第七話 それは魔物を狂わせる
「よっ」
短剣で切り裂いて、その勢いで緑の姿が下に落ちていく。
「ほっ」
今度は突き刺して、横に引っ張って落とす。
「やっ」
近付かれたところに足を引っかけたら、バランスを崩して落ちていく。
「あ、またやっちゃった。まあいいか、少しくらい」
普通に下に落としてしまった。
でも安全が第一だ。
一匹を殺すのにこだわって怪我するわけにはいかない。
落とし穴が発動してすぐ、新たな問題が顕在化した。
突き落とすだけじゃ殺せない可能性が出てきたんだ。
「とっ」
切り裂いて、突き落とす……少ししてぼちゃんと水に落ちる音が聞こえてきた。
そう、どうやらこの下には地底湖が位置しているようだ。
僕らが下で見たあの地底湖。
これだけの高さなんだから下が水でも生き残ることはないと思うんだけど、万が一多数が生き残るようだったら傷つけていないと永遠に終わらなくなってしまう。
「アイリス、お願い」
「『突き進む氷の槍』」
求めに応じてアイリスが魔術を発動した。
アイリスの目の前に槍が生み出され、それが勢いよく一匹のゴブリンへと突き進んでいく。
でもそれが到達する直前、横から飛び出た一匹のゴブリンが体で盾になってその槍は標的にまで届かなかった。
ゴブリンたちも馬鹿ばかりじゃない。
先ほどから魔術を使える特殊個体のゴブリンが道を拡張しようとし続けていた。
それが成されてしまえば僕らは圧倒的に不利になる。
だけど広場の向こう側の敵には僕とミュリエルさんだとどうにもできず、アイリスの魔術に頼るしかない。
そんなアイリスは。
「はぁ、はぁ」
間違いなく疲れを見せ始めていた。
アイリスの魔力は膨大だ。
だからまだいけると僕は予測し、その予測に基づいて指示を出していた。
でも魔力の量とその魔力を制御する気力は別物だ。
僕はそれを見誤っていたらしい。
間違いなく判断ミスだ。
「…………」
それを表面に出さず敵を観察する。
広場の反対側にいる敵はまだ枯れそうにない。
さらに未だ群れの中には特殊個体のゴブリンが混ざっている。
アレックスさんたちの方も少し前からやって来る敵が増えているようだった。
そのため倒すペースも燃やすペースも上がっていて、そろそろ僕が渡した分の油がなくなってしまいそうだった。
パウロナさんが最初に使っていた油はだいぶ前になくなっている。
まだ予備はあるだろうけど、それがなくなるのと敵を倒しつくすのどっちが早いか。
「…………」
また斬った。血を流し落ちていく様をじっと眺める。
何か手を考えないといけない。
そうしないと僕らはここで息絶えることになる。
「アイリス、もう一回お願い」
「は、はい。『突き進む氷の槍』」
原因が僕の判断ミスでも、今アイリスが限界なことに変わりはしない。
アイリスが魔術を放てなくなれば敵は道を拡張して攻め込んでくる。
そうなれば僕らは終わりだ。
そこから覆せる手段なんて――
「……あった」
またゴブリンを斬る。
血を流しながら落ちていく。
そう、血だ。
血を流し瘴気を発生させている忌子がそのまま地底湖に落ちて行ったらどうなるだろう。
忌子の血から発生する瘴気は魔物を狂わせると言われている。
それは間違いじゃない。
瘴気を感知した魔物は半狂乱になってその瘴気の出所を追い求める。
その際途中のものには一切目をくれない。
もちろん障害になっているのなら壊そうとするけども、何よりも瘴気を求める。
だから忌子の瘴気を発生させた人物が下に落ちていくのなら、魔物達はそれが当然とばかりに瘴気を追って身投げするだろう。
この作戦を実行するには今が一番のチャンスだ。
ゴブリンたちはまた道の拡張を狙い始め、しかも今回は確実に成功させるつもりなのか全てのゴブリンを肉壁に回している。
つまり今こちらに渡ってきているゴブリンは一匹もいないということだ。
目を閉じて深呼吸して、覚悟が定まった。
「アイリス、ちょっとこっちおいで」
「は、はい」
ちょこちょこと寄ってきたアイリスを、僕は躊躇なく抱きしめた。
「ふぇ!?」
片手を背中に添え、もう片手は頭に回してゆっくり動かす。
「ねえアイリス」
「なん、ですか」
さようなら、そう小声で呟いた。
怪しまれてしまうとしても言わずにはいられなかった。
