第1話「職業『勇者』」って言われました
はじめまして。
数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。
過去書いていたものを、もう一度チャレンジしたくて書き直しスタートしてしまいました…
ゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、
ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。
ブックマークや評価、 感想が、 何よりの励みになります。
人生で初めて「勇者」と呼ばれた三秒後、 同級生に「違う」と言われた。
白く磨き上げられた石の床。
天井まで届くステンドグラスから、 七色の光が静かに降り注いでいる。
目の前には、 半透明の板がひとつ浮かんでいた。
見たこともない文字が並んでいるのに、 意味だけが、 するりと頭の中に流れ込んでくる。
【職業:勇者(候補)】
一拍の静寂。
次の瞬間、 大聖堂を埋め尽くした騎士や神官たちから、 地鳴りのような歓声が湧き上がった。
「勇者だ!」
「勇者様が、 お現れになった!」
甲冑の擦れる音。
祈りの言葉。
誰かのすすり泣き。
そのすべてが、 僕ひとりに向けられていた。
そんな歓声の隙間を縫うように、 背後で、 誰かが小さく笑った。
「……いや、 それ違うでしょ」
振り返ると、 ゼミの仲間たちが、 なんとも言えない顔で僕を見ていた。
憐れむような目。
面白がるような目。
そして、 はっきりとした敵意を宿した目。
どうして、 こうなったのか。
話は、 三時間ほど前に遡る。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十月の山は、 思っていたよりもずっと冷えていた。
長野の山あいにある大学の合宿所は、 古い木造の二階建てだ。
研修室の窓の外では、 色づき始めた木々が風に揺れている。
石油ストーブがかすかに唸り、 部屋の空気をゆっくりと温めていた。
「じゃあ、 資料を回すね。 一人一部ずつ取って、 後ろに回してください」
僕はそう言って、 ホチキスで留めたレジュメの束を最前列の机に置いた。
篠原ゼミ、 秋合宿。
テーマは「集団における同調と逸脱」。
社会心理学のゼミとしてはありふれた題材だけれど、 三日間かけて、 班ごとに実験計画を練り上げる予定になっている。
「白峰くん、 これ、 余ってた分」
隣から、 柚木澪さんが数部のレジュメを差し出してくれた。
肩の上で切りそろえた黒髪。
感情の起伏をあまり表に出さない、 静かな人だ。
けれど、 誰よりも周りをよく見ている。
「ありがとう、 柚木さん。 助かるよ」
「……ううん。 数、 数えておいただけだから」
そっけない言い方だけれど、 澪さんは誰に頼まれなくても、 こういうことをしてくれる。
「おう陽翔、 ストーブの灯油、 足しといたぞ」
廊下から、 大きな体がのそりと入ってきた。
大河内剛。
元ラグビー部で、 ゼミで一番大きくて、 ゼミで一番気のいい男だ。
「ありがとう、 剛。 寒いのに悪いね」
「気にすんな。 難しいことは分からんが、 寒いのが駄目なことだけは分かる」
剛は豪快に笑って、 一番後ろの席にどっかりと腰を下ろした。
僕、 白峰陽翔は、 このゼミのゼミ長をしている。
といっても、 大した役職じゃない。
教授との連絡係で、 飲み会の幹事で、 合宿のしおりを作る係だ。
それでも、 十五人という少人数のゼミだからこそ、 誰かがまとめ役をやらなければ回らない。
ならば、 僕がやればいいと思った。
それだけのことだ。
「はいはい、 委員長、 今日も点数稼ぎご苦労さん」
窓際の席から、 からかうような声が飛んできた。
志賀拓真。
明るい茶髪に、 よく鍛えられた体。
高校時代はサッカー部のエースだったらしく、 今でも人の輪の中心にいることが多い。
半年前のゼミ長決めで、 僕と票を争った相手でもある。
「委員長じゃなくて、 ゼミ長だよ、 志賀」
