プリン
咲と身を寄せ合いながらの睡眠から目を覚ました俺は、すやすやと眠る咲を起こさないよう部屋を出て、朝からガインさんの店へと赴いて食材の仕込みを手伝った。
ガインさん曰く本当はやらせるつもりはなかったらしいが、俺が包丁を扱うのに慣れていた事を知り、昨日の夜に厨房での仕事をいくつかやらせる事を決めたのだそうだ。
そして俺はその仕込み作業中、ガインさんや他の従業員の人達から色々な情報を知った。
とはいっても、俺の素性を知られるわけにはいかないから直接的な事は聞けなかったが。
たとえばこの店には二人ほどネコミミを生やした従業員(その二人の語尾にもニャがあった。語の加護しっかりしろ)がいるが、この二人は十年ほど前に起こった大戦で潰れた祖国『ティンバル』を離れてこの空が覆われた大都市『アンダーガーデン』へとやってきたのだという。
その話からは十年前にどんな戦争があって潰れたのかを聞く事はできなかった。
もしかしたら一般常識かもしれないからな。迂闊に「十年前に起こった戦争とは?」とかを聞きなおすことはできない。
この街(というよりも都市と言った方が正しいようだ)の事にしてもそうだ。
周辺の地理を訊ねる程度なら問題ないと思うが、外にある天井はなんだ?というような事を下手に聞くとボロが出る。
会話の中から拾ったところによると、あの天井は天蓋と呼ぶらしいが、詳しく聞こうとすれば自分がここの人間じゃないとバレてしまうだろう。
どこから来た?と問われても答えることができないし、あまり重要そうでなければ聞かなくて正解だ。
というような理由で俺は話を聞くことだけに専念し、下手に何かを訊ねる事はしなかった。
その結果、俺が無難に手に入れた情報は店の内部事情ばかりという随分な偏りをみせるものとなった。
どうやらガイン・トルバディスがスラム近辺に構えるこの飲食店『トルバディス食堂』は現在人手不足なのだそうだ。
それは昨日の段階で店内の忙しさからなんとなく気づいていたことだが、ガインさんは今も「最低でもあと一人は欲しいな……」とぼやいているのだから相当きついんだろう。
店の一日の客数は約350。客単価は約銅貨25枚。
つまり一日の売り上げは約銅貨8750枚ということになる。
また、食材費は約銅貨1000枚で人件費は約銅貨4000枚(そんなことを新入りの俺にぺらぺら喋っていいのか)なのだそうだ。
飲食店の場合、食材費+人件費(いわゆるFLコスト)が売上高の60パーセントを下回っていればまずまずの経営状況となる、というような話を前に本で読んだ事がある。
それに照らし合わせてみると、食材費1000+人件費4000=FLコスト5000。FLコスト5000÷売上高8750×100=59.2。
つまり現在の割合は約59パーセントということになる。
数字的には悪く無い。
まあ実際のところ、ここは異世界なので俺達の世界とは店の維持費等が違ったりするだろうから絶対とは言えないが、人をもっと雇いたいと言えるほどには経営状況は悪く無いのだろう。
だが俺と同じ日給銀貨四枚で一人雇ったなら、5400÷8750×100で約62パーセントだ。
二人ともなると約66パーセントで、今の売り上げではかなり厳しいように思える。
勿論従業員を増やせれば客を捌く効率も上がって売り上げも変わってくるだろうが、客単価の方をもう少し上げるなりできないと厳しそうな気がしてならない。
けれど店の回転率も、外で待つ客がいるという繁盛振りを見る限りではそれなりに高く見えるからあと一人は従業員がいてもいいだろうが。
「……よし、できた」
朝を仕込みを終えた後、そんなどうでもいい事を考えながら、賄いを食べたりしつつも俺は咲の希望したプリンを作ってみた。
この世界の食材で上手くできるか心配だったが、見た目は悪く無い出来に仕上がっている。
バニラエッセンスが店に無く、プリンが卵臭くならないか気になったが、はちみつはあったのでそれを混ぜて風味を良くしたため恐らくは問題ない。
また、プリンを作るのに一番重要な要素は温度調整だ。
厨房にあるオーブン内の温度にゆらぎがある事が食材に次ぐ不安要素だったが、適温よりやや低温にして少し長めに焼く事で失敗を回避した。
作業時間は一時間ちょい。
作っている間に店が開いてしまっていた。
