第六話
エルネとシーヴが屋敷に戻ると、私服に戻っている大公が入り口で待ち構えており、二人が視界に入ると同時に複雑な思いが胸中を襲ったが、表情には出さず、にこやかに出迎えた。
「ただいま戻りました。お父様。久々にこの街の様子を見れて、とても楽しかったですわ」
護衛をつけずに抜け出したことを悪びれず、けろっとした表情と口調で入り口で待っていた大公に挨拶をするシーヴ。
エルネは取り合えず一礼をするも、先程訓練場で行われた出来事が気になっているのか、少し警戒するがそれは杞憂に終わった。
二人を出迎えた大公は内心はともかく、砕けた口調で、そろそろ夕食時だということを告げたのだ。
「そうかそうか。領民達もお前の顔を見れてさぞや幸せだったろうな。ともかく何事も無く無事帰ってきてくれて何よりだ」
「いやですわ。エルネが一緒なのですよ? どのようなことがあろうとも彼と一緒であれば決して身の危険はありません」
口に手を当ててクスクスと笑うシーヴ。
大公はその言葉にわずかに口元を引きつらせたが、誰にも気付かれない。
「う、うむそうであったな。ふふふ。アステグ卿はそれほど頼もしいか……よしよし、取り合えず今日はもう疲れただろう。夕食まで部屋で体を休めているが良いぞ」
「ええ、そういたします。夕食がとても楽しみです」
シーヴはそのまま父に対して軽く頬にキスをして部屋に向かう。
大公は思わず顔を破顔させしまりのない顔をするも、一目を気にして素早く顔を引き締めた。
そうして、今度はエルネに厳しい顔を向ける。
「我が娘とのデートをずいぶんと楽しんだようだな? ええ? 本来であれば貴様ごとき海の藻屑に変えて魚の餌にしてやるところだが、生憎、娘の目があるゆえ今日のところは見逃してやろう。貴様もさっさと自分の部屋に戻るが良い」
エルネは自分達は招待されてここに来たのにも拘らず。この理不尽な扱いは一体何なのだと未だに把握できておらず首をかしげる。
自分は何か大公の怒りを買うようなことを知らず知らずのうちにやらかしたのか? と何度も考えるがやはり心当たりはどうしても見当たらない。
かといって大公に直接聞いてしまえば、おそらく先程訓練場で起きた出来事の二の舞になるだろうと思い聞くに聞けない状態なのだ。
ともかく状況としてはあまりよろしくない状態であり、この状況を何とか打破しなければならない。
すでに家族との縁は切ってあるので、兄などに被害が行く可能性は無いが、独立したとたんわけのわからないまま大公の不況を買って、いきなり路頭に迷うなどということになってしまっては目も当てられない。
とはいえ、現状でいい考えが浮かぶはずも無く、仕方無しに屋敷の中にある自分達に当てられた客人用の部屋に戻ろうとしたとき、背中から殺気を感じて身をかわす。
瞬間、先程までエルネの体があった位置に細剣が突き出されていた。
「大公様……?」
背中から冷たいものが背筋を通るのを感じるエルネ。
「ちっ……いやなに先程から虫がうろちょろしておってな……まったく中々逃げ足が速くて仕留めそこなったわ」
「いや、僕がかわさなかったら思い切り刺さっていたんですけど?」
「心配するな急所は外してある」
そういう問題じゃないでしょう! 思わず怒鳴りたくなったが相手は大公だ。下手に怒鳴るわけには行かない。
もはや大公は自分の命とまでは行かないかもしれないが、すくなくても自分に対しなにかしら攻撃的な意思があるのは明白だ。
しかし打開策が思いつかない。
まず、第一に大公が自分の何がそんなに気に食わないのか分からないのだ。
第二に、曲がりなりにも招待された客人であり、ホストに対して無礼な振る舞いをしてはいけないという一緒のマナーがあるので、身の危険を感じたからと言っていきなりお暇するわけにもいかない。
そんな事をしては大公やシーヴに端をかかせてしまう事にもなる。
ゆえにエルネは、決められた日数の間とどまってなければならず、その間、大公の怒りを引き受けなければならないのだ。
「時間はまだある。最後の晩餐となるかもしれんのだ。夕食をゆっくりと味わっておくが良い」
物騒な一言を残し、大公はエルネの視界から消えていった。
残されたエルネはやはり首を傾げるばかりだ。
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部屋に戻るとすでにフレードリクが戻ってきており、エルネを出迎えた。
エルネは早速大公がどうも自分に対して何か思うところがあるらしく、身の危険を感じるということを自分の従者に相談したが、フレードリクにもさっぱり分からないのだ。
もし彼らがシーヴが大公に当てた内容の手紙の中身を知れば、大公の態度も納得は出来るだろうが、エルネ達はそこまで千里眼を持ってはいない。
