天国と地獄の愛を繋いだ銀の指輪7
タイトル
「天国と地獄の愛を繋いだ銀の指輪?」
勝の死後、一年が過ぎた。しかし、留美の心に大きく空いた穴は、時間が経っても塞がることがなかった。
留美がプレゼントしたナイフで勝は死んだ。自分があんな危険なものを勝にプレゼントしなければ……と留美は後悔した。そして、間接的に勝を殺したのは、自分である、自分がプレゼントをあげなければ、または別の物をあげていればと責めていた。
留美にも、そんな考えは馬鹿げたことであるのは判っていた。勝を殺したのは留美ではない、また留美のプレゼントしたナイフがなくても、三人組はナイフを所持していたということだ。
結果的に、留美のあげたナイフが凶器となっただけで、留美がナイフをあげていなくても、他の物が凶器となっていただろう。
そんなことは頭では判っていたが、この一年間というもの、留美は自分を責めない日はなかった。
仕事に追われている時はいい。忙しさに考えずにいられる。だが、一人になった時は、自分でもどうしようもなく、自分を責めた。
留美は大学を卒業して外資系の会社で働いていたが、勝といた時の様に笑うことはめっきり少なくなっていた。
空虚に過ぎる毎日が、傷ついた留美の心を多少は癒してはくれたものの、心に大きく空いた穴は以前として塞がることはなく、日々留美が呼吸すると、空虚な思いが心に空いた穴をすり抜けていく。
勝を失ったショックは薄れはしたものの、勝を失った傷は癒されることはなかった。
留美が誰かに相談出来るタイプの女性なら違っていたかもしれない。留美の家族や仕事場の人達や友達などの周りの人達は、留美の心の傷に気が付かなかった。
皆、留美は辛い過去を忘れて明るくなってきたと留美のことを語っていた。皆にそう思われる様に、留美が明るく演技していたとは誰も気が付かなかった。
誰も知らないところで、留美は自分の空虚な気持をどうすることも出来ずに、ただ独りで苦しい思いを持ち続けていた。
「何故、自分は生きているんだろう?」
留美は一人になった時、いつも浮かんでくる言葉を呟いた。
留美にとっては勝が全てだった。その勝が死んでしまっても、自分はまだ生きている。時が癒してくれると人は言う。だから勝の死後一年間も生きてみた。だが、自分の心にぽっかりと空いた穴は、決して埋められることはなかった。
勝の死を乗り越えるなんて、時間が経過しても出来なかった。勝のことを忘れることなんて出来なかった。
「まさるぅ、会いたいよぉ!」
留美は寂しそうに呟いた。自分の部屋から遠い星を眺めていると星が瞬いた。
「私も死ねば勝に会えるのかなぁ?」
留美の質問に、星は何も答えてくれなかった。ただ笑顔の勝のイメージが、星に代わって現れた。
「まさるぅ、私を幸せにしてくれるんじゃなかったの?それなのに一人で死んじゃって!ずるいよ、まさるぅ」
留美は家族の前で、友達の前で、仕事上でいつも気丈な女を演じてるだけに、一人になった時はどうしようもない寂しさに襲われる。勝が死んでからというこの一年間、留美の心は勝のいない寂しさと、たった独りで必死に戦っていた。
それでも我慢すれば時が癒してくれる。そう信じてきた一年間だった。誰かといる時は気丈でいられるからいい、だが一人になると勝を思い出さない時はなかった。
「まさるぅ、皆が思う程、私はそんなに強くないよ!勝の暖かい胸で思いっきり泣きたいよぅ!もう一人では生きていけないよ!」
その夜、留美の部屋の電気はずっとついたままだった。留美は一晩中、勝についてずっと考えていた。勝のことは、毎晩考えていたが今までは眠れていた。今日に限って朝方まで電気が消えることがなかった。
留美は時間が忘れさせてくれることを願って一年間頑張って耐えた。その一年間が過ぎたのが今日だったのだ。
一年間勝のいない世界で生きてみたけど、心は依然として癒されなかった。今まで一年間経てば忘れられると思っていただけに、留美は時間に裏切られた気分だった。