「すみません、長々と仕事とは関係無い事をしてしまって」
「あ~別にかまわねえさ。店を開いてしばらくは暇だからな」
俺が頭を下げつつ謝罪の言葉を出すと、ガインさんはいかにも退屈していたというような欠伸を上げながらひらひらと手を振った。
「それより例のぷりんとやらはできたのか?」
「はい、一応」
俺が調理を開始する前、ガインさんにプリンを作らせて貰えないかと訊ねたところ、「ぷりんってなんだ?」と聞き返された。
どうやら少なくともここらでプリンというお菓子は存在しないようだ。
念のためどんな食べ物か説明してみたが、ガインさんや他の従業員の人達は首を捻って「そんなデザートは知らない」と言われてしまったので、もしかしたらこの異世界には無いのかもしれない。
だが俺が説明したプリンという未知のデザートに皆は興味を抱いたようで、作るならここにいる全員の分も作ってくれと頼まれて今に至る。
厨房にあるテーブルの上には、まだ湯気が出ていて温かいプリンがいくつも置かれている。
あまり急激に冷ますとしわができたりして見栄えが悪くなるが、味見をする分には問題ない。
まあここに置かれているプリンは温かいうちに試食する気だが。
プリンは冷やしたものが一番美味いと思うが、温かいまま食べるというのもなかなか良いものだ。
「へえ。なんだかプルプルしてるねー」
「これは初めて見る料理だな……」
「食ってみてもいいか?」
「はい、どうぞ」
俺は続々と集まった従業員達と共に、出来上がったばかりのはちみつプリンにスプーンを差込み、弾力があり黄色いその一欠片を救い取って口に含んだ。
するとはちみつの優しい甘さと香りが口の中に広がっていった。
「これは……」
つるつるとした食感かと思えば舌の上でとろけていく。
まさしくそれは俺が作ろうとしていたプリンの食べ応えだった。
懸念材料が多かったとは思えないほどの完成度だ。
俺がそう結論付ける中、周囲から感嘆の声が上がった。
「美味いな……こんな食感初めて味わったぜ……」
「はぁ~甘くて柔らかくておいしぃ~」
「見た目も綺麗だし遊び心をくすぐられるこの弾力も素晴らしい。こんなデザートがこの世にあったとは思わなかったぞ」
どうやら他の皆も満足しているようだ。
というか従業員全員集まってないか?
ホールのほうは大丈夫なのか?
「一体どこの国のデザートなんだ? 見た事もない形だし食べたこともない食感なんだが」
「そ、それはここからかなり遠いところにある国のものなのであまり広くは知られていないのかと」
そんなことを聞かれても正直に説明できない。
この世界に無い国の名前を挙げて自爆することは避けないとだ。
俺はジェイクさんの質問をはぐらかし、蒸らしながらゆっくりと荒熱をとっているプリンの様子を見るためにその場を離れていった。
「……ほら、いつまでもくっちゃべってねえで食った奴はさっさと仕事に戻りやがれ。客が来たぞ」
「おっと……いらっしゃいませー!」
そしてガインさんの言葉で他の従業員達もそれぞれの持ち場へと戻っていった。
「咲、昼食を持ってきたぞ」
「あ……鋼……くん……」
昼間のピークを過ぎ、客の少なくなったアイドルタイムに俺は海老グラタンを作り(もはや賄いというレベルでは無いな)、朝から冷ましていたプリンも持って咲のところへと足を運んだ。
「今……起きるね……」
「…………」
咲は俺へと目を向けると横になっていた体をいかにもだるそうに起こしていた。
朝食の時は咲が寝ている間にそっと置いてきたからわからなかったが、彼女の容態は相変わらず悪いようだ。
というよりむしろ悪化しているような雰囲気がある。
一応朝食の雑炊が入った小鍋の中身は空になっているから、朝はちゃんと食べられたようだが。
「……食欲はあるか? 今日の昼食はグラタンを作ってみたんだが」
一応グラタンは胃が弱っている時でも食べやすい部類の料理だが、お粥やポタージュと比べるとやや重い。
もしかしたら今の咲にはきついかもしれないな。
「……食べる……鋼くんが……せっかく……作ってくれたんだもん」
「そうか……あまり無理はするなよ」
「うん……」
俺は咲に気遣う言葉をかけながら、バスケットで運んできたグラタンの入った容器を置く。
その後俺は咲の目の前に今朝作ったプリンを置いた。
「それとデザートにプリンを作ってきた。もしもグラタンが食べられそうになかったらこっちだけでも食べてくれ」
