20・寝酒
メーガンが追いついたとき、すでに暗がりの中でレドとネムが向かい合っていた。
それを遠くから、アイが見ている格好である。メーガンはアイの隣に立って、向かい合う二人に注目した。
「勝負の方法はどうするんだ、剣を抜いてもいいのか?」
ネムが訊ねる。
「いや、こいつで十分だ」
レドは店の裏手から、薪と思われる木材を持ってきた。
細長いもので、おそらく植物の茎だと思われる。このあたりでは繊維をとるのに使われている古くからある植物だ。薬にも食料にもなり、油もとれるということで重宝されてきた草である。
レドが持っているのは、それの繊維をとったあとの、茎部分。残りカスである。これは一般に薪として利用されている。酒場でもそのように利用されており、これは備蓄分だろう。
薬師のレドはそれをネムに手渡した。およそ、ネムが持っている剣と同じくらいの長さだ。もちろん剣に比べれば脆いだろうが、この場合本気でレドの体を傷つける必要はないのだから問題ない。
ネムは片手でそれを二度三度と振りぬき、頷いた。
「これをあんたの体に当てればいいんだな」
「そうだな、ぼくも一応は抵抗させてもらう」
そう答えながらレドは薪を折って、短剣程度の長さに整える。
「君がぼくの体にその棒を当てられれば、毒の王の討伐に付き合おうじゃないか」
言いながらネムと距離をとり、右手で持ち上げて構える。きれいな構えだ。見るものが見れば、レドがただの薬師ではないとわかるだろう。
メーガンが見てもそうだった。レドが負けるとは思えない。
だが、相対した剣士のネムは相手をただの薬師だとなめてかかっていた。暗がりであったことも影響していたかもしれない。いずれにせよ、彼女は相手を過小評価していた。
傍観していた弓使いのアイは、レドの構えを見て即座に認識を改めていた。彼女は、薬師に対して警戒さえ抱く。この時点で、ネムは勝てないだろうという判断さえしてしまった。互いの実力が違いすぎると感じたのだ。ネムも決して弱い傭兵ではない、それでも彼女が勝つという予想はたたなかった。
レドとネムは向き合って、構えあっている。互いの距離はおよそ、メーガンの歩幅で十歩程度だ。一気に飛び掛って斬りつけても届かないくらいだろう。
「もう打ちかかってもいいのか?」
片手で棒きれを構えたネムは、余裕をふくんだ声で問いかける。
「もちろんだ」
レドが答える。
同時にネムは、地面を蹴った。すさまじい勢いでの踏み込みで、レドに打ちかかる。だが、当然それは届かない。
ネムもそれはわかっている。棒切れはすでに体の前に出しており、突きこむ構えだ。右足を地面について蹴りこみ、加速してレドの喉元に武器を当てるつもりだった。
そのくらいの余裕はあると思っていたし、最初の踏み込みは加減していた。しかし二度目の蹴りこみは本気で行うのだ。その速度差によって幻惑し、相手を打ち負かすつもりでいる。
レドが並みの使い手なら確かにこれで決まっていただろう。
しかし、ネムが踏み出した瞬間、メーガンもアイも彼女の敗北を確信したのである。
「気付いてない」
二人は同じ感想を抱いた。そして負けるだろうと思った。そのとおりであった。
ネムの突進が、跳ね返されたのである。武器を構えての踏み込みが、甘すぎた。彼女が右足で二度目の蹴りこみを行う前に、彼女の体はバランスを崩していた。
引っ張り込まれるような感覚に襲われて、あっけなく仰向けに倒れこむ。
ネムには何が起こったのか、わからなかった。気がついたときには顔面に棒切れが振り下ろされている。それは、確かに額に命中した。痛い。
「勝負ありだな」
両目をまたたき、まだ何が起きたのかわかっていなさそうなネムに、レドは冷静に告げた。
棒切れを回収し、もとの場所に戻してしまう。そのまま、酒場に戻った。
混乱のきわみにあり、立ち上がることさえできないでいる剣士のネム。弓使いのアイはため息をひとつつくと、ネムの体を抱き起こした。
「あんたの負け。いくらなんでも、侮りすぎです」
冷静にそう告げるものの、ネムは自分の負けが信じられなかった。
「いや、なんで。あんなあっけなく私が負けるなんてことあるわけない」
「あるわけなくても、実際に負けたでしょう。それ以上何をどうするっていうのですか」
「だって、その」
本当に、何が起こったのかわかっていないらしい。弓使いのアイは仕方なく、彼女がどうして負けたのかを解説してやった。
