第12話 おにいちゃんなら命をかけてくれるよね? 下
鬼島小桃と勝本栗也は、九階の女子部屋を回って情報交換をしている途中だった。
皆桐杏理華の館内放送がふたたび流れ、その途中で突然に音声も館内照明も消え、あちこちで小さな悲鳴が上がる。
「停電とかマジか? いつまでだ? アタシは夏場で冷房ないと速攻で死ねる変温動物だぞ?」
小桃はただでさえ感染対策に長袖を着て、手と首にはタオルを巻いていた。
栗也はふたたび杏理華の声を聞けた安心感と、それも不自然に途切れた不安で複雑な顔をしている。
「感染で死ぬ心配が少なそうなのはありがたい情報だけど」
生徒の多くは指示どおりに部屋で待機していたため、動きまわっていた小桃と、直接に感染者たちと対した栗也のほうが知っていたことは多い。
「部屋ごとに推測がぜんぜんちがうってやべーよな? 通信できないで孤立すると、こんなすぐばらばらになるもんか?」
「杏理華さんの放送は、思った以上に意味が大きいね?」
感染症が広がり、便乗した犯罪が発生し、地元住民は信用できないなどの危険性がそれとなく伝えられ、解決が近いという希望も与えられている。
しかしまだ部屋へもどっていない女子も多い。
栗也の妹も班の部屋にはいなかった。
「小桃さん、栗沙と会っていたの?」
「アタシがこの階へ来る時、玄関の見張りに残ってくれていたんだ。竹見先生がアタシより先にもどしたはずなのに……」
「あいつ、わりと余計なことに首つっこむ性格だから」
「それは兄貴も人のこと言えないだろ?」
小桃たちが九階のエレベーターホールへ向かうと、男子生徒や男性教員、男性従業員たちが転がってうめき、ソファーやゴミ箱なども散乱していた。
ホールに近い部屋の女子生徒はノックをしてもまったく答えないか、ドアを開けないままわめいて追い返そうとしてくる。
少し離れた部屋のほうが冷静で、様子も少しだけ知っていた。
「わたしたち学級委員も竹見先生に逃げるように言われたんだけど、先生たちはみんなどこかへ行ったきりもどってこないし、たぶんホテルの人たちも……」
「わかった。アタシは夏実を探すついでに様子を見てくるけど、こういう時は隠れているのが一番だから。放送のとおり、何日もかからないはずだし」
「それと春梅さんがもどって来て、杏理華さんの放送が途中で切れたことを心配して、ひとりで放送室を探しに下へ……」
学級委員女子の追加情報で、小桃が舌打ちをする。
「あの王子様か!? 美人お嬢様が、こんな時にひとりでうろついたら……!」
栗也は黙って表情を殺したまま、髪をざわめかせていた。
エレベーターは停止していて、階段で一階ずつ降りるしかない。
七階まで降りた小桃の前に、ソファーやベッドを縛ったバリケードが積み上がっていた。
「んだよこれは!?」
小桃が力任せに蹴ってもゆれるだけだった。
すかさず、栗也がまったく減速しない体当たりで一部を突き崩す。
「今のそれ、痛くないの?」
「まあ、わりと。でも慣れてるから……ん? 待って!?」
栗也が先にくぐり抜けると、数人の人影が殺到していた。
栗也は長袖のワイシャツに着替えており、手にもタオルを巻いている。
しかし相手は歯ではなく、カバンやイスを振るって攻撃していた。
それらを腕で受け流して耐えると、相手の内ふたりが悶絶する。
ひとりは小桃の凶器化した靴下に打たれたのか、ひざを抱えて倒れた。
もうひとりは整髪スプレーをあびたらしく、目を押さえている。
「待って小桃さん!? あとはオレだけでだいじょうぶだから!」
栗也が両拳をかまえると、残った三人はうろたえて動きが止まる。
「だ、誰だよゾンビなんて言ったやつ?」
「だって、そっちの女子がいきなりバリケード蹴って……」
五人は他校の制服を着た男子で、手だけでなく顔までタオルでおおっていた。
栗也は両手を上げる。
「通りたいだけなんで。声をかけないでごめん」
「あ、こっちこそ……」
「うちの制服の子、誰か通らなかった?」
「背が高くて髪の長い子に『妹ゾンビ』が来るから、たてこもって肌を出さないように言われて……」
小桃が割って入ってくる。
「この階は抑えきれてるの?」
「いちおう。ほかの階はやばいらしいけど……」
「アタシら紫州田高校の八階と九階もあまり広がってないから、協力できない? 九階と七階で上下を抑えれば、一階分の人手が余るかもしれないし。もしその先の十二階まで行けるようになったら、ヘリが来た時に使える……あとは火災の予防を徹底して」
