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第13話:存在と法(後)

日本において、黙秘権は憲法で規定された権利である。

当該の条文において、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」とされている。それは極論すれば、何がしかの嫌疑をかけられたとしても、最初から最後まで沈黙を守ることが可能であることを意味する。


とは言え、それは理論上の話である。

現実的に、容疑者が終始沈黙を貫くのは容易ではない。


取り調べを行う警察官、事の推移を見守る世間、最終的なジャッジを行う裁判官。

沈黙を続ければ、当然彼らの心証を損ねることになる。黙秘するという事は、話せないだけの理由があるのだろうと邪推されてしまうからだ。


――どこまで話し、何を隠すか


確かに容疑者ではない。

しかし、期せずして今回の事件における「重要参考人」となってしまった少年にとって、それは目下の大きな論点であった。


「ちょっと失礼」


シュウジが天井から正面に視線を戻した瞬間、キョウコはそう言ってポケットからスマートフォンを取り出して耳にあてた。

そうして背を向けてボソボソとした短い通話をした後、振り返って言葉を投げた。


「わたしは少しだけここを離れます」


シュウジの表情から何かを読み取ったのか、元々低めの声のトーンを更に下げて続けた。


「念の為言っておきますが、くれぐれも大人しくしていてください。妙な真似をすれば……不幸なことになりますよ」


キョウコが退室すると、入れ替わりに先ほど廊下で見かけたふたりの黒服が部屋に入って来た。ふたりはドアの前に立つと、後ろ手を組んで無言で監視対象に視線を送った。キョウコも背が高かったが、このふたりはそれより優に10センチメートルは高く、横幅に至っては5割増しである。


