天国と地獄の愛を繋いだ銀の指輪8
タイトル
「天国と地獄の愛を繋いだ銀の指輪?」
実は、留美が思う様に、留美のことを誰も見守っていなかった訳ではなかった。留美の一部始終を見守っている人がいた。
見守っていて呼びかけてもいたが、留美に気付いてもらえずに、何をすることも出来ずに、ただ見守っている人がいた。
それは堂本勝であった。
勝は留美との結婚式の前日、ナイフで刺されて殺された。勝はナイフで刺された時、激しい痛みを感じていたが、痛みがなくなったと思ったら不思議な感覚を味わった。
痛みも何も感じなくなった勝は起き上がると、自分の下には自分自身が寝ていた。
「あれ、あれ、あれ」勝は血だらけで横たわっている自分の体に触ろうとしたが、通り抜けてしまう。何をしようが自分の体から離れてしまった自分の精神は、自分の体の中に入ることは出来なかった。
「僕はどうなってしまったんだ?あの時、ナイフで刺されて、激痛に襲われて、それから痛みが薄くなって、完全に痛みがなくなったと思ったら、寝ている自分がいた。まさか僕は死んでしまったのか?」
勝にはどうしたらいいか全く分からなかった。出来ることと言えば、おろおろとあっちこっちに行ったり来たりすることだけだった。
そうしていると、空間の一部が歪んで、激しく目を開けていられない程の光が差し込んできた。光は少しずつ収まると、やがて元の景色に戻ったが、一つだけ残していったものがあった。
光が残していったものは、光の消えた後に、一人の老人が立っていたということだ。白い一枚の布を身に付けて立派な白い顎鬚を蓄えていた。頭の上に丸い蛍光灯の様な光る輪をつけていた。
「あんた、誰?」
「天使に向かってあんたとは近頃のもんは言葉遣いも知らんのか?」
「天使ってあんたが?」
「いかにも私が天使だ」とそのおじいさんは胸を張った。
勝はふざけたおじいさんの言葉に吹きだし笑い出した。
「何を笑っておる?この愚か者が!」
「ははは、だって天使って、普通、赤ちゃんみたいな姿だろう!それをこんなじいさんが天使だなんて!頭おかしいんじゃないの?」
「愚か者!赤ちゃんだった天使だって、いずれ年老いるじゃろうが。なんてたって、わしはお前達の時間で二千歳を超えている。それだけ経れば、天使もじいさんになるじゃろうが。天使のじいさんがいて何が悪い?」
「何が悪いってそりゃ……あははは」と勝の笑いは止まらない。
「ああ、お前の様な馬鹿と話していても仕方ない。それよりもさっさと行くぞ!お前は殺されてしまったから天国に行くのだ。わしも早く仕事を終わらせて、見たいテレビがあるからな!」
「ちょっと待て!本当に僕は死んだのか?」
「お前は本当に馬鹿だな!どんな人間だって、心臓をこんなにナイフで刺されたら死ぬだろうよ。お前の下に横たわっている体を見てみなさい!ナイフでメッタ突きされておるじゃろうが。それとも、お前の下に横たわっているお前の体は本体ではなくて、蝉の様に抜け殻だとでも言いたいのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「さ、分かったらとっとと行くぞ!わしも忙しいからな。さっさと帰らんとテレビ番組が始まっちゃうからな!」
「ちょっと待て!明日、僕は結婚式なんだぞ!せめて、結婚式終わってから死んでもいいだろう!」
「お前ってトコトン馬鹿だなぁ。そんなこと出来る訳ないじゃないか!」
「嫌だ、僕は留美と結婚するんだ。テコでも動かないぞ!」
「お前な、テコでも動かないって、今のお前は死んでしまって実体がないから、テコ使わんでもわずかな風でも動くぞ!ほれ、この通り!」
天使が勝に息を吹きかけると、勝は踏ん張ることもなく飛ばされてしまった。
「悪いが、お前が自分の意志で行こうが行くまいが、お前はもうじき消えてしまって、気付いたら天国に行っとるよ!」
「そんな、待ってくれよ!留美と結婚出来ないなら、せめて留美に知らせたいんだ」
「悪いがそれは出来ん!」
「出来るだろうよ!僕が幽霊となって居残ればいいんだろう!」
「幽霊というのは、強い憎しみなどの念がある者だけに可能なんだ。お前も殺した者に恨みを抱いているというのか?」
「それなら僕だって殺されたんだし、殺した奴らを呪い殺したい!」
「あきらめろ!弱い念では幽霊になることも出来ん。ほら、もうお迎えが来た。見てみろ!お前の手足が消えかけている。お前が抵抗しようともう時間じゃ!タイムオーバー。この頃は、スピーディーな時代に対応する様に死んだ者を天国に連れて行く作業もスピードが求められておるのでな。お前にあまり時間をかけている訳にもいかんのだよ!」
「そんな勝手に決められても……」
「心配せんでも、天国で地上の様子は自由に見られる。但し、手出しは出来んがな!あくまでも見守ってあげるだけじゃ。地上界にいる、現世を生きている者達がどう生きるか、見守ることは出来るんじゃ!良かったな!」
「手出しが出来ないんじゃ駄目でしょう。意味がないじゃん。僕は留美と結婚したいんだぞ!おい!おい!」
勝は意識が遠のいていき、気付いたら天国の門を通り抜けていた。
勝の担当の天使は勝を迎えに来た老人だった。天国では死者それぞれに担当が決まっていた。慣れない天国に来て戸惑わない様に配慮されているのだ。
担当に相談したりすることは自由だった。四六時中相手をしてくれる訳ではないが、迷いや悩みが解決される様に、相談に乗るのが天使の役目でもあるのだ。
勝が天国に行って半日が過ぎた頃、勝を天国に連れに来た天使が勝に訊いた。
「どうじゃ、天国の暮らしも良かろう?」
「何言ってんだよ!天国の暮らしって聞くほど面白くないじゃないか!確かに地上の様子は全て自由に見ることが出来るけど、見守るだけで何も手出しをすることは出来ないし、残してきた人を支えることも出来なければ、助けることも出来ないじゃないか?」
「そういうもんじゃよ。じきに慣れるじゃろうて!」
「こうやって歯痒い思いを噛み締めながら、見守るしかないのか?」
「まあ、見守るというのはそういうことじゃからな!」
勝は天国から、勝と留美が結婚式を上げる予定だった教会の中の様子を見ていた。勝が現れないので、結婚式がふいになってしまった状況のことだ。
本当は自分が留美の隣にいるはずだったのに「僕はここで見守っているよ!」と留美に思念を送っても相手に伝わることはない。
「留美の苦しみを見ていながら何も出来ないなんて!ここは天国じゃなくて地獄だよ!」
「何を言う?馬鹿たれが!地獄というものがどういうものかも知らんでからに。近頃の若もんは贅沢になりおって!」
勝は、勝を殺した三人組に、勝の死体が東京湾に投げ込まれるシーンも見ていた。勝は毛布に包まれチェーンでロックされ、鉛をつけて夜の東京湾にドボンと大きな音がして、ゆっくりと沈んでいった。
勝はそのテレビシーンを天国から見ている時、興奮して「お前らが殺すから留美との結婚がおじゃんになっただろうが。お前らも死んでしまえ!」と毒づいていたが、勝がどれだけ興奮しようと、三人組に届くことはなかった。ましてや、幽霊の様に呪い殺すことも出来なかった。
天使が言うように、勝は三人組に強い恨みを抱くことがなかった。確かに自分を殺した三人組は許せない。だが、天国のテレビは一人につき一つしかない。
彼らを恨んで呪うには、テレビで彼らを見ていないとならないが、彼らを見ているより、自分が死んで遺族となってしまった家族や、何より留美のことが心配で、テレビのチャンネルでは彼らばかりを追っていた。特に留美のことをずっと見守っていた。
勝にとっては、正直言って三人組がどうなろうと知ったことではない。勝の殺害後、三人組は勝を刺した若い十代の少年が自白したおかげで、三人組はやがて皆捕まった。
そのニュースだけで充分だ。後はどうなろうがどうでも良いということはないが、彼らよりも留美の方がずっと気になっていた。そうして事件後、二ヶ月が過ぎた頃には三人組のことなど頭から既に消えていた。
殺されたにも関わらず、犯人に対して全く恨み言を言わない勝を、天国にいる人々は不思議がっていたが、殺されたことより現世に気になる人がいると、殺した奴らのことなど構っていられないというのが本当の所で、自分を殺した奴らに、全く恨みがない訳ではなかった。
地上で留美と一緒に暮らしている時の様に、勝が留美を助けることは出来なくて「留美頑張れ!留美なら出来る」と声を掛けて、何が起きてもしっかり見守っていてあげる。
手出しは出来ないので、助けることも支えになることも出来ないが、決して見放すことはない。それが勝に出来ることだった。
言うなれば、声にならない応援団として、四六時中見守ってあげる。時にはそよ風の様に、時には雷の様に、時に雨の様に、空気の様な存在として留美を見守っている。
勝は二十四時間、テレビに噛り付き心は留美と一緒にいた。留美が一人になって寂しい思いをぶつけていた時、留美と一緒になって留美の寂しさを感じていた。
留美が勝の死後一年経って、夜空に輝く星に向かって、勝に会いたい思いを吐露していた時も、勝は留美の傍にいて見守っていた。
勝は天国での生活が慣れるに従って、大抵の場合は、留美を見守っている自分の存在を気にすることもなくなったが、留美がビルの屋上に立った時程、勝は天国から見守るだけで、留美の手助けになれない自分を恨んだことはなかった。
勝は必死になって叫んでいた。
「止めろ!止めてくれ!留美、僕の分まで生きてくれ!留美の寂しさを埋めることは出来ないけど、僕は留美が死ぬまで見守っている。頼むから生きてくれェ!お願いだからぁ!」
勝はテレビに映し出された留美を見ながら、留美に伝えたい思いを興奮しながら口に出して叫んでいた。声がかすれても叫び続けた。
だが、留美に勝の懸命な思いは伝わらなかった。勝が天国から見守る中で、留美はビルから飛び降りた。
勝は飛び降りた留美の姿から一時も目を離せずにいた。こんなに苦しいことはない。勝の留美に対する思いとは別に、留美は身を投げてしまった。
「天国の馬鹿野郎!」勝は狂った様に暴れまわった。だが、勝は実体がないので何をすることも出来ず、勝は暴れているにもかかわらず、周りからは勝が踊っている様にしか見えなかった。
自分が天国から見守っていても、相手にはそのことが伝わらない。天国にいても楽しい生活ではない。むしろ、残してきた人の心の支えにもなれず、自分の無力さをまざまざ思い知らされるだけだ。
天国で極楽として好きなことをして暮らす人もいるが、大部分の人が地上に残してきた人達をじっと見守っている。
見守っていても伝わらない思いに自分の無力さを感じる。幽霊となって、その人のために何か出来るならいい。だが、天国では何もしてあげられない。
「ちきしょう!天国なんて糞くらえだ!」
荒れている勝を見て、勝の担当天使がやって来た。
天使には名前がないので呼びようがない。それでは不便なので、勝は自分の担当のあの立派な顎鬚の老人をケンタと勝手に呼んでいた。ケンタッキーフライドチキンのおじさんに似ているから、そう名付けていた。
「ケンタ、天国にいても好きな留美のために何もしてやれないじゃないか!」
「ケンタではない、天使様じゃ!そりゃ、そうだろう!お前は既に地上界では死んだのだ。現世では存在しないのだから当然だろう。そんなお前が、天国からあれこれ出来たら、地上で生きている人にとって迷惑ってもんだろうよ!」
ケンタの言うことは勝も解ってはいた。だが、何も出来ない苛立ちを誰かにぶつけたかったのだ。
勝は怒気を弱めて「解ってはいる。解ってはいるつもりなんだけど、このやるせない思いはどうしたらいいんだ?留美が自殺するのを見ていながら、何も出来ない自分をどうしたらいいんだ!」と訊いた。
「どうすることもない。慣れるしかないのじゃよ。それが天国で見守るということだ。手を差し伸べて助けることではない。見守るということの意味が、お前にもやがて分かるだろうよ!」
勝はフーと溜息を付いた。
「天国の方が地上より試練が多いよ」
「お前がそう思うなら、そうかもしれんな。それは、わしがどうこう言う問題ではないじゃろう。お前が思うことじゃからな」
「でも、これで留美と一緒にここで暮らせるんだろう?」
ケンタは即答しなかった。
「留美が地上界で死んでしまったことは残念だけど、これからはこの天国で二人で暮らせるんだろう!」
勝には、感情がない天使であるケンタが、言い難そうな顔をしているのが気になった。
「残念だが、彼女は天国にはやって来ない」
「ええ、どうして?留美も僕と一緒で、悪いことは何もしてない。当然、天国に来るんじゃないのか?」
「それは違う。残念だが、彼女は地獄に行くことになる」
勝はケンタから思ってもいない言葉を聞いて、目の前が真っ白になった。
「う……ウソだろう?」
「嘘ではない。お前は殺されて天国に来た。お前を殺した奴は地獄に行くことになるじゃろう。彼女は、人を殺していないが、自分を殺してしまった。例え、それが自分であっても、自分という人を殺してしまった以上、天国には来れないんじゃ!」
「そ……そんな馬鹿な!それじゃ、留美は地獄に行くために死を選んだって言うのか?僕とも会えない一人ぼっちになるために……」
「結果を見れば、そういうことになるな!」
「ウォォー」
勝は暴れまくり、ケンタに殴りかかった。だが天使を殴れるはずもない。どんなに勝が暴れてみても何も出来る訳もなく一人で踊っているだけにすぎなかった。
「そんな馬鹿な……るみぃー」勝はへたり込んで一人小さな声で呟いた。勝の頭のイメージの中では留美が笑いかけていた。
留美はビルの屋上から飛び降りて暫くは生きて、激痛の中で父や母そして勝の幻影を見ていた。やがて激痛が薄らいで意識が遠のいていった。気付くと自分の体を見下ろしていた。
空間が歪み漆黒の闇が空間の一部に拡がった。漆黒の闇が周りの空間の中に消えていくと、そこには一人の男が立っていた。その男を見た時、留美の体は恐怖で硬直した。
そこに立っていたのは、二本の角が生え、口は耳まで裂けており、手には大きな鎌を持っている男だった。目は虚ろに開かれているが何の感情も見えず、瞳孔は漆黒の闇を放ちどこまでも吸い込まれそうだった。
その男は留美に対して言った。
「私は死神のリューイだ!お前を迎えにきてやったぞ!」
全く表情のない顔をしていた。笑うことも、泣くことも、悲しむこともない無表情の顔である。
その男から発せられる声は、口を開いていないにも関わらず、地面の下から足を通って脳天まで響いてくる様な感じがした。その男の異様さに、留美は背筋が冷たくなり冷や汗が流れるのを感じた。
「し……死神って?」留美は言いながらゴクリと唾を呑み込んだ。
「そうだ、死神だ!死神は死んだ地獄行きの人間を、地獄まで連れて行ってやるのが仕事だ!」
「じ……地獄って?私が地獄に連れて行かれるの?」
留美は、目の前の恐怖に心を掴まれたまま、おずおずと訊いた。
「お前は自分で自分という人間を殺した。だからお前は地獄行きとなる。だから、私がお前を地獄に連れて行かねばならないのだ。さぁ、時間がない。行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
恐怖に縛られる中、やっとのことで留美は声を絞り出し、死神が手を引くことに対して抵抗を示した。
「ま、勝も地獄にいるって言うの?」
「勝?ああ、地上界でお前の恋人だった男のことか!いや、あいつは天国に行っておる。あいつは殺された方だからな」
「そ、そんなァー!それじゃ、何のために……!」
「何のために自殺したのか!と言いたいのか?お前が何のために自殺しようと私には関係ない。さ、早く行くぞ!お前は自分という人間を殺したんだ。それは事実だ。殺人は罪深いんだ。だが、地獄にはお前の様な奴が沢山おる。きっといい友達になれるだろう!」
「い、嫌よ!勝に会いたくて、自分の命を絶ったのに、これじゃぁ、まるで……」
留美は、強い調子で死神のリューイに反抗した。