「同じだろ。 優等生の委員長サマ」
志賀の隣で、 体格のいい堂島大吾が「ウッス、 志賀さんの言うとおりっすね」と笑った。
堂島はいつも、 志賀の隣にいる。
僕は苦笑だけを返して、 ホワイトボードに向き直った。
志賀が僕を快く思っていないことは、 知っている。
それでも、 彼の企画力に助けられたことは何度もあった。
嫌われていても、 僕のほうから嫌う理由にはならない。
「えー、 なにこれ、 外ぜんぶ紅葉じゃん。 映える!」
「莉愛も撮るー。 沙耶ちゃん、 こっち入って入って」
最前列では、 姫野沙耶さんと花菱莉愛さんがスマホを掲げて自撮りをしている。
華やかな二人だ。
「二人とも、 撮り終わったらで大丈夫だから、 班分けの紙だけ見ておいてね」
「はーい、 ゼミ長ー」
「りょー」
教室の中を見渡す。
中ほどの席で、 宇佐美玲央がレジュメを一読して、 眼鏡を押し上げた。
「論理的に言って、 この実験デザインには交絡要因が多すぎる。 教授の詰めが甘い」
ゼミの首席で、 誰とでも議論をしたがる男だ。
その斜め後ろでは、 小田切健吾がスマホのゲームに夢中になっていた。
「うわ、 マジで今のガチャ神引きっしょ」
窓辺の一番端には、 桐生翔が一人で座っている。
前髪で目元を隠し、 誰とも話さず、 ただ外の山を眺めていた。
「つまりね、 この作品の真の主人公はさ……」
後方の席では、 古賀悠がスマホを凝視したまま、 独り言をつぶやいている。
画面に表示されているのは、 縦書きの文字の列だ。
「古賀、 何を読んでるの?」
声をかけると、 古賀は眼鏡の奥の目を細め、 にやりと笑った。
「ネット小説。 白峰氏には一生縁のないジャンルだよ」
「そうなんだ。 面白い?」
「面白いよ。 ……まあ、 白峰氏みたいなタイプは、 大体ろくな目に遭わないんだけどね」
意味はよく分からなかったけれど、 古賀が楽しそうだったので、 僕はそれ以上聞かなかった。
「あ、 あの、 白峰くん。 わ、 私、 何班ですか……?」
おずおずと手を挙げたのは、 三枝陽菜さんだ。
小柄で、 いつも申し訳なさそうに背中を丸めている。
「三枝さんは三班。 柚木さんと剛と一緒だよ」
「よ、 よかった……。 ご、 ごめんなさい、 確認させちゃって」
「謝らなくていいよ。 聞いてくれてありがとう」
「ねえ、 みんな、 お昼のおにぎり、 ちゃんと人数分あるからね。 足りなかったら言って」
教室の隅で、 芹沢美咲さんが保冷バッグを開けていた。
ゼミの誰もが、 一度は美咲さんの手料理に救われている。
その隣では、 新井奏さんが、 指先で机を叩きながら小さく歌を口ずさんでいた。
「いいね、 この景色。 歌になる」
わたし、 という一人称がよく似合う、 少し不思議な雰囲気の人だ。
「まあまあ、 合宿なんて適当に流そうぜ。 長いものには巻かれろってね」
吉岡航は、 誰に言うでもなくそう言って、 大きく伸びをした。
十五人。
性格も、 考え方も、 ばらばらの十五人だ。
けれど、 だからこそ面白いのだと、 僕は思っている。
ポケットの中で、 スマホが震えた。
篠原教授からのメッセージだった。
『急用で到着が夕方になります。 白峰くん、 午前の進行をお願いします』
「みんな、 教授は夕方に着くそうです。 午前中は、 僕らだけで課題を進めよう」
そう言った、 その瞬間だった。
床が、 光った。
最初は、 窓から差し込んだ陽光の反射かと思った。
けれど違う。
光は床板の継ぎ目を走り、 円を描き、 幾何学的な紋様を、 僕たちの足元に刻み込んでいく。
「な、 なにこれ……?」
「は? ドッキリ?」
「ちょ、 マジで何!?」
ざわめきが悲鳴に変わる。
光の円は、 研修室の床いっぱいに広がっていた。
ただ一か所、 出入り口の扉の前だけが、 まだかすかに暗い。
考えるより先に、 体が動いていた。
一番近くで立ちすくんでいた三枝さんの腕をつかみ、 扉のほうへ引く。
「三枝さん、 こっちへ!」
「し、 白峰く――」
けれど、 間に合わなかった。
