#100:祐樹の過去(15)祖父への反旗【指輪の過去編・祐樹視点】
お待たせしました。
今回も指輪の見せる過去のお話の祐樹視点です。
今回もとても長いお話になりました。
約いつもの倍の長さです。
どうぞ、最後まで頑張って読んでくださいね。
問題は何も解決されていないのに、俺の気分はすっきりとしていた。いやそれ以上に、人から見ても上機嫌らしい。会社で何かいい事でもあったのかと聞かれる始末。現金なものだと自嘲する。
圭吾の家を訪ねた翌週、水曜日の夜、祖父さんの秘書の足立さんから電話が入った。何か嫌な予感がしたが、その予感は的中した。
「祐樹さん、会長からの伝言です。今週の土曜日にショッピングモールにあるフレンチのお店にランチの予約が入れてあるので、西蓮寺美那子様と食事をして、その後、同じくショッピングモールの宝飾店に婚約指輪のアドバイスをしてもらうよう予約が入れてありますので、行くようにとの事です。おわかりだとは思いますが、どちらも浅沼とかかわりのあるお店ですので、勝手なキャンセルはなさいませんように」
どうしてイギリスにいる奴が、わざわざ日本のお店の予約なんか入れているんだよ。まあ、日本の部下に申しつけたのだろうけど……。なにもイギリスから命令してこなくても。それに、祖父さんはあくまでも俺と話をする気は無いらしい。
俺は又溜息を吐いた。幸せなんてとっくに逃げているよと思いながらも、久々の恋心はけして祖父さんに気付かれてはいけないと、自分に言い聞かせた。
十一月の第四土曜日、祖父さん指定のレストランへ、美那子さんをエスコートして出かける。最後に会ってから約半年、彼女は相変わらずその瞳に何も映していない様で、今にも消えてしまいそうな儚さだ。
俺は今日、一つ決意をしていた。それは、美那子さんに直接、この話を断ってくれるように頼む事だった。男側の俺から断ると、女性側は傷が付くのじゃないかと思ったから、美那子さんの方から断って欲しかった。
美那子さんに対しては申し訳ないとは思っている。しかし、彼女の心情までは思いやる事は無かった。いや、それよりも、彼女は何も感じないのだと決めつけていた。だから、このまま行けばお互い不幸になるだけだと自分に言い訳をし、思い切って美那子さんに頼みこんだ。けれど、彼女は悲しそうに首を振りながら、「私からは何も言えません」と小さな声で、でもはっきりと言った。
仕方なく、祖父さんの命令通り、美那子さんと宝飾店へ行くとVIPルームへ通された。ジュエリーデザイナーの方が、いろいろな指輪を見せて説明しようとしてくれたが、俺は「今回は保留にして欲しい」とだけ言って、帰ろうと立ち上がった。周りの店員達が唖然として固まっているのは気付いていたが、どうしようもなくて、仕方ないんだと自分に言い聞かせていた。
その時、美那子さんがお店の人に、「ペンダントを見せて欲しいのですが……」と言いだした。俺はこんな時に何を言っているんだと振り返ったら、固まっていた店員達が我に返って、彼女に笑顔を向けている。彼女も笑顔で「クリスマスにお父様におねだりしたいの。見せてくださるかしら?」と告げている。先程までの、張り詰めた雰囲気が彼女によって緩んでいった。
俺はその時初めて気づいたんだ。俺が自分の我儘で壊してしまったその場の雰囲気を、彼女が取り成してくれた事に……。そして、足立さんに言われた言葉を思い出した。
『勝手なキャンセルはなさいませんように』
俺はまさしくそれをしてしまった訳だ。取りあえず店員やデザイナーの引きつった雰囲気は、彼女の機転で和やかなものになった。でも、それよりも、俺といる時はほとんど会話をしない彼女が、店員やデザイナーと楽しげに会話をしている事に驚いた。
そして、彼女は気に入った物を取り置きしておいてもらうよう頼み、婚約指輪はまた改めてと言う事で、二人で店を出た。
