19話「アフターデイズ」
そして、木星圏での地球帝国情報局の暴走は大スキャンダルになった。
そうなるようにありったけの情報をエンダー・カレルレヤがマスコミにリークしたからだ。
この一件は明らかに地球帝国の体制にとってマイナスになるものだったが、隠蔽の圧力は想定より強くなかった。地球帝国情報局と手を結んでいた権力者がいたように、彼らの存在を快く思わない権力者もいるのだ。
長生きしているだけあってとにかくコネが広いエンダーは、そういう利害関係で協力者を見つけ出した。
交換条件としていくつかの事実に口を閉ざすことになったが、エンダーとツルギの身の安全は保障された。
かくして世間に知られることになった事件の概要はこうである。
シリウス独立派への強硬論者で知られる情報局長官のイアータ・トゥルガムが独断で強力な無人自律兵器を建造するも、その起動実験に失敗。実験に立ち会った情報局の宇宙艦隊を巻き込んで自滅し、無人自律兵器は帝国宇宙軍の手で破壊された。
以上が世間一般に知られるトゥルガム・スキャンダルの内容である。情報局が独断で――つまり議会の承認を経ずに秘密兵器を建造したのも問題なら、巨額の費用をかけたそれがとんでもない失敗作なのも問題だった。ましてや当事者が事故で死去しているのも笑えない。
常日頃、御上に不満を溜め込んでいる民衆が、これ幸いと情報局の不始末に石を投げ始めたのは言うまでもない。情報局の増長ぶりを苦く思っている議会もこれを後押しして、今や世間は地球帝国情報局へのバッシングでお祭り騒ぎだった。
しかしもちろん、隠されてしまった真実はいくつもある。トゥルガム・スキャンダルはそれ自体がショッキングな内容だが、流石に自国民に対して自作自演のテロを行っていたなどという最悪の情報は秘されることになった。
おかげでコロニーシップ〈カロンデルタ〉で起きたテロ事件との関連を疑うものはなく、いたとしてもおかしな陰謀論者のレッテルを貼られるのがオチだった。
この一件に関しては告発しようにも、エンダー自身、イアータ・トゥルガムの自白めいた発言以外に証拠がなかったから取引に応じるしかなかった。
何より痛かったのは、一連の事件の背後でうごめいていた地球貴族の思惑について追求できないことである。地球貴族マダム・グラシオンの関与については追求しようにも、最大の情報源であり証人たり得たイアータ・トゥルガムが死んでいるためだ。
かくして不完全燃焼な秘密を抱えつつも、ひとまず事件は収まるところに収まった。
普通であれば口封じに消されて終わっていただろう事件が、エンダーとツルギの身の安全の保障という形にまで持って行けたのは、ひとえに彼女の帝国内での発言力の強さのおかげだった。
一番大きかったのは、地球帝国情報局がよりによってあのエンダー・カレルレヤを演算ユニットにして、絶対兵器の一部として使い潰そうとしていたという事実である。
少なくとも彼女は二〇〇〇年近くに渡って地球帝国と人類の繁栄のため貢献してきた功労者であり、それを犠牲にしようとしたイアータ・トゥルガム長官の行動は、地球帝国の基準でもかなり異常だったのだ。なのでエンダー本人が関係各所に圧力をかけると、それだけでいくらかの官僚や政治家が動くことになったらしい。
――シェオルグの人脈ってすごい。
東雲ツルギは素直にそう思った。
そして思った通りのことを口にした。
「君ってコネはすごかったんだな……」
「そこはかとなく侮りを感じる感嘆ですね、英雄殿?」
じとっとした半眼でにらまれた。喫茶店のテーブル越しに見る青銀の髪の少女は、やはり息を呑むほど美しい。いつもの白いドレス姿がこれまた似合っている。
つまり最高だ。
「君ってコネもすごかったんだなあ!」
「心がこもっていません」
ダメ出しされた。
二人が今、滞在しているのは地球の日本列島だった弧状列島――かつて関東地方と呼ばれた地域にあるホテルだった。ホテル内の喫茶店に入って時間を潰している二人は、誰がどう見ても暇を持て余している観光客だった。
だが実際のところ、こうして喫茶店で一服できるのは貴重な時間だった。それもこれもエンダーが太陽系の有力者に働きかけるためである。彼女が精力的に関係各所へ働きかける間、ツルギはそのあとを引っ付いて護衛紛いのことをしていた。
もう二度と誰かに彼女をさらわれるようなことを起こしたくなかったのである。
エンダーが陰険ガッデム星系と呼ぶだけあって、西暦四一〇〇年代の太陽系は様変わりしていて政治も複雑怪奇だ。
