第1話:ダンジョンが出現して10年
学校の授業は、2つの人種にとって無意味である。
授業を聞いても理解できない人種と、授業を聞かずとも理解できる人種である。
――その中間、授業を聞けば分かるが自分で学習出来ない人種は、この中にどれくらいいるんだろう?
7月中旬、昼下りの陽光とエアコンからの生温い風が混ざりあった空間でのことである。
日野シュウジは社会科教諭・山本が黒板に板書する背中にぼんやりと視線を送りつつ、そんなことを考えていた。
教室の中に気怠い空気が流れているのは、これが午後イチの授業だからだけではない。
今日が金曜日というのもある。
ただそれ以上に、先週で期末試験が終わり、夏休みが1週間後に控えているからというのが大きい。
「ほら、今の時期だらけるのは分かるけど、ココは2学期のテストにも出すし、入試でも頻出だぞ」
目が小さく、パッと見ではいつも眠そうな顔立ちの山本教諭が、輪をかけて眠た気なクラスに向けてそう言った。
黒板には「今出川政権の三大政策」と書かれている。
今出川ヤスシは、総理大臣を3期務め、次々と日本政治改革を進めたことで剛腕宰相と呼ばれた人物であり、今から9年前に暗殺されたことで悲劇の政治家としても知られている。
そんな今出川元総理が何をしたかなぞは、教科書を読めば太字で書いてある。
しかし、山本に限らず学校の教師というものは、授業でその内容を確認しないと気が済まない、不思議な習性を持っている。
――いや、習性じゃなくて単なる義務なのかも。どうあれ、自分で教科書を読めば5分で理解できること
を、学校では50分かけてやる意味はないよなぁ
そんな不遜なことを考えながら、シュウジは黙って授業の推移を見守っていた。
「じゃあこの今出川政権の三大改革、分かる人?」
そう言って山本がクラス全体に問い掛けたが、当然反応はない。
自分のひと言で生徒たちがワッと反応する。
そんな授業は教師の理想だろうが、理想と現実のギャップを今日も見せつけられた山本は、軽くため息をついてから「今日7月12日だから」というエクスキューズの後、出席番号12番の川邊を指名した。
川邊は野球部らしく黒く日焼けした肌を持つ坊主頭の男子で、指名されると「うぁーマジか、今日俺ばっかりじゃん!」と大袈裟なリアクションをとって、周囲の軽い笑いを誘っていた。
「えっと、15歳成人とダンジョンと、あとは生活保護?」
予想通りと言うか、程良く不正解を返した川邊に、山本教諭は「惜しい!」と嬉しそうに反応した。
「成人年齢の引下げは正解。正確には満15歳以上で義務教育を終えることが条件だから、みんなも来年の春には成人になるってことだ」
教壇に立った先生は高めのトーンでそう言ったが、クラスの反応は鈍かった。
成人になれば結婚できるようになるし、選挙での投票権も得られる。
しかし、だからと言って何なのか。
「せんせー。成人してもお酒は飲めないんでしょ?」
シュウジが一度も交流を持ったことのないクラスメイト、いつも派手なメイクをしているギャルの関が質問を飛ばした。
「飲めない。お酒は成長期の身体に悪いからな、ハタチになってからだ」
「じゃあ意味ないじゃん」
教科書によれば、成人年齢引下げの主な目的は、労働力の確保と若者の政治参加、結婚促進による少子化対策となっていた。
しかし、高校進学予定、かつ結婚どころか恋愛経験もないシュウジにとっては、どこまで行っても他人事に過ぎない。
「先生的にはおまえらに一番関係あると思ったけど……まぁ、いいや。2つめはダンジョンの日本による管理だ」
今から10年前の黎和2年。
その年の2月に突如として川崎市に出現した亜空間が、ダンジョンである。
ダンジョンと言っても、入るたびに内部が変化したりモンスターが出てくる類のものでは無い。しかしながら、その内部は外から計測できる容積を遥かに上回る空間を有する、地球の物理法則を無視した空間だ。
また、「魔素」と呼称される人体に有害な物質を吐き出す一方で、ダンジョンでは「魔炭」と呼ばれるクリーンで高効率な石炭を採掘することができる。
そのため、この不可思議な空間は、危険かつ有望な、ある種の鉱山として国による厳重な管理が行われていた。
「ダンジョンと言えば、亜空間庁の今出川タカシ長官は知っているだろ?タカシは今出川元総理の息子だぞ」
「知ってる!」
「声めっちゃ良くない!?」
「カッコいいよね、背高いし!」