お互い両想いだと知っているのは、それこそ限られた人だけだと思っているのだ。
ましてや大公がそのことを知っているはずがないと考えているので、この屋敷に来てからの大公の自分達に対する態度がどうも腑に落ちないのだ。
「一体何が大公様のお怒りに触れたんだ?」
「……さすがに把握しかねますね……シーヴ様やクリス殿は何か言っておられましたか?」
「いや……どうもあの二人は僕に対する大公様の態度を把握していないみたいだ……本当になんなんだ……」
二人の少年は良く分からないまま、夕食の時間を告げに人がやってきたのでそのまま部屋を後にした。
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二人が食堂に着くと、すでにシーヴ達は食卓についており、使用人となにやら話し込んでいた。
二人が目を奪われたのは、その食堂の立派な作りである。
食堂の広さは、ちょっとしたホールのようになっており、天井には豪華なシャンデリアがいくつも飾られ、そのシャンデリアに立てられた蝋燭が何本も火を灯され、まるで夜を感じさせない明るい状態を保っている。
また、食堂にある柱にはいくつもの宝石が埋められており、部屋全体が輝いているような感じだ。
テーブルを見ると細長いテーブルで出来ており、その上にはこの街で取れた新鮮な海の幸がいくつも並べ立てており、二人の食欲を見事にそそっている。
二人にとっては見慣れない食べ物ではあるが、色合いといい量といい興味を引くのには充分すぎるほどなのだ。
とはいえ、実質四人でこれほどの量を食べれるかという疑問もある。
実際、今この場で食事をするのはエルネ、シーヴ、フレードリク、アルノルド大公の四人だけだ。
フレードリクは確かに従者のみに過ぎないが、彼も客人の一人であるのは間違いない。
ゆえに今回に限っては食卓を共に出来る。
普段の水晶宮でも食事を一緒にしてはいるのだが、こういった公式の場での食事というのは従者であれば普通一緒には出来ない。
招かれたものという特権があるからこそ一緒に食事を共に出来るのだ。
その証拠に、クリスティーナは食卓に着かず、シーヴの後ろで静かに控えている。
それが当然であるので、エルネやフレードリクはクリスティーナに遠慮する必要など無いのだ。
ゆえに彼らも普通に席に着く。
シーヴは彼らの正面に座っており、目を輝かせていた。
「どうだ。素晴らしいだろ? 我が大公領の海の幸は隣国からもすこぶる評判でな、お父様が私達のために、朝一番に漁師達と交渉を行って手に入れた新鮮なものばかりらしいぞ」
「いやさすがに驚きました……みんな初めて見るようなものばかりですね……内陸部ですと干物の魚が多いですから」
食料の保存は中々に難しい。
冬であれば凍らして保存など出来るのだが、夏ともなれば内陸部まで新鮮な魚などを保存して持っていくことは困難だ。
ゆえに内陸部で見かける魚とは大抵日干しさせて乾燥したものと限られてくる。
内陸で育ったエルネとしてはいろんな意味で新鮮な思いに駆られた。
そうして海の幸に目を奪われていると、やがてホストである大公が姿を表し挨拶を始めた。
「今宵は素晴らしい客人達を我が家に迎えれたことを喜ぼうではないか。この客人達はわしの娘であり、この家の唯一の跡取りの危機を何度も救ってくれた恩人達でもある。ゆえにこの者たちとそして精霊達への感謝と共に充分に楽しもうぞ」
簡易な挨拶だがほぼ身内だけと言ってもいいような集まりでもあるので、これで充分ともいえるだろう。
しかしエルネはやはり首を傾げるばかりだ。
自分達を歓迎しているのに、大公はなぜあんな態度を取ってくるのか15才の少年には未だ分からないところだ。
表面上は和やかに進む食卓。
シーヴは王都での出来事を事細かに話しており、大公はだらしない顔うなずいている。
時折エルネに救われた話などをすると、顔は笑顔のまま口元がヒクヒクと動いていたが、特に問題なく食が進む。
しかし、しーヴがとある一言を発したとき食事の席に一気に緊張が走った。
「しかしこうしてエルネ達と食事を取っていると、あの時の事が思い出されるな」
「あの時の事ですか? なんのことでしょう?」
エルネは自分の記憶から思い当たることを引っ張りだそうと努力するがその必要は無かった。
「ふふ、最初にお前に救ってもらったとき、あのあとお前は動けなくなっただろ? 私が食事の世話をしたときのことだ」
「ああ、あの時の事ですか。僕のほうは緊張しっぱなしでしたよ。まさか大公女殿下直々に食事を食べさせてもらうとは思いませんでしたし」
苦笑しながら答えるエルネだが苦笑だけでは済ませれない人物がここにいた。
チャリーン! とナイフとフォークが落ちる音が聞こえ、そちらに目をやる一堂。
