【明へ行こう6 ー日明交渉史2、超巨大経済圏“華夷秩序”ー】
さて、一四二四年永楽帝が亡くなり、一四二八年足利義持が亡くなる。後を継いだのが義政の父足利義教であるが、景泰帝の父宣徳帝は日明貿易の再開を喜びつつも、「宣徳要約」で「船は三隻まで」とした。多分に、明国の財政事情による。
少し後だが、マディソン・プロジェクトから一五〇〇年の日本と明の経済を比較しよう。
●〈GDP〉日本:明=83億:618億(1990年GKドル)=1:7.44
●〈人口〉日本:明=1540万人:1億300万人=1:6.68
(なお、2018年だと〈購買力平価〉1:4.62、〈人口〉1:11.23)
明は日本の八倍の経済規模を持つ。そして、李氏朝鮮・琉球・占城・瓜哇・哈密・瓦刺・烏斯藏・暹羅等が朝貢するわけだが。東アジア・東南アジアにまたがる超巨大経済圏“華夷秩序”には、課題があった。それは、明が北・西・南の“陸の三方で隣国と接し”、“国土が広過ぎる”という点である。即ち、陸に隣国を抱えるため、永楽帝や英宗のように、モンゴル等と衝突しなければならない。また、国土が広いため、例年洪水などの災害に対応しなければならない。『明史』・『明実録』には、これでもかというほど、「毎年の災害の記録」と「各地の民への救民措置(食糧配給)」が記されている。洪武帝・永楽帝の拡大路線が一段落した明では、財政問題が生じていた。
こうした事情は、世界GDP22.9%の超大国(一五〇〇年基準)に対し、日本が“特殊な外交”を行うことを可能にした。とはいえ、日本にとっても、明は大事な隣国にして、重要な貿易相手国である。将軍足利義政は、明と仲良くしたかった。
さて、一四五三年十月二日、紫禁城奉天門。『日本国王源義成表』に曰く。
『大明 皇帝陛下、化俘有載、沢洽無垠』(日本国王源義成表)
“大明皇帝陛下。御威光があまねく無限に広がり、”
『南桂海、北氷天、西月出骨、東日域、同文同軌、相応相求、天戈所靡、無不擯順矣』
“四海の果てまで行き渡り、あい求めあい応じ、全てを討伐し、従わぬ国なし”
『臣源義成、欽承先志、紹知陋邦、守在遐方、専存外衞』
“皇帝の臣源義成は、前代からの遺志を継ぎ、国を治め、辺境を専ら守っております”
ここまでの文で、義政は明の中華思想を尊重している。「皇帝は地上の全てを統治する」というのが、「皇帝」の考え方なので、「従わぬ国なし」なのである。ここからが、本題。
『属国多虞、有稽職貢、見恕為幸焉耳』
“私も、従う諸侯が多く、貢物を用意しました。ご覧いただければ幸いです”
貢物とは、すなわち銅・硫黄・太刀など交易品である。全てを統治する皇帝だから「貢物」。対等の交易はできない。したら、「明王」になってしまう。
『方今以允澎長老為専使、以僧芳貞為綱司』
“允澎長老を代表、僧の芳貞を副代表として送ります”
『景泰二年歳次辛未秋八月日』
“景泰二年(一四五一年)秋、八月”
使節団代表の允澎らが、跪いて叩頭し、立ち上がって、右掖門から退出していく。
ふむ、景泰帝は国書の内容に一安心した。義政は、父義教のように『日本国王』と記し、年号は『景泰』を使っている。これで内外に、「永楽帝や父宣徳帝のように日本が国王として使節団を派遣してきた」と皇帝の権威を誇示できる。ここで指摘すべきは、兄英宗(正統帝)の存在だろう。オイラート(モンゴル)は、明皇帝として遇しろと主張してやまぬ英宗を持て余し、解放して明に帰国させていた。扱いに困った景泰帝は、やむなく兄を一邸に閉じ込めている。こうした背景から、景泰帝は、他の皇帝よりも権威の誇示にこだわった。日本の使節団にも、我が権威を見せるため、何度も面会の機会を設ける。さて。それはそれとして、九隻で来た件はどうしようか。
五日、五度目の謁見が行われた。景泰帝は奉天門で日本からの貢物の名馬二十頭を見物した。歴代皇帝に順じた数だな。今のところ問題なし。だが、九隻は、やはり財政上まずい。景泰帝は、搦手から、探りを入れることにした。
九日、笑雲は中書舎人の来訪を受け、一詩を渡された。
『外域の大明に朝貢するはおよそ五百余国、ただ日本のみ独り読書す』
“大明に朝貢する国は五百国あまり。ですが、日本のみが漢籍によく通じますなあ”
笑雲らは首をかしげた。はて、使節団が漢籍に通じるのは認めるが、李氏朝鮮などもあるだろうに。十一日、礼部が勘合(貿易手形)を検査しに来た。
『「金屏風」の「金」字の上に「貼」字を添う』
“勘合の金屏風には「金屏風」と書かれていたが、金無垢ではなく、金箔を張っているだけなので、「“貼”金屏風」と訂正していった”
いやいや、日本使節団は読み書きに通じておられますからな。笑雲らはまた首をひねる。何か試されているのか。ふむ、使節団は怒り出さないか。オイラートとはえらい違いだ。
十二日、燕山に初雪が降った。十三日、笑雲らは思わぬ人達と交流を持った。
『瓜哇国人百余人、館に在り。通信を日本に求む』
“マジャパヒト王国の百人あまりが宿舎にいる。通信を日本に求めてきた”
ジャワのヒンドゥー王国。マラッカ海峡をおさえ、「インドー東南アジア」交易を支配する。
『十四日、女真人来朝す』
“十四日、女真族が明に朝貢してきた”
のちに清を建国する民族である。
『みな馬皮を服す。韃靼人に似る』
みな馬皮の服を着ている。モンゴル人に似ているなと笑雲は思った。
●補足1
占城:ヴェトナム中部
瓜哇:マジャパヒト王国(ジャワ、インドネシア・マレーシア)
哈密:ウイグル
瓦刺:オイラート(西モンゴル)
烏斯藏:チベット
暹羅:シャム(タイ)
従って、1500年基準で考えると、
日本が“華夷秩序”に参加した場合、
『中国+日本+朝鮮半島+インドネシア=世界経済の32.4%』
明は、世界経済の「三割以上」の経済圏確立が可能でした。(ちょうど、日本が、20%台から30%台への橋渡し役)
●補足2
当時の世界で、これに唯一対抗できるのが、『インド圏』(世界経済の22.4%)でしたが、あいにく、デリー・スルタン朝が北西部を統一するのみで、こちらは分裂状態。
ティムール帝国(ティムール没後、トルコを失ったので、イラン・イラク)は、世界経済の1.2%なので、“華夷秩序”の経済的圧倒ぶりが、窺えます。
なお、
日本:ティムール帝国=83億:29.5億(1990年GKドル)=2.8:1
経済的に見た限りで、「明にとって、日本はティムール帝国の2.8倍の脅威」だったことが窺えます。
明の歴代皇帝の、日本を重視する外交方針は、“非常に合理的だった”ことが分かります。