これでは、妙な真似などする気も起きない。


「すいません、今日は何月何日ですか?」


シュウジが話しかけても、ふたりは反応を示さなかった。


「ここはどこですか?」


重ねて投げた問いかけは、またしても誰にも拾われず、虚しく部屋に響いては消えていった。

溜息をついて視線を彷徨わせると、ベッド横の棚に置かれたテレビのリモコンが目に映った。


――これは質問しないほうが良さそうだ


シュウジは無言でリモコンのボタンを押すと、液晶モニターにパッと映像が映し出された。


「あっ、コラ!」


やはりテレビはダメだったらしく、黒服が焦った様子で近づいて来た。

シュウジとしては想定内の反応である。


画面に映し出されたのは料理番組だった。

右上のテロップには「5分でできちゃう!簡単ホットサンド」。


――ちがう


急いでチャンネルを変えると、昼のワイドショー番組の一幕が映った。


「魔素噴火より11日!自衛隊、遂に突入」

「生存者わずか1名 110名の犠牲を出した政府の言い訳」


司会の背景に置かれたフリップボードに踊る文言から、シュウジの脳内には一瞬にしてたくさんの情報が流れ込んできた。


――つまり今日は7月の24日。マシロが言ってた通り、他の人たちはダメだったか……


そんな逡巡が頭の中で言葉になるより早く、黒服たちがベッドに迫り、腕を伸ばしてきた。


「川上さん、こうなってくると気になるのは選挙ですよね。任期満了まであと、半年もありませんが、与党はどうするつもりなんでしょう?」


司会の言葉を聞き流しつつ、シュウジは男たちの動きに反応して、プラスチック製の黒い直方体を明後日の方に放り投げた。


「あっ!」


リモコンを拾いに行くか、本体の電源を切るか。

その迷いで黒服2人の動きが一瞬止まった。


「流石にこのまま選挙ってのは厳しいでしょう。となると、その前に――」

「ちょっと待ってください!いま速報――」


司会の言葉の途中で、モニターが沈黙した。結局、黒服の片方がリモコンを拾いなおして電源を切ったようだ。


「まったく、おとなしくしてろ!」


リモコンを持っていない方の黒服にそう凄まれて、シュウジは逆に安心した。

留守居役ごときに身体的な罰を与える権限は無いはずと踏んでいたが、それでも内心ではビクビクしていた。




キョウコが戻ってきたのはそれからすぐのことだった。黒服どもはシュウジがテレビを勝手に見たと告げ口し、軽く頭を下げて部屋から出ていった。

キョウコは小さく息を吐くと、再びベッド横の丸椅子に腰を掛けた。


「おとなしくしているように言ったはずですよ」

「おとなしくテレビを見てようと思ったんです。見ちゃダメとも言われてなかったし……」


あくまで悪気は無かったと主張すると、キョウコは再び息を吐いた。今度のため息は先程より少しばかり大きかった。


「……それで、自分の名前を教える気にはなりましたか?」

「自認で言えば、ぼくは日野シュウジです」

「自認とは……?」


その問いに今度は沈黙で返すと、キョウコは再び口を開いた。


「まぁ、いいでしょう。当初わたしたちは、所持品からあなたをあすなろ黎明園に住む間宮ケンと断定していました。至急あすなろ黎明園に連絡を取ったのですが、話が噛み合わず、イタズラ電話扱いされてしまいました」

「……ケンちゃんが生きていたから」


なぜだかわかりますか?と視線で問われて、シュウジがおずおずと答えた。

今となっては瑣末な問題なのかも知れないが、身分証の貸し借りというズルをした事を認めるのはやはり気が進まない。


「そうです。事が事ですから直接出向いて本人に確認したところ、日野シュウジという同じ施設に住む中学生に身分証を貸したことがあると証言しました。更に、その日野シュウジが魔素噴火の日から帰って来ないことも。ただ、同時に不可解なこともあります。施設で写真を見せてもらいましたが、貴方とは全然外見が違っていました」

「じゃあぼくは日野シュウジじゃないかも知れませんね」


その投げやりな物言いに、キョウコは眉根を寄せた。


「ぼくも確信がないんです。自分が本当に日野シュウジなのかどうか。目が覚めたら、自分の外見が変わっていたんですから」


――マシロのことは隠す。それ以外は様子見しつつ話す


それは、尋問官が不在の内に打ち立てたシュウジの当座の方針であった。

無論、それだとなぜ高濃度魔素を浴びても平気なのか、なぜ外見が変わったのかと疑問を持たれることは必至である。しかし、多少身体を調べられようとも、それらの問いに対しては知らぬ存ぜぬで逃げ切りたい。少なくとも、自分が知ってはいけない事を知っていると知られるよりはマシというのがシュウジの考えだった。


「……法律上、貴方は日野シュウジで間違いありません」


考えを読まれないように俯いていたせいか、キョウコの言葉にはやや気遣うような響きがあった。


「あすなろ黎明園に残されていた歯ブラシから採取したDNAと、貴方のDNAが完全に一致しました。外見がどうあれ、貴方は日野シュウジです」

「――いや、ソイツは何者でもないよ」


唐突に部屋の扉が開き、スリーピースを纏った背の高い男が入って来た。


「長官!」


男は手で制したが、それでもキョウコは立ち上がった。


「……今出川タカシ」

「おぉ、こんな子供でも流石に名前くらいは知ってるか」


シュウジの口から漏れた呟きを拾うと、タカシはそう言って頬に皺をつくった。


「でも、本人を前に呼び捨てはいかんなぁ。年上に対する最低限の礼儀だぞ」

「すみません」


シュウジは咄嗟に謝っていた。別に睨まれた訳ではない。

ただ、考えるより先にそうしなければいけないような気がしていた。


「長官、何者でもないとはどのような意味でしょうか?」

「今回の魔素噴火、最終的な生存者はゼロということにした。コイツは法律上存在しない人間だ」


キョウコの問いに、タカシは今日の天気でも告げるような様子で言った。


「総理の了解も得ている。よって、現状コイツには人権どころか名前もないことになる。が、名無しの権兵衛じゃ不便だろう。名前くらいは付けてやる……『シュウジ』なんてどうだ?悪くない名前だと思うが」


絶句していると、タカシは「じゃ、シュウジで」と勝手に話を完結させた。

シュウジは混乱した。


――最終的な生存者はゼロということにしたって、どういう意味?法律上、ぼくはどうなる?