「美那子さん、先程はすいませんでした。僕が勝手な事を言ったから、迷惑をかけてしまって。美那子さんが場の雰囲気を取りなしてくれたので、助かりました。本当にありがとうございます」
俺は素直に謝り、礼を言った。あのまま、帰っていたら、どうなっていた事か……。
「いえ、私は何もしていませんから……」
彼女はいつものように小さな声で言った。さっきは店員と普通に話していたのに、やっぱり俺だとダメなのか。
「美那子さん、僕といる時は全然喋らないのに、先程お店で店員の方と楽しそうにお話していたのを見て、驚きました」
俺がそう言うと、彼女は俺の方を驚いたように見た。そしてまた顔をそむけた。
「……この前お会いした時に、祐樹さんは『自分の人生を諦めているの?』って聞かれましたよね? あれから、その事をずっと考えていました」
彼女はしばらく考えた後、いきなり話し出した。俺は面食らったが、彼女が変わりつつあるのだろうかと、話を聞く事にした。
「自分の人生って何だろうって、ずっと考えていました。それに、諦めると言うのは、何か望みを持った時に言う言葉だと思うんです。私、考えたら、自分の人生に望みを持った事が無かったように思います。だから、諦めていると言われても、ピンと来なくて……。でも、こんな風に周りの言うように流されていたら、自分と言う物が無くなって、只の操り人形になってしまうんじゃないかと思ったら、とても怖くなりました」
彼女は俺の方を見ずに話し続けていた。こんなに長く話す彼女を見るのは初めてだった。そして、彼女がこちらを見上げたので、俺も彼女の方へ視線を向けた。
「僕も同じなんです。祖父の言うままにしていれば良いと、ずっと思っていたんですよ。でも、僕が祖父の決めた貴女と結婚する事を承諾した時、友達から言われたんです。好きでも無い人と結婚してもいいのかと。それで本当に幸せになれるのかと……。それで、やっと目が覚めて、気付いたんです。自分の人生は、自分にしか責任が取れないのだと言う事に。そう、周りに流されて言われるまま生きても、自分の望み通り我儘に生きても、結局は誰も僕の人生の責任なんて取ってくれないんだと。そう思ったら、僕はやっぱり自分の納得いく結婚をしたいと思ったんです。美那子さんには申し訳ないと思いますけど……」
俺は、心に思っていた事を美那子さんにぶつけた。自分勝手なのは分かっている。でも、これだけは譲れないと思った。
「わかりました。……でも、私の口から断りたいと祖父や両親に言う勇気は、まだありません。だから、祐樹さんの方から断って頂いても、私はかまいません。……ただ、祖父や両親がどう思うか……。ごめんなさい。私には何の力も無くて……」
「いや、それはいいんです。でも僕から断っても、美那子さんは本当にいいんですか?」
俺はもう一度彼女の方を向いて尋ねた。彼女はチラリとこちらを見ると、黙ったままただ頷いた。
************
美那子さんと食事をした翌週は、もう十二月になっていた。
俺は美那子さんと話した後、ある計画を考えていた。それは、祖父さんが帰って来ない内に、美那子さんのご両親に直接この結婚を断ろうと言う事だった。でも、俺一人で言ったのでは、負ける様な気がして、今まで避けていた親父に頼もうかと随分悩んだ。今まで反発ばかりしていたし、親父の言う事を信じられないと思っていたから……。
それもこれも、祖父さんが親父の事を良く言わないのを、そのまま鵜呑みしていたからだとは思うけれど、親父の結婚に関する話を思い出すと、どこか腹立たしい気持にもなる。それなのに、親父に結婚の話で頼ってもいいものかと思案した。
しかし、俺がお見合いした時に言ってくれた親父の言葉を思い出すと、あの時にもっと聞く耳があったらと、少し後悔している自分がいた。
『私は祐樹が誰と結婚したいと言うおが、反対はしないつもりだ。そのかわり、会社のためとか会長に言われたからとか言う理由なら、反対だよ。祐樹が本当に愛する人と結婚して欲しいんだよ』