「お前が嫌だろうが、何だろうが、お前の気持ちなど関係ない。そもそも地獄に行きたい奴などあまりいない。だが、お前は自然に地獄に送られる。見ろ!お前の体が黒い闇に消されていく。この地上での存在が消えていくんだ!」
「え、ええ?ちょっとま……」
リューイの言う通り、留美は闇の中に消えて行った。
留美が気付くと、暗闇の世界である地獄にいた。留美は視界がやがて暗闇に慣れて周囲の状況が見える様になってきた。
「ひぃ!」留美は小さな悲鳴を上げた。
前を横切った人間の面玉が垂れ下がり、肉が腐ってずり落ちながら、重そうな荷物を背中に背負って歩いている姿を見たのだ。
見渡してみると、骨が剥き出しになったり、手がもげたり首がもげた姿で、やはり重そうな荷物を背負って歩いている人が沢山いた。
「怖いか?やがてお前もそうなる。ここにいる人間皆がそうだから、すぐに慣れて、自分の醜さも気にならなくなるさ!」
リューイは、何の感情を差し挟むことなく言った。
「でも、どうして?」
「訳を訊きたいのか?地獄に来た者は、皆罪深い者たちだ!天国に行くか地獄に行くかは、現世での行いにより判定されるものだが、罪を犯した者は自動的に地獄に送られるんだ。地獄に連れて来られたほとんどの人間は罪を犯している。そんな彼らの罪を償わせるために、肉体が腐り腐敗臭を出す。現世であれば死体を焼いてしまえば肉は残らないが、ここでは肉は腐って強烈な臭いを出しながらも、肉が完全になくなって骸骨になることはない。この地獄では、罪滅ぼしのために、ずっとそんな醜い体と酷い臭いを、背負って生きていかねばならんのだ!」
「天国でもそうなの?」
「天国は違う。天国では死んだ時の姿そのままで老いることもなく、ましてや体が朽ちていくことはない。だが、この地獄も満更悪くない。人によっては己の醜い体に自己嫌悪を抱き続ける者もいるが、自分だけではなく、ここにいる限り、皆が醜い体をしている。皆が一緒であるから、お前も、その内慣れるだろうよ!」
そう言うとリューイは立ち去ろうとした。
留美は立ち去りかけたリューイにちょっと話題を変えて質問した。
「あの皆が背負っている荷物は何?人によって大きさも色も重さも荷物の数も違う様だけど……」
「ああ、あれか!あれは罪と言う名前の荷物だ。ここにいる人間は、現世の罪の行いによって、背負う罪という荷物の重さも違うし、大きさも、色も、数も違う。お前らはずっと、この地獄で罪を背負って生きていかねばならないのだ!但し、荷物を担いでいる労働時間以外はテレビで地上に残してきた人のことを見ることは出来る。自分が死んで、悲しむ遺族のことを見ることは出来る。そんな自分が残してきた人々を見守ることは出来る!まぁ、労働もその内慣れるだろうさ!」
それだけ言うと、今度は本当にリューイは立ち去って行ってしまった。
地獄にもリューイが言う様にテレビがあって地上界の様子を見ることが出来た。留美はお父さんやお母さんや友達の姿を見ることは出来たが、肝心の勝がどうしているか知ることは出来なかった。
天国も地獄も地上界を映し出すテレビはあったが、互いを見るテレビは置かれてなかった。天国は地獄の事に関して全く関心を払わないし、地獄は天国のことに無関心であることを考えると当然のこととも言えた。
留美が地獄に来た時に見た様に、地獄に来た人間は、罪と言う重たい荷物を背負って運ぶ重労働をしないといけなかった。
留美も労働の時間には荷物を背負わされた。荷物をどこかに運ぶのではなく、荷物を背負ってただ宛てもなく、ぐるぐると歩かなければならなかった。労働であって、仕事ではなかった。
留美は自分の罪と言う荷物を見た。“自殺”と書かれていた。自分で自分と言う人間を殺したという罪である。地獄にいる人達は皆、それぞれいろんな罪を抱えていた。この罪は地上界での法による罪とは大分異なっていた。
留美が背負っている自殺の罪など、地上界で問われる法律はどこにも存在しないだろう。逆に地上界の法律で罪となることも、この世では罪とならずに天国にいる人間もいた。
留美は自分の罪の荷物を担ごうとして、肩紐に腕を通して持ち上げようとしたが、持ち上がらなかった。見かけよりずっと重く、肩まで持ち上げることが出来ない。
だが、休んではいられなかった。休んでいると、監視している番人の鞭が飛んできた。
番人は赤鬼、青鬼といった顔ではなく、般若の様に口が耳まで裂けて目が釣りあがって、いかにも恐ろしい顔をしている。そして般若より筋骨隆々とした体つきだった。死神は無表情であるが、この番人は怒りが頂点に達した時の様な顔をして毛が逆立っている。
留美はやっとのことで荷物を持ち上げた。肩紐が肩にずしりと食い込んでくる。気を抜くと後ろに倒れてしまいそうになる。留美は歯を食いしばり荷物を担いで、同じ様に荷物を担いで列をなして歩いている人の群れの中に入って行った。
皆、ゾンビであるが、地獄の番人や死神とは違って苦しそうな表情で歩いていた。いや、歩かされていた。誰も自分の意志で荷物を担いで歩いている訳ではない。荷物を担いで歩かないと番人の鞭が飛んで来る。
留美の数人分前を歩いていた子供が、前で転んでしまった。すぐさま、番人の鞭がその子を襲った。実体がないので鞭を打たれても体の痛みはないはずだが、実際に肉体があるかの様に痛みを感じた。
鞭に打たれた子供が泣き出した。留美は自分の重い荷物を背負ったまま、子供の下に走り去り、子供の目線に合わせてしゃがんで笑いかけた。
留美がしゃがむと、背中に背負った重い荷物はさらに重く後ろに引っ張る。足が荷物の重さに足が地面にめり込む。留美は後ろに倒れない様に前屈みになって、地面に手をついて支えた。
「大丈夫!坊や」
「あたい、女の子よ!」
「ごめんね!お姉ちゃんが荷物持っていてあげるから、頑張って立ち上がろうね!」
留美は女の子の荷物を持ってあげた。
そこを番人に見つかった。
「何してる!他の奴の荷物は背負うな!」
ピシッと足に激しい痛みを感じた。鞭がしなって留美の足に当たった。
「でも、こんな小さな子に可愛そうです!」
「可愛そうではない!一人の罪という荷物はそれぞれが永久に担がないとならないものなんだ!誰かが代わりに担いで上げるのは許されない!」
「でも……」
「でもではない!口答えするな!」
ビシッと鞭がしなって留美の腕に当たった。留美は痛くて、荷物を背負ったまま倒れてしまった。
ドシーンと激しい音がした。留美の抱えていた荷物が地面にめり込んだ。
「お姉ちゃん、ありがとう。あたいも頑張るよ!」
その小さな女の子は、自分の荷物をよろけながら再び背負って、荷物を背負って歩く人の列の中に帰っていった。
「ほら、立ち上がれ!」
留美に、また鞭が飛んできた。留美は歯を食いしばって立ち上がり、また荷物を担ぎ直して人の列の中に戻った。
罪という荷物を背負う労働も辛かったが、それ以上に辛いのが、自分の体や顔が腐りゾンビになってしまうことだ。腐ってしまうと腐敗したとてつもなく酷い臭いが自分の体から放たれる。その方が辛い労働よりも、さらに辛いことであった。
やがて美しかった留美の肉は腐れ落ちて面玉は垂れ下がり、醜い体になっていった。
地獄では鏡が到る所に置かれており、醜くなった姿を見せる一種の拷問であった。地獄とは言っても漆黒の闇ではなく、最小限の光があり見えるのだ。いや、見たくなくても見えてしまうのだ。
それでも、留美は自分の容貌にショックを受けることは少なかった。最初に鏡を見た時はショックも大きかったものの、それからは一切、鏡を見ることはなかった。外に出れば鏡を見ることになる。留美は暗くジメジメした光の射さない地獄において、自分の部屋に篭って勝のことだけを思い続けていた。
それは光に溢れた天国にいる勝も同じだった。勝は留美が死んでも会えないと知ってから、益々留美に思いを寄せていた。テレビはあまり見なくなった。留美を見ることが出来ないからだ。でも留美のことが見えなくなって、勝の記憶の中にいる留美が日々話し掛けてくれた。
留美が自殺して数ヶ月経った。だが、勝は留美の記憶と語り、留美は勝の記憶と語って、二人の届かぬ思いは弱まることがなかった。
言うなれば、メールや電話などコミュニケーションが一切ない遠距離恋愛である。相手がどうしているか思いを募らせれば募らせる程、切なくなってしまう。
だが、勝と留美は実際に天国や地獄にいる相手のことではなく、自分の頭の中にいる思い出の中の相手と語り合うことにより、寂しさを紛らわせていた。空想とか妄想と言った想像でしかないが、思い出の中の相手は常に眩しく笑っていて、そんな相手の笑顔を思い浮かべるだけでも幸せに思えた。
そうして留美が亡くなって一年の月日が流れた。依然として二人の思いは強く、自分の思い出の中の彼や彼女と話す日々の生活は変わっていなかった。
ある時、ケンタが勝に問い掛けてきた。
「お前はいつもそうやって地獄に落ちた彼女のことばかり考えている。いつまでそうやって会うこともない、また今後も会えることがないであろう相手の思い出と話しているつもりじゃ?」
勝はケンタの言葉にちょっと考えてから、はきはきとした言葉で返した。
「いつまでも。例え、天国と地獄に別れていても、こうしていると留美のことを愛していることが出来るんた。それだけでも充分幸せな気分になれるんだ」
「それが、エンドレスラブ、永遠の愛とでも言うつもりなのか?」
「いや、そんなカッコいいものではないよ。ただ、留美のことを愛している。それだけかな、言えるのは」
勝はそう言うと、また目を閉じて留美と心で語りだした。
ケンタはそんな勝を見て試してみたくなって、また勝に問い掛けた。
「地獄に落ちた彼女と、天国にいるお前が、代われるとしたら代わりたいと思うか?」
勝はケンタの言っている意味が判らなかった。
「この天国での全ての生活を捨てて、暗くジメジメした光も射さない場所で自分の体が朽ちていく。辛く厳しい拷問もある。そんなことになるとしても、彼女と代わって彼女を助けたいか?」
「え、代わることが出来るの?何故、それを早く言ってくれないんだよ!もちろん喜んで代わるよ!留美が辛いことから救われるなら何だってするよ!どうやればいいの?」と勝は目を輝かせてケンタの方を見た。
「いや、例えばの話じゃよ。例えばのね」
勝の返事に、天使のケンタの方が慌ててしまった。
「なんだぁ!がっかりさせないでくれよ!」勝は演技ではなく本当に残念な顔をした。
「どうやらお前の愛は本物みたいだな!」
「そんなこと、今更、試されなくたってそうだよ。今こうして別れていても、僕の心は留美のものだよ」
「実は、地獄にいる彼女と会えないこともないんだがな!」
「どうせ、また嘘だろう!もう僕は騙されないよ!」
「今度は本当の話じゃ!実はな、天国と地獄はまるで両極の様に見えて、どちらも死んだ人間が行く所じゃ!地上の人のことは天国からでも地獄からでも見守ることは出来る。だが、天国と地獄には交流がない。そこで、神様の粋な計らいで、天国の人間と地獄の人間が会える機会を作ることになったのじゃよ」
「また嘘じゃないの?」
「信じる、信じないはお前の勝手じゃ。わしは伝えただけに過ぎない。お前に無理強いせんからな!」
「本当に本当なの?」
ケンタは答える代わりに大きく頷いた。勝の顔が見る見るうちに明るくなってきた。
「やったね!留美と会えるぞ!それでどこで会えるの?」
「慌てるでない。いつも会える訳ではない。神様とはいえ、そんなに甘くない。年に一度、七月七日の日。地上では七夕とか呼んでいる日じゃ。この七月七日の〇時から二時までの二時間だけ。会えるのは天国と地獄の境にあるお前達が現世というか前世でもないが、過ごした地上界じゃ」
「へぇ、でもそんな話があるのに、天国の人は誰も教えてくれなかった」
「そりゃ、当たり前じゃ!天国にいる人間も地獄にいる人間も、相手に会いたいと思う人は少ないじゃろうが!それに今回が初めての企画じゃからな!」
「会いたくないのか?……そんなもんかなぁ?」
「誰が好き好んで、自分が殺した人、自分を殺した人に会いたいと思うか?皆、地上に残してきた家族には未練があっても、天国と地獄はお互いに会いたい人など、ごく少数なのじゃ!お前達のケースは稀でしかない。だから天国の人間と地獄の人間と会えると聞いても誰も会いたがらないものだろうよ!それが普通じゃて!」
「そう言われてみればそうなのかなぁ」
「だが、お前達の様に、天国と地獄に別れてしまっても会いたい者達も稀にはいる。そこで今度、試験的に再会の機会を作ってやろうと言うことになったのじゃよ」
「そうかぁ、ようし!留美に会えるぞぉ!でも留美はそのこと知っているのかな?」
「それはわしには判らん!だが、地獄にもこのことが知らされていることは確かじゃ!」
「それなら、留美は聞いているね!希望が湧いてきたぞ!」
地獄では、留美が誰とも話さず、一人で思い出の中の勝と語り合っている姿を見て、留美を地獄に連れて来た死神のリューイが訊いて来た。
「お前はどうして、そうやって地獄の誰とも話さずに、会うことも出来ない彼の思い出に浸っているのだ?」
留美は思い出の勝と語るのを一時中断して答えた。
「どんな辛いことが起きても、勝の顔を見ていると、吹っ切れて幸せなんです」
「お前は、この地獄にいて、それでもなお幸せだとぬかすのか?」
「どこにいようと、私の思い出の中にいる勝は変わりません。それだけで幸せなんです」
リューイは留美の答えに留美の愛を試すことにした。
「もし、私がお前の彼を地獄に連れてきて、その代わり、お前を天国に送ってやると言ったらどうする?」
「そんなこと絶対にやらないで下さい」
「何故だ?お前の醜い体も、天国なら綺麗な体に戻れるぞ!」
「その代わりに勝の体が朽ちていく。そんなことを私は望みません。私は私の思い出の中で生きている勝と話をするだけでいいんです。それだけで幸せなんです」
「それでは、こんな条件ならどうだ?地上にいるお前の家族や友達の記憶から、お前の記憶を全部消すことを条件に、お前の彼を地上界に蘇らせてやると言ったらどうする?」
留美は暫く考えていた。
勝のことは愛していた。だが、自分の位牌に向かって焼香している父と母の姿、自分の写真を見ながら思い出を語り合っている父や母の姿が思い浮かんだ。彼らの前から留美は自分のみならず、自分の記憶すら消してしまうのは出来ることではなかった。
留美は決断出来なかった。
「選べません。私のことだけでしたら、お願いしますと言うでしょう。例え私の家族が私の記憶を失って、私が存在していたことさえ無かったことになっても、勝が生き生きとあの輝く笑顔を見せられるなら、私はその道を選びたいと思います。そうすれば地獄での日々を、私はずっと勝の姿をテレビで見て過ごすことが出来ますから。ただ、私を育ててくれた親の記憶から、私の記憶を抜き去るのは、私の両親に対して出来ません。裏切ることになります。勝も両親もどちらも大事なんです。両親は大事にしたい。勝は一人の女として愛しているんです」
留美はそう言うと俯いてしまった。
リューイは留美の答えを聞き、暫く考えていた。
「……お前の愛はどうやら本物らしいな。それに、お前の両親を思う気持ちも本当らしいな!選べないっか、まあ答えとしてはそんなものだろうな。それでは、天国にいるその彼と会う手段があるといったらどうする?」
「ええ?」
「実は、年に一度、七月七日の0時から二時までの二時間、天国と地獄の境である地上界で会うことが出来ることになった。神が勝手に企画したものだが、地獄の閻魔様も別に反対する理由がないから、神の申し出を受け入れた。その機会に天国にいる人間と会うことが出来る」
「本当?」
「ただ、天国にいる相手もその機会に来ればの話だがな!だが、彼に会ったとしたら、彼はお前の変わり果てた醜い姿を見ることになる、お前の体から湧き出る腐った臭いを嗅ぐことになるがね。それでもいいのか?」
留美は何も答えられずにいた。思い出の中の勝はいつも笑顔で優しかった。
だが、留美の現在の醜い姿を見た時にどう思うだろうか?