「え……あ……」
咲は俺が置いた小さなカップの中身を見て小さく微笑んだ。
プリンといえば皿に盛られた状態で山の上にカラメルソースが乗っているものの方がそれっぽく見えるのだが、上手く容器から取り出す工夫はしていないのでカップに入ったままだ。
まあ焼き跡があるから茶碗蒸しと間違われる事はないだろう。
「ありがとう……本当に……作ってくれたんだね……」
「昨日約束したからな。結構上手く作れたから咲も満足できると思うぞ」
俺は咲へスプーンを渡し、どちらを先に食べるか様子を見ていた。
「でもどうしよう……グラタンは……温かいうちに食べたほうがいいよね……」
どうやら咲としてはプリンの方が気になるらしい。
グラタンが冷めるのを気にしているが、彼女の視線はプリンに釘付けだ。
「食べたいものから食べてもいいんじゃないか? グラタンもそんなすぐには冷めたりしないしな」
「えっと……そう……?」
「ああ。俺もプリンの感想を早く聞きたいと思っていたし、デザートから食べても良いだろ」
そう言いながら俺は咲の目の前にスプーンを突き出す。
「……そういうことなら」
後押しを受けた咲は、俺の持つスプーンを恐る恐る手に取った。
「あ……」
「…………」
けれど持ち方が悪かったのか、咲は手からスプーンを落としてしまった。
それを彼女は慌てて拾おうとするが、焦っているのか手に力が入らないようで持ち上げたスプーンをまた落っことしている。
「……食べさせてやろうか?」
「え……」
咲が弱っている様子を見ていられなくなった俺は、自分のスプーンでプリンを軽く掬いとり、それを彼女の口元まで移動させた。
「ほら」
「え、で……でも……」
「遠慮するな。あーん」
「い、いただきます……あー……ん」
そして咲は小さなその口を開け、俺の掬ったプリンを一口食べた。
すると彼女は目を潤ませ、俺の方へと目を向けてきた。
「おいしい……こんなにおいしいプリン……生まれて初めて食べたよ……」
「そうか」
生まれて初めてとは大げさだな。
でも結構自信作だったのは確かだ。
俺は咲の感想を受けて、嬉しくなってつい口元を綻ばせた。
「はぁ……もしかしたら私……今人生で一番幸せな時なのかも……」
「それは流石に言いすぎだろ」
「そんなことないよ……もうこのまま……死んでもいいってくらい……私は幸せだよ……」
「…………」
……死んでもいい、か。
ものの例えだとわかってはいるが、今の状況で言ってほしくはなかったな。
「……こんなものでよければいつでも作る。だから死んでもいいだなんて言わないでくれ、咲」
「鋼……くん……?」
「俺達は生き延びて……元の世界に帰るんだ。だから咲は生きてくれ……」
この異世界に来てから既に半数近くのクラスメイトが死んだ。
つまり死とは俺達と無縁なものではなく、すぐ傍にあるということを意味している。
それは施設を出た今でも変わらない。
俺達はいつこの世界の理不尽に押し潰されるかわからない。
そんな中、生き残った俺達は元の世界へと戻る手段を考え、そして帰るべきだと俺は思う。
今はまだそんな余裕は無いけれど、いずれはこの都市のどこかにいるクラスメイト達と合流して帰還手段を模索する。
俺に敵意のある柳や……突然裏切った相沢と協力できるかわからないが、あいつらとも話し合えれば和解できるはずだ。
俺達はこの異世界へと共に呼び出された数少ない仲間なんだからな。
「うん……私は死なないよ……それに……鋼くんも死なせない……」
「咲……」
俺が下を向いて拳を握り締めていると、咲が暖かな手をそっと俺の拳にそえてきた。
「私達は……絶対死なない……生きて地球に帰ろうね……」
「ああ……絶対にな」
俺は拳を解いて咲の手を握り、強く言葉を発した。
一人じゃないということがこんなにも心強いとは思わなかった。
咲の手から伝わる感覚全てが俺に勇気を与えてくれたように感じる。
その後咲は俺の掬ったプリンを美味しそうに平らげ、グラタンの方も俺が食べさせる流れとなり、ゆっくりとではあったがそれも完食した。
俺はそんな彼女の様子に一安心し、再び仕事へと戻っていった。
けれど咲の容態は悪化の一途を辿った。
仕事を終えて様子を見に来ると、咲は体を震わせ小さく呻き声を上げていた。