あの時の親父の言葉は、今ならすんなりと俺の心に収まるのに、祖父さんに洗脳されていた俺は、親父に対して心の耳を塞いだままだった。
だから今、親父に歩み寄るいいチャンスかもしれない。それに、俺自身が人を想う気持ちを思い出して、親父の結婚に関する事も俺には分からない何かがあるのだろうと、少しは理解する方向へ気持ちが振れて来ているから。今なら、腹を割って話せるかもしれない。
俺はその週の金曜日の夜、実家へ帰った。突然帰った俺に、お袋は何も訊かず、嬉しそうに夕食の用意をしてくれた。親父が帰ってくるまで、お袋は日常のあれこれを楽しそうに喋っていたけれど、俺の婚約話には触れなかった。
親父が帰って来て食事を済ますと、リビングのソファーで両親と向き合った。
「祐樹がいつ話をしに来てくれるかと、待っていたんだよ」
親父はいつもの穏やかな表情で優しく俺に話しかけた。きっと、俺の会社の社長である圭吾の父親から訊いたに違いない。
「すいません。本当ならもっと早く話をしに来ないといけなかったのに……。俺の知らない所で、お祖父さんが勝手に、俺の婚約発表を決めた事は、知っているよね? 俺は半年前にこの話を白紙に戻して欲しいと、お祖父さんに申し出たんだ。その時はお祖父さんも承諾してくれたんだと思っていたよ。でも、いきなり社長から婚約発表の話を聞かされて驚いて、お祖父さんに会うために足立さんに連絡をしたら、イギリス出張のため十二月まで帰らないと言われたんだ。それで、お祖父さんにお膳立された美那子さんとの食事デートの時、美那子さんに直接この話をそちらから断って欲しいってお願いしたんだ。美那子さんは自分からは言えないけど、俺の方から断ってくれて良いって言ってくれた。お祖父さんが帰ってくる前に、美那子さんのご両親に断わろうと思っている。それで、親父も一緒に行ってくれないかな? 今日はそれを頼みに来たんだ」
俺は一気に話をした。親父たちは口を挟まず最後まで聞いてくれた。話し終わって、両親の反応伺いながら、返事を待った。
「祐樹、私を頼ってくれて、嬉しいよ。祐樹は美那子さんと結婚するつもりは無いんだね?」
親父は驚いた風でも無く、いつもと変わらぬ調子で確認した。
「はい、やはりどうしても美那子さんの事を好きになれそうにないから、このまま結婚したらお互いが不幸になると思って……」
「そうか……。それで、美那子さんの方はどうなんだい?」
「さっきも話したけど、美那子さんは、お祖父さんやご両親に逆らえないらしい。でも、俺の方から断っても良いと言ってくれたんだよ」
「わかった。それで、祐樹が断わる理由ってなんだい?」
「断わる理由……ですか? 愛の無い結婚はしたくないと言うか、愛ある結婚がしたくなったと言うべきなのかな……。圭吾達を見ていて、正直羨ましいと思ってしまったんだ。自分自身、納得できる結婚をしたいと思ったんだよ」
俺がそう言って親父の顔を見ると、親父は目を丸くしてこちらを見ていた。お袋も同じような感じだ。
「祐樹……おまえ……やっと目覚めたんだな?」
親父は情けない様なホッとしたような顔をして、俺を見ていた。
「ホント、結婚には愛とか恋とか関係無いって言っていたのに……」
お袋もウルウルしそうな眼差しで俺を見ている。
どうしたんだ? 二人とも……。
「なんだよ、俺がそんな事を言ったら、可笑しいか?」
「いや、嬉しいんだよ。おまえに愛の無い結婚なんかして欲しくなかったから。でも、そんな事言うのは、もしかして、他に結婚したい人がいるのか?」
俺の頭の中には一瞬、夏樹の顔が浮かんだけれど、今はたとえ親父でも言えない。まだ片想いだしな。いずれは……と心の中で呟いた。
「そんな人はいないよ。付き合っている人もいない。ただ、愛のある結婚がしたいだけだよ」
