第三十三話 脆く弱くとも確かな柱
下りた幕が再び上がり、役者紹介まで終わっても僕らは席に座ったままだ。
うん、そこそこ楽しかった。
魔術も使われているのか演出も派手で目も惹きつけられたし、細かいところまでこっていたし。
こっちの小さな劇場でこれなら大きい劇場だとどんな劇をやるのか気になるところだ。
まあそっちはかなり人気だから難しいかもしれないけど。
文芸の街と言われているだけあって、芸にあたる劇は旅人にとってはこの都市一番の目玉と言ってもいいくらい人気だ。それでも劇場がいくつかある上に、今回のような小さな場所なら演じる人たちもまだ“若い”人たちだから今日みたいに前日に取れることも多い。
けれど中規模大規模となってくると規模の増加具合よりも競争率の方が高くなる。
中規模なら一週間程度で行けるかもしれないけど大規模ともなると一週間待ちもざらなんだ。
「それでアイリス?」
「…………」
ぽーっと茫然とした様子のアイリスには僕の声が聞こえていない。
劇が終わってからずっとこんな調子だ。
目の前で手を振っても気づかない。
「ソラ?」
「…………」
膝の上のソラに声をかけるけど、こっちもこっちで無反応だ。
まあでもこっちは劇の途中からこう。
今日のソラは朝からとても元気にはしゃぎまわっていた。
だからきっとその疲れが出て寝てしまったようだ。
けど寝ていてもソラは抱えて連れて行けるから問題ない。
迷っているのはこんな様子ながらも何か考えているアイリスをどうするかだ。
考え事は続けさせてあげたいけど、それもずっとという訳にはいかない。
「うーん、どうしようか」
確かこの後のこの劇場の劇は数時間空いた後に夜の公演だったはずだ。
だから時間的な余裕はある。
余裕はあるけど、客席の掃除とかそういうこともあるだろうからずっとここにい続けるのは迷惑だ。
周りを見回してみるともうほとんどが外へ出て行ってしまっている。
残っているのは僕らを含めても十人に満たない。
……とりあえず僕ら以外の全員が立ち去るまで待とうか。
それまで待って動かなかったらその時にまた考える。
そう決めて膝の上でぐっすりのソラを撫でていたら、アイリスは思っていたよりも早く思考の彼方から戻ってきた。
「あ、あれ?」
「おはよう、でいいのかな。寝てはないから違うか。まあとりあえず帰ろうか」
「は、はい」
片手でソラを抱き、もう片手でアイリスの手を取って劇場から出る。
始まった時が夕方だったからか、もうすでに日は沈んでしまっている。
それでも魔力灯に照らされて十分明るいのだからやはり森の夜とは違って安心感がある。
襲う側にまわるならともかく、そんな予定がないのであればこの明かりは心強い味方だ。
ゆったりと歩きながら隣のアイリスの様子を伺う。
「それでアイリス、どうだった?」
「えっと……」
「あ、ゆっくりでいいよ」
そう言うと難しそうな顔をして考え始めた。
僕にはただ良い劇だったとしか思えないけど、彼女には何か感じるものがあったんだろう。
「あの、さっきの、魔術士の、人」
魔術士の人というのは中心人物の一人である火魔術士のことだろう。
その人がどうしたのか。
「その、人、一人でできる、ことが、限られてる、って。私も、全然でき、ない。でも」
アイリスの目はこちらを向いた。
その目には確固たる決意が宿っている。
「…………」
もう少し気楽に、と言ったつもりであった。
けれどそんなの一語たりとも外にでていない。
強い瞳に見つめられて、どうしてか体が動かなくなる。
まるで金縛りにでもあったみたいに。
「でも、手伝う、ならできる。だから、私も、援護、する。だから、だか、ら……」
ふと分かる、強さを宿しているその目は虚勢だ。
内側には変わらず不安がはびこっている。
「見捨て、ないで。ずっと、連れ、て……いって」
「もちろんだよ」
するりとその言葉が出てきた。
気づけば先ほどの金縛りが嘘みたいに消えている。
あいにく片腕はソラで埋まってしまっているけど、手を握っていたもう片方をアイリスの頭に動かす。
「でもいい? そんなこと言ったら本当にずっと連れてくよ? 後で嫌だって思っても知らないからね」
「いや、なんてない。ずっと、一緒に、いて。捨てない、で」
頭に置いていた手を今度は背中に回した。
嗚咽を漏らすその背中をゆっくりとさすって落ち着かせる。
「分かった、約束だ」
ああ、僕は僕を軽蔑する。
仮面が完全に剝がれてしまったら約束なんて果たせるわけがないとわかっているくせに。
分かっているのにこんなことを言ってしまう僕が嫌いだ。
今の僕にとっては真実だから嘘はついていないというのもなおさら質が悪い。
「僕はアイリスとずっと一緒にいる」
それでもなお、僕の口はそんなことを抜かしている。
それも表情は微笑んだまま。
意識せずともこうできてしまう自分がとても憎い。
「よか、った……」
「アイリス?」
突然くたっと全体重を預けてきた。
受け止めた胸の中からは規則正しく可愛らしい息の音が聞こえてくる。
安心して眠ってしまったようだ。
「どうしようかな」
ソラに袋の中に入ってもらってアイリスを抱えれば帰ることはできる。
でもしばらくここでゆっくりしていくのも良い。
今は晩春の夜なので寒すぎることはないし、都市結界によって最低限の環境は整えられている。
すこし涼む程度で風邪をひくことはないだろう。
「ゆっくりしていこうか」
また、仮面が剝がれかけている。
そのせいで自分ごと騙すような演技を続けられない。
心を整えるまでと決めてすぐ近くのベンチに腰掛けた。
肌を撫でる夜風が心地良い。
アイリスの重みを肩に、ソラの重みを腕に感じられるのがまたいい。
僕は一人じゃないと実感させてくれる。
「明日からはどうしようかな」
アイリスの勉強か街中の散歩かまた劇を観るか。
どうするにせよきっと楽しいだろう。
でもやっぱり、僕の感じているそれはきっと虚構だ。
だって感じている僕自体が作られた虚構の存在なのだから。
虚構という無から有が生まれるはずないんだ。
「……体、冷えてきたかな」
どうしてなのか、吹き付けてきた冷たい風がチクチクと肌を刺してくるように感じられた。




