第2話 血がつながっているだけで妹のつもり? 中
海水浴場から近い『井網ホテル』は巨大な一枚板の構造で、地上階にはスーパーやコンビニなども内蔵されていた。
レストランは数人がけのテーブルが何十と並び、バイキング形式の朝食は宿泊者カードを機械認証させるだけで利用できる。
ホテルの案内役はかっちりした制服を着ていたが、料理の補充や清掃などはアロハシャツに従業員証をつけた老人や中年がのんびりと働いていた。
客の大半は学生や教員だったが、一部のテーブルはスーツ姿の大人ばかりで固まり、島民らしき家族連れや高齢者の集まりも見える。
「このホテルは製薬会社が経営していて、研究施設を地元となじませる形で計画されたそうですが……」
皆桐杏理華はまゆをひそめて窓の外を見ていた。
「本土社員さんの保養施設にも良しだね? でもあれはなんの惨事だろね?」
勝本栗沙もホテル正面の広場に設営された巨大ステージと、その舞台セットとしてそびえたつアニメヒロインキャラの巨大看板をながめる。
そこから目をそむけても、館内あちこちのポスターや従業員エプロンにも同じ作品のイラストが印刷されていた。
「リゾート施設として特色を出すための会議で、なにか大きな疲労がたまっていたようですね? いえ、私も話題のアニメ映画くらいは観に行くのですが……」
杏理華もそれ以上は言葉をひかえて席へつき、剣間春梅も無言でうなずき、栗沙はもそもそと施設のパンフレットを取り出す。
「わたしもね、見る前の作品はなるべくどーこー言わないようにしているけどね。修学旅行の教育鑑賞会としてこれはちょっと……」
『シー・スター ~海の星は妹だった~』
『伝説の島は地球の大自然を救うのか、滅ぼすのか? 最後の希望はたったふたりの兄妹にたくされた!』
作品紹介ページのあおり文句はそのように書かれているが、絵のほとんどは水着姿の美少女で占められ、低身長に合わない大きさの胸を男の腕へこすりつけていた。
「上映会は声優さんも来るんだ……実写のほうがやばそうだな~」
栗沙は声優紹介のページを見て、なぜかひとりだけ大きな水着写真で載っているメインヒロインと同名の声優『姫苺やぷり』のバストサイズをまじまじと目測する。
通りかかった短髪メガネ女子がまゆをしかめた。
「食事の場所で、そんなの開かないほうがいいよ?」
「いやこれ、この施設の案内で、教育鑑賞会の紹介……」
栗沙はいいわけしつつも、すぐに閉じて頭を下げていた。
「どうせ学費からリベート抜く目当てだけでねじこまれたんでしょ?」
一重の目が冷淡に言い捨てたところへ男性教員が通りかかり、まゆをしかめる。
「おい柿沢さんよう……もう少し小声でお願いします」
ひょろ長よれよれシャツの教員はそそくさと逃げ出した。
「柿沢さんが松小路先生に完全勝利ですね」
杏理華はほほえんで讃えるが、柿沢清枝は釈然としない表情で立ち去る。
近い席に座っていたギザギザした長髪の女子は、柿沢の背を気まずそうに見送っていた。
「やっぱみんな、どんびきするよな? アタシはこういうジャンルも好きな作品が多いけど、学校で上映されても落ちつかないし……ばっくれて、あとでひとりで観れないかな?」
鬼島小桃は顔の鋭さを強調する化粧に三角メガネで、髪留めやスマホのストラップ、ソックス柄などはアクションゲームの敵キャラばかりだった。
「小桃っちは不良くさいんだか、まじめにオタクなんだか、よくわからないねー? 成績は悪くないのに、しょっちゅう呼び出されてるし」
向かいに座る海老平夏実は濃いめの化粧と厚めのくちびるで明るく笑う。
ツインテールの赤毛は体と同じくボリュームがあった。