どうやら地球温暖化が進んだ結果、日本の関東地方はその沿岸部の大半が水没していて、今、二人がいる海洋都市も常夏をうたい文句にしていた。昔、ツルギの故郷があったあたりまで綺麗に海に沈んだのだ。
ここまで来ると笑うしかないほど原形を留めていない。
表向き、彼の身分はシェオルグのエンダー・カレルレヤの従者だった。彼が巨神騎士であり、二〇〇〇年前に人類を救った英雄、東雲ツルギであることは表沙汰になっていない。というよりツルギもエンダーもそうすることを望まなかったのである。
もしそれが公になれば、必ず政治利用されるからだ。地球帝国情報局の故イアータ・トゥルガムが知っていたあたり、リリィ経由で地球帝国の有力者ならば把握しているのだろうが。
ひとまず要人だけが知っている事実かつ、公的にはシェオルグの従者という形でなら、易々と手が出せないようにすることはできる。
それがエンダーなりのツルギの庇い方らしかった。
それにしても、と思う。こうして二人が無傷で生きているのが奇跡に思えるような、とんでもない陰謀に巻き込まれていた気がする。ほっと一安心したところで思い出したのは、〈カロンデルタ〉で出会った少女のことだった。
「……リリィはあのあと、どうなったんだろう」
「死んだという話は聞きませんので、大方、救助されて療養中ではないでしょうか」
エンダーは素っ気なかった。しかしあまり気まずい空気でもなかったので、だらだらとツルギは話を続ける。
「巨神騎士なら生きている、ってことか?」
「英雄殿、光速で〈禍つ光〉に突っ込んでバラバラに砕け散ったあなたが二〇〇〇年かけて再生してる事実がわたしは一番怖いです。まさに不死身のヒーローですね」
「ちょっと待ってくれ、僕ってそんなひどい状態だったのか? いや、というか――君はなんでその目で見てきたかのように知ってるんだ?」
にっこりとエンダーが笑う。美しい少女の笑みは天使のように尊かった。
「長生きしてるので物知りなんです。あなたのことは徹底的に調べてますしね」
「長生きってすごいな……待ってくれ初耳なんだけど! どのぐらい調べた!?」
自分の知らないところでストーカーみたいな挙動をされると怖い。実にシンプルな感情に従って、ツルギは困惑した。
「あなたの好物がエビピラフであることはリサーチ済みですよ英雄殿……何を隠そう、初対面の時の食事は二一世紀の冷食を再現した復刻冷食シリーズ……! あなたが一番好きな冷食を再現してあったのですよ!」
ドヤ顔のエンダーに対して、ツルギのテンションが微妙に下がった。
「あ、あれって手料理じゃなかったんだ……」
「家庭料理に夢を見すぎでは?」
ため息をつかれた。しかしツルギにも言い分はあった。
「僕はまだ、手料理に夢を求めてしまう年頃なんだ……」
「一一七歳なのに……?」
「何歳になっても夢は忘れないようにしたいから……!」
「ふふっ、気持ち悪いですね」
微笑みながら断言された。ツルギは何も言い返せなかった。何故ならちょっとウェットな感傷すぎると自分でも思っていたからだ。
そのとき喫茶店の入り口から来店を報せるベルの音が鳴った。さりげなくツルギは入り口の方に視線を移して――そこに立っていた人影に瞠目した。
向こうもこちらの視線に気づいたらしく、気まずそうな顔と共に近づいてくる。
「リリィ……さん」
「……はい」
ツルギは頷いた。
「リリィ・フェルディエ・ドーンヘイル……!」
「なんで今言い直したんですか!?」
「気分の問題だ、気にしないでくれ」
ツルギは席から腰を浮かせると、案内の店員ロボット――人型を模した自動人形だ――に彼女と相席する旨を伝えた。座っていたソファーの尻の位置をずらして、隣に座るよう伝える。パーカーにジーンズ姿のリリィは、野暮ったいオタク少女という感じの見た目だった。
自分が手足を吹っ飛ばされても平気だったように、彼女も変身状態で喰らったダメージは回復する手合いらしい。
ものすごく気まずそうな顔でリリィが座ったのを見届けた瞬間、エンダーが口を開いた。
「お久しぶりですね、リリィ。ざっと一ヶ月ぶりでしょうか」
「ええっと……エンダーさんもご無事のようで何より、です……」
栗毛の少女はちょっと泣きそうだった。
それに対してシェオルグの少女は、心なしかブルーガーネットのような角までつやつやしている。
「ええ、忘れませんよリリィ……あなたの裏切りによってわたしの身柄が喋り方の気持ち悪いおっさんに売り渡されたことを……!」
