St. Valentine's Day
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保険医の先生が言ったように、しばらくの間足は腫れていたけど日常生活に支障はなかった。
日々は静かに過ぎて行き、とうとう今日はバレンタインデー当日だ。
実は数日前から、バレンタインに無関係な私もなんだかソワソワし始めた。
だって菜穂が私に、チョコのラッピングのデザインについていろいろと意見を求めてくるから。
それに、三木さんも。
もう既に、私の二週間にわたる野球部マネージャー業務は終了してたんだけど、三木さんとライン友達になってからというもの、色々と相談されたりするんだよね。
練習してみたものの、ブラウニーはやめてトリュフに変更しようかとか、動画サイトでみたチョコチーズケーキはどうだろうとか。
……多分三木さんは勘違いしてるんだよね、私が男子に詳しいって。
はっきり言ってまるで詳しくないんだけれども。
唯一詳しかった瑛太の事だって、もはや分からない状態だ。
正直、瑛太ならどうだろうとか考えたりしたんだけど、なんか聞き辛くて無理だったんだよね。
そんなワケで男子の好みがイマイチ不明だから、手っ取り早く浪川に意見を求めてそれを三木さんに伝えてみたり、時には書店の雑誌を読んだりしてアドバイスをしてみた。
『とうとうバレンタインデーだね。三木さん頑張ってね』
『うん、色々相談に乗ってくれてありがとう。頑張るね』
私は三木さんのLINEを読んで、微笑んだ。
上手くいけばいい。三木さんも、菜穂も。
菜穂といえばこのところ、私と瑛太の様子を見ては眉を寄せている。
「あんたさあ、なんか思うことはないの?!」
「思うこと……」
「浅田とこんなんでいいのかっつってんの。バニラの女にあんな事言われてさ、ホイホイ言うこと聞くわけ?」
あの練習試合の日の一件から険悪なムードは脱したものの、やっぱり瑛太と私の距離は縮まらなかった。
「バニラ女子は、谷口架純さん」
「名前なんかどーでもいーわ。私ね、初対面でそういう態度とるような女、嫌いなの」
私は教室のベランダから中庭を眺めると、隣で柵に身を預けていた菜穂を見た。
「確かに最初はムカついたよ。でもさー、初対面の相手にあんな風に強く言っちゃうくらい瑛太が好きなんだと思うとなんか……」
「なんか、なに?!ただの性格ブスとしか思えないけど!」
「……なんか、健気というか」
菜穂はポツポツと呟くようにそう言った私を見つめた。
「まあ春が浅田とこのままでいいなら、私は何も文句はないよ?でもさー、なんかねー……」
それから大きく息を吸って空を仰いぎ、気分を変えるかのように声のトーンを上げた。
「さ、次移動だよ。行くよ」
「……ん」
「川瀬」
席に戻り教科書をまとめて視聴覚室へ移動しようとしていた私を、出入り口から誰かが呼んだ。
……鮎川君だ。
瞬間的に隣の席の瑛太と眼が合ったけど、私は瑛太の席の後ろを通り抜けると鮎川君に近寄った。
「今日一緒に帰らない?部活ないんだ」
「あ、もしかして今日は休部日?」
「そ」
我が校は、三ヶ月に一度休部日というものがあり、全ての部活動が休みになる。
それは何故かというと、安全に部活が出来るように、先生達が専門家と部で使う設備や道具の安全点検を行う日だからだ。
鮎川君がニコニコして続けた。
「帰りに……どこか行かない?」
鮎川君は私が怪我をしてから、なんだか凄く気を使ってくれる。
あの時自分が呼んだから私が部員と接触したと思い込んでいるみたいで、そう思わせてしまった私は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だから、少しでも早くいつもの鮎川君に戻ってほしい。
「うん、行こう!」
私は鮎川君を見上げて笑った。
「駅前の室内スポーツパーク行かない?私、卓球やりたいな」
鮎川君が、一瞬眉をあげてから白い歯を見せた。
「うん!行こう」
菜穂のイラついた顔にも気付かず、私はそんな鮎川君を見つめて微笑んだ。
****
休み時間。