光が、 爆ぜた。
世界が真っ白に塗りつぶされる。
足元の感覚が消え、 上下が消え、 音が消えた。
最後に覚えているのは、 三枝さんの細い手首の、 震える感触だけだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
冷たい。
頬に触れる石の床の冷たさで、 僕は目を覚ました。
まぶたを開けると、 遥か高い天井が見えた。
アーチを描く白い石の柱。
色とりどりのステンドグラス。
そこから降り注ぐ光が、 床の上に淡い虹を落としている。
「……ここは」
体を起こす。
すぐ隣で、 三枝さんが小さく身じろぎをした。
「三枝さん、 大丈夫? 痛いところはない?」
「は、 はい……。 え、 あ、 あの、 ここ、 どこですか……?」
「分からない。 でも、 まずはみんなの無事を確かめよう」
周囲を見渡す。
ゼミの仲間たちが、 石の床のあちこちに倒れていた。
一人、 また一人と目を覚まし、 呆然と辺りを見回している。
十五人。
全員いる。
それを確かめて、 僕はようやく息を吐いた。
「すげえ……マジかよ……」
誰かがつぶやいた。
その声には、 恐怖よりも、 抑えきれない興奮が滲んでいた。
僕たちを取り囲むように、 大勢の人が立っていた。
銀色の甲冑を纏った騎士たち。
白い法衣の神官たち。
そして正面、 数段高くなった壇上に、 ひときわ目を引く人々がいた。
中央に立つのは、 金の冠を戴いた壮年の男性だった。
白いものが混じり始めた髪と、 深い皺の刻まれた目元。
その表情には、 威厳よりも先に、 隠しきれない疲れが滲んでいた。
その隣には、 一人の少女が立っていた。
陽光を編み込んだような金の髪。
凛と伸びた背筋。
青い瞳は、 冷たいほどに静かで、 僕たちを一人ずつ見定めるように見つめていた。
さらに、 黒衣の痩せた老紳士。
傷だらけの甲冑を纏った、 岩のような大男。
そして、 身の丈ほどの杖をついた、 小柄な老婆。
冠の男性が、 ゆっくりと壇を降りてきた。
騎士たちが、 一斉に膝をつく。
男性は、 僕たちの前で足を止め――深く、 頭を下げた。
「異界の若者たちよ。 まずは、 詫びさせてほしい」
ざわり、 と空気が揺れた。
騎士たちの間に、 動揺が走るのが分かった。
王冠を戴く人が、 見ず知らずの若者に頭を下げている。
それがこの世界でどれほど異例のことか、 僕にも、 なんとなく察しがついた。
「余は、 この聖王国アルセリアの王、 レオンハルトである。 そなたたちの同意もなく、 この地へ呼び寄せたこと、 心より詫びる」
「……陛下、 お顔をお上げください」
黒衣の老紳士が、 低い声で言った。
王はそれでも、 しばらく頭を下げ続けてから、 ようやく顔を上げた。
「理由を、 話させてほしい」
王が語ったのは、 こういうことだった。
この大陸の北方に、 魔王を名乗る存在が現れた。
魔王が率いる魔物の軍勢は、 この十年で三つの国を呑み込んだ。
アルセリアもまた、 国境の砦を次々と落とされ、 王都にまで危機が迫っている。
そして、 国が滅びかけたとき、 異界から勇者を招く古の儀式が、 この大聖堂に伝わっていた。
「最後の望みに縋った。 恥ずべきことだと、 分かっている」
王は、 拳を握りしめた。
「元の世界へ帰る方法は、 ある。 だが、 それは魔王城の奥深くに眠る、 古代の門を使わねばならぬ。 ……そなたたちに、 我らと共に戦ってほしいとは言わぬ。 せめて、 この国で、 身の安全だけは約束させてほしい」
静かな声だった。
飾り気のない、 誠実な声だった。
なのに。
「はい出た」
僕の斜め後ろで、 宇佐美が鼻で笑った。
「論理的に言って、 こういう王様は絶対裏があるんだよ。 下手に出て信用させて、 俺たちを戦争の道具として使い潰す気だ。 テンプレだよ、 テンプレ」
「宇佐美」
僕は思わず振り返った。
「失礼だよ。 この人は、 今、 僕たちに頭を下げてくれたんだ」
「白峰、 君はおめでたいね。 演技に決まってるだろ」
