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第15話:鷹の爪(後)

島津ヨリコが世間に思われているイメージの一つに、「交渉上手」というものがある。


そのイメージは今から10年前の黎和2年、ダンジョンが出現した年から始まった。

突如として多摩丘陵にダンジョン――地球の理が通用しない亜空間――が出現したのだから、当然世界から注目が集まった。


普通に考えれば、ダンジョンは日本に出現したのだから、その空間には日本の主権が適用される。しかし、あまりのイレギュラー、かつ未知の可能性を秘めているダンジョンに対し、当時の各国は安全保障、科学研究、資源開発等々の名目で声高にその開放を主張していた。


その要求をうまいこと躱し、国際法を盾にしつつ、各国の足並みの乱れを突いてダンジョンにおける日本の主権を国際的に認めさせた。

それが、当時総理大臣だった今出川ヤスシと、亜空間庁初代長官として交渉を主導した島津ヨリコの実績である。


そんなヨリコは、4年前に更に大きな国際交渉を成功させている。

経済危機に陥っていた日本を立て直すべく、ダンジョン利権の一部と引き換えに、米中露から経済支援を引き出すことに成功したのだ。


当時の日本は通貨と国債が暴落し、一部の有識者からはIMFの管理下に置かれることも止む無しとさえ見られていた。


その逆境下で交渉を纏め上げ、日本の経済的な自治権の維持を達成したのだから、当時のメディアの見出しには「日本、IMFを回避」の文言が躍り、ヨリコの名声は更に高まった。


世界と伍して交渉し、日本の利益を最大化する女傑――


混迷していた自進党内部を糾合し、50代にしてガラスの天井を破って権力を手にしたのには、そのようなイメージから齎される圧倒的な国民人気が背景にあった。


今出川ヤスシ暗殺以降に日本が陥った政治的混迷――北極星を失い離合集散を繰り返す政治勢力、度重なる財務規律度外視のバラマキ、相次ぐ不祥事――と、その帰結として生じた国家経済における極度の不安定。


言わば、その敗戦処理として、国民にも政治家にも不人気な財政緊縮政策を一貫して掲げてきた島津政権。

市井に住む人々がこの禁欲主義的な政府を支持したのは、ヨリコ個人に対する信認があればこそと言えた。



まだまだ途上とは言え、日本再生の端緒を付けた立役者、島津ヨリコ。

彼女はしかし、ここに来て初当選以来最大の危機を迎えていた。


任期満了まであと半年のタイミングで発生した魔素噴火。

その結果として111名の犠牲が生じた事で、これまで心の拠り所であった支持率は半分まで低下してしまった。


しかしながら、ヨリコはこれしきの事で諦めるような女ではない。

実現可能性はさておき、その脳内には自進党が与党第一党を維持する青写真がキチンと描かれていた。


その第一歩は、自衛隊がダンジョンで新しく発見された地階を調査するところから始まる。その地階から資源が豊富に見つかれば僥倖だが、正直そこにはあまり期待していない。

仮に魔炭が大量にあったとしても、採掘できるのは当面先だ。


大事なのは未開拓故の地階の可能性であり、それが米中露との交渉カードに成り得ることだ。

4年前は、そのカード1枚をフル活用して三国から経済支援を取り付けた。

つまり、各国のごく一部の人間だけに耳打ちしたのだ。


ダンジョンでは奇跡を起こす綺麗な黄色い石が採れますよ、と。


今回も同じ方法、つまり地階で奇跡の石が採れることを仄めかして経済支援を引き出し、その実績でもって支持率を回復させる。


――とは言え、今回は相当な譲歩を強いられることになるでしょうけど


それが苦しいながらもヨリコが思い描いていた勝利への青写真だった。


にも拘わらず、その初手で部下から思わぬストップが掛かったのだから、その動揺は無理からぬことである。


「危険って、どういう意味かしら?」


目下防衛省が作戦立案中のダンジョン地階の現地調査。

その計画に疑義を呈した亜空間庁長官に対して、ヨリコは波立つ内心を隠しながら問いを投げた。


「すみません、具体的に何が危険かはわかりません。ただ、シュウジが言うんです。地階は軍隊の常識で侵入すると悲劇が起きるって」

「なんだか、占い師みたいな物言いね。その子の狂言って可能性は無いの?」

「全部が狂言ってことは、まず無いでしょうね」


タカシがあっさり否定したことに、驚きはなかった。


とかく、政治家は噓に敏感な生き物である。

まだ年若いとは言え、永田町の住人になって久しいタカシがそこらの中学生に騙されるとは考えづらい。


「本当に何も知らないなら、最初からそう言えばいいだけです。自分が日野シュウジであることを認めるにもまごつきがあったようなので、少なくとも外見が変わった理由については心当たりがあるんでしょうね」