「さっすがだよなー、浅田!休み時間毎に女子に呼び出されてる」
浪川が、誰かに呼ばれて教室から出ていく瑛太を見送ったあと、羨ましそうに口を開いた。
それに藤井が猛然と食いついて頷く。
「浅田さ、好きなヤツいるらしくて義理チョコも受け取らないんだ」
「え、まじ?!」
「そ。『せめて義理チョコくらい受け取って!』てしつこく迫ってきた女子に言ってたぜ、『ごめん、俺チョコレートアレルギーなんだ』って」
私は思わず、窓際で話していた藤井に向き直った。
……瑛太はチョコレートアレルギーなんかじゃない。
だってチョコレートが大好きで、自分で買って食べるくらいだもの。
その時、谷口さんの顔が頭をかすめた。
……多分瑛太は、谷口さん……谷口架純さんを大切にしたいから、そんな嘘をついているんじゃないだろうか。
谷口さん以外の人からチョコレートを受け取らないように。
きっとそうだ。瑛太なら……谷口さんを大切にすると思うもの。
だって瑛太は優しいから。
そう、いつだって瑛太は優しい。
背が高くて大きくて、暗い夜道は頼りになるし、少し頑固で強引なところもあるけど、小さな事にこだわらないし私がして欲しいことはなんだかんだ言ってちゃんとやってくれるし、それに、それに……。
ガツン!と身体に衝撃が走った。
胸が苦しい。てか、痛い。なにこれ。なんなの、この感覚。
またしてもあの時の谷口さんの言葉が胸に突き刺さる。
『幼馴染みってだけで馴れ馴れしくするのはそろそろ止めてくれない?』
幼馴染みってだけで……。
その時藤井が出入り口に視線を向けてニヤニヤと笑った。
「浅田ーっ、またチョコレートかよ。もったいないから断らずに受け取って俺にくれよー」
藤井のその言葉を聞いてクラスの皆が笑った。
「お前にプライドはないのか!」
「全部もらったら持って帰れない量だぞ!」
……持って帰れない量……。
なんか、気分悪い。
反射的に立ち上がり、席を離れようとして瑛太と視線が絡んだ。
そんな私に、何故か瑛太が驚いたように目を見張る。
嫌だ。今の私は最低だ。今、瑛太を見て分かった。
私、嫉妬してる。
谷口さんが自分よりも瑛太に近くなるのが嫌なんだ。だからこんなに気分が悪いんだ。
私は息を飲んで自分の胸を押さえた。
なんて嫌なヤツなの、私。
瑛太に一番近いのは自分じゃなきゃ嫌だなんて。
私もしかして、いつまでも幼馴染みの地位を振りかざして瑛太を苦しめていたんじゃないだろうか。
「春。どうした?」
後ろから瑛太に手を掴まれて、身体がビクリとする。
「大丈夫。少し気分が悪いだけ」
「……」
私は手洗い場に向かうと、目一杯息をして両目を閉じた。
****
放課後。
「じゃね、春。ヨシと待ち合わせだから急ぐわ」
「ん、じゃあね」
「てゆーか、顔色悪いけど、大丈夫?」
「……多分」
菜穂が私の顔に自分の顔を近づけて真剣な眼をした。
「春。いつでも電話してきなよ」
……菜穂……?
「なに言ってんの!今日はバレンタインデーで、ヨシ君とデートでしょ?」
「でも、春は私の親友でしょ?!」
菜穂は、気にかけてくれているんだ。
最近、混乱して元気のない私を。
なんて有り難いんだろう。
「うん!」
私は菜穂を見て、出来る限り明るく微笑んだ。
***
バレンタインデーの今日、どうせ瑛太は谷口さんとデートだろう。
だから私は菜穂と言葉を交わした後、出来るだけ急いで教室を出て、鮎川君との待ち合わせ場所である正面玄関へと急いだ。
だってまた、瑛太と眼が合ってモヤモヤと嫌な感情を生みたくなかったし、二人が一緒にいるのも見たくなかったから。
初対面の私に、谷口さんが挑戦的な眼差しを向ける気持ちが今なら分かる。
だって、ただの幼馴染みってだけで瑛太を独占しようとするズルい気持ちが自分でも嫌だもの。
その時、
「春!」
廊下を早足で歩き、階段を降りようとしていた私を瑛太が呼び止めた。
一瞬立ち止まってしまったけど、私は振り向かずに階段をかけ降りた。
「春!待てよ!」
嫌だ、嫌だ。
こんな気持ちを抱えた私は卑怯で嫌なヤツだ。
瑛太に見られたくない。見られたくない!!