「演技かどうかは、 話を聞いてから判断しても遅くないと思う」
僕は王に向き直り、 頭を下げた。
「仲間が、 失礼なことを言いました。 申し訳ありません」
「……いや。 疑うのは当然のことだ」
王は、 わずかに目を見開いてから、 静かに首を横に振った。
「陛下。 僕たちは、 正直まだ何も分かっていません。 だから、 もっと詳しく話を聞かせてください。 何ができて、 何ができないのか。 それを知ってから、 自分たちで考えたいと思います」
王の隣で、 金の髪の少女が、 ほんの一瞬だけ、 僕を見た。
冷ややかな青い瞳の奥で、 何かがかすかに揺れたように見えた。
けれど彼女は、 すぐに視線を外してしまった。
「白峰氏、 こういうときにそういうこと言うの、 マジで委員長ムーブだよね」
後ろで古賀が、 呆れたようにつぶやいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「では、 鑑定の儀を執り行おうかねぇ」
杖をついた小柄な老婆が、 しわがれた声で言った。
宮廷魔術師長のヴェルダ、 と名乗ったその人は、 大聖堂の中央に据えられた白い石の台座を、 杖の先で軽く叩いた。
台座の上には、 水晶のように透き通った板が浮かんでいる。
「異界から招かれた者には、 神様から職業が授けられる。 この鑑定板に手を置けば、 それが分かるって寸法さ。 怖がらなくていい。 痛くもかゆくもないよ」
ヴェルダさんは、 皺だらけの顔で笑った。
「さあ、 誰からでもいいよ」
ゼミの仲間たちが、 互いに顔を見合わせる。
その空気の中で、 最初に一歩を踏み出したのは剛だった。
「じゃあ、 俺から行くわ。 難しいことは分からんが、 こういうのは先にやったほうが楽だろ」
剛が鑑定板に分厚い手のひらを当てる。
板が、 淡い青に光った。
【職業:重騎士】
「重騎士……。 盾か。 俺っぽいな」
剛は自分の手のひらを見つめて、 照れくさそうに頭をかいた。
騎士たちの間から「おお」と感嘆の声が上がる。
重騎士は、 守りに秀でた上級の職業らしい。
「次、 オレ行くっしょ!」
小田切が、 待ちきれないとばかりに台座へ駆け寄った。
板が、 緑色に光る。
【職業:テイマー】
一瞬、 小田切の顔が固まった。
けれど次の瞬間、 その口元が大きく吊り上がった。
「テイマー! マジか、 これ当たりっしょ!」
「小田切くん、 テイマーって?」
三枝さんがおずおずと尋ねると、 小田切は得意げに胸を張った。
「魔物を手懐けて戦わせる職業。 テイマーはさ、 魔物さえ集めりゃ最強の軍団なんだよ。
最初は外れ扱いされて追放されるけど、 そっからが本番なわけ。 マジでテンプレ通りっしょ」
「……次は、 俺だ」
宇佐美が、 眼鏡を押し上げながら進み出た。
板が、 深い紫に光った。
【職業:賢者】
神官たちが、 どよめいた。
賢者は、 あらゆる知識と魔法に通じる、 稀少な職業なのだという。
「当たり。 論理的に言って、 これ以上の職業はないね」
宇佐美は満足げに唇を歪めた。
「現代知識で内政チート確定。 文明レベルの低い国なんて、 俺の知識だけで十分回せる。
この国、 俺が回してやるよ」
次に台座の前に立ったのは、 澪さんだった。
小さな手のひらが、 そっと板に触れる。
柔らかな、 若葉のような色の光が灯った。
【職業:薬師】
「薬師……」
澪さんは、 その文字をじっと見つめた。
後ろのほうで、 誰かが「地味」と笑うのが聞こえた。
けれど、 澪さんは、 少しも気にした様子を見せなかった。
「……人を治せるなら、 それでいい」
小さく、 けれどはっきりと、 そう言った。
その横顔を見て、 僕はなぜか、 少しだけ誇らしい気持ちになった。
「はいはーい、 次あたし!」
姫野さんが、 弾むような足取りで台座に駆け寄った。
板が、 明るい橙色に光る。
【職業:錬金術師】
「え、 なにこれ、 錬金術師? ウケる!」
姫野さんは手を叩いて笑った。
「てことはさ、 ポーションとか作れるわけじゃん?