醜くなった留美に勝は失望するだろうかか?
勝の愛は覚めてしまうのではないだろうか?それだったら勝と会わずに、このまま思い出の中で、ずっと愛している方がいいのではないだろうか?
でも、勝に会いたい!
留美の頭は、複雑な不安と思いがぐるぐると駆け巡った。
何も応えない留美を見て、リューイは「お前の醜い姿を見ても、その強い愛を持ち続けられるものかな?それとも……」
リューイは皮肉気味に言うと、笑いながら去って行った。
一年目の七月七日の日が来るのを勝は指折り数えて楽しみにしていた。前日は朝からウキウキとはしゃいでいた。まるで子供の頃の遠足に行く前日の様であった、または留美とのデートの前日の様に心がふわふわと舞い上がっていた。
そして七月七日、神様の思いつきで始められた天国と地獄の再会パーティーが開催されることになった。勝は精一杯のお洒落をして出かけた。
この日のために、神様がドレスアップ出来る正装を準備していた。もちろん、実際の服ではない。実体がないので服は着られないが、イメージとして神様が創り出したものである。
ケンタが言っていた様に天国側の住人の参加者は二十人に満たない程しかいなかった。地獄側に会いたい人がいる人は少ないのだ。また、地獄側の人間が世にも恐ろしく醜く変わり果てた姿を見て、自分の綺麗な思い出を傷つけたくないと思っていた人もいるだろう。
目一杯正装して、勝と同じぐらいの年齢の男が勝に話し掛けてきた。
「やぁ、あなたも地獄に会いたい人がいるんですか?」
「ええ」とだけ勝は簡単に返事した。
「そうですか。僕も彼女が来ると思うんですよ!彼女は、僕が死んだ後を追って自殺してしまって、地獄に落ちてしまったんです。そんなに僕を愛してくれた最愛の彼女と、また出会えるんですよ!凄い興奮してきますよ」
「へぇ、そうなんですか!実は私もそうなんですよ!」
「え、あなたも、そうですか!なんだかワクワクしますね。久しぶりの彼女と出会えるんです。もう胸が破裂してしまいそうですよ!」
「私もなんですよ!昨日からウキウキしてしまって……。こんなにウキウキしたのは久しぶりですよ!お互いに、彼女に会えるといいですね!」
「会えますよ、必ず!彼女が僕を忘れるはずないでしょう!僕らは永遠の愛を語り合った仲ですから!」とその勝と同年代の若い男は答えた。見るからにウキウキと嬉しそうな表情をしていた。
「天国と地獄の再会パーティーにご出席の方は至急ホールに集まってください!」と放送が鳴り響いた。
「それじゃ、行きますか!」勝と勝と同じ位の若い男はホールへ向かって行った。
「さ、この円の中に入ってください!」勝達、天国側の参加者はサークルの中に集められた。
「それではいいですか!いきますよ!そぉれっ!」
掛け声が掛かると、勝達の体は瞬間的に移動していた。勝達の体はばらばらの粉になりその場にサラサラと消えて行った。
勝達が見渡すと、眩いばかりの照明に目が眩んだ。勝はどこかに吸い込まれる様な感覚がした。自分が歪められる様な感覚に、痛かったり辛い訳ではないが、決して良い気分はしなかった。
パーティー会場はこのツアーを企画した神様の粋な計らいで、海に沈没した豪華客船とちょっと洒落ていた。
豪華客船は海に沈んでいるが、イメージだけ海上に再現したものだ。もちろん、地上界に住む者には見えないしレーダーにも引っ掛からない。霊感の強い人がいれば、肉眼で見えることもあるかも知れないが、船も通らない航路にない洋上である。誰かが目撃することはありえない場所で、天国と地獄の再会パーティーは開かれようとしていた。
実際には何も存在しないが、パーティー参加者には豪華客船が活躍していた時代の舞踏会を思わせるべく、生演奏があり、ご馳走が並べられていた。
参加者は、実際には食事を食べることなど出来ないのだが、神様が気分を盛り上げるためにイメージとして用意したものだった。ワインや食事を食べている気分を出すために、並べられたご馳走を食べても飲み物を飲んでも、気分だけを味わうことが出来る様になっていた。
地獄側の参加者はまだ来ていなかった。やがて場内にいた天国側の人達から「おお!」という喚声と共に地獄側の人間は、勝達と同じ様にいきなりパーティー会場のホールに移動して来た。
最初、地獄側の参加者の姿はぼやけていたが、だんだんとくっきりと映し出されるに従って、喚声は悲鳴に代わった。
天国側の参加者は地獄側の人間がゾンビの様になっていることは聞かされていたはずだ。だが、勝達参加者の予想をはるかに超えて、空間に現れた人達は醜かった。
ドレスやスーツを着て正装してはいるものの、中の骨が見えていたり、肉が腐って垂れ下がっていたり、面玉がぶら下っていたり、耳が変形していたり、鼻がなく穴だけ空いている姿は、話で聞いた時よりも見た時の方が数倍ショックが大きかった。
天国側の参加者は呆然としていた。地獄側の参加者が近寄って来るに従って、天国側の参加者は後ずさった。彼らが近付いて来ると腐った臭いが、鼻にツンと痛い様な臭気を放った。とても耐えられる様な臭気ではなかった。
地上界で死者を弔った人もいたが、死者を火葬してしまうから、肉体が腐る臭いを嗅いだことはなかったはずだ。犬や猫の死体が発する臭気とは違っていてすさまじかった。
これも、地獄では罪の償いの意味で、実際に肉が腐った以上の臭いを自分の身に纏い、そんな醜い体と絶えがたい臭いを背負って地獄で生きねばならぬ、罪に対する罰であった。
臭いと書いたが、もちろん、勝達は人間の時に感じた様な五感がある訳ではない。だが、味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚は実際には見えてないし聞こえないし匂いも判らないのだが、生きていた時の様に感じることが出来た。
行く前に勝に話し掛けてきた若い男の所に、駆け寄った白いドレスを着たゾンビは顔の右半分がだらりと腐れ落ちて、ブラブラと垂れ下がっていた。
「和夫さん!」
その白いドレスの骸骨は、若い男に近付いた。男は後ずさって「寄るな!」と言って逃げ出そうとした。
「和夫さん、私よ!あなたと愛を交わしたエリナよ!」
そのゾンビはしゃべって、和夫と呼ばれる男の方に近寄った。
和夫と呼ばれる男の恐怖は頂点に達した様で、白いドレスのゾンビに背を向けて慌てて逃げ出した。だが、ニ、三歩走った所で、和夫はよろけて転んでしまった。
そこに「和夫さん、私よ!こんな姿になってしまったけど、愛は永遠だって言ったじゃない!思い出して、あの時の二人の愛を!」その白いドレスを着たゾンビは言うと和夫に近付き和夫の背中に触った。
「ウギャァー、来るな!来るな、化け物!ゾンビィ!」和夫は転んだ状態で必死に逃げようとしていた。
永遠の愛を誓った男に、化け物と呼ばれたエリナと言うゾンビの女性は、和夫に触っていた手を引っ込めて顔を俯いた。
和夫の顔は恐怖に刈られていた。和夫はあろうことか反転して、白いドレスのゾンビのエリナの顔面に思いっきり蹴りを食らわした。「ガコーン!」と嫌な音がして、エリナの顔は後ろに向いてしまった。
「来るな!化け物!寄るな!……」
和夫は喚き散らし、立ち上がって素早く逃げた。その白いドレスのゾンビのエリナは蹴られた顔を手で前に戻して、その場に崩れ落ちた、もう、ゾンビのエリナは、和夫を追うことはなかった。
和夫は柱の隅に隠れてブルブルと奮えている。そして、いきなりそこにウゲッと言って吐いた。和夫が吐いた物は食べ物でもなく胃液でもない。ショックで吐いたものだが、これも実物ではなくイメージに過ぎない。
勝は白いドレスのゾンビのエリナを見ていた。彼女の震える肩が、彼女が泣いていることを物語っていた。地獄側の参加者が集まって彼女を慰めていた。
そのアベックだけではなかった。涙のご対面のつもりが、誰も感動的な再会に抱き合ってなどいなかった。
男性が後追い自殺したケースもあるから、天国側に女性もいたが、皆同じで天国側の人間は、一定の距離を取ってブルブルと恐怖に震えていた。
地獄側の人達も皆ブルブルと震えていた。だが、地獄側の人達が震えていたのは、恐怖ではなく、信じていた愛に裏切られた悲しみからだった。
そんな状態でパーティーは期待された盛り上がりはまるでなく、誰も再会を果たせずにいたし、誰も話で盛り上がることもなかった。
そんな中、勝は留美を探した。「ルミー、るみぃ!」と呼び続けたが留美は勝の前に姿を現さなかった。留美はどこを探してもいなかった。二時間という時間の中、勝は豪華客船のパーティー会場のみならず、船内を隈なく探したが見つけることは出来なかった。
もっとも、勝といえども醜く変わってしまったであろう留美を一目で見分けることは出来なかった。だが、留美の名前を呼んでいれば留美が現れてくれると思っていた。だが、その日、勝の呼びかけに答えてくれた人は一人もいなかった。
そうしている内に二時間という時間が過ぎ、参加者達は帰りたい、残りたいと言ったそれぞれの意志とは別に天国と地獄に引き別けられた。
留美に会えずに落ち込んでいた勝に、天使のケンタが話し掛けてきた。
「どうやら、愛しの彼女には会えなかったようだな!」
「どうして、それを?」
「お前も知っている通り、地上での出来事は全て見ることが出来るからな!地上界で行われたパーティーの様子は、全て見ることが出来たのじゃよ」
「彼女、再会パーティーのこと知らなかったのかな?」
「さぁ、どうだかな!」
「そうだよ!ただ知らなかっただけなんだ。来年こそはきっと会える!」
「お前は地獄に落ちた人の姿を見たじゃろう!醜く変わり果てた姿を!腐敗臭を発する肉体を!それでも、まだ彼女に会いたいと願うのか?」
「……そ、そりゃ、彼らの姿は聞いていたより、実際に見た方が凄まじくてたじろいたよ!綺麗だった留美があんな姿になっているなんてショックには違わないよ!だけど……それでも彼女に会いたい!」
「彼女と会ってしまえば、お前が描いている思い出の彼女とは、まるっきし違う彼女に幻滅するだろう。お前の綺麗な思い出をぶち壊すことになる。永遠の愛を信じていても、その愛は、いとも簡単に壊れてしまうかも知れんぞ!」
勝はケンタの言葉に何も言えず黙っていた。
「そうしたら、その後は綺麗な彼女の思い出すら失ってしまうのだぞ!お前は思い出の中の彼女と語り合っている。それすら出来なくなる。醜い彼女の新しい思い出が、今までの美しい思い出に取って代わる。それでも会いたいのか?」
ケンタの言葉に勝は考えていた。今までの勝であったら、永遠の愛を信じ即答して「それでも会いに行く!」と自信を持って答えたに違いない。
だが、勝と同じ立場のカップルの姿を今日見てしまった。あの和夫とエリナという若い男女も、決して揺らぐことがない自分達の愛を信じていたに違いない。
ところが、和夫はゾンビの姿になった彼女であるエリナを愛するどころか化け物と呼び、怯えて顔面に蹴りまで入れた。
その男は一時的に精神錯乱状態になっていたとは言え、エリナは和夫を、和夫の愛を信じていたに違いない。ところが、彼から化け物と言われ怯えられ、罵倒されて蹴りまで入れられた。心理的なショックは相当なものだったに違いない。
あのカップルの和夫は、パーティーの前に勝と話をしていた。彼は勝と同じ様に、彼女に会うのを楽しみにしていた。
あの顔を見れば和夫がエリナを愛していたことが判る。あの時点では、和夫はエリナを確実に愛していたはずだ。
それなのに……。
勝は留美との愛を信じている。だが、本当に勝はゾンビの様な留美と会った時に、今日の和夫の様に、醜くなった彼女の姿を見ても、自分の留美への愛は、揺らぐことがないだろうか?
