連の事業を営む会社に融資を行ってきましたが、それを今後も続けてよいものかどうか、判断材料が欲しいところです」
斯波の発言に乗っかる形で、坂柳が同調した。
ダンジョン産業は、ニッチなようで意外にもその裾野は広い。
作業者を募集・斡旋する人材業、採掘された魔炭の精製業、発電業といった直接的な事業以外にも、危険作業を行う作業者向けの保険業、ダンジョン内で使用する採掘器具や魔素濃度計、発電所で使用する魔素ろ過フィルター等の製造業、それらの保守・運用業まで含めれば、経済規模は決して小さくない。
それらの事業に横断的な関わりを持つ斯波グループと五葉銀行。そのトップが、政府の指針を一次情報として把握したいと考えるのは、至極当然のことであった。
「ここで虚勢を張っても仕方がないので正直にお答えしましょう。魔炭の採掘開始は、早くても選挙後となる見込みです」
タカシの答えに「なるほど」と頷いた斯波と坂柳。
ただし、尚も微笑が張り付けられている彼らの顔面が僅かに硬くなり、その表面温度が下がったことはシュウジの目からもわかった。
両者はしかし、タカシが苦笑気味に放った次の言葉に喰い付いた。
「ただまぁ、この話はこの場限り、オフレコでお願いしたいのですが……」
俄かに潜められた声に誘き寄せられるように、ふたりが一歩、距離を詰めた。
「――今回の事故を境に、ダンジョンが変容したようです」
「……変容、ですか?」
困惑気味に坂柳が聞き返した。
「躙口より先、坑道までの間にはこれまでただっ広い空間があったんですが……そこに突如、地下への階段が出現しました」
その意味するところがわからず、対面の2名は沈黙した。
笑みを深めてタカシが続ける。
「その地下がどうなっているかと言うと、どうやらこれまでのダンジョンとはまるで違う空間のようです。そこでは、魔炭とはまた別種の資源が採掘できるとか……」
「別種の資源とは、具体的にはどのようなものですか!?」
タカシが垂らした釣り糸に、今度は斯波が喰い付いた。
ちなみに、具体的な明言は避けているとはいえ、タカシが未調査である地階の情報をカードとして切れているのは、シュウジから聞き出しているからである。
もちろん、シュウジとしては、お披露目が終わるまでは全ての情報を伏せておきたかった。
しかし、今回のパーティーはタカシにとってもちょっとした試練であり、「おまえのお披露目を無事に終わらせるためにも必要」やら「俺の立場を高めておいた方が、養子となるおまえにも利がある」等と、あの手この手で説得を受けていた。
結果、シュウジは一部の情報を先出しすることに同意させられていたのだった。
タカシは何か言いたげに口を開けたまま、視線を少しだけ会場の方に流した。
それが合図だった。
すぐさま後ろで控えていた荒が近づき、声をあげた。
「ご歓談中のところ失礼します。先生、まだ話の途中とは思いますが、先程からお待ちいただいている方々への挨拶の時間が迫っています。急かすようで恐縮ですが、キリの良いところで……」
「そうか、少し長話してしまったかな……坂柳頭取、斯波総裁、もう少しお話ししたいところではありましたが、また後程とさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ……是非とも」と財界人のふたりが同意を示したことで、荒が来賓エリアの端に足を向けた。
ゲストを呼び入れるためだが、その背中をタカシが呼び止めた。
「いや、いい。俺の方から出向こう」
タカシはそう言うや否や、荒の背中を追い抜き来賓エリアから外に出た。
「え?」
一瞬呆けていた荒がその後を追い、キョウコが動き、一拍遅れてシュウジも続いた。
急にタカシが出現したことで、エリアを出たところではちょっとした騒めきが起きていた。
「長官!お疲れ様です!港区議の山岸です。先日の”赤坂再開発プロジェクト”の進捗報告会では、長官の力強いお言葉をいただき、地元の地権者たちも大層安心しておりましたよ。事故の影響を心配する声もありましたが、わたしが『長官は今、日本のエネルギーの未来を背負って戦っておられるんだ』と一喝しておきましたよ!ガハハ!」