ポーション作って、 可愛いカフェやって、 スローライフでしょ。
そういうの、 楽勝で稼げるやつじゃん。 映えるし、 最高!」
続いて台座に向かったのは、 桐生だった。
誰とも目を合わせず、 音もなく歩み寄り、 無言で手を置く。
板が、 墨を流したような黒に染まった。
【職業:暗殺者】
騎士たちの間に、 かすかな緊張が走った。
桐生は、 前髪の奥で、 ほんのわずかに口角を上げた。
「……暗殺者は、 勇者より強い」
誰に向けたともつかない、 低い声だった。
「影から、 全部を操る。 それが、 最強なんだ」
「えー、 次、 莉愛ね!」
花菱さんが、 くるりと髪を揺らして台座に手を置いた。
板が、 甘い桃色に光る。
【職業:魅了術師】
「魅了術師だってー! えー、 莉愛にぴったりじゃない?」
花菱さんは、 頬に両手を当てて、 うっとりと目を細めた。
その視線は、 壇上の若い騎士たちのほうへと流れていく。
「魅了とかさー、 これ絶対、 貴族のイケメンに見初められるやつでしょ? 莉愛、 王妃ルートかなー?」
「ウッス、 次、 俺っす」
堂島が、 肩を回しながら台座に手を叩きつけた。
板が、 燃えるような赤に光った。
【職業:狂戦士】
「狂戦士! 志賀さん、 バーサーカーっすよ、 バーサーカー!」
堂島は振り返って、 志賀に向かって拳を突き上げた。
「バーサーカーって、 理性捨てるほど強えんだろ? 考えなくていいとか、 最高じゃないっすか」
その後も、 鑑定の儀は続いた。
古賀は【鑑定士】だった。
「物の価値や、 人のステータスを見抜く職業か。 ……まあ、 解説役ってことだね。 お約束でしょ」
本人は、 意外とまんざらでもなさそうだった。
三枝さんは【結界師】。
「わ、 私なんかが、 守る職業なんて……。 ご、 ごめんなさい」
「謝ることなんてないよ、 三枝さん。 すごく大事な力だと思う」
僕がそう言うと、 三枝さんは真っ赤になってうつむいた。
奏さんは【吟遊詩人】。
「いいね、 それ。 歌になる」
いつもの調子でそう言って、 板に浮かぶ文字を、 愛おしそうに指先でなぞっていた。
美咲さんは【料理人】。
「ふふ、 よかった。 これで、 みんなにちゃんとご飯を食べさせてあげられる」
その笑顔に、 張り詰めていた空気が、 ほんの少しだけ和らいだ。
吉岡は【弓兵】。
「まあまあ、 普通ってとこか。 ま、 目立たないのが一番安全だしな」
肩をすくめて、 さっさと列に戻っていった。
そして。
「――俺の番だな」
志賀が、 ゆっくりと台座の前に立った。
大聖堂の視線が、 自然と彼に集まる。
志賀は、 その視線を楽しむように一度周囲を見回してから、 鑑定板に手を置いた。
板が、 青白い光と黒い光を、 交互に明滅させた。
【職業:魔剣士】
どよめきが、 大聖堂を揺らした。
「魔剣士……!」
「剣と魔法、 両方を極める上位職だぞ……!」
騎士たちの驚嘆の声に、 志賀は、 満足げに目を細めた。
「上位職、 キタ」
志賀は鑑定板から手を離し、 その手のひらを強く握りしめた。
「見てろよ。 ここからが、 俺の物語だ」
そして、 残ったのは、 僕一人だった。
「最後は、 あんただね」
ヴェルダさんが、 杖の先で台座を示した。
僕は小さく息を吸って、 一歩、 前に出た。
鑑定板の前に立つ。
透き通った板の向こうに、 ゼミの仲間たちの顔が見えた。
剛が、 太い親指を立てている。
澪さんが、 小さくうなずいている。
志賀が、 薄く笑っている。
僕は、 そっと手のひらを板に重ねた。
最初は、 何も起こらなかった。
一秒。
二秒。
大聖堂が、 しんと静まり返る。
そして――板が、 金色に輝いた。
目を焼くほどではない。
けれど、 夜明けの最初の光のように、 柔らかく、 温かく、 どこまでも澄んだ金色だった。
光は大聖堂の隅々にまで満ち、 ステンドグラスの虹さえも、 その色に溶けていく。
浮かび上がった文字を、 僕は、 ただ見つめた。
【職業:勇者(候補)】
そして、 冒頭の、 あの瞬間に至る。
地鳴りのような歓声。
膝をつき、 祈りを捧げる騎士たち。
涙を流す神官たち。
壇上の王が、 震える手で口元を覆うのが見えた。
その歓声の中で、 背後から聞こえた声。
「……いや、 それ違うでしょ」
志賀だった。
彼は腕を組み、 心底おかしそうに肩を揺らしていた。
「はいテンプレ。 マジでテンプレ通りすぎて笑えるわ」
「……テンプレ?」
「お前みたいな優等生の委員長が勇者に選ばれるのはな、 噛ませ枠って決まってんだよ。
