#110:真の所有者?【指輪の過去編・夏樹視点】
いつも読んで頂いて、ありがとうございます。
いよいよ、指輪の見せる過去編での山場が始まりました。
夏樹視点でお送りします。
ショックのあまり気を失った夏樹が、目覚めてみれば……
蘇る意識の中で、自分が寝ている事に気づいた。ゆっくりとまぶたを開く。ぼんやりと見えたのは、愛しい人の心配そうな顔。
私が彼の方へ手を伸ばすと、彼がその手を掴んで強く握った。「夏樹」と彼の口から優しくこぼれると、胸が疼いた。その時、彼の後ろにもう一人の顔が見えた。私はその顔を見た途端、記憶が蘇った。
祐樹さんは、浅沼さんの息子で……、私の父は、浅沼さんかも知れなくて……。
私はこれ以上、何も考えられなかった。
「夏樹ちゃん、大丈夫かい?」
浅沼さんも祐樹さんと同じように、心配そうな顔で尋ねる。私は顔を背けたくなった。
どんな顔をして、浅沼さんと顔を合わせればいいのか。
それでもわずかに残った理性が、かろうじて無理に作った笑顔を張り付けた。
「だ、大丈夫です」
そう言いながら、私は体を起しかけた。祐樹さんが「無理するな」と肩に手をかけたけれど、大丈夫だからと起き上がった。
「それにしても、夏樹が親父たちと知り合いだったなんてな。驚いたよ」
祐樹さんは私の顔を見て、クスリと笑って言った。
「ご、ごめんなさい」
「いや、俺こそ何も言わなくて、ごめんな」
その言葉に、また心の中のドロドロとした不安の塊が込み上げる。
知っていたら……。祐樹さんが浅沼さんの息子だと知っていたら……。
もうそんな事、関係無い。
出会ったこと自体が間違いなのだから。
私はいつの間にか俯いて唇を噛みしめていた。
「夏樹、やっぱり気になるか? 俺が浅沼の息子だと……」
どう答えたらいいの?
祐樹さんも浅沼さんも、私が娘かもしれない事なんて、知らないのに……。
今すぐ、消えてしまいたい。
「夏樹ちゃん、以前から言っているだろう? 夏樹ちゃんに是非ウチへお嫁に来て欲しいって。お母さんにいろいろ言われている事も、気にする事無いよ。娘が幸せなら、きっと許してくださるから……」
浅沼さんの言葉は、優しいはずなのに、今の私には胸が苦しくなるばかりだ。
何か言わなきゃ……。俯いたまま黙っていたら、心配をかけてしまう。
「あ、ありがとうございます。でも、やっぱり、少し考えたいので……、今日はこれで帰らせてもらいます。せっかくお招きいただいたのに、すいません」
そう言いながら、私はベッドから足を出し、下におろして立ち上がろうとした。私の言葉に祐樹さんは慌てて、「何言っているんだよ」と私の肩に手をかけて、またベッドへ座らせた。
「夏樹は、俺自身を見てくれないのか? 俺のバックが気になって、俺まで嫌になるのか?」
違う、違う。たしかに、祐樹さんが御曹司だと言うだけなら、母の時と違って、ご両親も賛成してくださるだろうから、乗り越えられたかも知れない。
でも……どうしたらいいの?
ここで、祐樹さんは御曹司だから嫌だと言った方がいいのだろうか?
「祐樹、夏樹ちゃんが困る様な事、聞くなよ。夏樹ちゃんだって辛いんだよ」
浅沼さんは優しく、私を庇って息子を諭してくれた。
「わかっているよ。でも、来たばかりなのに帰るなんて言うから……。それに、考えるなら、二人で一緒に考えた方が、良い答えが出ると思うよ。夏樹一人で考えたら、悪い方へばかり考えるだろ?」
祐樹さんは私の顔を覗き込むように言った。
でも……、いくら二人で考えても、この事実は変えられないもの。
「夏樹ちゃん、最初は私達の誘いに来てくれる事になっていたのだから、丁度いいじゃないか。雛子も昼食の用意をしているから、食べるだけでもどうだい?」
ダメだ……。
私がこんな顔して落ち込んでいたら、余計に心配をかけるだけだ。
今日は、今日だけは、何とかやり過ごして、それから考えよう。
今日だけは、忘れよう。忘れていよう。
今日は、誕生日なのだから。
「はい。それじゃあ、お昼だけご馳走になります」
「お昼だけ? 夏樹ちゃん、以前話したパティスリーAのバースディケーキも用意してあるんだよ。三時のティータイムまでいなくちゃ……」
そう言って、浅沼さんは優しく笑った。
「ええっ! パティスリーAのケーキですか!!」
私はさっきまで頭の中を占めていた悲観的な思いが消えて、一気に有名なフルーツ一杯のホールケーキに塗り替えられた。
そんな私を見ていた祐樹さんが、プッと噴き出すと、「やっぱり夏樹だ」と笑いだした。浅沼さんもクスクスと笑っている。
あ……バカバカ、私。
こうして浅沼さんとスイーツの話をすると、今私が思っている事は全て夢の様な気がする。
私の勝手な思いこみかもしれない……。それに、こんな大きな会社の社長さんが父親のはず無いじゃない。私が勝手に誤解して思いこんだだけだって……。
「そう言えば……、このネックレス、夏樹ちゃんのかな? 玄関前に落ちていたんだけど……」
浅沼さんはズボンのポケットからチェーンを出して、右手の指でつまんで持ち上げて、ネックレスをぶら下げた。それを見た途端、私は胸元に手をやった。
無い。あの指輪を通したネックレスが無い。
「あ……私のです。ありがとございます」
「夏樹が倒れた時、おとしたのかもしれないな。あれ、その指輪……」
浅沼さんは、自分の左手の掌にそのネックレスを落とすと、チェーンに通った指輪が掌の真ん中にポンと乗った。その指輪を見た祐樹さんは、何かに気付いたようだった。
「夏樹ちゃん、この指輪、以前していた幸せに導いてくれるって言う指輪かな?」
え?