そう質問したかったが、再び渇き始めた喉に言葉が詰まって上手く出てこなかった。


「早速だがシュウジ、おまえが知ってることを話してくれ」


沈黙していると、更にタカシが追い打ちをかけてきた。


「黙ってたら一生ここから出られないぞ」

「……知っていることを話したら、ここから出してくれますか?」

「ああ、出してやる!……と言いたいところだが、約束は出来ない。内容によってはその限りではないからな」


その言葉に噓は無かった。と言うよりも、真偽以前に内容が存在しないのだ。


――如何にも政治家らしい


その態度に、急に怒りが込み上げて来た。

シュウジはこの瞬間のために、何をどう話すか、短時間ながら散々考えてきた。

それなのに、目の前の相手はマトモに取り合ってくれず、自分を交渉相手とすら見做していない。


「逆じゃないんですか?」

「逆?」


急に挑むような事を言い出したシュウジに、タカシは怪訝そうに問い返した。


「まずはぼくの身分を保証してください。法律的にも、社会的にも。それが出来たら、ぼくが知っていることをお話ししますよ」

「おい、おい、おい!随分と強気じゃないか!」


タカシは笑いながら大仰に手を広げ、それから声のトーンを一気に落とした。


「あんまりナメてんじゃねーぞ、クソガキ。法律的に存在しないおまえなんて、そこらの畜生以下の存在なんだ!こっちがその気になれば、おまえが自分から話すように仕向けることなんて造作もねーんだ!」


ドスの利いた声を発する顔が至近距離に迫った。

生物としての本能が大音量でアラートを上げていたが、シュウジはただ考える、その一つの行為にすべてを集中させた。


「じゃあ話してもいいですよ。ぼくも痛いのは嫌ですからね。でも、それでいいんですか?」

「どういう意味だ?」

「ぼくが敵であるあなたたちに本当のことを言う保証が無いってことですよ」


敵という言葉を発した時、シュウジは初めてタカシと目が合った気がした。


「時間をかけて検証すれば真偽は確かめられるだろうけど、選挙まで時間が無いんでしょう?それに今回の事故で110名、いや、ぼくを含めたら111名死んだんだ。これ以上の人命は絶対に失えない。とすれば、不確かな情報で自衛隊員の身を危険に曝すことだって非常に難しい。それともやってみますか?ぼくの話を聞いたら自衛隊をダンジョンに突撃させたくなるかもしれない」

「……テレビをそのままにしておいたのが失敗だったかもな。まさか中学生のガキがこの俺に交渉を挑んでくるとは――」

「黄色い石」


タカシの呟きに、すかさずシュウジが言葉を被せた。


「……は?」


そう言う直前、一瞬だけタカシの顔から表情が抜け落ちたのをシュウジは見逃さなかった。隣のキョウコに至っては、ポーカーフェイスが崩れて顔に不安や恐れが浮かんだままだ。


「ダンジョンで時たま発見される黄色い石には、身体のあらゆる不具を癒す効果がある。だから亜空間庁、ひいては日本政府が黄色い石の採掘数をちょろまかして、裏でコッソリ使ったり闇取引してる……なーんて与太話を、職場の先輩から聞いたことがあります」

「ほぉ?」


タカシの顔に、獰猛な猛禽類の如き笑みが浮かんだ。


「その話、もっと詳しく聞かせてくれよ……なぁに、ゆっくりでいい。時間はたっぷりあるんだから」


置いてあった丸椅子にどさりと腰を下ろしたタカシ。

その瞳の中に答えを探す様に、シュウジは対手に視線を注いだ。


――相手を自分の土俵に引きずり込む事は出来た。ここからが勝負だ


かつてイギリスの思想家、トーマス・カーライルはこう言った。

「雄弁は銀、沈黙は金」と。


その言葉を知っていてなお、シュウジは話すことを選んだ。

自分が置かれたこの場、この時だけは、銀が金に優ると信じて。


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