「まさるぅ、私もう限界だよ!」
次の朝、留美は家族に明るい笑顔で接して、会社に行った。言葉少ないのはいつものことだ。いつもと同じ全く変わらない明るい留美だと周りは思っていた。
だが、留美は夕方の新聞に小さく載ることになった。留美は昼休みに会社の入っているビルの屋上から飛び降りたのだ。
会社が入っているビルは表通りに面した部分と裏通りに面した部分がある。裏通りは袋小路になり、抜けられないために誰も通ることがなかった。誰も傷つけたくない留美は裏通りの方に飛び降りた。昼休みであったためにビルの中には人があまり残っていなかった。普段、裏通りの方は光も射さないので、どこの会社も裏通りに面した窓には気を払っていなかった。
留美はビルから飛び降りて地面に達するまでに、今までの過去が走馬灯の様に流れていった。家族や親戚や友達との思い出、そして最後に勝との思い出が目の前を流れて行った。
「勝、今行くからね!」
留美は声にならない言葉を呟いた。
思い出が走馬灯の様に流れた次の瞬間、留美の体に激痛が走った。体が地面にバウンドして、また落ちた。
留美は、激しい全身の痛みに自分が死んでいないことを悟った。痛みと苦痛の中、動くことはもはや出来なかった。
留美は声を上げて助けを呼ぶこともなく、自分が天に召されるのを待っていた。
留美は目を瞑ると、父の留治と母の郁美が懐かしそうな目で留美のアルバムを捲っている姿が見えた。小さい頃、誕生日にくまのぷーさんのぬいぐるみをプレゼントしてくれた時のことや、クリスマスの日の情景が瞼に昨日のことの様に映し出された。
クリスマスイブにサンタクロースが来ることを楽しみにしていた留美は寝たふりして待っていた。そこにそっと音もなく入ってきたサンタクロース、留美が薄目を開けてみると、父の留治がリボンの付いたプレゼントを不器用に留美の枕元に置かれた靴下に容れようとしていて、母の郁美がそんな留治をハラハラした様子で見ている情景などが映し出された。
留美はサンタクロースを見てしまっていても、留治にも郁美にも言わなかった。プレゼントが欲しかったのではなく、せっかく楽しみにしている留治や郁美を悲しませたくなかったからだ。
留美の目頭は熱くなった。
「お父さん、お母さん、ごめんね!お父さんとお母さんに、こんなに愛されていたのに、私って馬鹿だね」と留美は心で思った。もはや、口は麻痺してしまい動かなかった。
留美はやがて意識が遠のいて行った。留美の目尻から流れた涙は、頬に一筋の道をつけ、路地裏のじめじめした路面にぽつりと小さな水滴を落とした。。
「まさるぅ、今行くからね!」
留美は最後に心の中で呟いたのを最後に、考えることもなくなり、ゆっくりと目を閉じた。
ビルの一階に入っている会社の人はほとんどがランチで外に出ていたために路地裏での大きな物音に気付かなかった。また、ビルの中でお弁当を食べている人も大きな音に注意を払わなかった。空調が効いているビルの中では窓を開けていることはなく、外の物音などあまり聞こえないものだ。
そうして夕方、たまたま、喫煙しようと裏通りに面した窓を開けた会社員が、下に倒れている留美の姿を発見したのだ。留美から流れ出た血は時間が経過していたため、既にどす黒く変色して固まっていた。
警察の検死の結果、留美は即死ではなかったということが分かった。暫く痛みと苦しみを味わっていたが、叫び声一つ上げなかったということだ。誰も来ない、暗くじめじめした汚い路地裏で、留美は一人ぼっちで死んで行った。
留美の死に顔を最初に見た警察官は、留美の左手の薬指に銀の指輪があることが、自殺者には不自然に思えた。その警察官には気のせいか、留美の死に顔は微笑んでいる様に見えた。
留美は丁寧な字で遺書を残していた。
「勝の後を追います。先立つ不幸をお許しください。でも私は向こうの世界で勝と一緒に皆様を見守ることでしょう。それだけが私の喜びです。―武田留美―」と書かれて留美の部屋の机の上に置かれていた。