勝はケンタの質問に答えられずにいた。ケンタはそんな勝を見て、そっと立ち去り、勝を一人にしておいた。
リューイはパーティーから帰ってきた留美を見つけて話し掛けた。
「おい、お前はせっかくパーティーに行きながら、何故、お前の彼の前に姿を現そうとせずに隠れていたんだ?」
留美はちょっと黙り込んだ。
「なんか怖くなっちゃってね!パーティー会場で勝の姿を見た時は、勝に飛びつきたかったんだけど……」
「飛びつきたかったんだけど……どうした?飛びつかなかったんだろう?」
留美は答えられずに黙って俯いた。
「同じ様なカップルの姿を見かけて、お前の彼に同様に自分が忌み嫌われるのが怖くなったか!」
リューイは様子をテレビで見ていて全部知っていた。
留美はこっくりと小さく頷いた。
「ははは、所詮お前の愛などその程度のものだ!いや、お前が愛していると思っているものは、愛に憧れているだけのことかもしれん!その程度の浅はかなものだ、愛なんてそんなものだ!永遠の愛などないのだ!」
リューイは勝ち誇った様に言って笑った。
リューイに笑われても、留美は何も言い返せずに、黙って下を向いていた。留美は彼に殴られた彼女をずっと慰めていた。
一度死んだ身であるから、彼女の体の傷は無かったが、心の傷は計り知れなかった。
「和夫を信じていたのに!愛は永遠と信じていたのに……」
エリナは泣きじゃくっていた。
留美は慰める言葉も掛けられず、エリナの肩をポンポンと軽く叩いてあげた。
エリナは、恨めしそうな目になって「愛は永遠なんかじゃないわ!愛なんて儚く脆いものなのよ!私が醜くなってしまっては、和夫と誓った愛なんて脆くも崩れ去った。愛なんてあっと言う間に消え去ってしまった。所詮、愛なんて幻よ。儚い夢を見ていたに過ぎないんだわ!夢が覚めたらおしまい」
「そ……そんなことないと思うわ!」
留美は自信なく言い返した。
「あんたに何が判るのよ!あんたの彼は今日来てたの?来ていなかったんじゃないの?そうなら、あんたに会いたいと思ってさえいなかったんじゃないの!」
「そ、そんなことない。勝は、彼は来ていたわ!」
「じゃ、なんでその彼に会わなかったの?彼と会う勇気もなかったんでしょう!そんなあんたに、とやかく言う資格なんてないわ!」エリナは言葉を荒げた。
留美は黙っていた。留美は確かに和夫とエリナのことを見て、勝に会う勇気を失ってしまった。勝に醜い姿の自分を見られて嫌われたくなかった。
留美が黙ったのを見てエリナはまた静かな口調に戻って言った。
「結局、愛なんてお互いにセックスの欲求を発散させていただけにすぎないのよ!そうしてお互いに好きになって、永遠の愛なんてものを信じていたかっただけなのよ。存在しない幻をね!」と言って、エリナはまた喚く様に激しく泣き出した。
留美には彼女の言葉を否定するだけの自信がなかった。かといって、彼女を慰める言葉も見つからなかった。留美に出来ることは、ただ泣きじゃくって震える彼女の肩を、優しく撫でてあげることだけだった。
そんなことがパーティーの後あって、地獄に戻って来た留美だった。永遠の愛とは所詮儚いものだと言われても、何も言い返すことが出来なかった。
二年目の七月七日がやってきた。勝は一年目に留美が天国と地獄の再会パーティーに来なかったのは留美はパーティーのことを知らなかったからに違いないと思い込み、再び意気揚揚とパーティーに参加した。
昨年よりも少人数の参加者数だった。去年、参加した和夫も参加していた。あの時のことを彼女に謝りたいと言う彼の瞳は前ほど期待を抱いておらず、罪悪感から参加している様にも見て取れた。
和夫はパーティー会場を見渡したが、エリナの姿を見つけることは出来なかった。一度、酷く傷つけられたエリナは、再び姿を現すことがなかった。
和夫はエリナを見つけられず、また会ってしまったらどんな顔をされるか、自分がどんな顔をすればいいのかといった不安や恐れがなく、ほっとした様な顔を一瞬見せた後、彼女を傷つけてしまい、彼女との愛は二度と戻らぬことにがっかりした様な顔をした。
勝は二回目ともなると、地獄側の人間の姿も幾分見慣れてショックは少なかったが、それでもやはり腐敗臭を漂わせることには辟易とした。
天国側も地獄側も昨年の再会パーティーより参加者の人数は減っていた。去年、参加した人たちの顔ぶれは少なく、ほとんどが今年天国と地獄に別れた新人達が多かった。
天国側の人間にとっては、醜い姿に変わってしまった、かつての愛しい人に幻滅してしまい、地獄側の人間は昨年の若いアベックの様に、酷く傷つけられることを恐れて参加しなかった様だ。そんな訳で参加者は去年から比べると、大分減ってしまっていた。
今年のパーティーの中で目を惹いたのは、おじいさんとおばあさんの姿だった。昨年、見かけなかったから、今年、死んで天国と地獄に別れてしまったのだろう。おばあさんは天国側で、おじいさんは地獄側であった。おじいさんの顔は肉が溶けて頬が垂れ下がり、こぶとりじいさんの様になっていた。
二人は夫婦であったが、ある日強盗に入られた。自分達の邸宅でおばあさんは殺されてしまった。そのことに逆上してしまったおじいさんは自分の身を守るためもあり、犯人と揉み合って階段を転げ落ちた。そのはずみで、おじいさんは犯人が持っていたナイフで誤って犯人を刺してしまった。
おじいさん本人も階段から犯人と一緒に転げ落ちた時、頭を打っており、暫くは普通に生活していたが、その傷が元で一ヶ月も経たない内に倒れ病院で息を引き取った。
おじいさんは、法律上は正当防衛が認められたが、人を殺してしまったということで、地獄行きとなってしまったのだ。
おばあさんは醜くなったおじいさんの姿を気にすることもなく、二人は一緒に歩き回っていた。
後で聞いたところでは、おばあさんは盲目だったのでおじいさんの姿が見えなかったのだ。おばあさんは、現世ではかなり前から光を失っていた。
だから、おばあさんは邸宅に押し入った泥棒にばったりと出くわしたが、泥棒の姿は見えていなかった。だが、おばあさんが見えないと知らない泥棒は、おばあさんに顔を見られたと思い込んで、頭が真っ白になって、おばあさんを刺して殺してしまったのだ。
そのおばあさんの叫び声に気付いたおじいさんと犯人は二人で階段を転げ落ちたはずみで、犯人はおじいさんに誤って殺されてしまったということだった。
おばあさんは、天国に行く前から元々目が見えなかったので、おじいさんの醜くなった姿をみることがなかった。ところが鼻はおじいさんの肉の腐敗臭を嗅ぎ取ってしまっていた。
「おじいさん、何でしょうね!この腐った肉の様な臭いは?嫌ですねぇ!吐き気を催しますね」とおばあさんは言ってしまった。
おばあさんは知らなかったのだから悪気は無かったのだが、おじいさんは自分の姿と臭いをとても気にしていた。おじいさんは、おばあさんに判らない様にそっとおばあさんの傍を離れた。
おばあさんは傍にいたおじいさんが遠ざかってしまい心配したが、おじいさんは距離を置いて「大丈夫だよ、ここにいるよ!」とおばあさんを安心させた。おじいさんとおばあさんは豪華客船の甲板に出て、ずっと話していた。
おじいさんはおばあさんに臭いが嗅ぎ取られない様に、常に風下にいる様に気を使っていたので、二人はそのまま最後まで一緒にいて話をしていた。
その他は去年と同じだった。去年、参加してない天国側の人は相手の姿にショックを受け、地獄側の人は、自分の姿に恐れおののいている愛する人を見て、非常に傷つけられてしまった様であった。
留美はその年も来ていなかった。「今年こそは……」と意気込んでいた勝にとっては残念な結果だった。
「仕方ない、留美には留美の事情があるのだろう!」
勝は無理にそう思い込むことで、自分の気持を納得させた。
そうして勝にとっては、二回目の再会パーティーも何の収穫もないまま、二時間は過ぎてしまい天国に連れ戻された。
「また、彼女には会えなかった様じゃな」
天国に帰ってきた勝にいきなり、天使のケンタが話し掛けてきた。
「仕方ないよ!留美にもいろいろ事情があるのだろう」
勝は自分を説得させた言葉を、そのままケンタに話した。
「こういっては何だがな、お前の愛は一方通行なのではないか!自分で愛し合ってると思い込んではいるが、実はお前の片思いで、相手はお前のことを忘れてしまっているのではないか?」
「な……何言ってやがんだ!そんなことがある訳ないだろう!」
ケンタの言葉に勝はちょっと動揺した。勝もそんな思いが浮かんできて打ち消していたからだ。
「そうじゃったらいいのだがな」
ケンタは言うだけ言って去って行った。
勝はケンタに怒って見せたものの、自分はこれだけ留美のことを思っているが、本当に留美は自分のことを思ってくれているのか不安になっていた。
二年間、会うチャンスは二回もあった。都合が悪くても、昨年か今年かどちらかのパーティーには、顔を見せてくれてもいいのではないだろうか?
自分は留美に会いたくて仕方ない。でも自分が思う程、留美は自分のことを思っていないのかもしれないと、勝は頭に疑念が浮かぶ様になった。
でも、留美はまだ知らないだけなのかもしれないと湧き上がる不安を振り払う様に、可能性を見出して希望を抱いた。
地獄に冴えない顔で戻った留美を見て、死神のリューイが話し掛けた。
「おい、お前、また彼にお前の姿を見せなかったな!やはり怖いのか?お前が信じている愛とやらが、お前の目の前で脆くも崩れ去るのを見るのが怖いのか?」
「そんなことないわ!」
留美は強く否定したが、その否定した言葉が自分の気持に正直だったかどうかは、自分でも自信がなかった。ただ、リューイの言葉に、反射的に反発しただけなのかも知れなかった。
思い出の中の勝はいつも優しく笑ってくれた。だが、今の自分の姿を見ても、勝はまた自分に笑ってくれるだろうか?
それとも作り笑いを引きつらせ、醜い自分を見て怯えるだろうか?
勝のリアクションに対して、自分はどう応えたらいいのだろうか?