「あの男をただの薬師だと思ってかかったのですね。それでは負けて当然です。冷静に彼の構えを見れば、相当な腕前の持ち主だとわかったでしょう」
「でも、あの距離からの攻撃で私が負けたことなんて一度も」
「相手が悪かったとしかいえませんが、あなたに驕りがあったことは事実です。彼はあなたの踏み込みに合わせて前に出て、あなたが着地するより早くあなたの足を払ったのです。払ったというよりも、ひっかけて引っ張り込んだというのが正しいかもしれません」
「んな、馬鹿な」
ありえるはずがない、とネムは強弁した。アイはそれを言い聞かせるのに苦労している。
その二人のやりとりを見ながら、メーガンは思う。あれくらいのことでなにを驚いているのか、と。
レドが行ったことは、ただ前に出て敵の出足を引き込んで倒しただけのことだ。ネムの行動が迂闊すぎるということもある。大したことをやったわけではない。暗殺組織にはあのくらいのことができる人間が大勢いたはずである。
ネムはその水準に達していないな、とメーガンは思う。そうなってくると、自分と同じように考えていたアイの実力が際立ってくる。
なぜそれほどの力をもった弓使いがネムに付き合って傭兵などやっているのか。逆にそうしたことさえ疑問になってくる始末だ。
「下手をしたら、あのレドという薬師。メーガンより実力があるかもしれません」
アイはそんなことさえ言った。鋭い観察眼である。実際に、そのとおりなのだ。
「でも、自信なくすじゃない。毒の王の討伐に来たのに、旅の薬師にさえ勝てないなんて」
「まあ、彼は規格外だと思いますが」
「薬師に負けたのは事実じゃない」
嘆くような声で言って、ネムがため息をついた。アイがそれを慰めている。
暗殺者のメーガンは、これ以上見るべきものはないと判断して、踵を返す。頼んだ料理が冷めてしまうと思ったからである。
が、背後から呼び止められた。
「ちょっと待ってくれ、メーガン。なあ、あのレドって薬師は一体何者なんだ。旅の薬師で自衛できるったって限度があるだろ」
遠慮のない物言いである。ネムは立ち上がって、メーガンに詰め寄ってきた。
「毒の王について調べていたんなら、メーガンだって毒の王に思うところがあるんだろ? だったらなんであいつをどうにかしようと思わないんだよ。というか、レドなら毒の王にだって勝てるんじゃないのか」
相手をするのも面倒くさそうだ。が、どうやらこの女からは逃げられそうにないらしい。
鼻息も荒く、ネムはメーガンの眼前に迫って、詰問するような勢いだった。
ため息をつきたかったが、ネムはそれすら許してくれそうにない。毒の王を殺して弟の敵をとるのだ、という人生をかけた目標が感じられるが、それは重過ぎる。
メーガンは閉口して弓使いのアイを見やる。冷静な弓使いは黙って首を振った。処置なし、ということらしい。
全面的に任せられたということらしいが、どうしろというのか。ネムの言っていることは、ただのわがままだ。メーガンにしてみれば、こたえる必要のない要求である。
「あんたからも頼んでくれないか、なあ。そうだろう、毒の王がいるせいでどれだけの無辜の人が死んでいるのか、と考えてみれば。薬師のレドには無関係じゃないだろう、こんなに近くに毒の王の城があるっていうのに、どうしてそんなに無関心でいられるんだ」
「そんなことはこの集落の人に聞いてくれ」
ネムの必死な頼みを、メーガンはばっさりと切って捨てた。付き合っていられない。
ここで断ってしまえば、ネムはアイとともに毒の王の古城に突撃して死ぬかもしれない。だが、そんなことは別にどうでもいいことだ。
レドとメーガンにとって何の苦痛もない。アイの才能は少々惜しい気もするが、仕方がないだろう。
「薬師のレドと、その護衛にとっては毒の王の討伐は無理なことだ。諦めてくれ」
「どうしてもか!」
「どうしても。すまないな」
しがみついてくるネムを振り払って、メーガンは酒場に戻った。
メーガンの注文した料理に、レドが手をつけているのが見えた。思わずため息がでたが、代わりに葡萄酒を少し分けてもらったのでそれほど怒りは持続しない。
珍しいことにレドとメーガンはその日、集落の宿泊施設を利用した。
金の無駄遣いではないのかとメーガンは思ったのだが、レドの決定なので仕方がない。集落にひとつしかない宿泊施設に戻って、金を支払った。