「ううううぅううぅう……!」
本気で申し訳なさそうにうつむくリリィと対照的に、エンダーは明らかにこの状況を楽しんでいた。にやにやと薄ら笑いすら浮かべている。もう少し真面目な話かと思っていたツルギは、とりあえずリリィの肩を持つことにした。
「エンダー、君の言い方に悪意を感じる」
「英雄殿は黙っていてください」
「ツルギさん、これは……あたしとエンダーさんのお話なんです……!」
「二人とも理不尽だな!」
何故か女子二人に挟撃されたツルギが口をつぐむと、ようやく真面目な話が始まった。
「……あたしは許されないことをしました。トゥルガムのしでかしたことは許されることじゃなかったのに、それに加担するような真似をして。だから、その、今日はけじめをつけに来たんです」
思い詰めた様子のリリィは、本当に心の底から後悔している様子だった。
そして取り返しが付かないという意味では、確かにリリィの悔恨は正しい。
あのとき暴走した〈セラフ〉によって、地球帝国情報局の艦隊は壊滅的な被害を被った。おかげでボロボロのツルギとエンダーに対して追撃はなかったわけだが、〈セラフ〉による死者はもうどうしようもないことだ。エンダーは口にこそ出していないが、そのことにひどく心を痛めているようだった。
エンダーが生還したからハッピーエンドなのだ、というには、人が死にすぎている。そういう罪業の話も含めて、リリィは責任を感じているようだった。
神妙な顔になったエンダーは、すっと切れ長の目を細めて。
「――貸し一つです、リリィ」
そう言った。
「えっ?」
「ですから。これはあなたに対する貸しですよ、リリィ・フェルディエ・ドーンヘイル執行官。あなたがまだ地球帝国で血なまぐさい仕事を続ける気かは知りませんが、忠告しておきます。地球貴族とは距離を取りなさい。あなたのような若者が関わるには、彼らはあまりにも危険です」
「それは……マダム・グラシオンの件ですか?」
「ええ、必ずやわたしは彼女たちを追い詰めてみせます。〈カロンデルタ〉での陰謀は一線を越えているからです。そのときあなたまで巻き込まれていては嫌ですからね」
「……そのことなんですが」
リリィはうつむいて、エンダーの言葉を噛みしめながら、ゆっくりと口を開いた。。
「マダム・グラシオンが直接、お話ししたいそうです」
そう言ってリリィが取り出したのは、小型の携帯端末だった。テーブルの上にホログラムが展開される。
『お久しぶりですね、エンダー・カレルレヤ様。そして黒の巨神〈ケルベノク〉の使い手よ。私はグラシオン家の代表、マダム・グラシオンを名乗っているものです』
六〇センチほどの胸像のような状態で投影されている立体映像に映っているのは、黄金の髪に青い瞳を保った妙齢の美女だ。品のいい貴婦人という感じの女性は、神妙な顔つきでエンダーの方を見ている。
「これはこれは、マダム・グラシオン。あなたの壮健な姿を目にするのは久方ぶりですが……あえてこう問いましょう。今さら社交界ごっこは遅すぎるでしょう?」
当たり前だが、エンダーの態度は冷たかった。今回の事件の黒幕と目される女性が、自ら連絡を寄越してきたらこうもなろう。
だが、マダム・グラシオンは悪びれることもなくけろっと本題を切り出してきた。
『……私もあの件には大いに驚いています、エンダー・カレルレヤ様。確かに私はトゥルガムに資金援助を行いましたが、〈プロジェクト・セラフィム〉についてはシェオルグの協力を仰いで完成させるとだけ伺っていたのです。まさかこんな大それた、おかしな真似をするとは……』
「そのおかしな真似には、数百人が死傷したテロも含まれているのですが」
エンダーがそう言って釘を刺すと、心底、悲しそうにマダムは目を伏せた。
『彼の狂気を見抜けなかった私も悪いのでしょう……しかしこれだけは信じてください、私が協力したのはあくまで分離主義に対抗するための絶対兵器の開発だけなのです。〈セラフ〉が正しく完成していれば、地球帝国に分断はあれど分離独立による戦争は防げたはずなのですから』
「……つまり、こういうことでしょうか。あなたは何も知らなかったと?」
『いえ、てっきりカレルレヤ様にお話を伺って完成させるものとばかり。確かに彼は過激な思想の持ち主でしたが、カレルレヤ様のような穏当な方がプロジェクトに加わり、助言してくださるのなら間違いは起きないと考えていたのです』