そんなことを考えると不安は大きくなり、勝の前に出ることが出来なかった。
しかも、今回はパーティー会場で勝とすれ違っていた。留美は勝にすれ違う前から気付いていた。
現場の状況から逃げるに逃げられず留美は俯いていた。勝に見つかったらどうしよう、何て言ったらいいんだろうと思って、胸の鼓動はドックン、ドックンと高鳴った。
ところが、勝は留美に気付くことなくすれ違って行った。留美のドキドキとした期待は失望へと変わってしまった。確かに今の自分は顔も姿も変わってしまっている。でも勝なら自分を見つけ出してくれると信じきって疑わなかった。二人は愛し合った仲だ。ところが勝は、まるで気付くことなく、自分の前を通り過ぎてしまった。
勝からすれば、留美のことを無視した訳ではなく、単に変わり果てた留美に気付かなかっただけのことであったが、留美の勝に会うことへの不安を掻き立て、恐れを増大させ、留美を臆病にさせる結果となってしまった。そして留美は今年も勝の前に現れることがなかった。
三年目の七月七日がやって来た。勝の気持はもはや意気揚揚といったことはなく、留美と出会える期待は失われていた。
「どうせ、今回も行っても、留美はまた来ないかもしれない」と言った諦めが付き纏っていて、初年度の再会パーティーの様な、前日ウキウキする様な期待感はなかった。
今回、パーティーに行く前に、勝よりもちょっと上の年齢の金髪の男が話し掛けてきた。去年、一昨年と見た覚えがない顔だ。今年、初めて参加する新人であろう。
「あなたもパーティー参加するのかい?そのまんまの格好で参加するのかい?何も用意していかなくて大丈夫?」
「はぁぁ?」
勝は何のことだか判らずに訊き返した。
「僕は、完璧だよ!見てくれ!」
彼は手に持った物を勝の前に見せた。目隠しと鼻栓だった。
「これさえあれば彼女の姿も臭いも気にならないよ!」と言って自分のアイディアに自身満々そうだった。
「でもそれは相手に失礼じゃないですか?」
「何を言っているんだ!僕は彼女を愛しているからこそ、目隠しして鼻に栓をしてまでも会いたいと思っているんだ!まぁ、見ててくれ!」と言って勝から離れて行った。
パーティーが始まると早速、その男は鼻に栓を詰めて目隠しした。そこに彼の彼女らしい、黄色いドレスを来て、髪がごっそりと抜けて、骨が見えてしまっている、ゾンビが近づいて行った。
「ケリーなの?」
「おお、その声は礼子か!」とケリーの声は弾んだ。
「何で、目隠しして、さらに鼻に栓までしてるの?」
「これは、君の美しい思い出を壊さないためだよ!いいアイディアだろう!」
礼子と呼ばれる女性は、何も答えずに黙っていた。
「どうしたんだ、礼子?礼子、そこにいるのかい?」
ケリーは手探りしたが、礼子はケリーの腕から上手く避けて逃げていた。返事が返ってこないことに不安を感じたケリーは目隠しを外して礼子を探した。
礼子はケリーの目の間にいた。ケリーはゾンビの礼子が目の前にアップでいることに驚き大声を上げて逃げようとした。
「逃げないで!これが私よ!あなたが見ない様にしている私なのよ!」と礼子は叫ぶと、その場に座り込んで泣き崩れた。
ケリーはおそるおそる座り込んでいる礼子に近付いて、礼子の肩を手で触って慌てて引っ込めた。ケリーが触った礼子の肩が崩れ落ちたのだ。
「そうよ、もう私は前の私じゃないわ!体だって朽ちて崩れていく。醜い顔を持って、腐敗臭を漂わせ、身が崩れていく。そして何より、そんな自分を愛していたあなたに怖がられ嫌がられる。そんな私の気持があなたに分かるの!」礼子はケリーに詰め寄った。
詰め寄ってきた礼子のアップにケリーはたじたじになっていた。そして、礼子は、ケリーの鼻に詰められている鼻栓を手で引き抜いた。酷い腐った臭いがケリーの鼻から入り、ケリーはたまらず咽て、その場で吐いてしまった。
「やはり、もう愛なんて無理なのよ!私達が死んだ時点で、愛は切れて終わったんだわ!天国と地獄に別れている私達は、地上界で生きていた私達とは別人でしかないのよ!他人でしかないのよ!」
そう言うと、礼子はケリーに踵を返して去って行った。
去り行く礼子をケリーは右手で追って「礼子ォ!」と叫んだ。礼子が振り向くと、ケリーは再び胃から戻してくるのを両手で止めていたが、両手の間からぼたぼたとこぼれ落ちた。
そんなケリーの姿を見た礼子は口元に自虐的な笑みを浮かべて「どうせ私達の愛なんかこんなものよ!」と小さく呟いて、そのまま歩いて去って行った。
ケリーが去り行く礼子の方に手を伸ばして何か言おうとしていた様だが、礼子は二度とケリーの方を振り返ることはなかった。
留美はまたしても勝の前に現れなかった。勝が留美と会うために、天国と地獄の再会パーティーに参加するのは三度目だった。
勝が最初に感じていた「留美に会いたい!」という強い思いは、パーティーに期待を寄せて、結局、留美に会えなかった回数を重ねる度に減っていった。
「やっぱり留美は来なかったか!留美の心の中には、もう僕はいないのかも……」
パーティー会場を後にする時、勝はポツリと呟いた。
リューイはパーティーから帰ってきた留美に向かって言った。
「解らんなぁ、お前という人間は!お前は彼に会いに行っているのだろう!それなのに、三回もチャンスがありながら、一度も彼の前に姿を現さずに、柱の陰で見ているだけだ。会う気がないなら、行かなければいいのにと思うが……」
「私はいいんです。このままで、一年に一度だけ勝の顔を見ることが出来る。ただ、それだけで……」留美は俯いた。
「それでは、これからもそうやって彼に会わずに、陰で見るだけだと言うのか!」
留美は応えずに俯いていた。
「せっかく、お前の信じる愛とやらが壊れる姿を楽しみにしておったのに!まぁ、私には関係ないことだがな。お前がそうやって、うじうじしている間に、お前の彼が心変わりしてしまわなければいいがなぁ!」とリューイは言い残して去って行った。
留美は勝への愛が終わってしまったのではなく、依然として愛してはいた。だが、完全に自信を失っていた。幾ら鏡を見ない様にしていたとは言え、自分の姿は醜く、異臭が漂う体である。そんな自分が嫌で仕方なかった。
思えば、この天国と地獄の再会パーティーの前は、勝の思い出を胸に地獄でも幸せを感じられた。自分の姿に劣等感を感じることがなかった。地獄では、皆人間はこの様な姿になっている。
だが、天国と地獄の再会パーティーで勝の姿を見てしまった。自分はこんなに醜い姿に変わってしまったが、勝は留美の思い出の中の勝と何も変わっていない。年さえ取っていないで、時が止まった様だ。
さらに留美は、留美と勝のケースと同じ様な若いカップルが天国と地獄の再会パーティーで愛が壊れるシーンを見てしまった。
今となっては、留美は自分の醜い姿と異臭を発する姿に強いコンプレックスを抱いていた。こんな姿を勝に見せたくない。こんな酷い臭いを勝に嗅がれたくない。
どうせ、自分はこんな姿でこんな臭いを発する以上、勝とは釣り合うことはない。自分など勝と出会ってはいけないんだ。どうせ自分なんか地獄に落とされた人間、天国の人間と愛など、所詮無理な話なのだと考える様になっていた。
コンプレックスから来るネガティブな発想は自虐的な発想となり留美を縛った。今年の再会パーティーでは、留美は勝に見つけられない様に、ずっと下を向いて地獄側の人間と話すだけであった。
だが、一方では勝への愛を抑えられるでもなく、留美は地獄側の人間と話しながらも、目は常に勝を捉えていた。勝の姿を一瞬でも失うと、心配でキョロキョロと探した。
勝には声を掛けられずにいたが、いつでも視界に勝を捉えていたかった。そうして留美は勝に何も言えない内に、二時間の時間は過ぎてしまったのだ。
「また会えずじまいだったらしいなぁ!」とケンタは勝に話し掛けた。
「留美は、この七月七日の日に天国と地獄の人間が会えるって知ってるんだよな!」
「地獄の死神といえど、そこまで意地悪することもあるまい。実際、地獄から来ていた人間がいたのじゃろう!それだったら、お前の彼女だけが、知らんということはないじゃろう!」
「そうだよな、ということは……」
「そう、お前の彼女は、お前と会えるのを知ってて来ないと考えるのが妥当じゃろうな!」
「留美は僕と会いたいと思っていないってことかな!」
「ま、そういうことじゃろうな!」
「でもどうして?」
「それはわしにも解らんな!」
勝は信じていた留美との愛に疑問を抱き始めていた。勝は自分が死んでから、天国からずっと留美を見守ってきたつもりだ。そして留美が自殺してしまってから、地獄にいる留美と代われるものなら代わりたいとまで思ってきた。
そして一年に一度出会うチャンスがあるということで三年間に渡って、天国と地獄の再会パーティーに参加した。留美のことだけを思い続けて、留美に会いたいとだけ思ってきた。
だが、留美は勝と会いたいとは思っていなかったのかも知れない。勝に出会うチャンスが三回もあっても、一度も勝の前に姿を現さなかった。
勝は留美との愛を確信していた、だがその相思相愛と思っていた愛は、ケンタが言う様に自分の独り善がりであるのかも知れないと思う様になっていた。
「るみぃ、あんなに愛し合った二人の愛はどこに行ってしまったんだよぅ!もう終わってしまったのか?愛は永遠だと信じていたのは僕だけだったのか?」と勝は呟いた。
勝はあれほど確信していた留美との愛に自信が持てなくなっていた。
勝は留美との愛に疑いを抱いてしまった。今までも何度か疑いを抱いたが、その都度そんな疑いを拭い去ってきた。だが今度ばかりは疑いを脱ぐい去るどころか、疑いの心が晴れるどころか、疑いがやがて確信に変わっていった。
とうの昔に、留美は自分を忘れてしまっていたのだ。留美の心の中には自分はいない。そう思うと、勝の留美に対する愛はぐらぐらと根底から揺らぎ始めた。
勝は、天国で知り合った女性で、遼子という女性が勝に好意を抱いていた。勝に何かと親切にしてくれていた。勝も遼子に対して愛とは違う単純な好意を抱いていた。
だが今までは留美に対する愛への忠誠心があったため、遼子に対しても、また他の誰に対しても恋愛感情まで発展しなかった。
だが留美は当の昔に自分を愛していない。自分の愛は独り善がりの一方通行でしかないと思うと、留美に愛を貫く理由がない様に思えてきた。
留美は既に自分のことを忘れてしまっている。何故、自分が留美に対して愛を貫く必要があるのか?留美との愛は終わってしまったのだ、そのことを認めないといけないと勝は思った。
そうして留美の愛に一旦疑念を抱き始めると、疑念は一気に膨らみ、勝の留美への愛は急速に冷めていった。
それと反比例するかの様に増大していったのが遼子の優しさへの恋に似た思いだった。勝が留美への愛に自信が持てなくなっていた時に、遼子は勝の心の内を聞いてくれた。
心の内にどんよりと漂っていた、留美の愛に対する不信の心を、勝は遼子に吐露する様になった。勝は、遼子に話すことによって幾分すっきりした。
そうして幾度となく遼子に心を開いて話し合う様になり、勝は遼子の優しさに次第に憧れに似た恋愛感情を抱くまでになり、遼子と次第に仲良くなって遼子に惹かれていった。
四年目の七月七日の天国と地獄の再会パーティーの日がやって来た時、勝は天国で過ごしていた。留美と会えないのに天国と地獄の再会パーティーに参加しても、意味がないので止めたのだ。
七月七日のパーティーが行われている時間には遼子と過ごしていた。勝は後ろめたい気分を感じていたが「留美との愛は終わったのだ」と気持を入れ替えた。
勝は五年目、六年目の七月七日も天国と地獄の再会パーティーに参加しなかった。
勝は天国と地獄の再会パーティーに行くのを止めた四年目の七月七日はちょっと罪悪感を感じていたものだが、五年目の七月七日は罪悪感を全く感じなくなり、そして六年目の七月七日には天国と地獄の再会パーティーのこと自体思い出すことなく忘れていた。
忘れていたのはパーティーのことだけでなく、留美の思い出も心の片隅に追いやられて、勝は日常的に留美のことを考えることがなくなっていた。
留美は、四年目の天国と地獄の再会パーティーから地獄に帰ってきた時、あるおじいさんに話し掛けられた。留美は覚えていた。このおじいさんは二年目の時、盲目のおばあさんと出会って話をしていたおじいさんだ。留美は二人のほのぼのとした愛情を羨ましく思っていたので覚えていたのだ。
「もし、お嬢さん!少しお話を聞かせて頂いて宜しいでしょうか?」
そのおじいさんは紳士的に話し掛けてきた。
留美は勝の姿を、今年の天国と地獄の再会パーティーで見つけられず、かなり落ち込んでいた所だった。留美は黙ってそのおじいさんを見つめていた。
「今年は彼が来ていなかった様ですね!」
「わ……私の彼を知っているんですか?」
「なんとなくですけどね。
「な、何故?」
「パーティー会場で、あなたがいつも目で追いかけている姿を見れば、誰でも判りますよ。彼を追いかけているあなたの潤んだ瞳を見ればね」
留美は俯き黙っていた。
「すみません、嫌なことを訊いてしまいましたか?ただ、私にもあなたぐらいの娘がおりましてね、娘は東京の大学に通わせているんですよ」
「おじいさんはどうしてこちらに来てしまったんですか?おじいさんは悪い人に見えません。それなのに天国ではなく地獄なんて……ごめんなさい。私の方こそ失礼なことを訊いてしまいましたね。忘れてください!」
留美はおじいさんの話題を変えた。おじいさんは人柄も良さそうで、何故、地獄にいないといけないのか不思議だったからだ。
「ああ、別に構いませんよ。私が最初に訊いたんですから」
「話したくないなら無理には話して頂かなくても……」
「いいんですよ。聞いてください。私は一人娘を東京にやっておりまして、普段は家内と二人で住んでいたんですよ。ところが、ある日、私の家に泥棒が押し入りましてね。私の家内は家に押し入った泥棒に最初に殺されて、私は家内を殺した泥棒と取っ組み合いになって階段を転げ落ちたんですよ。その時に彼のナイフで誤って殺してしまったんですよ!」
「それなら何故死んでしまったんですか?」
「実はその時、私も頭を怪我しておりまして、その傷が元で、一ヶ月後私も死んでしまったんです。でも娘だけでも東京にいたおかげで助かって本当に良かったです。おおっと、私のことをお話しても仕方ないですね。ただ失礼ですが、あなたが私の娘に似ていたものですから、つい気になってしまいましてね……」
「そ……そうですかぁ、私が娘さんに……」
「そうなんですよ!つい守ってあげたくなる様な可愛らしさがね」
「はぁ、そうですか!」
「うちの娘もね、男に狙われる程、可愛くてね。まぁ、親のひいき目ですね。その娘が東京で、三人の男に囲まれている時に助けてもらったことがありましてね!男の人に助けてもらうなんて初めてのことでしてね、男性の中にも良い男の人がいるんだって喜んで話していましたよ!ただ……」
「ただ……どうなされたんですか?」