みると、大公が顔を真っ赤にしながらこちらを睨んでいる。
「ア、ア、アステグ卿にしょ……食事の世話だと? 我が娘よ……ま、まさか……あーんしてあげたというのか……」
手をぶるぶると震わせている大公。
「どうなさったのです? お父様? 私の命を救ってくださった恩人に少しばかり恩返ししてあげただけのことですよ? あの時のエルネは私がスプーンで食事を運んであげてもまともに口にいれようとしなかったからな。まったくおかげで口元を拭いてあげるのも手間だったぞ」
後半の砕けた口調はエルネに向かってだ。
エルネにとっては気恥ずかしいことなので、あまり思い出したくない出来事なのだが、シーヴは楽しそうに語っている。
「てあらさっしゃれ!!!!」
変な奇声を上げ物凄い勢いで立ち上がる大公。
何かを抑えるように体全体がぶるぶると震えている。
「お、お父様?」
その異様な雰囲気を感じ取ったのかシーヴもさすがに驚くが、大公はニコリと娘に笑みを見せた。
「わしは……少し疲れた……後はお前達で楽しむが良いぞ」
酒が入っているわけではないのに、顔を真っ赤にしながら自分の部屋に戻る大公。
子供達三人は不思議そうに顔を見合わせた。
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部屋に戻った大公は、部屋の中にある飾られていた剣を手にして手当たり次第、物に当り散らしていた。
「あの小僧! わしの娘からあーんだと! わしですらやってもらったことが無いというのに! おまけに口元を拭いてもらっただと! シーヴの優しさに付け込んでなんて真似をしてくれたのだ!!」
言葉一つ一つに力を込めて、カーテンを切り裂き、高価そうな壷を割り、飾られている素晴らしい絵画を切り裂き、それでもなお、大公の怒りは収まらない。
「あの小僧……絶対に許さん! あーんの罪はそれほどに重いのだ!」
下手をすれば邪霊が取り付きかねないほどの激情に駆られながら部屋のものをとにかく破壊していく大公。
「はぁはぁ……この歳になってようやく授かった一人娘を……あのような脆弱な若者に任せられるか!」
大公とて貴族筆頭であり、その心構えは出来ている。
シーヴが一人娘ということは、いずれ婿を取って血を残していかなければならないのだ。
それが貴族としての義務でもある。
貴族の中には生まれたときに決まった婚約者がいることも少なくは無いが、シーヴにはそのような縁談は無かった。
正確に言えば大公が全部握りつぶしていたのだ。
大公家としては、よほど身分が低くない限り、どこから婿をとっても家のつながりと言う意味合いにおいてメリットはほとんど無いのだ。
王家だろうと、公爵家であろうと大公家は王位継承権を持たないもう一つの王族と言っても過言ではない。
これ以上の栄冠を求めるのであればあとは王位くらいしかないので、どこかとつながりを持ち、権力を強化するという意味が全く無いのだ。
ゆえに大公家においても政略結婚というのは特殊な事情を除いてほとんど無い。
むしろ大公家とつながりを持ちたい貴族がごまんといる状態だ。
大公であるアルノルドとしては、まだ健康上に問題は無いが、すでに自分は老年のみでありいつお迎えが来てもおかしくは無い。
自分が生きている間はいいが、自分が死んだ後、まだ若い一人娘であるシーヴの行く末が心配となっているのだ。
そのためにはシーヴの事を、そして大公領のために手腕を発揮してくれるものがシーヴと一緒になってくれれば安心なのだが、来る縁談はみな野心に目を光らせており、シーヴの事をおまけ程度にしか考えていないのが手に取るように分かるのだ。
そしてそういったことから、彼は色々な意味でシーヴに変な男が近づいて欲しくないという気持ちで一杯である。
もちろん父親として、色々な意味での嫉妬心が多々あるのも間違いない。
「精霊の一族だと! 家族と縁を切って実家から逃げ出すようなガキが! 大公領を背負えるはずが無かろう! あーんしてもらったのはやはり許せん!」
その武力は認めている。
しかし武力があるだけではシーヴを任せるわけには行かないのだ。
そしてセリフの後半がほぼ本音と言ってもいいかもしれない……
「独立したての家が何かしらの後ろ盾が欲しくて近づいたに決まっている!」
剣が部屋の壁を切り裂く。
そんな時、ノックが聞こえてきて、大公はその人物を部屋に迎え入れる。
「これは……この部屋に嵐でも起きたのですか?」
「アントンか……何用だ……」
肩で息をしながら、何とか今までの怒りを納める大公。
「ええ、少しばかりきな臭い情報を手に入れましてね……」
「きな臭い情報だと?」
父親の顔から大公への顔に戻るアルノルド。
そしてアントンが語る情報に、わずかに口元を釣り上げた。




