48――レッスン場の確保成功
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「はぁっ……ありがとうございました!」
最後のロングトーンをしっかりと伸ばしきって、僕はペコリと頭を下げながら言った。まだ脳内にはアウトロが流れているのだけど、今日はアカペラだから僕にしか聞こえていないのが残念。余韻たっぷりに終わるから、最後まで聴きごたえがある曲なんだよね。
フローリングだからなのか、フロア全体に僕の声が反響して自分の声がすごく聞きやすかった。絨毯だったり板張りだったりでこんなに音の返り方が変わるんだね。それが実感に繋がっただけでも、今日ここに来れてよかった。
「なるほどねぇ、この小娘が自信満々に連れてくるワケだ。気持ちのこもったいい歌だったよ、技術的にはまだまだだけどね」
お婆さんの言葉に、奏さんが『そうだろー?』と胸を張って自慢げにしている。そんな彼女を疎ましげに一瞥してから、お婆さんは再びこちらに視線を向けた。
「ひとつ、聞いておきたい。お嬢ちゃんにとっては、これからの活動においてダンスの練習場所はノドから手が出るぐらい欲しいはずだ。こう言っちゃなんだけど、この老いぼれに気に入られるような選曲にしようとは思わなかったのかい?」
その質問に、思わず僕は言葉を詰まらせた。だって何を歌おうかなと頭の中で選曲していたときに、その考えが真っ先によぎっていたのだから。でも第六感なのか勘なのかはわからないけど、『それが悪手だと不思議とわかったからやめた』だなんてどう説明すればいいんだろう。
「あの……僕は演歌とか歌謡曲とか、そういうジャンルの曲をあんまり知らなくて。ほんの少しだけ知っている曲も全然歌えるってレベルじゃないから、自分が満足できるデキで歌える曲を選びました」
たどたどしくなりつつも、あの時に考えていたもうひとつの理由を頑張って説明した。お年寄りに好まれそうなこういうジャンルの楽曲は、本当に1曲か2曲ぐらいしか知らないのだから仕方がない。それでも頑張れば自分らしく歌えたかもしれないけど、やっぱりいつも歌っている曲とくらべると数段下手っぴな完成度になるだろう。
僕をじっと見つめるお婆さんの圧に負けないように、僕も彼女に視線を向けて答えを待つ。すると突然お婆さんが破顔して、大きな声で楽しそうに笑い出した。
「そう、それでいいんだよ! まだちっちゃいのに、筋の通った考え方というものをよくわかっているじゃないか。お金を貰って歌うステージなら聴いているお客さんの好みやら何やらに迎合するのは仕方のないことだ。それがプロってものだからね。
でも今目の前にいるのは、今日会ったばかりのよく知らない婆さんだ。自己紹介がわりに歌を聴かせるのに、自分が好きでもないよくわからん曲を歌ってお嬢ちゃんのことが相手に伝わるかって言うと……結果は想像つくだろう?」
お婆さんの言葉は、染み込むみたいに僕の心に入ってきてすごく納得できた。よかった、迷ったけど僕の選曲は間違ってなかったんだなとうれしくなる。
この間からタイトルに『はじめまして』が入っている歌ばかりを歌っているけど、活動開始直後だからこういう曲を歌う機会が多いかもと思って改めてリストアップしておいてよかった。案外アニメやゲームのテーマソングって、自己紹介的なタイトルや歌詞のものがたくさんあるんだよね。
同じテーマの歌ばかりだとリスナーさんたちも飽きちゃうかもしれないし、他のテーマの楽曲もリストにまとめておいた方がいいかもしれない。
「よし、性根もまっすぐだし気に入ったよ。ここを使う許可を出そうじゃないか、他の子と揉めないようにうまいことやっておくれ」
ポンポンと肩を叩かれながら言われてホッとした瞬間に緊張が解けたのか、足の力が抜けちゃってその場にヘニャヘニャと座り込んでしまった。なんというかこういう試験みたいなのって、全然慣れないなぁ。もしかしたら、一生慣れることなんてないのかもしれない。
でもVtuberになったわけだから、緊張する場面はこれから何度だってあるだろうし。その時にこんな風に醜態をさらさずに済むように、気持ちをしっかり持たないとね。
