第73話:新たな光と、戸籍ロンダリング
王都での慌ただしい事後処理と、厄介な貴族たちへの挨拶回りを終えた俺は、ルミナス領へと足を運んでいた。
目的は、アマテラスからの移住者五百人を受け入れる『アマテラス特区』の建設だ。
先行して海府から船で到着していた朧の姐さんたちと合流し、ルミナス侯爵が用意してくれた広大な土地の視察と区画整理の指示を出す。
十日ほどはこちらに滞在して基盤を固める予定だ。その間の俺の寝泊まりの場所は、ルミナス領に隣接する義父・ギデオンの治めるバルガス伯爵領の屋敷となっていた。
「いやあ、大掛かりな普請になるねぇ。これならアタシらも不自由なく商売と暮らしができそうだ」
「姐さんにはここの顔役を任せるからな。職人たちが仕事に集中できるように、変な横槍が入ったら俺の名前を使っていいから徹底的に弾いてくれ」
「任せときな。アタシらもこの街を第二の故郷にするつもりで骨を埋めるさ」
特区の現場で朧と頼もしい握手を交わし、俺は夕暮れの道をバルガス伯爵邸へと向かった。
久しぶりに帰ってきたバルガス邸。
玄関をくぐると、執事のセバスが「おかえりなさいませ、ケント坊ちゃま」と、以前と変わらぬ――いや、俺が男爵から伯爵に昇爵したことで、さらに恭しさの増した完璧な礼で迎えてくれた。
「ただいま、セバス。義父上と母さんは居るか?」
「はい。奥の居間でお待ちかねでございます」
セバスの案内に従い、居間の扉を開ける。
そこには、俺が全く予想していなかった、衝撃的な光景が広がっていた。
「……えっ?」
暖炉の火がパチパチと爆ぜる温かい部屋の中。
ソファーに座る母さん――ニナの腕の中には、真っ白なおくるみに包まれた『小さな赤ん坊』が抱かれていた。
そして、あの筋骨隆々で厳めしい義父上が、その小さな命を壊れ物でも扱うように恐る恐る覗き込み、目尻をデロデロに下げてだらしなく微笑んでいたのだ。
「おお、ケント! 帰ったか!」
「ケント、おかえりなさい。……ほら、あなたにそっくりの、元気な男の子よ」
俺がポカンと立ち尽くしていると、母さんが幸せそうに微笑んで、腕の中の赤ん坊を俺の方へと差し出した。
「お、俺がいない間に……弟が、生まれたのか……?」
俺は震える義手で、その小さな、本当に小さな体をそっと受け取った。
すやすやと眠る赤ん坊。俺の指を、小さな手がギュッと無意識に握り返してくる。その確かな温もりと重みに、俺の胸の奥で何かが弾けた。
「名前は、クリスだ」
義父上が、誇らしげに、そして少し照れくさそうに言った。
クリス。
理不尽な身分制度とクズのような実父のせいで、泥水をすするような思いをしてきた母さんが、ようやく手に入れた本当の幸せの結晶。
俺は、腕の中の新しい家族――新しい光を見つめながら、絶対に、何があってもこの子と母さんを守り抜くと、心の底から誓った。
「……クリス。いい名前ですね」
俺が微笑むと、義父上も母さんも心底嬉しそうに笑った。
その夜。
母さんがクリスを寝かしつけた後、俺は義父上の私室である執務室に呼ばれた。
「ケント。お前に折り入って話がある。……家督のことだ」
義父上は真剣な顔で、分厚い羊皮紙の束を机の上に置いた。
おそらく、バルガス家の資産や領地に関する書類だろう。
「クリスが生まれた。だが、私の決意は変わらん。このバルガス伯爵家は、長男であるお前に継いでもらうつもりだ。……そして、ゆくゆくはお前の子にバルガスを継がせ、クリスには、バルガス家が持つ別の爵位か領地を与えてお前の与力にさせようと思っている」
……は?