序盤だけちやほやされて、 途中で化けの皮が剥がれる。
しかもよく見ろよ、 候補って書いてあんだろ。
つまり、 本物じゃねえってことだ。 どうせエセ勇者なんだよ。
本物の主人公は、 別にいるパターン」
志賀は、 自分の胸を親指で叩いた。
それが誰を指しているのかは、 言われなくても分かった。
「まあ、 志賀の言い方はアレだけどさ」
古賀が、 眼鏡を押し上げながら口を挟んだ。
「最近の流行りだとね、 白峰氏みたいな正統派の勇者って、 大体が悪役か踏み台なわけ。
で、 最初は外れ職っぽく見える奴が、 実は真の主人公。 お約束でしょ。
しかも、 わざわざ『候補』って出てるあたり、 もう露骨だよね。
公式に『こいつは本命じゃありません』って言われてるようなもんだし」
「そうそう、 ゼミ長、 ドンマイっしょ」
小田切が、 にやにやと笑う。
花菱さんと姫野さんが、 顔を見合わせてくすくすと笑った。
僕は、 もう一度、 鑑定板を見た。
勇者。
そして、 候補。
僕は、 ネット小説をほとんど読んだことがない。
アニメも、 有名な作品をいくつか知っている程度だ。
だから、 志賀や古賀の言う「テンプレ」が、 どれほど確かなものなのか、 僕には判断できなかった。
ただ、 詳しい人たちがそう言うのなら、 そういうものなのかもしれない。
それに、 候補という言葉には、 確かに、 本命が別にいるような響きがあった。
僕は、 真剣に考えて、 それから、 素直に尋ねた。
「……そうなのか?」
一瞬、 その場の空気が止まった。
「候補ってことは、 本当の勇者は、 別にいるのかもしれないってことだよね。
だったら、 僕の職業は、 本当は何なんだろう。
その人の邪魔をしないためにも、 間違っているなら、 ちゃんと知っておきたいんだけど」
志賀が、 ぽかんと口を開けた。
古賀が、 眼鏡をずり落としかけた。
そして、 僕のすぐそばで。
「……ふ」
澪さんが、 口元を押さえて、 小さく吹き出した。
あの澪さんが、 笑っていた。
「柚木さん?」
「……ごめん。 白峰くんらしいな、 と思って」
澪さんは、 それだけ言って、 ふいっと顔をそらしてしまった。
剛が、 腹を抱えて笑い出す。
「ガッハッハ! 陽翔、 お前、 本気で聞いてんのか!」
「え、 うん。 本気だけど……」
壇上で、 金の髪の少女が、 じっと僕を見ていた。
その青い瞳に浮かんでいたのは、 冷たさでも、 歓喜でもなかった。
まるで、 測りかねている、 とでも言うような。
そんな、 不思議な色だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
夜の大聖堂は、 昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
月明かりが、 ステンドグラスを通して、 石の床に青白い影を落としている。
その中央、 鑑定板の置かれた台座の前に、 杖をついた小さな影が一つ、 佇んでいた。
ヴェルダは、 皺だらけの指で、 鑑定板の縁をそっとなぞった。
「……『候補』、 ねぇ」
宮廷魔術師長として、 五十年。
異界からの召喚にまつわる古文書は、 一字一句に至るまで、 すべて読み込んできた。
三百年前、 最後に召喚された勇者の記録も、 その前の勇者の記録も。
歴代の勇者は、 皆、 召喚されたその瞬間から【勇者】だった。
ただの一度も。
ただの一人も。
「候補」などという但し書きを付けられた勇者は、 存在しなかった。
職業とは、 神が定めるものだ。
生まれ落ちたその瞬間、 あるいは召喚されたその瞬間に、 すでに決まっている。
神が選びかねるなど、 あるはずがない。
――あるはずが、 ないのだ。
「神様が迷ってるのかい。 それとも……」
ヴェルダは、 そこで言葉を切った。
脳裏をよぎったのは、 擦り切れた古文書の片隅に、 誰かが書きつけた一節だった。
意味が分からず、 長い間、 読み流してきた言葉。
――勇者を選ぶは、 天にあらず。
「……まさかねぇ。 神様が、 誰かに選ばせようとしてる、 なんてことは」
老婆は、 自嘲するように小さく笑った。
「あの坊や、 いったい何者だい」
そのつぶやきは、 誰に届くこともなく、 夜の大聖堂に溶けていった。
鑑定板は、 何も答えない。
けれど。
月明かりの中で、 その透き通った表面に残る、 かすかな文字の痕跡が。
「候補」の二文字だけが。
ほんのわずかに、 金色に、 明滅していた。