別れの言葉を言えないのは嫌だったから。
「『良い夢を』」
僕が何をしようとしているのか、理解される前にアイリスの意識を落とす。
夢へと誘う闇属性の魔術だ。
くたりとその体を僕に預けてくる。
こういう精神干渉系の魔術は相手が信頼してくれているほど効きやすくなる。
すぐに眠りについたアイリスに、こんな時だというのに嬉しくなってしまう。
「ソラ、ちょっと出てきてくれない?」
「きゅ?」
そんな気持ちのまま今度はソラを呼び出す。
「ソラ、嫌わないでいてくれると嬉しいな。『良い夢を』」
ソラまで眠らせる必要はないと言えばなかった、この子は賢いから。
でもきっとこっちのほうが都合がよかった……なんてそれは明らかに僕のエゴで、少し笑ってしまう。
「ねえ、なにしてるのー?」
そこでようやく、ミュリエルさんが僕らの様子がおかしいことに気づいた。
「ほら、このままじゃじり貧でそのうち押しつぶされるってことはわかってるでしょ。だからその前に手を打つんだよ」
「何をするつもりなのよ、ロウル」
パウロナさんも僕の声色から不穏なものを感じ取ったようだ。
まだまだ手一杯のアレックスさんの支援をしながらだけど意識の一部をこちらに割いてくれる。
僕は眠ったソラを袋の中に押し戻す。
「忌子の瘴気とここの落とし穴を利用する、って言ったら分かるよね」
「おい! 何を言ってんだ!」
視線は正面に向けて大剣を振り、でもこちらを意識してくれている。
三人とも僕の言葉を聞いてくれている。
「穴の下から忌子の瘴気を感じ取れば魔物たちはみんなそっちに一直線だ。だから穴の上では壁際に退避すれば勝手に下へ落ちてくれるんだよ」
「ねー、何をするつもりー?」
「おっと、近づかないでね」
右手に持つ刃物をもたれかかってきているアイリスに向けて、ミュリエルさんの足を止めさせる。
そうしながらソラの入っている袋を右肩にかかる程度までずらしておく。
「で、あとは魔物のいなくなった道を悠々と抜け出せばいい。完璧な作戦でしょ」
「ねえ、馬鹿なことはしてほしくないのだけれど。落ち着いたらどうかしら」
「僕は十分に落ち着いているよ」
そして冷静だ。
きっと“仮面”の下の人格のおかげで。
その頭で考えた結果、これが一番生存率が高いという結論に至ったんだ。
「だからさ、あとは頼むね」
僕はアイリスを突き飛ばした。
パウロナさんの方へ。
「え? ちょっと!?」
混乱しているパウロナさんを尻目に、今度はソラの入っている袋をミュリエルさんに投げ渡した。
混乱しながらもしっかりとキャッチしてくれたのを確認する。
「今まで結構楽しかったよ。ソラとアイリスのこと任せたからね」
僕は右手に持つナイフで自分の左手を薄く斬りつけた。
とたんに傷口からそれらが溢れ出す。
赤い雫が下に滴り落ち、黒い煙が上へと立ち昇った。
赤い雫は僕の血。
人間誰しも持っているものだ。
僕だって人間なんだから体の中には赤い血が流れている。
黒い煙は忌子の瘴気だ。僕が持つはずない、そう三人にもアイリスにも、ソラにまで思わせていたもの。でも僕は確かに体の中に瘴気を抱え込んでいた。
「じゃあばいばい」
「待ちなさいロウル!」
「ロウル君待って!」
「止まりやがれロウル!」
三人が呼び止める声が聞こえてくる。
でも止まる理由はない。
ちゃんと僕がこうする理由は話したし、どう対応すれば無事で済むかも話したんだから。
そのためにわざわざアイリスを見捨てるような演技までして話を聞かせたんだ。
それに三人は無理矢理僕を止めることもできない。
アレックスさんは魔物を止めるのにかかりきりだし、パウロナさんにはアイリスを、ミュリエルさんにはソラを預けてある。
眠ってしまって自分で行動できない二人を放置する、なんてことは二人にはできないだろう。
ちゃんとそこまで考えている。
ほら、僕はやっぱり冷静だ。
アイリスとソラが生き残るためには、これが一番良い方法だったんだ。
二人はただ寝ているだけだから起こせば足手まといにもならないだろうし。
「さてさて、どこまで倒せるかな」
後ろからの声を聞き流しながら、僕は何の気負いもなく、まるで散歩にでも行くようにして躊躇なく落とし穴から飛び降りた。