俺は思わず、持っていた酒杯を落としそうになった。
「いやいやいや! 義父上、何を言ってるんですか!?」
「何って……お前を養子に迎えた時、バルガス家はお前に任せると誓っただろう。私は一度口にした約束を違えるつもりはない」
大真面目な顔で言い切る義父上。
この男は、本物の馬鹿だ。いい意味で、どうしようもないくらい愚直な不器用男なのだ。
血の繋がった実の息子が生まれたというのに、一度交わした「俺を跡継ぎにする」という約束を意地でも守ろうとしている。
「義父上。俺、王家から直々に『ヴォルガン伯爵』っていう爵位と領地を貰っちゃってるんですよ? 俺がバルガス家まで継いだら、不自然すぎる権力集中で他の貴族から絶対横槍が入りますって」
「むぅ……それならば、お前がヴォルガン家を継ぎ、お前の次男あたりにバルガスを……」
「だから! クリスという立派な実子がいるのに、なんで俺の子に継がせようとするんですか!」
融通の利かない義父上に、俺は呆れ果てて深い溜息を吐いた。
だが、その馬鹿正直さがたまらなく好ましく、嬉しかった。俺みたいな得体の知れない平民上がりのガキを、血の繋がった息子以上に大事に思ってくれている証拠だからだ。
「……義父上。バルガス家は、クリスが継ぐべきです。俺はヴォルガン家を立てますから」
「しかし……」
「クリスの正式な出生届は、まだ王城に出していませんよね?」
俺が鋭く指摘すると、義父上はギクリと肩を震わせ、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ああ……。ニナは、ガルドの件での連座は特例で免れたとはいえ、平民であり、元は大罪人の側室だったという経歴が残っている。そんな彼女を正式な妻とし、その子を嫡男として届け出れば、必ず王都の貴族どもから『バルガス家の血を汚す気か』と難癖をつけられる。だから、事後処理が落ち着くまで届け出を保留にしているのだ……」
貴族社会の面倒くさい血統主義。
母さんの身分が、クリスの未来の足枷になっているのだ。義父上が俺に家督を譲ろうとしていた本当の理由は、約束を守るだけでなく、クリスが貴族社会で不当な扱いを受けるのを恐れたからでもあった。
「義父上。俺に任せてください。」
俺は悪どい笑みを浮かべ、執務室を後にした。
翌日。俺は特区の視察に来ていたルミナス侯爵の滞在先を訪ねた。
王都を出発する前、俺が「お前がびっくりすることもある」と不敵に笑っていた侯爵の顔を思い出す。
「……知ってましたね? 侯爵」
「わはははは! 驚いたろう、ケント。まさかお前が海を渡っている間に、弟ができるとはな!」
腹を抱えて笑う侯爵に、俺はジト目を向けた。
「ええ、本当に驚きましたよ。……だから、手を貸してください」
「クリスの件だな?」
侯爵はピタリと笑いを止め、為政者の鋭い目つきになった。
「ええ。俺はヴォルガン家を立てるという名目で、義父上との養子縁組を『円満に解消』します。そして、母さんを侯爵派閥の有力な寄子の家の『養女』にしてください」
「ほう……」
「大罪人の元側室ではなく、立派な由緒ある貴族の令嬢として身分を洗浄するんです。その上で、義父上と母さんを正式に『貴族同士の婚姻』として結ばせる。……そうしてから、『弟』が生まれたということにすれば、血統や身分に関して誰も文句は言えませんよね?」
前世の社畜時代に培った、法律の抜け穴を突く悪魔の戸籍ハック。
その完璧なロジックを聞き、侯爵はニヤリと口角を吊り上げた。
「……フム。やはりそれが一番手っ取り早く、確実だな。よかろう、私の息のかかった家を一つ用意してやろう。見え見えではあるが、形さえ作っておれば、今の我が派閥なら文句も出まい」
「ありがとうございます。これでクリスは、誰もが認めるバルガス家の正当な嫡男になれます」
俺が頭を下げると、侯爵は意地悪そうに目を細めた。
「しかし、お前と養子縁組を解消したら、あのギデオンのことだ。酷く寂しがりそうだがな?」
実の息子のように可愛がっていた俺が、戸籍上はただの『他家の当主』になってしまう。あの親バカな義父上のことだ、俺との繋がりが切れると思って本気で泣き出すかもしれない。
俺は肩をすくめ、わざとらしくため息をついた。
「何言ってるんですか。義父上は俺の母さんと結婚するんですから、義理の父親であることに変わりはないでしょう。……私は、公式な場はともかく、いつだってあの人を『親父』だと思ってますよ」
俺の言葉に、侯爵は一瞬目を丸くした後、嬉しそうに「ふっ……そうか」と笑った。
数日後。
俺の筋書き通り、ニナ・バルガスの身分は完璧に白く塗り替えられ、ギデオンとの盛大な、そして正式な結婚が発表された。
そしてその直後、バルガス伯爵家の正当なる『嫡男』――クリス・バルガスの誕生が、王家に向けて高らかに報告されたのだった。