ネムとアイが隣の部屋に宿泊しているようだが、レドは気にもしなかった。どうやらここ数日、ここに泊り込んでいるらしい。
例によって、薬師とその護衛は同じ部屋に泊まることになっている。寝台は二つあるが、やはりメーガンはそれを利用しない。
壁際に腰を下ろして、いつでも飛び起きられるように、浅い眠りにつく構えである。しかし眠る前に、疑問を解消しておきたかった。
「どうして城に戻らないんだ?」
声を潜めて、レドに訊いてみる。マントを脱ぎ、手持ちの薬を何か確かめているレドはその声に応じて、顔を上げる。
「明日も酒場の飯が食いたいからだとか、酒場の娘が気になるからだとか、そういう理由ではまずいのか」
「当たり前だろう。何か目当てのものがあるんじゃないのか? あの傭兵たちのこととか」
「ああ、それもあるな」
レドは壁を一瞬見てから、声をさらに小さくした。
「それだけではないが」
壁一枚をはさんで、向こう側には件の傭兵がいるはずなのだ。聞き耳を立てられていると警戒するのは当然のことであった。
「じゃあ何か別の心配事があるのか」
「ある」
「それはどういうあれなんだ? あの二人以外に何かやってくるとか、そういうのか」
「明日の昼くらいになると思うがな。君がいない間、ぼくだって何もしていなかったわけではない。多少の情報は得ている」
「それは信頼できる情報なのか。明日の昼に、何かあるのか」
「そのときになればわかる。まあ、何もなければ城に戻ろう。そろそろ沼の様子も見なければまずい」
レドはこれで話は終わりだ、とばかりに薬を確かめる作業に戻ってしまった。
メーガンはそれを見て、もう何を言っても反応するまいな、と思う。明日の昼に何があるのかはわからないが、とりあえず何があっても対応できるようにしなければ。
とりあえず、武器を確かめておこう。レドが薬を確かめているのも、売り物になるかどうかを見ているだけではあるまい。恐らくはまだ見ぬ危険に対応するためだ。自分もそうしておこう。
短剣、弓、スリング。スリングは換えたばかりなので問題ない。弓も大丈夫だ。矢も補充してある。短剣は酷使しているが、刃こぼれには至っていない。
刃をぬぐって、手入れしなおす。この短剣に銘はないが、愛用してきたものである。大事にしたかった。
ラエニーの短剣もあるが、あれを実用する気にはならない。装飾過剰で重く、いまひとつだ。レドに押し返して、預かってもらっている。
一通りの確認と手入れが終わったころ、扉が叩かれる。
レドが誰何の声をあげると、私だ、という返答があった。その声は弓使いのアイだ。メーガンにはすぐにわかった。
「何の用だ。酒場でのことならもう決着がついただろう。これ以上のお誘いはご遠慮願いたい」
「その話ではありません。少し、夜酒に付き合っていただけないかと」
「断る」
レドは冷淡に断ってしまう。当然だろう。付き合う意味がない。
しかし、アイは食い下がった。
「レド、あなたが無理ならメーガンとお話させてもらいたいのですが。一杯だけでいいのです」
名前を出されて、メーガンは顔を上げる。レドの顔を無言で見ると、彼は小さく頷く。
その真意をメーガンは汲める。何か聞き出して来い、というものだ。
酒は別に嫌いではない。毒の王を暗殺しにかかったときのような泥酔をするつもりはないが、少しだけなら。
メーガンは立ち上がって、部屋を出た。弓使いのアイは、武装を解いた姿でそこにいた。
両手にワイングラスと、良質の酒を持っている。高級酒だ。一本で銀貨一枚にはなるだろう。
「すみません、少しだけ昔話をしたいと思いまして」
アイは、メーガンを自分の部屋に誘った。
それに応じて中に入ってみると、部屋は荒れていた。ずいぶん汚く乱された寝台と、散らかされた荷物が見える。
「散らかっていますが、すみません。こちらへどうぞ」
弓使いのアイはそれを気にする様子もなく、比較的片付いた一角にテーブルを置いた。そこにグラスと酒を置いて、メーガンに椅子をすすめる。そうしておいて自分は木箱に座った。
グラスへ酒を注ぐアイ。メーガンはその酒を飲んだことがない。だが、高級酒であることは知っていた。葡萄ではない、何かの果実でつくった酒らしいとは思う。いずれにしても、かなり珍しいものだ。
部屋の中を見回す。しかし、ネムの姿は発見できなかった。
彼女はどこにいったのだろうか。荒れた部屋と関係があるのだろうか。