なんでそんな事聞くの?
「その指輪、圭吾達の結婚式の時にしていた奴だろ?」
祐樹さんも、指輪を見ながら言う。
「えっ? ええ、そうです。ありがとうございます」
私はそう言いながら、返してもらおうと手を出した。しかし、浅沼さんは、「ちょっと待って」と掌の指輪を握り込んで私から遠ざけた。
なぜ? なぜ返してくれないの? 何か気付いたの?
「父さん、なんだよ。夏樹のだって言っているだろう?」
浅沼さんは、祐樹さんを一瞥すると、「ちょっと黙っていて」と言いながら、私に向き直った。
「夏樹ちゃん、この指輪、どうしたの?」
えっ? 前に訊いたよね? なんて言ったっけ?
私は、だんだんと浅沼さんが怖くなって来た。
何が訊きたいの? 何に気付いたの?
絶句したまま、浅沼さ何を見つめていた。
「夏樹、その指輪、お母さんからもらったって、言っていたじゃないか」
私が何も答えないので、祐樹さんが答えた。
祐樹さんもきっと、私の様子がおかしいのに、気付いている。
「夏樹ちゃん、私には自分で買ったって言ったよね?」
「あ……、よく似た指輪が二つあるんです」
咄嗟に嘘をついてしまった。
「じゃあ、この指輪はどちらの指輪?」
浅沼さんは指輪だけを摘まんで、宝石部分を上にして見せた。祐樹さんは覗き込むようにその指輪を見ている。
「これ、あの時していた指輪だよな。このデザイン覚えているよ。……あれ? そう言えば……、さっき父さんが話していた浅沼家に伝わる指輪って、こんなデザインじゃ無かった? それで、どこかで見た事あると思ったんだよ。似ているよね?」
祐樹さんは、私と浅沼さんの間の空気が、少しずつ冷えて来ている事に気付かないのだろうか? やけに明るい調子で、知られたくない事をずばりと指摘した。でも、祐樹さんは見た事無い筈なのに、どうして知っているの? 本物は別にあるの?
「祐樹、夏樹ちゃんと二人だけで話をさせてくれないか?」
浅沼さんの言葉に、私も祐樹さんも驚いた。「なぜそんな事をする必要があるんだ?」と祐樹さんは反論している。だけど……、浅沼さんが、この指輪の事に気付いているのなら、浅沼さんと二人だけで話したい。祐樹さんにはまだ知られたくない。
「祐樹さん、私からもお願い。浅沼さんと二人だけで話したい事があるの」
浅沼さんは一瞬驚いた顔をしたが、深く頷いた。しかし、祐樹さんは、驚いた顔をした後、裏切られた様な情けない顔をして「どうして……」と呟いた。
「祐樹、後から話すから、今だけ二人で話させてくれ」
祐樹さんは諦めたのか、二人の雰囲気に何かあると思ったのか、ふらりと立ち上がると、部屋から出て行った。
「さて、夏樹ちゃん」
浅沼さんは、二人だけになると、今まで祐樹さんが座っていた椅子に座りなおして、ベッドに座る私と向き合った。
怖い。いったい何を言われるのだろう……。
私は小さく頷いて、浅沼さんの顔を見た。
「この指輪がどうして君の所にあるか、本当の事を教えてもらえないだろうか?」
ああ……やはり。さっき祐樹さんはよく似ていると言ったけれど、浅沼さんはこの指輪が本物だと確信しているんだ。何か目印でもあったのだろうか?
「夏樹ちゃん、不思議だろう、私がこんな事を訊くなんて。でも、夏樹ちゃんも気付いているんだろう? この指輪は、さっき祐樹が言ったように浅沼家に伝わる指輪だ。どうして分かったかと言うとね、このリングの内側に刻印があるんだよ。『S&H&L』と……。これは、宝石のそれぞれの意味の英語の頭文字の組み合わせで、浅沼のグループ企業の社章やマークのどこかに必ず入っているんだよ。だけど、そんな指輪がなぜ、君の所にあるのかが分からないんだ……」
私の頭の中は真っ白になっていた。何言っているの? この指輪が、そんな大事な指輪だったなんて……。
「あ……私、そんなに大事な指輪だと知らずに……。お返しします」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
「いや、返してもらおうと思って言っているんじゃないんだよ。この指輪は、以前指に嵌めていた指輪だよね? 君はこの指輪を嵌める事ができるんだよね?」
私は、浅沼さんが言おうとしている事に気付いた。
この指輪は真の所有者にしか嵌める事ができない。私が真の所有者なんだ……。
何と言ったらいいのか分からない。
私が真の所有者だと言う事が分かったら、父親が誰かも分かってしまうのだろうか?
私は何も言えずに視線を泳がせたまま、頭の中では一生懸命どうすべきか考えていた。
「夏樹ちゃん、じゃあ、この指輪を誰かから二十歳の誕生日に貰ったのかな?」
ええっ? どうしてそれを……。
私の驚いた顔が肯定である事を伝えたようだった。
浅沼さんは、目を見開き、信じられないものを見るかのように私を凝視していた。
そして、チェーンから指輪を抜き取ると、驚きのあまり動けなくなっている私の右手を持ち上げ、薬指にその指輪を嵌めようとした。その途端に我に返り、掴まれた手を払った。
「辞めてください」
思わず大きな声が出た。
その声は、廊下にいる祐樹さんにまで聞こえていたようだった。
2018.2.23推敲、改稿済み。