「そうか……。結婚したい人が現れたら、私達にも紹介してくれよ」
「わかっているよ。じゃあ、一緒に断りに言ってくれるんだね?」
「ああ、そのつもりだよ。会長は来週末に帰ってくるから、明日にでも西蓮寺の方へ行ってみるか? 私から連絡を入れておくから、明日出かける用意をしておきなさい」
「ありがとう。よろしくお願いします」
俺は両親に向かって初めて頭を下げた。
****************
翌日の土曜日の夜、親父と二人で西蓮寺邸を訪れた。今月の予定の婚約披露の件で訪れたと思っているのか、美那子さんのご両親は、ニコニコと迎えてくれた。美那子さんは相変わらず無表情のまま、両親の傍で控えていた。
「西蓮寺さん、息子達がお見合いしてからもう二年以上経ちますのに、私の方はご無沙汰ばかりで本当に申し訳ありませんでした」
「いやいや、浅沼社長はお忙しいと聞いております。会長には何度もご連絡頂いていたんですよ。だから気になさらんで下さい。それで、今夜は婚約披露の事でいらっしゃったんですか?」
「いや、そうなんですが……。実は、大変申し訳ないと思うのですが、今頃になってとても失礼な事だとは思いますが、息子と美那子さんの結婚の話を白紙に戻してもらいたいとお願いに参ったのですよ」
親父はいきなりだったが、とても冷静に話し出した。しかし、目の前の美那子さんのご両親は、大きく目を見開き、見る間に顔が歪んで行く。
「ええっ? どう言う事ですか? 白紙に戻すって……。こんなに長い間待たせておいて、今更無かった事にしようと思っているんですか?」
美那子さんの父親は、驚きながらも、まだ冷静な言い方をした。
「そうですよ。もう結婚の準備だってしているのに、今頃になって、何を考えているんですか。私共に恥をかかせるおつもりですか?!」
美那子さんの母親は、一気にヒステリックな感情をあらわにして、興奮した声でまくし立てた。
「祐樹君、美那子は君と結婚すると信じて今日まで花嫁修業をしてきたんだ。それを今更無かった事と言うが、娘の気持ちは無視するのかね? 君は娘にどうやって償うつもりなんだね?」
俯いたままの美那子さんをチラチラと見ながら、西蓮寺さんは俺を睨むように言った。
そうだよな。いくら美那子さんと話はついていると言っても、ご両親は知らない訳だし……。
俺は思わず立ち上がると、床に座り込んで土下座をした。
「美那子さん、本当に申し訳ありません。もうこれ以上自分の気持ちに嘘がつけなくなって……。美那子さんには本当に申し訳ないと思って悩みました。でも、このままではとても結婚できそうにありません。本当にすいません」
俺は床に頭を付けて謝った。そして、顔を上げ美那子さんを見た。彼女は少し怯えたような顔をして首を左右に小さく振っていた。そんな娘の様子を見て、西蓮寺さんは小さく溜息を吐いた。
「祐樹君、頭を上げてください。いったいどうしたんです? 何かあったんですか? 理由を教えてください」
俺は床に正座したまま西蓮寺さんの方を見た。ソファーに座るよう促されて、元の場所に戻りながら、西蓮寺さん達を観察した。父親は困惑しているが、まだ怒っている程ではない。それよりも、隣の母親の方が、興奮して落ち着かない。それなのに、両親の横に座っている美那子さんは、さっきの怯えた表情はいつの間にか消えて、まるで別世界にでもいるように無表情のまま俯いていた。
「最初は、お祖父さんに言われたまま、会社のために美那子さんと結婚しようと思っていました。でも、だんだんと時間が経つうちにそれが苦しくなってきたんです。美那子さんは素晴らしい女性だと思います。でも、私の心は動かないのです。相手の事を好きにもなれないのに、結婚しても不幸になるだけです」
俺がそう言うと、西蓮寺さんは笑い出した。