騒めきの中心で、色黒でガタイの良い40絡みの男性が、タカシの手をがっちりと握っていた。
周囲の秘書やSP、ホテルスタッフは勿論、男性ゲストの大半が喪服のようなブラックスーツを着用している中、シャンデリアの光を受けて光沢を放つタカシのダークスーツはイヤでも際立つ。
それはシュウジも同様であり、並べばそれだけで周囲の耳目を惹きつける。
結果として、ふたりは瞬く間にゲストの視線、更には無数のスマホレンズとシャッター音に取り囲まれ、身動きが取れなくなってしまった。
ふたりを取り囲むようにできた人だかりは一見無秩序だが、それでもキョウコがタカシの背後を固め、荒が前方を守ることで交通整理を行い、何とかゲストを捌こうと奮闘している。
「ところで、こちらの麗しい青年は……?」
「ああ、俺の息子のシュウジ」
「今出川シュウジです。山岸先生には父が大変お世話になってます」
「これはご丁寧に――」
山岸が頭を下げるや否や、タカシが言葉を引き継いだ。
「山岸君、君のところの地権者たちは声が大きくて困るね。荒、山岸君から預かっている要望書の件、あとで精査しておいてくれ」
「はっ!」
「最後に長官、一枚お願いします!」
話を締めようとしたタカシに、山岸が慌てて声をあげた。
同時に、ロックを解除したスマートフォンを、まるでバトンのように荒に手渡していた。
次の瞬間には、山岸の脂ぎった顔がシュウジのすぐ横に並んでいた。パーソナルスペースなど微塵も考慮しない、政治家特有の厚かましい距離感。
シュウジは生理的嫌悪感を抱きつつも、慌てて表情を取り繕った。
――はい、チーズ
そんな気の抜けた合図はなく、荒は無表情のまま機械的に数回、画面をタップ。
「ありがとうございます! いやあ、家宝にしますよ!」
山岸は奪い取るようにスマホを回収すると、写真の出来を確認することさえせず、目的は達成したとばかりに人混みへと消えていった。
ここまでの一連のやり取りが終わり、次のゲストと入れ替わるまでは、僅か1分間である。
それからも、後援会の役員、中小企業の社長、社団法人の代表といった面々が代わる代わるに現れては口上を述べていった。シュウジがいるので、中には子供連れで挨拶に来る人もいる。
ゲストへの自己紹介に身構えていたシュウジだったが、そもそも時間が限られている都合上、誰に対しても口にする文言はほぼ同じ。
時間が無いことがわかっているからこそ、彼らは早口で、それでいて皆一様に熱っぽい。最後に写真を求めてくるところまで一緒。
そんな彼らを、タカシは船に乗って水面でも撫でるかのように、サラサラと捌いていった。
シュウジはと言うと、1分間の濃密な時間の中で同じ笑顔と同じ質問を何度も浴びせられ、疲労困憊の極致に達しようとしていた。
顔の筋肉は引きつりそうになりながらも、なんとか笑顔の形を保っている。
絡みつく視線と容赦なく向けられるレンズの圧力、何より、次々と浴びせられる好意的な笑顔と熱。
それらに囲まれているうちに、シュウジはむしろ自分が無視されているかのような、奇妙な居心地の悪さを感じるようになっていた。
――ぼくはここに”居る”のか、それともただ”ある”だけなのか
磨き上げられた靴や仕立ての良いスーツと同じように、自分もまた、この場を飾るための一部として扱われている。
そう思うと、喉の奥が妙にひりついた。
20組以上のゲストから挨拶を受けたところで、不意に荒がタカシに近付いて耳打ちをした。
タカシは何度か頷くと、周囲を見渡してから口を開いた。
「すみませんが、所用ができてしまったので、この場はこれまでとさせてください。それでは皆様、また後程」
タカシはそう言うと、荒とキョウコが人を掻き分けて作った道を通り、来賓エリアに足を進めた。シュウジもその後を追い、ようやっと視線とカメラの圧力から脱することができた。
タカシは来賓エリアの扉からホールを抜け、別室に移動した。
重厚なオーク材の扉の向こう。
「いらっしゃい」
背後で鳴り響いていた、数百人の話し声とグラスの重なり合う音が断ち切られた静謐な空間。
そこでは総理大臣、島津ヨリコがひとり、シュウジたちを待ち構えていた。




