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Turn1:未知のドローと最悪のエンカウント①

書きたいモノを気ままに書きます。特段更新日とかも決めてません。

 『Vanity Scrollヴァニティ・スクロール』。

 それが、現在日本のみならず世界で爆発的な人気を誇る対戦型トレーディングカードゲームの名称だ。

 単なる運の要素を極限まで排除し、緻密なリソース管理とカード同士のシナジーで盤面を制圧する。その高度な戦略性に魅了され、俺――紅羽 紙人(アカバネ カミヒト)もまた、寝食を忘れて没頭する熱狂的なプレイヤーの一人だった。


 今日は、その『Vanity Scroll』の待望の新弾パック発売日。

 学校から帰るなり自室に飛び込んだ俺は、未開封のパックを前に息を呑んだ。新品のフィルムが擦れる微かな音。この瞬間だけは、何度味わっても指先が震える。


「さて、何が出るか……」

 慎重にパックの上部を切り裂き、中身を滑り出させる。きらびやかなホログラム加工が施されたレアカード群。だが、その中に紛れていた「一枚」に目を落とした瞬間、俺の思考はピタリと停止した。


「……なんだこれ?」

 見慣れた裏面。しかし、表面のデザインが明らかに異質だった。

 漆黒の枠に、吸い込まれるような幾何学模様が緻密に描かれている。中央に記されていたテキストは、事前に公式サイトで公開されていた収録リストのどこにも存在しない名称だった。


〈多元への誘い〉。


「エラーカードか? それとも未発表のシークレット……?」

 不審に思いながらも、特有のざらついた表面に指先が触れた、その瞬間だった。

 カードが突如として、太陽を直視したような強烈な純白の光を放った。網膜を焼くような閃光に、俺は声すら上げられず、意識は深い闇へと沈んでいった。



     ◇



「……っ、う……」

 頬に触れる、ひんやりとした湿った感触。むせ返るような青臭い土と、朽ちた落ち葉の匂い。

次に目を覚ました時、俺は薄暗い森の地面に倒れ伏していた。


「痛てて……ベッドから落ちた、のか……?」

 ずっしりと重い頭を振りながら身を起こす。いつもの愛用のヘッドフォンの重みと、羽織っていたジャージの感触はそのままだった。

 だが、見上げた空の異様さに、俺は全身の血がサッと冷たくなるのを感じた。


 鬱蒼と生い茂る奇妙な形の木々の隙間。そこから覗く夜空には、見たこともない巨大な二つの月が、不気味なほど鮮やかに浮かんでいた。


「……嘘だろ。まさか、異世界転移ってやつか……?」

 乾いた笑いが漏れる。アニメや小説の読みすぎだと思いたい。だが、肌を撫でる風の冷たさも、土の匂いも、あまりにもリアルすぎた。

 混乱で呼吸が浅くなる。パニックになりかけたその時、ふと足元の草むらに見覚えのある長方形の紙片が落ちていることに気がついた。


 裏面は間違いなく『Vanity Scroll』のものだ。

 すがるような思いで急いで拾い上げる。四枚あった。だが、それらは俺が元々デッキに入れていたお気に入りのカードではなく、先ほどの〈多元への誘い〉と同じように、今まで一度も見たことのない未知のカードだった。あの謎のカード自体はどこにも見当たらない。


