最終話
心地よい朝の目覚め、昨日カーテンを開けっ放しで寝ていた事もあり、窓から光が差し込んでくる。
北向きについている窓なので、直射日光が入ってくるわけではないが、それでも眼を覚ますには十分な光が、ベッドに寝ている博康を包み込む。
今日は目的地まで歩いて行こうとしている博康。
もうそろそろホテルを出ないと、予定の時間に間に合わなくなりそうなので急いで荷物をまとめ、部屋を出る。
部屋の中からはよくわからなかったが、もうかなり日は昇っており気温はかなり高かった。
そこから博康は目的地に向かって歩き出す、しばらく歩くとすぐに海沿いを走る国道に出る。
左側には海、右手側にはそれ程高くない山が連なる。
頬をなでる心地よい潮風、寄せては返す波の音、そして色々な種類の蝉の鳴き声。
そのどれもが心地よく、この季節を彩る。
しばらく平坦な道は続く、景色は変わらず海と山が続いていく、時折少し海から離れる事もあるが、また海沿いに戻る、一歩、また一歩と目的地に近づく博康、その足取りは軽く、あの時以来あの場所に初めて訪れる博康の気持ちはどんどんと高揚していき、足取りは軽くなる。
途中景色のよい所で朝食を食べたり、そこから見える景色を楽しみながら、目的地を目指す博康。
昼を過ぎ、日は真上から少しずつ傾きだす、道から見える景色は少しずつ変わっていき、目的地が近いことを示していた。
まだ少し距離はあるが、そこにはようやく博康の目指す目的地が見え始めた。
景色が見え始めると、博康の足取りは早くなり、ついには全力疾走にまで至った。
たどり着いたそこには、どこか見覚えのあるような女の人がそこからの景色に眼を奪われていた。
はぁはぁ、と息を切らしながらその女の人に近づく博康。
誰かが近づいてきている事に気付いたのか、女の人は振り向き、博康の方を見る。
博康を見た瞬間、女の人は驚きの声を上げる。
「えっ!?もしかして……博康君?まさか……どうして……」
自分の名前を呼んだ女の人の顔を見る博康、逆光で少し見づらいが、どこかで見覚えのある顔、しばらく考えて博康も思い出したかのように声を上げる。
「まさか……綾芽ちゃん?そんな……ウソだろ……何でこんな所に?」
二人はしばらくの間自分たちに起こっていることを理解できず見つめ合う。
ようやく言葉をだす二人。
「よかった……またこうして会えたんだね、私あの後すごく心配して……」
綾芽の言葉に胸が熱くなり、思わず泣き出してしまいそうになる博康。
「心配させて悪かったね、でももう大丈夫だよ!今ここに俺はいるから」
熱くなった胸を冷まそうと博康は綾芽に話しかける。
「座って話をしない?」
そう言われた綾芽は博康の言葉を聞き静かに頷くと、博康に勧められた場所に腰を下ろす。
すすめられたその場所は最後に博康と話をする為に腰掛けた岩だった。
「この場所はあの時と変わらずに本当に綺麗だよね」
博康は景色を眺めながら綾芽に話しかけた。その言葉に綾芽も頷きただ景色を眺めている。
博康も高校生の時に来て以来随分とこの場所には来ていなかったが、目蓋の裏に焼き付く景色と変わらずにいる目の前の景色に少し安心したような表情を漏らす。
綾芽もその表情を見て安心したように博康に微笑みかける。
博康は少しの間景色に心を奪われていたが、ふと現実に戻って横に腰掛ける綾芽の方を見る。すると綾芽はそれに気付いたのか博康の方に顔を向け微笑みかける。
博康はその笑顔を見つめ綾芽に今までの事を静かに話しかける。
「最後に綾芽ちゃんとあったあの後、俺は更に旅を続けた。もちろん、その旅は死に場所を求めての旅では無かったよ」
綾芽はその言葉に静かに頷き博康の言葉を聞き続ける。
「それで俺にもいろいろわかった事があるんだ。そんなに難しい事じゃない、生きていくのは本当に辛くしんどい事だっていう事がよく解った」
博康のその言葉はまるで自分自身に話しかけているようで、綾芽はそこには存在しないような語り口調になっている。
その事に綾芽は気付きながらも博康の言葉を静かに聞き続けた。
「もちろん楽しい事もあったし、ここと同じくらいきれいな景色もあった。その度に旅を続けてよかったって思ったし、生きている事に感謝もしたよ」
博康はそこで一度黙り込み海の向こう側のさらに遠くを見つめるような眼差しを見せる。
その表情に綾芽は少し不安になり博康に言葉を掛ける。
「ねぇ、博康君。もしかしてまだ……」
綾芽の言葉を途中で遮るかのように博康は話始める。
「正直まだよく解ってない。だってそんなに生きていく事って簡単な事じゃないでしょ?でもこれだけは言える。今の俺はあの時の俺とは違うよ。もし俺が自殺してしまったとしてもそれはあの時みたいな曖昧な理由で自殺するようなことは無い。それに今すぐ死にたいなんて言う事も今は無いよ」
まだ俺は旅の途中なんだ……博康はそう最後の言葉を続ける。
綾芽はその言葉に少しの不安と、少しの安心の入り混じったような表情で博康を見つめ続ける。
綾芽のその表情に気付いた博康は綾芽に微笑みかけ言葉を続ける。
「そんな顔しないで、今日ここに来て綾芽ちゃんにまた会えた事でまた俺の気持ちも少し変わったと思うよ。それに最近よく思う事があるんだ。今頃こんな事に気付くなんて本当に馬鹿馬鹿しい事かもしれないけど……」
博康はそう言って、綾芽の方からまた海へと視線を変えて話し続ける。
「いろんなところに旅に行って、そしていろんな人に出会って、いろんな人の考え方やその人の人生の一部に触れてやっと自分でも解った事がある。辛いとか、しんどいとかそんな事ってみんなあるもので自分だけが特別じゃないって事。本当にそんな単純な事に今まで全く気が付かなかったなんて馬鹿な話でしょ?」
博康は綾芽にそう言って少しおどけて見せた。
その少しおどけた様子の博康を見て綾芽は安心してまたその瞳から滴を零し博康に話しかけた。
「そうだよ、誰だってみんな自分の中にある葛藤や苦しみを抱えて生きてるんだよ!こう見えても私だっていろんな悩みを抱えてるんだから!そんな事に今更気付くなんて……」
最後の方はもう言葉にならない程感情がこみ上げた綾芽はそのまま博康の身体に倒れ込むように体を預ける。
博康は綾芽の身体を受け止め、綾芽の髪にそっと触れる。
綾芽は博康を見つめ、博康もその瞳を見つめ返す。
傾きかけた太陽の光は博康と綾芽の影を一つに重ねる。
少しの静寂の後、海からの湿った風が二人の影を引き離すかのように吹き付ける。
そしてまた少しの静寂の後、博康は少し恥ずかしそうに綾芽に向かって微笑みかける。
綾芽もその笑顔に答えるかのように微笑む、そして二人は海の方に視線を移す。
今、二人は同じ景色の向こう側を見ているのだろう、二人の間に同じ時間が流れる。
それを感じた博康は徐に立ち上がり一つ伸びをして隣に座る綾芽に声を掛ける。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
綾芽はその言葉に笑顔で頷き答える。
「そうだね。でもどこに行く?」
「どこだっていいよ。だって世界はこんなにも美しいんだから」
そして博康と綾芽、二人の新しい旅が始まる。