「助けていただいたその男の方は殺されてしまったということで……ニュースを見て知ったんですが……そのニュースを見て、娘も私達も犯人が掴まるまで怖くなってしまいまして、まだその方の家族にお礼を言っていないんですよ。そうしている内にお礼も言わないまま、私も妻もこちらに来てしまいましてね。せめて、ご家族の方にありがとうの言葉だけでも伝えられなかったことだけが悔いを残していますよ……。おっと、初めてお会いする方にこんなことお話してしまって……いや、何が言いたいかって言うと、あなたも娘の様につい守ってあげたくなるんですよ。それだけなんですがね。ははは」
「そうですか、でも私は守られるのではなく、愛する人を守ってあげたいと思っていたんですけどね……守ってあげる前に彼は天国に逝ってしまって……」
「そうですか!それは悪いことを聞いてしまいましたね」
「いえ、いいんですよ。もう吹っ切れたことですから……」留美は俯いた。
「でも、あなたの様な方がどうして地獄なんかに、天国ではなく……あ、すみません、立ち入ったことをお聞きしてしまって、忘れてください!」
「いえ、いいんですよ!私が最初にお聞きしましたからね。私は殺されて亡くなった彼を追って、自分という人間を殺してしまったのです。それで地獄行きとなりました。天国にいる彼と一緒になれると思って自殺したのに、実際は違う場所に来てしまって、彼に会うことはおろか、今彼がどうしているかも判りません。あ、天国に行った大事な人のことが判らないのはおじいさんも一緒でしたね。私だけ不幸みたいな言い方してしまって、すみませんでした」
「いや、そんなことないですよ。私と家内は天国と地獄の再会パーティーで年に一度だけですが、もう三回も出会えました。それに、残してきた娘の様子も、ここから見守ることが出来ます。やっと私達の死を乗り越えて、自分の足で立ち上がって生きてくれている様で嬉しい限りですよ」
「それは本当に良かったですね!」
「まだまだ捨てたものじゃないですね!私と家内を殺した泥棒とも、この地獄で出会いました。見つけた時は家内を殺した彼に恨みや憎しみで一杯でしたけど、話している内に彼も病気の弟さんの手術代にお金が欲しかったということでした。『すみません』を連発していました。もうこんな地獄で憎しみを抱いていても仕方ない。許してあげましたし、彼にも許してもらいました。何てったって、彼を殺したのは私で、私を殺したのが彼である訳ですからね」
「そうですか、いいお話ですね!」
「私ばかり話してしまいましたね。あなたのご家族はどうされてますか?娘さんが先に逝かれてしまって、泣いているのではないですか?」
留美は父の留治と母の郁美のことを思い出していた。留美は勝のことばかり思っていたが、自分が両親に思われていたことに気付かなかった。
留美は死んでから、勝のことを考えている時以外は必ず父と母の状況をテレビで見ていた。
留治と郁美は留美の写真を飾って、毎日焼香してくれていた。
「留美、何で死んじゃったんだ!」と言う留治は、それから留美の思い出を語っている、母の郁美も一緒になって思い出話を二人で語る時もあった。
留治も郁美も、留美が死んでからというもの、一気に老け込んでしまった様だ。白髪が多くなり小じわも増えた様だった。何より、前に比べて元気がなくなってしまった。
せっかく一人娘を大事に育ててきて、大学まで出て外資系の会社で高給にも恵まれていた。娘の将来が楽しみであったのに、それが留美の自殺で全てが一瞬にして消え去ってしまったのだ。
留美の死後、一ヶ月も経つと郁美は普段の調子を取り戻した様だった。そして留治であっても、三ヶ月もするといつもの調子を取り戻していた。
地獄や天国にいると、地上の人の考えていることが分かる。普段の調子を取り戻したかに見える留治と郁美であっても、一人で留美の写真を見て思っている心の内を、留美は感じることが辛かった。
その度に、留美には「お父さん、お母さん、ごめんね!」と謝ることしか出来なかった。
それからというもの、留美はおじいさんと仲良くなっていろんなことを話す様になった。
六年目のパーティーから帰ってきた留美にリューイが話し掛けた。
「またパーティーに行ってきたのか?これで六回連続だな!どうしてだ?お前が信じていた彼が来ることもなくなってしまったって言うのに……」
「まだ私は勝との愛を信じているから……」
「信じているったって、お前が彼の前に姿を現さないから、お前の彼もお前との愛を信じられなくなったんだろう!もうそうなってしまったら、お前が信じていた愛は永遠ではなく終焉を迎えてしまったのじゃないか?終わってしまったものは、もう二度と戻ることなどないのと違うか?」
「それでも私は勝との愛を信じてる」
留美の声は小さく消え入りそうで、言ってる本人にも自信がないことが窺えた。
「あーあ、人間ってのは生きている間も解らない奴だが、死んでしまった後も解らないものだなぁ」と言い残して、リューイは行ってしまった。
留美は自分がすっかり自信を失ってしまったことを感じていた。それは留美だけではなく、留美を地獄に来た最初の時から知っているリューイも判っていた。
自分の姿と臭いに自分を恥じて、リューイと話す声も小さく消え入りそうな声で、自分を前に主張することがなくなっていた。
留美は、元々、大人しい性格ではあったが、それが自信がなくなって、さらに引っ込み思案になってしまった。
留美にも何故、まだ勝との愛を信じているのか、自分自身にも理解出来なかった。
地獄であれば、周りの人間と会って話すことは、気を遣わずにいられた。お互いに同じ様に醜い姿であり、腐敗臭にも慣れてしまったから、コンプレックスを抱くことがない。
だが天国の人間は死んだ時の年齢から年を取ることなく、そのままの姿でいる。地獄にいる人達にとっては、どうしてもコンプレックスを感じてしまうのだ。
そんなどうしようもならないコンプレックスを抱えながらも、何故、勝との愛を信じられるのか、留美は自分自身のことを見つめて考えてみても判らなかった。
初年度、パーティーに参加して、彼との愛に決別した若い女性エリナは、天国の彼との愛に見切りをつけて、地獄の中で違う男と親しくなっていた。天国の彼との愛に裏切られた反動もあったが、地獄で彼を見つけたのは早く、天国と地獄のパーティーの次の日には彼を見つけていた。
留美も地獄にいるいろんな人や死神のリューイから「天国にいる彼など忘れて地獄で誰か見つけたら」と勧められたが、留美は勝のことを忘れたくないというより忘れてしまうことが何故だか怖い気がした。
地獄で、そんな留美を見る周りの目は「いつまでも終わった愛にしがみついて、愛が永遠だとでも勘違いしてる」とか「終わった愛にしがみついてる可愛そうな女性」とか良い言われ方はされなかった。皆、陰口を叩いていたのだが、皆に良く言われていないことは留美本人も感じていた。
地獄では醜い姿になってしまっているため、美貌や美しさは魅力にならない。外見で判断されないため、内面の心がそのまま魅力になる。
留美は地上界の時の美貌がなくても、留美の優しさは、多くの人を惹き付けるのに充分過ぎる程だった。その惹き付けられた男性の中には、留美に好意を抱く男性も多かったし、いろんな人から男性を紹介されても、留美は勝との愛を信じて交際することを拒み続けた。
留美がパーティーに参加して三年間は、勝の前に出られず話をすることもなかったが、勝の姿が見えただけでも留美は幸せを感じた。
勝は留美の思い出の中の勝と全く変わっていなかった。ところが、留美は勝の思い出の中の留美とはかなり違っていた。それが留美のコンプレックスになっていた。
それは留美にも判っていた。判ってはいたが、どうしようも出来ないまま、段段とコンプレックスに自分が卑屈になってしまっていた。
勝は留美を見つけられなかったし、一度すれ違った時も留美に気付くことがなかった。そのことが留美のコンプレックスをさらに増大していた。
勝の思い出の中の自分と違う自分を見せて、勝にショックを与えたくない。それと、リューイが言う様に腐敗臭が漂う醜い姿を見せて勝に嫌われるのが怖かった。
そうして四年目以降は、相手の姿を探して歩き回るのは留美の方に代わっていた。探しても勝の姿をパーティー会場で見つけることはなかった。
天国と地獄の再会パーティーは、年々参加者を減らしていった。天国側の人間は、あまりにも違ってしまった相手にショックが大きく、次年度から参加する人がめっきり減ってしまったし、地獄側の人間はかつて自分が愛した人間から自分が恐れられ忌み嫌われることに傷つけられ、二度と参加しなくなった。
六年目など、再会を果たした人達はあの盲目のおばあさんとおじいさんしかいなくて、参加者も少なかったので閑散とした感じがしていた。
そんな状況を鑑みて、神様もこの天国と地獄の再会パーティーの取り止めを考えて、七年目の状況次第でこのパーティーを最後とすることを通告してきた。
確かにおじいさんとおばあさんは毎年再会していた。彼ら二人は再会を果たしたが、他の人達の再会がなく、おじいさんとおばあさんについては五回も再会している。充分であろうと神様は判断したのだ。
七年目で天国と地獄の再会パーティーが打ち切りにされる噂は、あっと言う間に拡がった。勝は遼子からそのことを聞いた。
「勝はさ、天国と地獄の再会パーティーに出たことあるんだよね!」
「うん、三回ほどね。どうして?」
「あのパーティー、参加者が少なすぎるから、次の再会パーティーで打ち切りになるかも知れないって」
勝は暫し考えた。勝は遼子といる様になって、そのパーティーのことは頭の片隅に追いやっていたのだが、終わりになると聞いて留美のことが再び頭に浮かんできた。
「勝はどうしてパーティーに参加するの止めたの?愛しの人を見つけられなかったのに!」と遼子が訊いてきた。
「僕は三年間、いや彼女が死ぬ前からだから、僕が死んで四年以上も彼女を思い続けてきたけど、彼女は既に僕のこと忘れてしまった様だからね、仕方のないことさ!僕らの愛は終わったんだよ!」
これだけのことを言うのにも、わずか数年前は、辛く胸を締め付けられる感じがしたものだが、今では勝も吹っ切れて、すらっと抵抗なく話した。
「でもこの再会パーティーも終わってしまうというのは残念だね。私ね、この再会パーティーに参加したおばあさんを知ってるのよ。彼女は旦那さんと出会えて話をしたって言ってたわよ。毎年行って会ってるって言ってた。そんな人もいるのに、打ち切りなんて酷いよね」
「ああ、そのおばあさんなら、僕も多分知ってるよ。盲目のおばあさんのことだろう!」
「ああ、そうそう、盲目だから地獄に落ちた人の醜い姿が見えずにいて、今まで再会が続いたって言ってたわよ。そうだ!これから彼女の話を聞いてみない!」
勝は少し考えて「そうだね、あのおばあさんの話を聞いてみるのもいいかもね」と言った。
以前だったら留美のことを思い出すので、地獄から来た人と会った話など聞きたくなかった。留美のことを思い出すと辛かったし、地獄側の人間と出会えた人に嫉妬心が掻き立てられるのが嫌だったのだ。今はそんなこともなく、純粋な気持で聞けるだろうと勝は考えていた。
おばあさんは盲目であるが、付き添いなど付けることなく一人で暮らしていた。
「おばあちゃん、遼子です」
「ああ、遼子ちゃんかい?いつも手伝いに来てくれて有り難うね!」
「いや、そんなこといいの!おばあちゃんが喜んでくれるだけで私幸せなんだから。それより、今日は天国と地獄の再会パーティーに参加していた人を連れてきたの」
「どうもこんにちは、堂本勝と言います」
「それはそれは、わざわざこんな所までご苦労なこったね」
おばあさんは丸まった背をさらに屈めてお辞儀をした。勝もおばあさんが見えてないことを知っていたにも関わらず軽くお辞儀をした。
「おばあちゃんも参加していたんだよね!その時のお話を聞かせて欲しいの」
「ああ、そうかい、そうかい、もちろんいいともよ!あの天国と地獄の再会パーティーには五回も出たかしらねぇ。おじいさんと久しぶりに会って本当に興奮したわ」
おばあさんは、ちょっと照れた様に笑って見せた。
「おばあちゃんは生前から目の光を失ってしまったの?」
勝はおばあさんの目を見て率直に訊いた。
遼子が勝を肘でこづいて「失礼なこと言わないの!」と釘を刺した。
「すみません」
「いいんだよ、生前から盲目になっていたのさ。生前は自分の目が見えないことで不便だったけど、こっちに来てそのおかげでおじいさんと出会って、変わり果てたおじいさんを見ることなく済んだのね。何が災いになって何が幸いとなるか判らないもんだねぇ」
「おばあちゃんが、おじいさんと出会った時の話を訊かせて!」
「おお、そうじゃったな。最初に会った時はおじいさんに悪いこと言っちゃったよ。腐った臭いがするって言っちゃったんだ。おじいさんを傷つけちゃったのよねぇ。当時は知らなくてね、その腐った臭いを放っているのがおじいさん自身だったなんてね……」
おばあさんは寂しそうに言った。
「そんな私を気にするでもなく、おじいさん甲板で私が風上になるように気遣ってくれてね。それでおじいさんと話すことが出来たのさ、嬉しかったよ!ま、これは後でおじいさんに聞いたことだけどね、次からはおじいさんのこと気遣って、臭いに慣れる様にしてから、おじいさんとは船の甲板で風上に立って話すようにしてね。死んでからおじいさんといつも一緒だと思ってたけど、私は天国、おじいさんは地獄に行っちゃってね。もう会えないかと思ってたけど有り難いことですよ。また会えるなんてね!」
「いいですね、おばあさんはおじいさんとの愛を貫けて……」
つい勝は本音が出て、少々皮肉っぽい口調になってしまったと自分でも思った。
「あんたにはいないのかい?……あんたには愛を貫く相手がいないのかい?あんたも天国と地獄の再会パーティーに行ったんだよね!意中の人と会えたのかい?」
「……いえ、会えませんでした。彼女は来てくれませんでした。どうやら、僕に対する彼女の愛は冷めてしまったみたいです」
おばあさんは勝の言葉に即答を避けた。
「……そうかね、それは残念じゃったねぇ。私はきっと運が良かったんじゃねぇ」
「ええ、だからおばあさんのことが羨ましくなっちゃって、つい本音が出てしまって皮肉っぽい言い方をしてしまったかも知れません。ごめんなさい!」
「そうかい、でも上手く行かないもんだねぇ、地獄に行ってしまったあるお嬢さんは毎年来てるけど愛しの彼に出会えないみたいだし、男と女がいても、すれ違ってしまうのか、愛なんてもんは、なかなか上手く行かないもんだねえ!」
「へえ、地獄から来ている人の中で彼に出会えない女性もいるの?もしかしたら勝の意中の相手も、勝が気付かなかっただけで、来てたのかもよ」と遼子が言った。
「まさか、そんなことはないよ!」
「その女性はなんていったかしらねぇ。優しい娘さんでねぇ。声からすると二十代前半かしらねぇ。名前を聞いたんだけど、ちょっと待ってね、思い出すから。えーと、確かル……ルミさんと言ったかしらねぇ」
おばあさんは記憶を辿る様に、右手をこめかみにつけた。