好きな芸能人の話題に反応するように、関とその周囲の女子たちが黄色い声をあげた。
シュウジたちの世代にとって、今出川と言えば既に死去してから間のあるヤスシより、現役の政治家である息子のタカシである。
悲劇の名宰相の嫡子であり、押し出しの効くルックスも相まってマスコミでの扱いも別格。
未だ30代ながらダンジョンの管理を行う亜空間庁の長官として内閣の一翼を担う今出川タカシは、政治無関心層に属するシュウジでも名前と顔の一致する数少ない政治家だった。
その出世ぶりから、一部では既に将来の総理大臣と目されている程である。
「日本による管理って、ダンジョンが日本にあるんだから日本が管理するのがフツーだと思うけど」
ひとりの生徒の呟きで話の接ぎ穂を得た山本は、それを拾って言葉を続けた。
「普通に考えたらそうだが、ダンジョンは世界で唯一、日本にしか無いんだ。国際管理すべきだって意見は今だってあるだろ?それに危険でもあるからな。おまえたちは覚えていないかもしれないけど、10年前にダンジョンが出現した時は魔素に当てられた人がバタバタ倒れて大騒ぎだったんだから。ここはダンジョンに近いから、みんなにも影響あったはずだぞ?」
その大騒ぎは、物心ついたばかりの頃のシュウジもボンヤリ覚えていた。
住んでいる場所がダンジョンに近いこともあって静岡の方に疎開した。そこまでは記憶にあるのだが、思い返そうとして目に浮かぶのは、移動中に見た冠雪した富士山ばかりである。
「ちなみに10年前だと先生はまだ大学生だけど、怖かったんで沖縄まで逃げました」
冗談めかした発言でようやく小さな笑いが取れた山本先生は、それに満足した様子で話題を変えた。
「改革の3つ目は参議院の廃止だな。正直これがいちばん大きかったんだ。なにせ、戦後初の国民投票があったんだから」
山本先生はやや興奮した様に言ったが、国民投票がどれだけの事か、当時を生きていない中学3年生にはイマイチわからない。再び教室に沈黙が降りそうになったところ、関が助け舟を出した。
「参議院が廃止されると、何か良いことがあるんですかー?」
「あるぞ!まずはお金の話で言えば、参議院議員250人の首が切れて、これだけでだいたい年間300億円の節約になる。それに、二院制だとどうしても法案を両方で可決する必要があって時間がかかるが、衆議院だけならずっとスピーディーだ」
「……良いことばかりじゃん」
自分でも気付かない内にシュウジの口から呟きが漏れていた。
山本は耳聡く反応し、シュウジの目を捉えるまでは一瞬だった。
「日野が言う通り、先生は良いことばかりだと思う。ただ、一院制によって生じる問題は何かとテストで訊かれたら『政策のチェック機能が弱まる』とか『権力の暴走を招くリスクが高まる』と回答しなさい。そういう事になってるから」
その小馬鹿にしたような物言いから、二学期の中間テストでは出そうにない設問だな、とシュウジは心の中で苦笑した。
「そんな改革を行なった今出川総理だったが、社会保障改革に着手しようとしたところで、街頭演説中に急進的な左派の集団に襲撃されてこの世を去った。さっき川邊が言った生活保護の改革は、途中で総理が暗殺されて頓挫したから、三大改革には含まれないぞ」
「了解でーす!」
川邊が元気に返事をしたところで、授業終了のチャイムが鳴った。
そうして五時間目が終わり、六時間目の英語も何事もなく終わったことで、後は帰りのホームルームを残すだけとなった。
夏休みまであと1週間となれば、教室の空気が浮つくのも致し方ない。
周囲のクラスメートは夏休みが始まったら何をしようかと声を弾ませて話し合っていたが、シュウジはと言えば、図書館で借りた文庫本をカバンから取り出して、無言でページに視線を落としていた。
「来月になったら海行かない?」
「俺は夏期講習だ」
「えっ、結局進学するの?」
周囲のそんな会話を聞き流しながらページを捲っていると、不意に文字の上に影が落ちた。
「ねぇ、それなに読んでるの?」
普段のシュウジは、休み時間にクラスメイトとおしゃべりするタイプの人間ではない。クラスで孤立して周囲から避けられている訳ではないが、用もなく雑談するような親しい友人がいないのだ。
だからこそ、これまで絡みが無かった逢沢エミから声を掛けられたことで、身体がビクリと小さく跳ねた。