「祐樹君、君はまだまだ若いな。美那子も君もこんな家に生まれたんだ。家のため、会社のために結婚するのは当たり前だろう? 結婚すれば愛情なんて湧いて来るもんだよ。好きじゃないと結婚できない? そんな理由でこの結婚を無かった事に出来る筈が無い」
西蓮寺さんの顔は笑っているが、目は怒っているような眼差しだ。
「西蓮寺さん、私はそうは思いませんよ。お互いに気持ちが無いのに結婚しても、無駄に傷つけ合うだけです。美那子さんは素晴らしい女性だと私も思いますよ。でもね、どんなに素晴らしい相手でも、心が動かなければ、縁が無いんだと思います。それを無理やり結婚させても、不幸になるだけです。私はそんな人を沢山見てきました。会社や家のために結婚して、ご主人は仕事ばかりで、奥様は趣味に走り、挙句の果てお互いに別々の愛人を作り、家庭は崩壊して、子供達は幸せな家庭を知らないまま育つ。私は息子にそんな結婚をして欲しくないんです。本当に愛する人と結婚して欲しいと思っています。相手はどんな方でもかまわないと思っています。西蓮寺さん、あなたは娘さんに不幸な結婚をさせたいのですか?」
親父はいつもの穏やかな調子で話していた。それでいて相手を見る眼差しには力が込められていた。親父の話した例え話が、西蓮寺さんには思い当たる節があったのか、急に不機嫌な顔をして親父を睨んでいる。
「浅沼さん、あなたは随分ロマンチストなんですね? でも、ロマンだけでは会社を維持して行けませんよ。それに、祐樹君。君は美那子とこの二年間の間に数回しか会っていないそうじゃないか。その程度で、うちの娘は見切りを付けられたと言う事なのかね? それとも、他に結婚したい人がいるから、美那子との結婚を断りに来たのかね?」
西蓮寺さんは、こちらを睨みながら、親父の話をロマンチストだと、バッサリと切って捨てた。そして、俺の断る理由も、到底信じてもらえていなかった。
「他に結婚したい人がいる訳ではありません。これは感覚的な問題で、納得してもらえないかもしれませんが、どうしても美那子さんとの結婚生活が思い描けないんです。確かに美那子さんと会った回数は少なかったですけど、やはりお互いの間に家とか会社とかあるから余計に、気持ちが動かないんだと思います。美那子さんには私なんかより、彼女の事を心から愛いしてくれる人と結婚して、幸せになってもらいたいです」
俺は、話しながら、理解してもらうのは無理だろうなと、どこか諦めモードになった。西蓮寺さん達や祖父さんは、はなから愛とか恋とか信じていないのだから。
「祐樹君の言う事は綺麗事過ぎて納得しかねるね。君は美那子を好きになれないと言うが、好きになる努力はしたのかね? もっと一緒に過ごす時間を作って、努力してみたらどうだね? それから、会長はこの事を知っているのかな? 今日は、会長はいらっしゃらない様だが、会長がいらっしゃったら、このような話にはならないのじゃないのかな?」
西蓮寺さんの言う事は最もかも知れない。俺に心を開こうとしない美那子さんに対して、いつの間にか歩み寄ろうと言う気持ちも無くなってしまった。それに、会社や家が絡むと思うと、余計に気持ちは冷めて行く。
「会長は今イギリスにいます。確かに会長にはまだ話していません。しかし、半年前に祐樹は会長にこの話を断って欲しいと言っているのです。それを無視して話を進めたのは会長の独断です。息子はもう終わった話だと思っていたんですよ。西蓮寺さん、私は会社どうしの繋がりを婚姻で確かなものにしようという考えは嫌いなんです。婚姻なんかに頼らなければいけない繋がりなんて、所詮弱いものです。それに、祐樹が浅沼を継ぐとは限りません。私は、祐樹にその器が無ければ、別な者を後継者に指名するつもりです。浅沼には優秀な人間は沢山います。今後、祐樹も浅沼に入って、その優秀な人間達と競い合って頂点に立てた時、やっと後継者として認められるのです。だから、婚姻による繋がり強化は意味が無いんですよ」