「とりあえず、これを持って……誰か人を探さないと……」

 ひどく震える足に力をごまかしながら立ち上がった、その直後だった。

 背後の茂みが、ガサリ、と嫌な音を立てて揺れた。

獣の匂いとは違う、血とヘドロが混ざったような強烈な悪臭が鼻を突く。

 ゆっくりと振り返った俺の視界に映ったのは、血のように赤い帽子を深く被った、子鬼のような化け物だった。


「ギ、ギギッ……」

 黄色く濁った目が、明確な「獲物」を見る色で俺を捉えている。その手には、黒ずんだ血がこびりついたサビだらけの鉈が握られていた。


 伝承に聞く〈レッドキャップ〉。ゲームの低級モンスターとしてしか知らない存在が、生々しい殺意を持ってそこに立っていた。


「うおっ!? 待て、待て待て待て!!」

 理屈ではない。細胞が「死」を直感した。

 俺は無我夢中で踵を返し、名も知らぬ森の中を全力で駆け出した。


「ギシャアアアアッ!!」

 背後から、耳をつんざくような奇声が迫る。

 木の根に足を取られ、鋭い枝がジャージを裂き、頬を容赦なく掠めていく。血が滲むのを感じるが、立ち止まることなんてできない。


「ふざけんな! たかがカードゲーマーの高校生に、肉弾戦でどうしろってんだよ!  異世界ならチート能力の一つくらい寄越せっ!!」

 肺が焼け付くように痛い。足の筋肉が悲鳴を上げている。


 モンスターの俊敏さに、現代の高校生が勝てるはずがなかった。背後から迫る足音と、鉈が草木を薙ぎ払う音がどんどん近づいてくる。


 そして最悪なことに、俺が転がり込んだ先は――苔生した岩壁がそびえ立つ、完全な行き止まりだった。


「ハァッ……ハァッ……っ!」

 振り返ると、レッドキャップが汚いよだれを垂らしながら、にじり寄ってくる。その目には、追い詰めた獲物をこれからどう嬲るかという、下劣な歓喜が浮かんでいた。


 死ぬ。本当に殺される。こんなよくわからない場所で。


 恐怖で歯の根が合わない。だが、逃げ場のない絶望の中で、俺の根底にある「ゲーマーとしての生存本能」が、理性のタガを外した。


 この理不尽な現実を盤面だと仮定しろ。手元にあるのは、未知のカード四枚だけ。なら、切るしかない。


 俺は祈るような、いや、半分ヤケクソな気持ちで、握りしめていたカードの中からモンスターカードらしき一枚を前に突き出し、腹の底から絶叫した。


「――っ、召喚ッ!! 〈黒狩の猟犬〉!!」

 何も起きなければ終わりだ。鉈が振り下ろされるのを覚悟して目を瞑った次の瞬間。


 俺の全身から、体温と体力が「ごっそり」と引き抜かれるような、強烈な喪失感と悪寒が走った。


「ぐっ……!? なんだ、これ……!」

 カードを使うための「コスト」が、俺自身の生命力から直接支払われたのだ。


 だが、その代償に見合うだけの圧倒的な現象が、目の前で巻き起こった。

 突き出したカードから漆黒の靄が爆発的に溢れ出し、俺の足元の影と溶け合う。

 靄は瞬く間に収束し、実体を結ぶ。体長二メートルを超える、巨大な獣。夜の闇をそのまま切り取って固めたかのような毛並みに、青白い炎を宿した双眸。


『グルルルル……ッ!』

 周囲の空気がビリビリと震えるほどの、重低音の唸り声。

 カードから顕現した、規格外の魔生物。その圧倒的で絶対的な「捕食者」の威圧感を前に、レッドキャップは鉈を振り上げた体勢のまま、ガチガチと震え、完全に硬直した。


「……やれっ!!」

 俺の声に応じ、〈黒狩の猟犬〉は地を蹴った。

 まるで空間を跳躍したかのような、音のない一撃。漆黒の猟犬の鋭い牙がレッドキャップの首筋に深々と食い込み、いとも容易く、その命を物理的に刈り取った。


 ゴト、と嫌な音を立てて絶命した死骸が崩れ落ちる。

 直後、猟犬の巨体は淡い光の粒子となって分解され、再び一枚のカードとなって俺の手元へとふわりと戻ってきた。


「……助かっ、たのか」

 張り詰めていた糸が切れ、俺はその場にへたり込んだ。全身が汗と泥でひどく汚れている。荒い息を整えながら、俺は冷たくなったレッドキャップの死骸に恐る恐る近づいた。


 そいつの腰には粗末な布袋が括り付けられており、中を探ると、土にまみれた見慣れない薬草が入っていた。

 その時だった。


『――対象を認識。カード化可能です。実行しますか?』


 脳内に、直接語りかけてくるような無機質なシステム音声が響いた。


 同時に、薄暗い森の空中に、青白く発光する【YES/NO】のホログラムウィンドウが浮かび上がった。


「……ゲームのUIユーザーインターフェース……?」

 俺は戸惑いながらも、震える指先で空中の【YES】に触れた。

 途端に薬草が幾何学的な光のラインに包まれ、見慣れた『Vanity Scroll』のフォーマットのカードへと再構築されたのだ。


〈癒し草〉。


「これもカードになるのか……」

 試しにそのカードを手に持ち、「回復しろ」と念じてみる。

 猟犬を喚び出した時ほどの重い負担はないが、僅かに自身の内側から何かが消費される感覚。直後、カードが淡い緑色の光を放ち、俺の全身を包み込んだ。


 逃げ回る最中についた切り傷や、岩に打ち付けた打撲の熱が、冷水に浸されたようにスーッと引き、一瞬にして嘘のように消え去った。

 効果を発揮した〈癒し草〉は再びカードの姿に戻ると、今度は俺の視界の端に新たに展開されたウィンドウ――〈カードリスト〉という項目の中へと、吸い込まれるように消えていった。


「なるほど……そういうシステムか」

 俺は立ち上がり、空中に展開されたウィンドウを指でスワイプしてみる。


 〈カードリスト〉から〈癒し草〉のアイコンをタップすると、データが実体化するように、手元に再びカードが出現した。さらにメニューの横には、〈デッキ〉や〈合成〉といった、カードゲーマーなら嫌でも心が躍る機能のタブが並んでいる。


 なるほど──カードを使うには、俺自身の精神力や体力という「コスト」が必要になるのか。だが、それを管理さえできれば、この世界の事象を俺の知る「ルール」で支配できる。


「これなら……いけるかもしれない」

 未知への恐怖が、わずかにゲーマーとしての探求心に上書きされかけた矢先。

 静寂を取り戻しつつあった森の奥深くから、空気を切り裂くような少女の鋭い悲鳴が轟いた。


「っ!」

 ビクリと肩が跳ねる。

 普通の高校生なら、今のレッドキャップとの遭遇だけで心が折れ、物陰に隠れて震えているだろう。俺だって怖い。手はまだ僅かに震えている。

 だが、今の俺の手の中には、絶対的な武力である〈黒狩の猟犬〉と、傷を即座に癒やす〈癒し草〉という、確固たる「手札」がある。

 ゲーマーとしての計算と、見捨てられないという人間性が交差する。

 俺は奥歯を強く噛み締めると、悲鳴の聞こえた方角へと駆け出した。


 木々を抜け、視界が急に開けた場所に飛び込んだ俺は、息を呑んで足を止めた。


 そこにあったのは、凄惨な蹂躙の跡だった。

 無残に大破した豪奢な馬車。その周囲には、血の海に沈み倒伏する重武装の騎士たちの姿がある。


 そして、馬車の残骸を背にしてへたり込み、恐怖に顔を歪める少女。彼女の視線の先――俺の真正面には、森の木々を見下ろすほどの巨大なモンスターが立ちはだかっていた。


 竜の骨格と、重装騎士の鎧を不気味に融合させたような異形の怪物。

 その黒く禍々しい紋様が刻まれた体躯からは、レッドキャップとは比較にならない、呼吸すら困難になるほどの濃密な「死」の気配が放たれていた。

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