第75話:正妻の宣告と、光の騎士
王都へ戻り、久しぶりに足を踏み入れた学園の自室。
本来なら旅の疲れを癒やすべく、ベッドにダイブして泥のように眠りたいところなのだが……俺の目の前には、極寒のブリザードが吹き荒れていた。
「……で? お兄様。そろそろ『本当のこと』をお話しいただけますよね?」
腕を組み、一切の光を宿さない漆黒の笑顔を浮かべるシーナ。
そしてその隣には、顔を真っ赤にして視線を泳がせているセリーナさんの姿があった。
ついに恐れていた、恐怖の首脳会談(修羅場)の開戦である。
「ええと、その……」
「海を渡る船の上で、毎晩のようにセリーナお母様のお部屋に通い詰めていたというお話ですが」
逃げ場はない。シーナの背後には、完全に退路を塞ぐようにクロエも立っている。
俺は観念して、重い口を開いた。
「……はい。事実です。その、俺にとってセリーナさんは初恋の人でしたし……そういう関係になれたことは、男として純粋にすごく嬉しかったです」
俺が正直に白状すると、セリーナさんは「ひゃうっ」と可愛らしい悲鳴を上げて両手で顔を覆った。
「で、でもねシーナ! お母さん、別にケント君の正妻や側室になりたいって言ってるわけじゃないのよ!?」
「ほう? では、どういうおつもりで?」
実の娘からの絶対零度の追及に、セリーナさんはしどろもどろになりながらも、大人の女性としての本音をこぼした。
「わ、私は、ケント君と結婚とか恋人同士になりたいわけじゃなくて……その、好きなんだけど、あくまで『大人の付き合い』というか……たまに、二人きりでデートとかして甘やかしてくれたら、それだけで十分嬉しいかなぁ、なんて……。もちろん、ケント君の婚約者はシーナだって分かってるし、邪魔するつもりは一切……」
尻すぼみになっていくセリーナさんの言い訳。
実質的な「都合のいい愛人宣言」である。娘の婚約者に手を出し、あわよくばこれからも美味しいところだけ頂きたいという、倫理観の欠如したド直球の欲望。
だが、熟女好きの俺としては、そんな関係が続くなら万々歳なのも事実だった。
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
やがて、シーナは「はぁぁぁぁっ……」と、地の底から響くような特大のため息を吐いた。
「……わかりました。そこまで正直に言われたら、今の私には止める権利はありません」
「シ、シーナ……?」
「でも、お兄様?」
シーナはスッと目を細め、俺のネクタイをグイッと掴んで顔を近づけてきた。
その瞳の奥には、正妻としての圧倒的な凄みと執念が燃え盛っている。
「私とクロエが十八歳になって『成人』するまでは、年上の三人(ザラ、レナ、セリーナ)にお任せします。……でも、私たちが成人したら、一切の遠慮はしませんから。その時はお兄様、覚悟してくださいね?」
――ヒッ。
俺は思わず引きつった笑みを浮かべ、何度も激しく首を縦に振った。
「……ねえ、クロエ。アタシ達はなんでこんな、クズい人好きになっちゃったんだろうね?」
「まったくねえ。おまけに熟女好きの狂犬だし。でも好きなんだから仕方ないわよね。惚れた弱みって奴よね」
こうして俺の首の皮は、シーナの慈悲(という名の期限付きの宣戦布告)によって、ギリギリ一枚で繋がったのだった。
翌日。
長期不在による授業日数の不足により、俺はあっさりと『留年』が確定した。
とはいえ、すでに男爵から伯爵へと成り上がり、国家事業をいくつも動かしている俺にとって、学園の成績などどうでもいい。
問題は、俺が放り込まれた新しいクラスに、あの『ツキヒメ』がいたことだった。
「…………」
教室の最後列。窓際の席で、ツキヒメは幽鬼のように虚ろな目を落としていた。
対外的には『アマテラスからの普通の留学生』という扱いになっているが、彼女自身はそうはいかない。自分の傲慢さが国を滅ぼしかけ、多くの民を戦火に巻き込もうとしたという事実を叩きつけられ、今更ながらに深い罪悪感に苛まれているのだ。
(まあ、俺的にはどうでもいいけどな)
むしろ「ざまあみろ」とすら思っている。どうせ俺は、熟女好きのクズな狂犬なのだ。俺に敵対し、アマテラスを売ろうとしたガキに同情するほどお人好しではない。
だが、そんな俺の冷ややかな態度を許してくれない厄介な連中がいた。
「頼むよケント。お前がツキヒメを嫌いなのは重々分かってるけどさ、トキマルのために、何か考えてやってくれないか?」
放課後の王城。俺を呼び出した次期国王のシャルは、ひどく真剣な顔で頭を下げてきた。
いや、真剣な顔なのだが、その隣には護衛として付き従う『櫻師範』がいて、二人の間には隠しきれない甘酸っぱい空気が漂っていた。櫻師範に至っては、俺と目が合うたびに「べ、別にアタシとシャルはそんな関係じゃないんだからね!」という顔をして赤面している。
控えめに言って、思い切り顔面を殴ってから、鼻フックしてやりたいくらいイラつく空気だった。
「……トキマルのため、ですか」
「ああ。あの子、学園に入学できる十二歳になるまで王宮で教育を受けてるんだけど、必死に頑張りながらも、ずっと姉のツキヒメを案じてるんだ」