親父は西蓮寺さんの睨みにも何ら怯む事無く、淡々と話した。しかし、対峙する西蓮寺さんの顔は徐々に引きつっていった。
「浅沼さん、あなたが言っている事は会長の話と随分違う。私はまだまだこの話に納得できません。もう一度会長を交えて話をしない事には、先に進めようがありません。今のところ、今月末に予定していた婚約披露は白紙と言う事でいいですが、もう一度話し合いの場を持ってください。我々を納得できるような話をしてください」
「分かりました。取りあえず保留と言う事で、今回の婚約披露の準備はキャンセルしておきます。しかし、会長がなんと言っても、息子も私も気持ちは変わりませんので……。美那子さん、長い間君を振り回して来た事は、申し訳ないと思っているよ。でも君も、真剣に自分の本当にしたい結婚や人生について考えるといいと思うよ」
親父はそう言うと、美那子さんにニッコリと笑いかけた。それを見ていた母親は、キッと親父を睨むと、「余計な事を言わないでください。美那子は素直に結婚を望んでいましたわ」と反論した。
親父も俺も、もうそれ以上何もいわなかった。西蓮寺邸を後にして、帰りの車の中で、親父は真剣な表情で話し出した。
「美那子さんは可哀そうだね。美那子さんの本当の幸せをご両親は見ようとはしない。経済的に恵まれて家柄の釣り合う所へお嫁にやれば、それで幸せだと信じている。そして、彼女はその事に逆らいもせず、親の言うままになっている事に疑問すら感じていない。少し前のおまえの様だよ」
「そうですね。その事は美那子さんに話しました。以前に自分の人生を諦めているのと訊いたら、その事をずっと考えていたそうです。そして、親の言いなる事は、自分と言う者が無い操り人形の様で怖いと言っていました。でも、それに逆らう勇気が無いと……。彼女にその事を気付かせてしまった事は良かったのかどうか。少しだけ後悔しています」
俺は、美那子さんに辛い現実を気付かせてしまったんじゃないかと、心配になった。でも、そこから彼女も変わって行って欲しいと願わずにいられなかった。
「いや、その事に気付いたのなら、後は彼女次第だよ。彼女も自分のために戦わなければいけないんだよ。それより祐樹、仕事の事だが、会長が来年度から祐樹を浅沼へ入れるようにと決めていたけれど、その事はそのままでもいいんじゃないか?」
俺は驚いて親父の顔を見た。親父は真面目な表情のまま、こちらを見返した。
「と言う事は、今の会社を辞めろと言う事ですか?」
「そうだ。もう、祐樹も二十八だし、そろそろ浅沼へ来ても良い頃じゃないのかな? それに、今回の事は、会長に対して反旗を翻した様なものじゃないか? それなら、浅沼で会長が何も言えないぐらい実力を付けて、自分の納得いく結婚をすればいい。何時までも同じ所にとどまっていては、解決の糸口は見つからないと思うよ」
親父はそう言うとニヤリと笑った。
簡単に言ってくれる! 浅沼で祖父さんが何も言えないぐらいの実力って……。でも、そうなれば自分の想う人と結婚したいと言っても、祖父さんに邪魔されないのかな?
そんな事をぼんやりと考えたけれど、そんな実力が付くのは遠い未来の話だと気付いた。でも、親父の言うように、何か行動に移さなければ、変わらないのかもしれない。
「わかりました。来年の四月から浅沼へ行きます。それまでに今の仕事を引き継ぎして退職します」
「そうか。それなら、年が明けたら、仕事の後、私の所へ来なさい。入社までにいろいろと覚えて勉強してもらうから。新入社員と同じようにはいかないからね」
親父はどこか楽しそうに話した。俺は来年から始まる試練の日々を思って、胃が痛む思いがした。何と言っても目標は、祖父さんを黙らす程の実力な訳だから……。それでも、一週間後に癒しのグルメの会が待っていると思うと、今の俺は無敵の様な気さえしていた。
2018.2.22推敲、改稿済み。