小桃がまくしたてると相手も何度かうなずき、奥から代表者らしき生徒たちを呼んでくる。
八階へもどって両校の代表メンバーで話し合い、動ける生徒たちを集め、十階より上にも協力を呼びかける計画を立てた。
小桃は上の階へ行けるメンバーを見て不安になる。
「十数人だけか……感染者がひとりいると、どうしても見張りが二、三人はほしいからなあ?」
宿泊客用の広い階段は六ヶ所あり、その見張りにも数人ずつほしかった。
各配置を孤立させない連絡役も必要になる。
「じゃあ、もし最上階まで制圧できて余裕あったら、下にも安全地帯を広げてみて」
「小桃ちゃんはこの階に残らないの?」
同級生の女子だけでなく、男子たちまで頼るような目で小桃を見ていた。
「わり。夏実が心配だし、下の様子の探りもいるだろ? でもなるべくここに固まっていたほうが安全だから、ほかはみんなそのままで……」
小桃は階段を降りかけて背後を見て、当たり前のようについてくる栗也の姿だけ確認する。
みんなで話し合っている時には平凡でにぶそうな男子に見えるが、危険へ向かう時にものっそりと表情を変えないで落ち着いていた。
ふたりで七階へもどると、整髪スプレーのにおいがまだ漂っている。
小桃は肩身せまそうに、見張りに立っていた三人へ頭を下げた。
「あの、アタシがやってしまったおふたり、もうしわけなかったです」
「だいじょうぶ。枝霧田と絵塗田は柔道やっていて頑丈なほうだから。それより、下の階ほどゾンビが多いみたいなんで、気をつけて」
栗也はバリケードの一部をはがして下へ向かう。
小桃も手伝いながら、まゆをしかめてブツブツ言っていた。
「というか、梨保子といた三人のケガも、本当にだいじょうぶなのか? 自分でやった実感がないほど思いきりやっちまったから……」
「あいつらはケンカ慣れしている感じだったし、特にでかいのはボクシングかじってそうだから、たぶん言っていたとおりに無事だよ……というか、気にしていたんだ?」
「だから格闘技とかの経験は、ぜんぜんないってば」
「でもさっきの階でも、五人のうちで格闘経験ありそうなふたりに限って、一撃ずつで制圧してくれたし」
栗也はほめているつもりの笑顔だが、小桃は乾いた笑いを浮かべる。
「はは……何パーセントかの人間は、生まれつき殺人に抵抗を持たない精神構造らしいけど、当選しちゃったかな?」
「それはなんとも……もしそうだとしても、小桃さんは人を守るために使っているし。それに緊急事態で行動力を発揮できるタイプというだけかもしれないよ? ……うん。責任感で強がっている、優しいがんばり屋に見える」
栗也はぐっと握り拳を見せてはげますが、小桃の返事は遅れた。
「お……おう」
だんだんと頬が赤らむ。
「ん? なに?」
「いや、体育会系の、ど直球な恥ずかしさにも慣れてないから……こええな脳筋は」
「そんな。がんばって小桃さんのいいところを探したのに」
「がんばらないと見つからないのかよ?」
そのころ、文化系な勝本栗沙と真桑進はまだ三階女子トイレの個室にこもっていた。
しかし電源が落ちて照明は非常灯ひとつになり、空調も止まり、真桑は気まずそうにうつむく。
「やっぱり杏理華さんはすごいね。あのフロントロビーへ強引に突入したのかな?」
「ま、わたしらみたいなキャラが無理しても、愉快な犠牲者に出世するだけな気もするし」
「うん……でもこのまま冷房なしで蒸されて夜明かしは……」
「はた目には密室に汗だく男女でエロそうだけど、実演側となるとたまらんね? ずっとゾンビの気配もないし、少しまわりを探ってみようか。とりあえず、頼もしい男性から狙われるから、真桑くんはいつもどおりで。変にがんばらないように」
「あ、うん……情けない姿を見せれば見逃してもらえるのかな……というか、ここへ来る時も、それで追って来なかったのか? そうなると松小路先生って、生存率がムダに高そうだな?」
「なにがあったかは知らないけど、対象が少ないと『かむ条件』のハードルは下がるみたいね?」
「そりゃもう限りなく」
ふたりはドアのすき間から外をうかがい、可能な限り身を隠して壁ぞいに進む。
いちおうは男子の真桑が先になって階段をのぞくと、上の踊り場にはりつく長身やせ型の男性教員と目が合ってしまう。
「おま、真桑! 生徒が先生を盾に逃げるなんてあんまりじゃないか!? 普通は逆だろ!?」