「自分の進路に必死なだけだっての。夏実もそろそろ、専業主婦とかアホな第一志望はあきらめれ。アタシは食えないクリエイター業界へわりこむために、作品鑑賞も命がけなのに……正座して観るべき神作品の気配がしたら逃げるから、便所ということでよろしく」
ふたりと同席していた化粧っけのない女子は優しげな顔をこわばらせ、おどおどと手を泳がせる。
「あの、抜け出しとかは……あまり、その……」
「わり。なるべく迷惑かけないから。梨保子には班長も押しつけちまったし……なにも知らなかったの一点ばりで頼む」
「ええ~?」
正上梨保子は小桃におがまれ、夏実におかっぱ髪をぽふぽふなでられ、それ以上は言い返せないで身をよじるだけだった。
昼前の上映会には宿泊客と島民の両方が押し寄せる。
ホテル正面広場の巨大液晶パネルつき特設会場は観客で埋めつくされた。
上映が終るといちおうは拍手もわくが、複雑な表情も多い。
「千歩ゆずってキャッチコピーを飲みこんでも、ドタバタいちゃいちゃのどこが『真実の愛』なんだ?」
三角メガネの小桃は会場を後にしながら文句をつぶやき続け、赤毛ツインテールの夏実は苦笑であしらう。
「わりとおもしろかったじゃん? 数分おきにつっこみどころはあるけど。脇役とかみんな味があって、まじめなテーマもそれほどスカスカじゃなかったし」
「まあたしかに、いいところは意外に多かったけど、萌え設定の珍妙さは壁になりそうだな?」
似たような賛否があちこちで話されていて、男性教員の松小路はその様子を確認してから一重の短髪メガネ女子へ近づく。
「よう柿沢ちゃんよう、それほどひどいばかりでもなかったろ?」
柿沢清枝の視線は平坦で表情がなかった。
「いつか面接で『修学旅行で学んだもの』を聞かれたら『学校選びをまちがえると砂場遊びとアホアニメで時間と学費を無駄にすることを学びました』と答えます」
「あの、すみません。どうか今の会話は無かったことに」
呆然とした表情の観客も多かった。
年配者や幼児のほか、正上梨保子も良し悪し以前に理解が追いつかない表情だった。
「なんで『わかり合う』ために水着姿を見せたり、抱きついたり、それが拒否されるたびにかみつく必要があるのですか……?」
「いや、えーと……すまん」
小桃が業界を代表して頭を下げ、夏実はなだめるように梨保子の頭をなでる。
「梨保子っち。あれはね、ああいう異国の風習だと思って観賞するの。海外輸出の時は、地名とかキャラの名前を現地風に変えることも多いらしいし」
すかさず小桃も珍説に同調した。
「そうそう。異世界だけに存在するアニメ帝国の民族性な? 特撮や時代劇だって、現実にはありえないお約束だらけだろ?」
「はあ……でもあんな当たり前みたいに、人へガブガブかみつく民族性とはいったい……?」
当惑する梨保子に、すれちがった白衣の男がふりむく。
「君、だいじょうぶか? 顔色が……失礼、脈を少し。熱っぽい感じはないか?」
手馴れた様子で脈をはかり、目や口の中も診る。
胸につけた製薬会社の社員証には『パラソル・ジャパン 井網島支部 第三室長 植坂有葉人』とあった。
ビシッとしたオールバックとサングラスが白衣とちぐはぐに見える。
「まれにだが、あの程度の画像効果でも気分が悪くなる者もいないではない。なにかおかしいと思ったら、早めにスタッフへ連絡するといい……これは?」
「え? あ……虫かなにか?」
梨保子が腕を見ると、小さく血がにじんでいた。
白衣の男は三人が去ってから、自分の親指にテープで固定していた小さな注射針をはずす。
昼食後には主演声優によるコンサートも開催された。
その終幕で、梨保子はふらりと倒れる。
「音程のはずしすぎで気分が悪くなったかな?」