つまり、こういうことらしい。
イアータ・トゥルガムの〈プロジェクト・セラフィム〉に出資したマダム・グラシオンが承認していたのは、あくまで絶対兵器〈セラフ〉の完成とそれによる平和の維持という部分であって、エンダー・カレルレヤの演算ユニット化やそれに伴うテロなどはまったく関与していない。
むしろエンダーの協力によって、トゥルガム長官の危険な思想にブレーキがかかると期待していたのだが、実際にはトゥルガムの独断で裏切られてしまった。
そんな都合のいい話があるかと言いたくなる程度に、死人に口なしの事情説明である。少なくとも脇で話を聞いていたツルギはそう思った。
だが、エンダーの感想は違ったらしい。彼女はしばらく深呼吸して目を閉じると、ふーっと息を吐いて。真っ直ぐな視線をマダムにぶつけた。
「何でもかんでも二つ返事でOKしているから、そうやって悪党どもに上手いこと使われているのですよ……マダム・グラシオン。あなたの陰謀ごっこはいつもそうです。最悪の結果を悪意なく呼び寄せる」
どうやら以前にもこういうやりとりが発生していたらしい。
それを許しているエンダーも大概、極まったお人好しであるが、マダム・グラシオンのうかつさも怖くなってくる発言だった。
思わずツルギは声をかけた。
「エンダー、こんな言い訳を信じるのか?」
エンダーの答えは簡潔だった。
「こんな言い訳にもなっていない申し開きをするのが、マダム・グラシオンなのですよツルギ。逆に考えてください、わたしの追求を躱そうという人間がこんな支離滅裂なこと言いますか?」
「……なるほど」
通信越しに言いたい放題に言われているマダム・グラシオンは、目を伏せて弁明しようとはしなかったし、少女騎士もまた擁護しようとはしなかった。
『本当に申し訳ありませんでした。此度の事件の責任の一端は、確かに私にあります』
直球の謝罪が飛んできた。
深々とため息をついたあと、エンダーは呆れ半分でこうのたまった。
「……どうせ、現段階ではあなたを告訴する証拠が存在しないのでしょう? だからこんな謝罪ごっこができる」
マダムは無言である。否定しないということはそういうことなのだ。
エンダー・カレルレヤの追求が激しくなる前に事情を説明し、一定の解決を図ろうという思惑が感じられるタイミングなのだ。事実、今のエンダーは出鼻をくじかれたような状況である。
実に小賢しい言動だが、理性の人であるエンダーにはある程度、有効な振る舞いでもあった。
「……貸し一つです、マダム・グラシオン。そして何より、あなたの行いのツケを払うのはあなた自身です。それをお忘れなきよう」
『肝に銘じておきます、エンダー・カレルレヤ様。いずれ直接、お目にかかりたいものです』
ふっとホログラムの投影が終わり、通話も切れたようだった。
到底、事件が解決したとは言えない空気である。
むしろ軽率で浅はかな地球貴族が陰謀ごっこに加担しただけで、何百人もの無辜の民が犠牲になったという事実が重たすぎる。かといって無条件の断罪者ができるほどエンダーは強くないから、ひとまずこの件に関しては証拠が見つかるまで保留せざるを得ない。
しばらくの間、瞑目していたエンダーは、目を開くと気分転換にリリィの方を見た。
気まずそうに肩を縮こめていた少女騎士に、努めて明るく声をかける。
「ところでリリィ、ここのスイーツを制覇したいのですが手伝ってくれますか?」
「えっ、おごりですか!?」
「もちろんです!」
急に元気になった女子二人を横目に、ツルギはコーヒーをすすった。
「平和だ……」
「あっ、ツルギさん……この前は手加減してもらって、その、ありがとうございました!」
いきなりリリィが話しかけてきたのでびっくりした。
「え、あ、うん。まあお互い生きててよかったよ、リリィ」
「そうですねツルギさん! あたしもツルギさんみたいな立派な騎士になれるよう……頑張ります!」
キラキラした瞳でそう言われると、どう反応していいかわからなくなる。間違いなく自分は立派な人間ではないと思うので、目標にされるのは何かが間違っている気がした。
そういうわけなので彼は、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すのだった。
「ああ、ファイトだ!」
「ツルギ、今ものすごくいい加減なこと喋ってませんか?」
エンダーからの突っ込みに目を逸らすツルギだった。
半眼でじーっと見つめられた。
とてもつらい。