エミは中学生離れした長い手足と、小さな顔に猫の様な丸くて大きな目が特徴的な、所謂「目立つ」女子だった。学校一の美少女との呼び声も高く、それでいて気取ったところがなくて親しみやすいことから、クラスの中心人物のひとりであった。
その愛想の良さに、思春期に突入したばかりの男子が次々と勘違いして好きになってしまうことから、陰で「登竜門」とのあだ名が付けられている程である。
「ダニエル=キイスの『アルジャーノンに花束を』」
シュウジは平板なトーンで言った。
「おもしろいの?」
「どうだろう……タイトルの響きに惹かれて読書感想文用に読み始めたけど、その意味では失敗だったかも」
思案気な態度を見せると、エミが身体を乗り出してシュウジの顔を覗き込んだ。
「どうして?」
「フツーに、長い」
シュウジが率直に後悔を口にすると、エミはおかしそうにクスクスと笑った。
「でも、今から夏休みの宿題始めてるところは、さすが日野くんだね。わたしも今のうちに始めておこうかなぁ」
「今の内に宿題終わらせちゃって、夏休み後半に思いっきり遊ぶのも手かもね」
「いや、宿題終わっても普通に勉強するよ。受験生だもん」
エミは少しトーンを下げて言った。
成人年齢が引き下げられて以来、高校の進学率が低下して4人に1人が中卒で働くようになっていたし、シュウジが通うような公立校における就職率はもっと高かった。
だから、シュウジが「逢沢さんって中卒で働くんでしょ?」という決めつけを言葉の端に滲ませたとしても、そこはギリギリ「知らなかった」で許されるライン。
一方で、本当にシュウジがエミの事を知らなかったかと言えば、そんなことは全くなかった。
時に、エミは見た目は派手だが、意外にも性格は真面目な生徒である。定期テストの順位はいつも上位だし、遅刻や欠席はほとんど無く、ホームルーム前の掃除だってサボらずやる。
そのことをシュウジが知っているのは、クラスでも際立った存在であるエミのことを自然と目で追ってしまっているからである。
しかし、これまで特に絡みがなかったエミが話しかけてきたことへの警戒感と、どうせ自分の事など名前と顔くらいしか知らないであろう相手を知り過ぎてしまっている恥ずかしさから、シュウジは素知らぬ風を装っていた。
「逢沢さん受験するんだ……ちなみにぼくも進学希望なんだ」
「うん、そうだと思った。日野くん頭良いもんね。確か、今回のテストも学年で一桁でしょ?志望校は黒校か、それとも東校あたり?」
「出来れば黒校だけど、無理そうなら東にするかな……逢沢さんは?」
黒校こと黒鉄高校はこの辺りではトップクラスの公立高校で、そこに行ければ御の字である。一方で、落ちれば就職するしか道がないシュウジにとっては無理せず安全策を取るのもひとつの手であり、今の時点では自身の進路を決めかねていた。
「んー、わたしは桐桜学園を第一志望にしようと思ってるんだ」
クラスの中心と末端が会話を始めたことで、周囲から無言の注目が集まっていたことにはもとよりシュウジも気付いていた。
それが進路の話に及んだことでクラス中の、特にあわよくばエミと同じ高校に行きたいと考えている男子からの注意が集まっていたわけだが、桐桜学園という単語が出たことで彼らが一斉に肩を落とした。
「桐桜学園って、聞いたことある。確か……芸能人が行くところだっけ?」
「ん-ん。桐桜出身の著名人は多いけど、ほら、水崎ユウコとか!でも、芸能人じゃなきゃ入れないって訳じゃないよ。学力に加えて、ルックスも良くないと入れないってウワサだけどね」
水崎ユウコは数年前に大手のアイドルグループを引退したタレントである。最近は時事ネタを扱うニュース番組にもコメンテーターとしてよく出演するようになっていたので、芸能人に疎いシュウジでも知っていた。
しかし、今どき志望者を容姿で篩にかけるような学校があるのかという困惑もあり、「そうなんだ」と気の抜けた返事をしたことで二人の間に一時の沈黙が下りた。
その沈黙を埋めたかったからなのか、自分でも理由は分からない。
どうあれ、気付いたらシュウジは自分でも思いがけないことを口走っていた。
「頭とルックスが基準なら、逢沢さんにうってつけだね」
そう言うと、エミは少し驚いたような表情の後、顔を綻ばせて「ありがとう!」と言った。
直後、担任が教室に現れてホームルームが始まった。
自分の不用意さに顔から火が出そうになっていたシュウジにとって、それは救いでしかなかった。
今月は1日1話のペースで更新予定です。