「液晶パネルの画像効果もきつめだったか?」
うろたえる夏実と小桃を押しのけ、教員の竹見千鶴が手でおおまかに体温をさぐる。
「熱中症というほど熱はなさそうだけど……ぶつけたとかではなく、ふらっと倒れたんですね?」
確認しながら、梨保子をかつぎ上げようと苦戦する。
代わりに長い黒髪の長身女子が、ひょいと持ち上げてしまった。
気絶した人間など、肩へ載せなければ持ち上げにくい重さと形状のはずだった。
しかし両腕だけで震動を抑えて支え、いわゆるお姫様だっこで歩き姿が安定している。
「ホテルの中に医務室もあったと思います。そこまでは運べます」
柔術女子こと剣間春梅の王子様ぶりに、多くの女子がこっそり歓声を上げた。
同じ部の皆桐杏理華も来ていたが『お任せします』とばかりに肩をすくめて去る。
「あれ……? あの、栗也くんも来てもらえますか?」
「え。うん」
春梅に声をかけられ、近くにいたサンドバッグ系男子こと勝本栗也もついて行く。
しかし手持ち無沙汰だった。
妹の栗沙は冗談かどうかわかりにくい表情でガッツポーズをとる。
「おにい、がんば。春梅さまが途中で疲れたら、王子様役を代わるチャンス」
栗也より小柄な真桑進は首をかしげた。
「あのまま島を一周できそうに見えるけど……もしつまずいても、栗也くんなら補助できるのかな? というか不謹慎だってば栗沙ちゃん」
そう言いながらも、女教師の少し乱れた髪や、汗のにじむスーツの胸元ばかり見ていた。
栗沙はツッコミを入れるように真桑の背を押して、兄を追いかけようとする。
ところが少し先では、小桃と夏実がホテルの従業員に足止めされていた。
「整理退場の順番を守ってください」
「アタシらは梨保子と同じ班だし、さっきまでとなりにいて様子も見ていたから!?」
小桃のかみつくような剣幕で、従業員はしぶしぶ通す。
しかし栗沙と真桑の前にも無愛想に立ちふさがった。
「あれだけ人がついているなら、ぼくたちが行ってもじゃまかもね?」
真桑は苦笑しながら、不満そうな栗沙といっしょに整理退場の順番待ちへもどる。
従業員は笑顔で「なんでもありません」「たいしたことはなかったので」と言いふらしては視線を散らしまわっていた。
さらには「いやー、なにごともなくイベントが成功してよかったですなあ!」という地元住民らしき中年のわざとらしい大声まで聞こえた。
いっぽう小声では「本格営業前から事故報道とかありえんだろ」「ないない。なーんもない」というスーツ姿のやりとりも聞こえた。
「露骨なもみ消しだね?」
栗沙は口をとがらせるが、真桑はなだめる。
「まあ、騒ぎを大きくしてもいいことはないし」
「やっぱ製薬会社は鉄板の悪役だね。きっとゾンビとか作ってるね」
「そんなものをここで作る意味がないでしょ?」
「甘い。別のブツを作ろうとして、失敗事故を起こすのがヤツらの伝統芸だ」
梨保子は運搬中に目を開けるが、表情はぼんやりしていた。
同行していたホテル従業員も意識の回復に気がつく。
「なんだ。やっぱり興奮しすぎただけで、医務室なんか行かなくても……」
へらへら笑って言いかけた言葉をのみこむ。
教員の竹見がきつい目つきで見ていた上、春梅が一瞬だけ向けた視線は突風を感じさせた。
「念のため、このまま運びます……だいじょうぶですか?」
春梅が聞いても梨保子はなかなか返事をしなかったが、しがみつくそぶりを見せ、照れたようにうなずく。
小桃と夏実は顔を見合わせた。
「梨保子って、こんな甘えんぼうキャラだっけ?」
小桃はからかうが、なんの反応もなかったので、夏実といっしょに心配顔になる。
梨保子は春梅ばかり見つめていた。
そしてかすかにつぶやく。
「ありがとう……おにいちゃん」