「え!おばあさん、今、留美って言ったの?勝の元彼女の名前何て言ったっけ?」
遼子がおばあさんの言った名前に素早く反応して勝に訊いた。勝の顔を見た遼子の顔から笑みが消えた。勝の顔色が青ざめていた。
「ま……まさか!おばあさん、留美、いや留美さんって女性はどんな方でしたか?実際にお会いしたんですか?」
勝の声は興奮を抑えきれずにいた。
おばあさんは勝の興奮してしゃべる様子にびっくりして黙ってしまったが、少しずつ話してくれた。
「あれは何年前のことだったかねぇ。そんなに遠い昔ではないわ、二年前ぐらいだったわね。天国と地獄再会パーティーでおじいさんに連れられた留美さんを紹介されたのは。わたしゃ、目が見えないから顔もどんな服を着ていたかも知らないけど、優しい人でね。目の見えない私を、いつも手を引いてくれていてね!自分のことは訊かないとほとんどしゃべらない無口な女性でね、最初の三年間は彼もパーティーに来ていたらしいんだけど、自分の醜い姿を見せるのが怖くて、またそんな醜い姿で彼を苦しめるのが嫌で、姿を見せられなかったって言ってたわね。四回目以降も毎回来ていたんだけど、その彼は来なかったって言ってたかしらね。五回目と六回目はずっと私達に付き添ってくれていたのよ。何せ私は目が見えないし、おじいさんも高齢で力がないから、随分と助けられましたよ。自分のことより、他人のことを考える人だったわねぇ。あ、そうそう、その、ルミさん、彼からもらったって言ってた婚約指輪を持ってるって言ってたわ。死ぬ時も離さなかったから地獄まで持って行っちゃったんだろうねえ。私には指輪の輝きは見えなかったけど、ルミさんの輝きはははっきりと見えたものでしたよ!今年もおじいさんとあのルミさんには会いたいものですねぇ!」
リューイは留美を見つけて話し掛けてきた。
「おい、お前、お前はまた天国と地獄の再会パーティーに行くのか?」
留美は答える代わりに、自信なくコクリと頷いた。
「そうか、今度のパーティーが最後になるかも知れないからな!」
「えっ最後?」
「なんだ、知らなかったのか!やり始めてみたが、参加者も少なく年々減る一方だし、参加者から不評を買うことが多かったもんだから、今回を最後にするかも知れないってことだぞ」
「そうなんですか!終わってしまうんですか?」
留美が寂しそうに呟いた。
「お前もこれでやっと諦められそうだな!せっかく行っても彼に会えないんだから、最初から、会う機会が無ければ諦め易いってもんだろうよ!」
留美は黙っていた。
「いい加減にお前の彼を諦めて、この地獄での新しい生活を始めた方がいいんじゃないのか!お前を好きな男どもは数多いだろうよ!それに、お前の彼もお前のこと忘れちまってるんじゃねえのか!」
留美は何も応えずにいた。四年目以降から再会パーティーに勝は姿を見せることがなかった。勝はきっと新たな生き方を見つけたのに違いなかった。
天国であれば地獄と違って醜い人間だけでなく、綺麗な女性も多いことだろう。そんなことは何度も頭の中に浮かんでいた。
皆の言う様に、それならばここで誰かと仲良くしよう、勝のことは忘れて新しい生き方を始めよう。それは判っていたし留美もそう思おうとしたこともあった。留美もそれが出来れば良いのに思ってたが、そう簡単に割り切れなかった。勝も留美も新たな生活に溶け込んでいくのが一番なのだと、頭では判っていても、それがいざ自分のこととなると割り切れない自分がいた。
留美にとっては、天国と地獄の再会パーティーが終わるというのはショックに違いなかった。
でもこれで勝への思いを断ち切れるかも知れない。勝は勝、留美は留美で生きてる時とは違う自分の道を歩き出すきっかけが出来るかもしれない。勝は既に自分の道を進んでいるかもしれない。自分もこれを機に自分の新たな道を進めるかもしれない。留美はそう考えて少しだけ期待している自分がいた。
七年目の七月七日がやってきた。留美は、どうせ勝は来ないだろう。でもこれで自分も勝への思いを吹っ切れるだろう。最後の天国と地獄の再会パーティーを勝への最後の愛として、自分の気持を割り切れると思っていた。
最後ということで、パーティー会場は例年より参加者も多かった。留美はどうせ勝が来ることはないから、自分の気持にケジメをつけるために参加していた。
だからという訳ではないが、パーティー用のお洒落をして来なかった。お洒落のドレスが汚れてしまって普段着のまま来ていた。ドレスが汚れてしまっていると気付いたが、どうせ勝は来ないし、誰に見せる訳ではないと思って、そのまま普段着で着ていた。他の参加者はパーティー用に正装しているだけに留美の姿はみすぼらしく映った。
留美は、左手の薬指に輝く銀の婚約指輪を見つめた。今日のパーティーが終わったら、この婚約指輪を取り外して捨ててしまおう!それで勝との愛に終わりを告げられる。
留美は一人で早々に甲板に出て夜風に当たっていた。留美は、勝の姿をパーティー会場で探したが、やはり見渡した限りいなかった。
コツンと留美の足に何か当たって、留美は振り向いた。留美は甲板で夜風に吹かれながら、左手の薬指にはめられた銀の指輪をみていたので、その男の気配に気付かなかった。その人は天国から来た男の人で、杖をついて黒い大きめのサングラスをしている。
「ああ、すみません」
その人はもう一方の手を宙に泳がせた。留美はその男の目が見えないことを見て取って、男の手を導いて甲板の手すりに導いてあげた。
「有り難うございます」
留美の方を振り向いた男の顔を見て、留美はハッとした。幸いにも男は見えない様でハッとした留美の顔に気付かなかった。
その男は、黒い大きめのサングラスをしていたので、留美は今まで判らなかった。だが顔の輪郭、声、体格とどれを取っても、男性の姿は勝に似ていた。
「ま……勝」と声に出しそうになって留美は自分の言葉を呑み込んだ。
人違いに違いない。その男は確かに勝に似ている。だが、黒い大きめのサングラスでも隠せない程大きな傷が顔にあった。勝にはそんな顔に傷はなかった。天国でも地獄でも自分の体に傷をつける事は出来ない。勝の死体を確認した時にも傷はなかった以上、勝が天国で顔に新たに傷をつけることはないはずだ。
「目が見えないので、ご迷惑をかけてしまってすみませんねぇ!」
「いいえ」
留美は小さな声で答えた。
「お会いしたかった相手は来なかったんですか?」とその男は笑顔で訊いてきた。
黒い大きなサングラスに隠されているとはいえ、その男の笑顔は留美に思い出の勝を思い出させた。留美の胸は急激に熱くなった。
その男に自分の思いを気付かれたくたいために留美は「ハイ」と小さく短く返事をした。
「私もなんですよ。宜しければ、すっぽかされた者同士、僕とお話してくれませんか?」
留美は相手が見えないのに、コクリと頷いて答えた。そんな留美の頷きにその男は判った様であった。その男はとつとつと話し始めた。
「僕には、婚約者がいたんですよ。永遠の愛を信じていたんです。婚約して大学時代、彼女と結婚することだけを夢見ていたんです。ところが、大学を卒業して、結婚式の日取りも決まり、結婚式を明日に控えた時に僕は死んでしまいました。チンピラに絡まれている女性を放っておけなくてね。つい、喧嘩してしまってね、若かったんですね。後先考えていなかったのかも知れませんね。僕はあっけなく殺されてしまったんです。あっ、こんな話、退屈で迷惑でしょうかね?」
その男は盲目であるから、相手の表情を読むことが出来ない。何も相槌も入れない留美がとても退屈しているのかと思ったのだ。
「い……いえ、大丈夫です。興味深いお話ですわ。是非とも聞いてみたいです。続きを聞かせてくださいな!」
留美はドキドキしていた。勝のはずはない、その証拠にその男の黒い大きなサングラスの下には、留美が知らない大きな傷痕がある。勝ではない別人だと思いながらも、留美はその男の話に勝の姿を重ねていた。
「有り難うございます。僕はおしゃべりなもので、でも聞いてもらってとても楽しいです。そんな訳で僕は天国に行ったんです。天国からはずっと彼女のことを見守っていました。天国から見守るだけで、話を聞いてあげることも、手助けすることも出来ません。歯痒い毎日でした。そして……」
勝は言いかけて止めた。
留美は「それで……どうなさいましたの?」と話の続きを促した。
「そして、僕が死んでから一年後、彼女は僕を追って死んでしまいました。自分の命を絶ったのです。僕は彼女の寂しさを心に感じながらも何も出来ず、ただ見守ることしか出来ませんでした。あれほど、見守る苦しさを感じ悔しかったことは、現世でも天国に来てからもありません。自分の無力さが身に染みたものです」
夜風が、その男と留美の髪を優しく撫で、涼しさを運んできた。
留美はいつしかその男の話に引き込まれていた。自分が寂しくて、誰も自分を判ってくれないと思って勝を求めていた時も、勝は天国で見守っていてくれたのかもしれない。そんなことは考えもしなかったことだった。この天国からの男が教えてくれなかったら、ずっと気付くことはなかっただろう。
それにしても、この男の話は勝に酷似している。そんなに似た話がある訳がない。やっぱり勝なのだろうか?
でも、それなら、この男の傷をどう説明するのか?天国と地獄の再会パーティーで一年目から三年目まで留美は勝を見ている。勝をずっと目で追いかけていたのだ。あの時、勝の顔に傷はなかったはずだ。天国では、自分で傷を付けられない以上、この男は勝に似ているが勝ではないはずだ。留美の頭はぐるぐると思考し、留美の心は大波に揺らされていた。そんな留美の心を知らないその男は続けて話し出した。
「彼女は自分という人間を殺した罪により、地獄に行ってしまいました。僕は天国、彼女は地獄です。彼女が死んでしまっても会えることはありませんでした。彼女は虫も殺せない程優しい性格でした。何故、彼女が地獄で僕が天国なのか。出来ることなら代わりたいと思いました。天使にも出来ることならと頼みました。でもそれは到底出来ることではありませんでした」
「ボー、ボー」船が霧笛を二回鳴らした。いつのまにか辺りは霧が出ていた。夜に白い霧が、水に濡れた真綿の様に、二人をしっとりと濡らした。
「こんな話、退屈ですよね。それに霧が出てきたのか、体が濡れますね。中に入りましょうか?」
その男は隣にいる留美の方を向いて訊いた。
留美は「いいえ、興味深いお話ですわ。少し濡れますが、夜霧と夜風がとても気持いいです。もう少し、ここでお話の続きをお聞かせくださいませんか!」と応えた。
「そうですか、それでは続きをお話させて頂きます。どこまでお話しましたっけ?」
「あなたが天国に彼女が地獄に行ったところまでですわ」
「ああ、そうそう、僕は天国で彼女の思い出と毎日語り明かし、それだけで満足でした。思い出の彼女と愛に浸っているだけで幸せでした。そんな時に、この天国の人と地獄の人が再会できる機会となるパーティーに参加しました。一年一回だけですが三度来ました」
そこで勝は話を切った。
「だけど、彼女は私の目の前に現れてくれませんでした。彼女は僕のことをもう愛していない。僕のことなど、何とも思っていないか、むしろ、忘れてしまったのだと、彼女の僕への愛を疑っていました」
その男はそこで息をついた。
「それでどうなさったんですか?」
「僕は彼女の愛に疑いを感じた時、他の女性に引き寄せられてしまいました。つくづく情けない男です。彼女の愛を信じきることが出来ませんでした。永遠の愛だなどと口では言っていましたのに……。でも……」
「でも……?」
留美は先を促して、その男の方を見ると黒い大きめのサングラスから水滴が流れていた。
「でも、パーティーの参加者に聞きました。彼女はずっと来ていたのです。ぼ……僕が彼女の愛を見限って、このパーティーに来なくなっても、彼女はこのパーティーに僕を探して来ていたのです」
その男の声は上ずっていた。その男は黒い大きめのサングラスを取って涙を拭った。
留美は思わずハッとして目を見開いた。その男の黒い大きめのサングラスの下の目は潰れていた。それも酷く傷がついていた。両目とも同様にして目が潰れていた。何か無理に潰した痕の様に見えた。
その男の潰れた目には涙が溢れていた。その男は再びサングラスを掛けて話を続けた。
「この天国と地獄の再開パーティーは、今回で最後になるかも知れないと聞きました。僕は彼女に会える最後のチャンスと思って来ました。彼女の愛を疑ってしまったことを謝りたくて……。でも、どうやら彼女には会えなかった様ですね。彼女が会場にいないのか、また、もし彼女が会場にいたとしても、僕の目は彼女を見つけることが出来ません。これも運命というものなのかも知れませんね。いや、運命と言うよりは、私が彼女の愛を信じきれなかったことに対する罰なのでしょうかね」
その男は微笑んで見せた。
留美は胸がキュゥと苦しくなった。その男の笑顔は留美の思い出の中で笑いかけている勝の笑顔とそっくりだった。
ただ、一つ違っていたのはその男の目は何かに引っ掻かれた様な酷い傷をつけ、その引っかき傷は目だけに留まらず顔にも及んでいた。
留美はこの最後になるであろう再会パーティーに参加するにあたり、勝を忘れようとしていた、自分の気持にけじめをつけようとしていた。この再会パーティーが終わったら勝との愛にさよならを言おうと思っていた。
だが、勝と似たこの男を見ると苦しくなる胸は、留美がまだ勝を愛していることを物語っていた。勝のことがまだ好きで好きでたまらない自分がいた。留美は自分の中の愛を否定しようとしても、胸の苦しみが、勝への愛を否定することを許さなかった。
勝と似ているその男の話が、留美の心に勝への愛を呼び起こした。呼び起こされた愛は、心の中でメラメラと燃え上がり、留美が抑えようとしても抑えられない程、燃え上がっていた。
「すみません。僕だけ話してしまって……。僕の長話を聞いて貰いましてありがとうございました。心が大分軽くなりました。お礼と言っては何ですが、良ければ今度はあなたの心の内を聞かせてもらえませんか?少しは心が軽くなるかも知れませんよ」
その男は留美の気持ちも知らずに笑顔を向けて来た。留美は、その男の笑顔がとても眩しく感じた。自分と違って輝いていた。
「あなたはどの様な理由でこちらにいらしているんですか?」
その男の問いかけに留美は慌ててしまった。
「わ……私は」留美は言い出そうと口を開けたが「……失礼します!」と言ってその男の顔から目を背けた。留美は言葉に詰まり、居ても立ってもいられなくなり、その場を離れようと、ハンカチで目頭を抑えながら駆け出した。
「カラーン!」
駆け出した留美の背後で音がした。
留美が駆け出そうとした時、留美の足がその男の杖に当たってしまった。その男は甲板の手すりに掴まっていたから転びはしなかったものの、彼の杖は彼の手から離れ、彼の近くに転がって落ちた。
その男は倒れた杖を探して、這いつくばってあっちこっち甲板を手探りで探している。目が見えないものだから見当違いの場所を探している。