そんな気持ちでお婆さんを見上げながら、しっかりと『ありがとうございます』とお礼を言った。床にへたり込んだままだから、すごくカッコ悪い状態だったけど。
「それで、一番大事なことを聞き忘れていたね。お嬢ちゃん、お名前は?」
優しい笑顔でそう尋ねられて、思わず『あっ』て小さく声を漏らしてしまった。そう言えばここに連れてきてもらった経緯とかは話したけど、肝心の自己紹介はしてなかった。すごく失礼なことをしていたことがショックで、思わずピョンと立ち上がって深々と頭を下げた。
「最初に名乗らないといけないのに、ごめんなさい! 僕は荒川優希です、よろしくお願いします!!」
「元気でいいね、ワシは相馬静江。まぁ好きに呼んでくれればええよ、この小娘みたいにババア呼ばわり以外ならね」
僕の慌てた自己紹介を聞いたお婆さんは、場の雰囲気を落ち着かせるようにゆったりとしたテンポで茶目っ気たっぷりにそう言った。もちろん僕としても、これからお世話になる人をババア呼ばわりなんてするつもりもないしできないと思う。
やっぱり普通にさん付けがいいかな? うん、静江さんって呼ぼうっと。
「いつまでもお嬢ちゃんじゃ失礼だろうから、優希と呼ばせてもらうよ。若くてキラキラした歌声を聞いて、ワシも年甲斐なく久々に魂が震えたよ。耳汚しかもしれないけど、一曲歌わせてもらおうか」
ニヤリと笑いながら言う静江さんに、奏さんが『ちゃんと歌えんの?』なんてからかい混じりに聞いていた。そういう質問が出てくるということは、普段はあまり大っぴらに歌を歌ったりしていないのだろう。どんな歌を歌ってもらえるのかな、と少しワクワクしてしまう。
パン、パン、と手拍子を始めた静江さんにスピードを合わせて、僕たち3人も手を叩く。リズムが安定したのを確認してから、静江さんが大きく息を吸い込んで声を出した。
「……っ!?」
目の前にいるのは背の小さなお婆さんのはずなのに、本当にその体からこの声が出ているのかと疑いたくなるぐらいに音圧を感じる。確か洋画の挿入歌だったはず。内容はあまり覚えていないけれど、アメリカの修道院を舞台にした映画じゃなかったかな。
本当にちっちゃかった頃に両親がテレビで観ていたのをぼんやりと一緒に鑑賞した記憶があるけど、ソウルフルな歌唱シーンだけは今でも鮮明に覚えていた。
讃美歌をゴスペル調にアレンジした曲に、ブルブルと自然と背中が震える。歌詞が英語なのが残念、メロディも曖昧で歌詞をまったく知らないのだから乱入したら邪魔にしかならないんだけど、一緒に歌いたいなと強く思った。
最後は緩やかにテンポを落としていき、伸びやかな高い声がフロア一面に響き渡る。最初に彼女が言っていた耳汚しなんて言葉は、とんでもない謙遜だった。
抑えきれずに僕が拍手すると、呆然としていた真奈と奏さんも一緒になって手を叩いてくれた。その拍手に応えるように、静江さんが荒く呼吸をしながら右手を上げる。
「歳は取りたくないもんだねぇ、昔ならもっと上手に歌えたもんだけど」
「ううん、すごく刺激をもらえました。歌ってくれてありがとうございます、静江さん」
なんだかテンションが上がってしまって、彼女の手をぎゅっと両手で握りながらお礼を言ったら、何故か微笑ましそうな視線を向けられてしまった。ちょっと子供っぽい反応だったかもしれない、と少しだけ恥ずかしくなる。
練習場所としてここを借りるわけだから、もしかしたら不注意でスタジオの中の物を壊しちゃったりするかもしれないだろうし、僕がどこの誰なのかという身元確認は大事だよね。
その辺りは静江さんもちゃんとしていて、住所と氏名・連絡先なんかを渡された紙に記入した。もちろんウソなんかを書くつもりはまったくないけど、中にはそういう悪いことを考える子もいるみたい。
静江さんには表面上いい子を装っていても伝わってくるものがあるみたいで、写真付きの学生証の提示を求めることもあるんだって。
僕の場合は真奈も一緒にいたし、静江さん相手に口は悪いけれど信用されているらしい奏さんの推薦だったこともあって、すんなりとカードキーを渡してもらえた。
学生証を見せることにならなくてよかったよ。年齢もサバ読んじゃってるし、今の僕の写真が付いているものなんてそもそも存在していないからね。一緒に来て、保証人みたいな役割をしてくれた真奈に感謝だ。