次期国主として懸命に学ぼうとするトキマル。だが、外患誘致という大罪を犯した姉を、彼が公の場で庇うことは絶対に許されない。そのジレンマに、幼い彼は一人で思い悩んでいるらしい。
「あいつの心労を減らすためにも、ツキヒメに学園での『居場所』を作ってやってほしいんだ」
……ったく。イチャついてる親友の頼みとあっちゃ、無下に断るわけにもいかないよなぁ。
というわけで、俺は放課後、暗い顔で帰ろうとするツキヒメの首根っこを掴み、強制的に『生活魔法研究会』の部室へと引きずり込んだ。
まずは同年代の友人を、ということで、俺のダンジョンアタックのパーティメンバーを引き合わせることにしたのだ。
「紹介する。アマテラスからの留学生のツキヒメだ。仲良くしてやってくれ」
俺がツキヒメを前に押し出すと、部室にいた女子三人の目の色が変わった。
「留学生……ですか。ふぅん、随分と可愛らしいお顔立ちですね(お兄様に近づく泥棒猫じゃないでしょうね)」
「アタシの方がずっと大人っぽくて魅力的だし! ケントの視線は釘付けだし!」
「その通りですクロエ様! ぽっと出の小娘なんぞに負けません!」
警戒心むき出しで牽制してくるシーナ。
なぜか胸を張って無駄なマウントを取ってくるクロエ。
そしてクロエの言葉を全肯定して崇拝の眼差しを向けるボーラ。
「…………」
俺は深く頭を抱えた。
よくよく考えたら、俺の周りには『ポンコツ』しかいなかった。
これではツキヒメに居場所を作るどころか、精神的なプレッシャーで完全にトドメを刺してしまう。ツキヒメも、圧倒的なアウェー感に身をすくませ、今にも泣き出しそうな顔で後ずさっていた。
ああ、もうダメだ。やっぱりこんな売国姫の面倒なんて見るんじゃなかった。
そう諦めかけた、その時だった。
「おっ! 君がアマテラスから来たっていう留学生かい?」
部室の奥で作業着を着て汗を流していた少年が、パッと顔を輝かせて歩み寄ってきた。
ボサボサの髪に、人懐っこい笑顔。俺の親友であり、この世のすべての善意を煮詰めたような光の騎士、ジョエルだ。
「僕はジョエルっていうんだ。よろしくな!」
裏表の一切ない、純度百パーセントの爽やかな笑顔。
ツキヒメはビクッと肩を震わせ、力なく目を伏せた。
「……わたくしは……あなたたちと、気安く話せるような身分では……」
「お、どうした? 緊張してるのか、後輩」
『自分は罪人だ』という意識から、上手く言葉を返せないツキヒメ。
だが、ジョエルはそんな彼女の暗いオーラなどお構いなしに、ニコリと笑ってぐいっと距離を詰めた。
「せっかくこの部室に来たんだ、生活研究会で一緒にやろうぜ! ほら、ちょっとこれ見てくれよ」
ジョエルが指差したのは、部屋の隅で組み立てかけになっている二台の奇妙な木製のカートだった。
車輪がついており、上部には鉄の板や大きな鍋がセットできるようになっている。
「今、オリヴィア先生やケントのアイデアを借りて、『魔法陣による鉄板焼き屋台』と『スープ用屋台』を作ってるんだ。魔力さえ流せば火が使えるようにしてさ」
「屋台……?」
「ああ。これができれば、アイツラが街の広場で屋台を出して、自分たちで稼げるようになるんだよ」
目を輝かせて語るジョエルに、ツキヒメは不思議そうに首を傾げた。
「……アイツラって、誰ですか?」
「うちの孤児院のガキどもだよ」
ジョエルはカートの木枠を優しく撫でながら、真っ直ぐな瞳で言った。
「うちは今でこそ、ケントやクロエのおかげでアイツラの飯も良くなったし、生活も楽になった。でも、ただ施しに甘えるだけじゃダメなんだ。あいつらが将来、自分たちの力で生きていけるように、自分たちで稼ぐ方法も考えないといけないからさ」
その言葉に、ツキヒメは息を呑んだ。
国を売り、民を見捨てようとした自分とは真逆の存在。
貧しい男爵家の生まれでありながら、自分の手の届く範囲の『民(孤児たち)』を救い、自立させようと愚直なまでに泥水に塗れて足掻く男。
「でも、僕だけじゃ魔法陣の組み込みが上手くいかなくてさ……」
ジョエルは照れくさそうに笑い、ツキヒメに向かって、そっと手を差し伸べた。
「良かったら、一緒に魔法陣のこと、考えてくれないか?」
それは、あまりにも無知で、優しすぎる誘いだった。
アマテラスから来たツキヒメに、ノキアの魔法陣の知識などあるわけがない。ジョエルもそれは分かっているはずだ。
それでも彼は、『一緒に考えよう』と言った。彼女の過去も、知識の有無も関係ない。ただ、ここで一緒に生きていくための『居場所』を与えようとしてくれたのだ。
「わたくし……っ……」
ツキヒメの大きな瞳から、ポロリと大粒の涙が零れ落ちた。
彼女は震える両手で、差し出されたジョエルの無骨な手を、すがるように強く握り返した。
(……すげえな、やっぱりあいつは、カッコイイや)
策を弄し、敵を容赦なく叩き潰し、女の尻ばかりを追いかけているクズ狂犬の俺とは大違いだ。
あんな混じり気のない眩しい光を見せられたら、すべてを失った少女が落ちないわけがない。
部室の片隅で。
愚直に国と民を想う男爵家の息子と、国を売り飛ばそうとした罪深き姫君の間に、取り消すことのできない巨大な恋愛フラグが突き刺さった瞬間だった。