「ああ、メールに書いてあったわね。外見が変化しているって……そんなに違うの?」


ヨリコの言葉に応じて、タカシは胸ポケットから写真を1枚取り出した。

それは、どこにでもいそうな男子中学生が正面を向いている写真。

それと比較できるよう、タカシは自身のスマホを写真の横に並べた。映っているのは、ベッドに横たわる、天使のような少年の寝顔。


「なにこれ!?全然顔違うじゃない!?」

「全然ってことはないと思いますよ?面影はありますし」


その軽口にヨリコが目を眇めると、タカシは両の掌を天井に向けて肩をすくめた。


「一応確認するけど、これって本人で間違いないのよね?同姓同名ってことはないの?」

「ないです。DNA鑑定も済んでます」


タカシの断言を受けて、ヨリコは暫しの黙考に沈んだ。

ここまで情報が揃えば嫌でも察しがつく。


狂言でも妄想でも無い。

対象はダンジョンの奥地で、地獄の砂に確かに触れたのだと。


――なるほど、となると


「可能性は高そうね」


唐突なその呟きに、タカシは「何がですか?」と苦笑した。


「奇跡に種類がある可能性よ!わたしたちが把握してるのは治癒の奇跡だけだけど、対象を見れば外見を変化させる奇跡があると考えるのが自然よ!」


――もしそうなら、三国との交渉もずっと楽になるわ!


「状況だけ見れば、俺もその可能性はあると思ってますけど……」

「なぁに?まさか、まだ何か隠してるの?」


煮え切らない態度に口を尖らせると、タカシは少し考える素振りを見せた。

その間、ヨリコは鷹の爪を摘まみ、少し噛んでからお茶で飲み込んだ。辛味と渋味の組み合わせは、これはこれで悪くない。


「……いや、今話すことじゃないんで大丈夫です」

「そう?これ以上の後出しはやめてよ?」

「やだなぁ、最初からそんなつもりありませんよ!」


タカシはそう言って笑ったので、ヨリコも満面の作り笑いをしてみせた。


――まったく、こういうところは父親譲りなのよね


「さて、ここまでの話の通り、シュウジはいろいろ有用な情報を握っていることが予想されます。が、それをどう引き出すのかが難しい」


タカシは急に顔を引き締めて声を落とした。


「そりゃあ、法的に存在しない人間に対して証言を促す手段なんていくらでもありますよ?ただ、問題はシュウジがそれなりに頭の切れるガキだということです」

「あら、あなたが他人をホメるなんて珍しい」

「茶化さないでください……頭が切れると言っても、中学生の割にって意味ですよ」


タカシが憮然として鷹の爪を口に放り込んだので、ヨリコもつられて皿に手を伸ばした。


「話を戻すと、シュウジから無理矢理に証言を得たところで、それが本当かわからないってのが問題なんです。検証するにも時間がかかるが、チンタラやってる余裕は我々には無い。ってことまでヤツから面と向かって指摘されましたよ」

「まぁ!」


――それは確かに頭の切れる中学生みたいね


「で、ここからが本題です。北風を吹かして脅しつけるのは、ちょっと上手くいきそうにありません。そこで、太陽政策でヤツを取り込もうかと思ってます――具体的には、俺の養子にするという方法で」

「は!?」


あまりにも予想外の言葉に、ヨリコの開いた口はしばらくの間塞がらなかった。


「ちょっと待って、タカシくん。対象は宿す者の可能性が高いんでしょう?それをあなたの養子にしたら――」

「ご懸念は理解しています。ただ、宿す者として利用するよりも、取り込んで我々の手駒として活用した方が目先は有用ですし、何よりリスクが低い」


タカシの言ってることはわかる。もし、ここまで聞いてきた対象の人物像から言っても、悪感情を持たれてしまえば話が難航するのは目に見えている。

裏を返せば、味方につけて貴重な情報源に出来れば、今後のダンジョン政策を良い方向に舵取り出来る可能性も一気に高まる。


――しかし、下手をすれば核兵器に劣らぬ価値を秘めた、宿す者候補をこの男の管理下に置くのは……


両者の沈思黙考によって作り出された短い静寂は、突然鳴りだした内線のコールによって引き裂かれた。


「総理、そろそろ次のアポの時間ですが……」


耳に当てると、受話器越しから秘書の気遣わしげな声が聞こえてきた。

ふと壁掛け時計を見上げると、時刻は柿内幹事長と約束した17時半を既に3分ほど過ぎてしまっていた。


ヨリコは短く了解の旨を伝えると、タカシに向き直って口を開いた。


「タカシくん、もし対象をあなたの養子にする方向で進めるとして、ダンジョンに関する証言はいつ頃得られそうなの?」

「急ぐなら1週間」

「当然急ぐわ!なら、まずは1週間で証言を得て。宿す者の候補者としてどう扱うかは、また相談しましょう」


そう話を纏めると、タカシは立ち上がって一礼し、部屋の扉に足を向けた。


「あと、ちゃんと定期的に報告するのよ。中身のある報告ね」


大きな背中に向けてそう念押しすると、タカシは振り返って「わかってますよ」と苦笑気味に言葉を返した。


扉が閉まった後、ヨリコはローテーブルに置かれた平皿にチラリと目を遣った。

そこには、鷹の爪がひとかけらだけ残されていた。


――あら、いつの間にかタカシくんがたくさん食べてたのね


ヨリコは残された一つを食み、奥歯ですり潰した。

既に麻痺している味蕾は、最早何も感じなかった。


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