「春ってば!」
瑛太が私の腕を掴んだ。
「春!」
「やだ、離して」
「春!こっち向けって!」
帰り始めた生徒達が、何事かと私と瑛太を交互に見た。
「……瑛太、離して。私約束があるの」
瑛太が私の正面に回り込んで身を屈めた。
涼やかな眼がこっちを覗き込むから、私は顔を背けた。
「鮎川?」
「うん。卓球したくて。楽しみにしてたんだ」
そう言った私の頬を、瑛太が両手で包み込んだ。
「何で泣いてんの」
ビクッとした。
だって自分が泣いてるなんて気づいてなかったから。
「やめてよ、瑛太」
「俺と帰ろう。話がある」
さっきより、もっと身体がビクッとした。
それから、胸がギシギシと痛む。
話?そんなの聞きたくない。
だってきっとこう言われる。
『俺、谷口先輩と付き合ってるんだ』って。
もう瑛太に一番近いのは、私じゃない。私じゃないんだ。
「離して。私には話なんかない。聞きたくない」
「春!」
瑛太が、苦しげに眉を寄せて私を至近距離から見つめた。
その瑛太の背後から、悲鳴のような声が響く。
「瑛太くんっ!!」
瑛太の後方に谷口さんが息を乱しながら立っていて、彼女は私の頬に両手を伸ばしたままの瑛太に息を飲んだ。
「瑛太くんっ!!」
二度目の彼女は涙声で、その瞬間に私は分かってしまった。
分かってしまったのだ、自分の本心が。
幼馴染みだからじゃない。幼馴染みでいたんじゃない。
この先も幼馴染みのままなんて、私は嫌なんだ。
だからだ。だから、谷口さんの存在が辛くて苦しくて見ていられないのだ。
なんて事だろう。
今更それに気付くなんて。
瑛太に彼女が出来てから気付いたって遅いのに!!
ああ、バカだ!私はバカだ!!
今まで瑛太と過ごした日々が私の胸に蘇った。
『瑛太、バッティングセンター連れていって。打ち方教えて』
『いいけど、怪我するなよ』
『瑛太、ホラー映画が観たい。一緒に借りに行こうよ』
『……俺、苦手なんだけど』
『瑛太、真夜中に流星群が見れるんだって!私、見たい!起こして』
『しょうがないなー。俺も自信ないからな』
胸の痛みが限界で、息をするのも苦しい。
この場にいるのも。
谷口さんに気をとられた瑛太の隙をついて、私は彼の手を振り払うと一気に階段を駆け降りた。
苦しくて胸が痛くて、本当に死にそうだ。
涙が後から後から溢れ出てきて止まらない。
「川瀬……?」
正面玄関の壁掛け時計の脇から、鮎川君が身を起こして驚いたように私を見た。
「鮎川君……ごめん、私……」
泣き濡れた私の顔を、鮎川君はただ見つめた。
それからゆっくりと私に歩み寄ると、静かな声で言った。
「川瀬。ちゃんと頑張れ。ちゃんと後悔しないように」
「鮎川君……」
鮎川君は私にティッシュペーパーを手渡しながら、少し寂しそうに笑った。
「川瀬が元気じゃなきゃ、俺も元気なくなるわ」
「ごめん、鮎川君……」
俯く私の頭を、鮎川君がポンポンと優しく叩いた。
「ほら、今日はバレンタインデーだろ?!頑張る日だろ?!」
バレンタインデー。頑張る日。
鮎川君が、優しい眼差しで私を見つめた。
「……うん……!」
私は涙を拭うと鮎川君に頭を下げて学校を飛び出した。