「ハイ、どうぞ!すみませんでした」
留美は杖を拾ってその男の手に渡した。その男は差し出された杖を探りながら、手渡した留美の左手に触れた。
「まさか!」
その男は留美の左手を握ったままでいた。
その男は見えない留美の顔を見つめた。
「留美!留美じゃないのか?」
勝は留美の左手を握ったまま引っ張り寄せた。
「ち……違います」
留美は慌てて、自分が留美であることを否定した。手を引っ込めようとした留美に引っ張られて、勝は転んでしまった。
そのはずみで、留美の左手は勝から解放された。だがその時、留美の左手の薬指から婚約指輪が外れて勝の手の中に残った。
勝の左手には薬指に銀色の指輪が、そして手のひらに留美の銀色の指輪があった。
「……留美、どうして僕の前から逃げるんだい?僕は君と会いたかった。それなのに、どうして?」
勝は留美の左手に触れた時、留美の左手の薬指にはめられた指輪に気付いた。勝は自分が婚約指輪として留美の左手の薬指にはめた、指輪の形状を覚えていた。
留美が左手を引っ込めようとした時、留美の左手の薬指にはめられていた銀色の指輪と、勝の左手に薬指にはめられていた銀色の指輪が引っ掛かり、留美の左手の薬指から抜けて勝の手の平に落ちたのだ。それは、まるで銀色のペアの指輪が、二人の間を掛け橋の様に繋いだ様にも受け取れた。
「留美、僕のことが嫌いなのかい?」
脱げた指輪をそのままにして、その場を駈けて立ち去ろうとしていた留美の足が止まった。
「留美、僕には君の顔は見えない。だから逃げないでくれ!君がどれだけ醜くなっていようとも僕には判らない。僕にとって、君は昔のままだ。お願いだ!僕の傍にいてくれ!」
勝は杖を突いて立ち上がりながら、留美が駈けて行った方に歩こうとして、つまづいて再び転んでしまった。
「いたっ!」
勝が転んだまま倒れていると、ふわりと勝の頭が柔らかい枕の上に載せられた。留美が転んで倒れてしまった勝の頭を自分の膝に抱えた。
「やっぱり留美なんだね!この膝枕の感触はあの時の留美のままだ!こうして留美の膝枕の上であの時の思い出が蘇ってくるよ!」
「勝、どうして私を放っておいてくれなかったの?勝の愛にけじめをつけようとしていたのに……!」
「その通りだよ!今までの僕らの愛にけじめをつけて、また新しくやり直すんだよ。また二人で思い出を創るんだよ!」
「まさるぅ!」
留美は抱えた勝の頭を胸に抱えて泣いた。留美が一旦勝の頭を緩めると、勝は体勢を立て直して、もう一度留美を抱き締めた。そして勝は抱きしめていた留美の体をそっと離すと留美にキスをした。
留美の体は、勝に触れられて朽ちて溶け出していた。そんなこと勝は気にすることもなく、二人は溶け出す留美の肉片で固められ一つになった。
再びどこかで霧笛の音がした。時間は二時を過ぎていた。だが勝と留美は抱き合ったまま一つに固まって、さらに強く抱きしめ合って離れようとしなかった。
その頃、天国ではケンタが遼子の姿を見つけて問い掛けた。遼子はずっとテレビにかじりつき、勝と留美の様子を見ていた。
「お前さんは、あれで良かったのか?」
驚いて遼子は振り向いた。
「ああ、あなたは勝の担当の天使様」
「そうじゃ、天使様じゃ!勝の馬鹿者はケンタなどと呼びおって、全く敬意を払う気持がないのじゃ、あいつには。どんな呼び方でも構わないとは言っても、ケンタッキーフライドチキンのおじさんに似ているからケンタとは失敬なことじゃ!……まあ、それは置いといて、お前さんは勝に惚れていたのじゃないのか!それを勝の元彼女に取られてしまっていいのか?」
「……うん、勝のこと好きだったけど、彼らの愛には叶わないって感じですよ!あれ程、強い愛で結ばれた二人の間に入り込む隙なんてありませんよ!」
「まあな、私もびっくりしたよ!あいつのひたむきさというか何と言うか……」
「ところで、勝の目を潰したのは、天使様なんでしょう!」
遼子は話題を変えた。
「いや、わしではない。だが、あの時は、もうびっくりじゃった。『目があると地獄に行った恋人が、自分の醜い姿に引け目を感じる。彼女と会うためには自分の目が無い方がいい。だから自分の目を潰して欲しい』と言って来おった。天国や地獄もそうだが、ここで暮らす人間は実体もないし自分で自分を傷つけることは出来ない。もちろん、天使のわしにだって出来ることではないと断ったが、奴は神様にお願いに行きおった。神様とて、通常そんな願いを聞き入れることはないのだが、勝があまりにもしつこく頼むものだから根負けしたらしい。帰ってきた時には目が潰れておった。顔にも醜く傷が残っておった。愛に凄まじい執念を持った奴じゃったよ!」
「恋人のために自分の目を潰すかぁ。そんな強い愛じゃ、到底、私には勝ち目なんてないですよ」
「どうやら、奴らは会えた様じゃな!わしも、これで少しだけ自分の肩の荷が降りた気がするよ!なんてったって、あいつの願いはいつも地獄にいる彼女のことじゃった。もっとも、お前さんが来て、あいつも心変わりしたと思っておったがな」
「私も勝の強い愛を目の当たりにして『行ってらっしゃい!』って、勝の背中を押して送り出しちゃった。ずっと勝のことを思って眠れずにいた。地獄にいる彼女を羨んだり憎んだりした。再会パーティーでも上手く行かなければいいとずっと思っていたけど、今抱き合う二人を見ていて、本当に良かったなと思うわ!」
遼子は涙が滲んだ目を手の甲で拭った。
「えへ、ちょっと涙が出てきちゃった」
「だが天国と地獄の再会パーティーで出会っても、もう別れねばならぬ。今後は再会パーティーもないかも知れぬ。今後は会う機会すらないであろう。それでも会いたいと思うもんなのかねぇ!」
「それが愛ってもんじゃないの!だから感動出来るのよ!」
「はいはい、そんなもんですかねぇ!」
そう言うとケンタは去って行った。天使や死神には人間の愛が理解出来ないらしかった。
二時になって、天国と地獄の再会パーティーの終了時間が過ぎても、勝と留美は抱き合ったまま離れようとしなかった。どんなに強い力で引き離そうとしても二人はがっしりと抱き合ったまま決して離れなかった。
勝は天国に、留美は地獄に、二人は違う場所に帰らなければならないのだが、二人がどうやっても離れないために、困り果てた係の者は二人を神様の元に連れて来た。
勝と留美は激しく光る中に黒い人影だけが見えた。その人影の後ろには慈愛に満ちたオーラが発せられているのを肌で感じることが出来た。とても暖かなオーラであった。
「……おやっ、お前は?また、お前か!」
神様は、「目をつぶしてくれ!」としつこく頼みに来た若者のことを覚えていた。ゴホン、神様は一つ咳払いをしてから勝と留美に訊いてきた。
「お前達は天国と地獄とで、住むべき場所が違う。それはお前達も充分分かっているはず。それなのに何ゆえ抱き合ったまま離れようとしないのだ?」
連れて来られた勝と留美を前に神様は訊いた。言葉ではなく頭にビンビンと響いてくる厳かな感覚が体を貫いた。
「僕達は死んでからというもの、二人は離れ離れになりました。それでも相手のことが忘れられず、お互いに相手を求めていました。そんな僕達がやっと出会えたのです。もう今を逃したら、この先会えることはないでしょう。僕達はもう離れたくない。離れられないんです。留美が天国に来るか、僕を地獄に送ってください。そうすれば、二人いつまでも一緒にいられます。留美と僕はもう引き離せません」
勝はそう答えると、留美を引き寄せよりいっそう強く抱き締めた。二人はすでに留美の肉片が溶けて一つに固まっているが、それでも抱き締めあうことは出来た。
「留美とやら、お前もそう思うのか?」と神様は優しく留美に聞いた。
「私も勝と同意見です。天国と地獄の再会パーティーで、勝と会えるチャンスが幾度とありました。でも醜い姿を勝に曝け出して嫌われてしまうのが怖くてパーティーの中でも隠れていました。今回も勝から逃げ出そうとしていました。でも、お互いに肉片で固まってしまい、もう、身も心も勝と離れられなくなってしまいました。自分の心に正直になりたいと思います。勝とずっと一緒にいたいです。どうかお願いです。どこでも結構です。勝と一緒であればどこでも天国だと思っています。お願いです。二人一緒にいさせて下さい!」と留美が言った。
勝と留美にとっては、離れていた時が二人をさらに離れられない関係にしていた。一度は相手の愛を疑いかけた二人であるが、そんな時期があったからこそ、抱き合った二人の愛は激しく燃え上がっていたのだ。
暫く間があった。勝と留美はお互いを見つめ合っていた。神様は溜息をついた。
「やれやれ、仕方ないな!お前達みたいな奴らは始めてじゃ!せっかく再会のチャンスを与えてやっても、多くの男と女は相手の醜さと臭気を理由に、愛はあっと言う間に壊れてしまった。「永遠の愛などあるはずない」とか「愛など所詮こんなもの」とか言って自分に言い訳して、愛を貫く努力もせずに終わらせてしまった。そんな中でお前達だけは、ちょっと違っている様だな!」
勝と留美は、依然として抱き合ったままだった。神様は一息付いて、再び話し始めた。
「お前達の気持はよく分かったよ!だが、お前達の一方は天国へ、もう一方は地獄に行った。そのことはわしとて、もはや変えることが出来ないことじゃ。両方とも天国か地獄かに送ってやるという訳にはいかないんじゃ!」
勝と留美は顔を見合わせた。勝には留美の顔が見えなかったが、心の目は留美のことをしっかりと捉えていた。二人の表情はがっかりしたものになった。だが、神様の話はまだ終わっていなかった。
「本当は駄目なんじゃが、特別にお前達二人にチャンスをやろう!さっきも言った様に、一度、天国と地獄に別けられた者を、天国なり地獄なりに、振り分け直すことは、いくら神様であるわしといえども不可能じゃ!」
勝と留美は期待に胸を膨らませた顔をして、その期待が萎んでしまったような顔をしていた。
「だが、天国も地獄もお前達が一緒に暮らす所はないが、地上界に生まれ変わるというなら出来ないことはない!」
勝と留美は顔を見合わせた。相手の顔に希望の色が見えた。勝は目が見えないから、希望の色をしている留美のイメージを思った。
「……生まれ変わることが出来るんですか?」
勝は神様の方を期待を込めて訊いた。
「だが、早まるな!勘違いしちゃいかん!お前達が、人間に生まれ変わるかどうかはわしにも分からん!」
「それでもいいんです」
「ちょっと待て!お前達は何も分かっておらん!人間に生まれ変わらないということはミミズに生まれ変わるかもしれない。ミミズに生まれ変わったら、人間に掴まって釣りの餌にされて水の中で苦しんで魚に体を噛み切られる苦しみを味わうかもしれん」
勝と留美はお互いに顔を見合わせた。神様はさらに話を続けた。
「蛇と蛙に生まれ変われば、蛇に生まれ変わった方は、蛙に生まれ変わった方を食べてしまうかもしれない。また、人間に生まれ変わったとしても、敵に生まれて兵士となったら、相手を殺さないといけないかも知れん。当然、どんな形で生まれ変わっても、今までの記憶は全て消え去ってしまう。お前達が愛し合っていたという記憶も失う。生まれ変わっても二度と会うことはないかも知れない。分かるか?リセットしてやり直すのではない。リスタート、もう一度スタートするのじゃ!今まで歩んできた自分とは全く違った自分になるという意味じゃ!それでもなりたいと望むのか?それとも止めるか?」
勝と留美は神様の言葉に二人で顔を見合わせた。自分達が愛し合っていた記憶もなくしてしまう。人間に生まれ変わるかどうかも判らないし、愛していたのに敵同士として生まれ変わり憎しみ合うことになるかも知れない。
「ちょっと時間をくれませんか!」
勝は神様に向かって言った。
「よかろう!よく二人で考えることじゃ!」
勝は留美と話し出した。
「留美、どう?不安かい?」
「大丈夫!勝と一緒ならどこへ行こうと、不安もないし怖くもない」
「それなら良かった。僕も留美と一緒ならどこに行こうと不安も恐怖もないよ」
「うーん、でも今まで通り天国と地獄に連れ戻されたら、もう二度と会うチャンスがないわよね!」
「そうだよな!もう離れ離れの辛さはごめんだね。離れ離れでも思い出の君とは話せる。だけど、思い出の中の君のイメージと話すことで、思い出の中に生きていたくない。例え君が変わり果てていても、思い出の中の綺麗な君ではなく、今ここにいる君の方が数倍もいいよ!」
「そうね、思い出の中ではなく、今の現実を生きましょう、私達!」
「それならば、ここは賭けてみるしかないね!」
「生まれ変わった時に、勝と憎しみ合うこともある訳よね。それは辛いかなぁ!」
「辛いなんて思わないんじゃないかな。愛していた記憶さえも失ってしまうんだから、憎しみあっても辛いとも思わないよ。きっと!」
「そうだわね、この愛の記憶すら失うのよね」
「でも、もう、思い出の中の留美とイメージの愛を語りたくないよ。思い出の留美はいつも優しく微笑んでくれる。現実は思い出の中の留美とは全く違う。でも、僕達は思い出の中ではなく現実の相手を愛そうよ!」
「そうね、思い出の中の勝と今の勝は何も変わってないけど、思い出の中の勝はいつも微笑んでくれた。でも現実の勝も微笑んでくれた。相手はお人形さんじゃないわ!醜くもあるかも知れない。微笑んでばかりではなく喧嘩もするかも知れない。それでも私も今、私の隣にいる勝を選びたいわ!」
「それだったら、生まれ変わらないとチャンスはない!やるしかないんじゃないかな!」
「そうね、判ったわ!やりましょうよ!もう一度生まれ変わって!例え、私達の記憶がなくても、勝が誰であっても、きっと私は勝を見つけ出す!」
「僕もさ!記憶がなくても、留美が人間でなくても、敵同士であっても見つけ出すさ!」
「それじゃ、決まりね!」
「ああ」
「決まったかね?」と神様が訊いてきた。
「はい」勝の声には強い意志が現れているように聞こえた。
「決まったようじゃな。だが、ちょっと待て!初めに言っておくがやり直しはきかないぞ!生まれ変わって、何になっても、前に戻りたいとか、もう一度生まれ変わりたいと言っても、受け付けられないぞ!生まれ変わるのはあくまで一回だけしかない。それがチャンスとなって希望を生むか、また思った状況とは違っていて絶望を生むか賭けの様なもの、正にギャンブルだな。それを覚悟しておかないといけない。お前達の答えはその覚悟の上のことだろうな!」
勝と留美は手を握り合った。
「分かっています。その覚悟の上で生まれ変わりたいと思います。生まれ変わらせてください!」
勝の言葉に留美は頷いた。
「そこまで言うのなら、自分の運を信じて、生まれ変わってみるがいい。エィヤァ!」
神様は持っていた捩りのある杖を、勝と留美に向けて大きく一振りした。
勝と留美の周りを強烈な光が包んだ。目の前が真っ白になり、勝と留美の体は粉となって飛散していく。
「勝、生まれ変わっても私を見つけてね!」
「留美、どんな状況で生まれ変わっても一緒だよぉ〜」
勝と留美の姿は消え去り、二人がいた空間から声が遠くに消え去って行った。