第15話:再構成(リコントラクション):偽りの入城
等価交換もしくはスワップ取引
「――ドラゴンスレイヤー! カイル様に敬礼ッ!!」
前線基地のゲートを潜った瞬間、空気を引き裂くような絶叫が響き渡った。
それは、数時間前まで鼻で笑っていた防衛部隊長による、喉を枯らさんばかりの「忠誠のログ」だ。
「……お、おう。……いや、そんなに畏まらなくても……」
カイルは、台車の上の戦利品を見る。
対竜魔力鎖でぐるぐるに巻かれ、ドロリと魔銀混じりの血を流す竜の生首。
それと自分を交互に見て、頬を引き攣らせる。
その背後。
ガラムは無言で台車の取っ手を握り、事務的に「英雄の荷運び」を演じている。ゼノにいたっては、あまりの「情報の非対称性」に耐えきれず、顔を覆って現実逃避を開始していた。
「カイル様! これは......異常個体だったのですか!?まさか、あの伝承の災害たる異常個体をこれほど短時間で討伐されるとは! あなたこそ王国の、いや、人類の至宝だ!!」
部隊長がカイルの手を両手で握りしめ、陶酔した眼差しを向ける。
その視線の端には、英雄を支える「献身的な従者」として、これ以上なく慎ましく控えるルーカスの姿があった。
「……あはは。カイルさん、照れないで。……皆さんの期待に、応えてあげてくださいよ」
ルーカスが、サングラスを指先でクイと押し上げ、聖者のような微笑をカイルに送る。
ルーカスの身体の変異は戻っていなかった。
人間の皮が剥がれ落ち、青白く鋭い鱗が剥き出しになった右手に厚く包帯を巻き、琥珀色の縦の瞳孔は濃色のレンズで遮断している。
その琥珀の瞳が、一瞬だけサングラスの奥で冷酷に「……さぁ、踊れ(仕事しろ)」と命じていた。
「……あー、……ええと! 俺一人の力じゃない! 全ては……そう、この優秀な仲間たちの完璧なサポート(索敵)があったからだ!!」
カイルがヤケクソ気味に叫ぶと、基地全体が「なんと謙虚な……!」「部下を思いやる真の騎士だ!」という、最高に都合の良いパッチで上書きされていく。
(……いいですよ、カイルさん。……そのまま『英雄』のロールを完遂してください)
部隊長の背後で、ルーカスは音もなく口角を吊り上げた。
カイルの叫んだ「サポート」という言葉さえ、民衆という名の無知なサーバー(群衆)は、「有能な部下を愛する慈悲深い騎士」というパッチとして、勝手に書き換えて保存していく。
不潔な熱狂に包まれる基地。
赤絨毯を敷かんばかりの勢いで祝賀会の準備を始めた部隊長を、ルーカスは冷徹な「NO」の一言でシャットダウンした。
「――さぁ皆さん。身綺麗にしたら、すぐに王都へ出発しましょう」
ルーカスが事務的に手を叩き、熱狂に冷水を浴びせる。
「部隊長さん。竜の遺体ですが……近づくなら魔力汚染対策を『万全』に。ゼノさんの解析では、この異常個体の毒は、素人が触れれば一瞬で精神が焼き切れます。……専門家が派遣されるまで、絶対に近づかないようにお願いしますね」
「ハッ……! ご忠告、痛み入ります、ルーカス殿!」
部隊長が直立不動で応える。
その言葉の裏にある「僕が消した証拠(爪痕)を絶対に見るな」という脅迫(警告)に、誰も気づかない。
「僕らは一刻も早く、ハミルトン様にこの『請求書』を届けなければいけないので。討伐速報は頼みました。証拠に鱗を一枚。……さぁ、カイルさん。馬車の手配が済み次第出発です。……英雄の『凱旋パレード』、ログインの時間だ」
伝書鳥のような頼りないパケットではない。
騎士団の公式回線(早馬)が、物理的な「証拠」を携えて王都へ雪崩れ込む。
そのインパクトこそが、ハミルトンへの最強の督促状(プッシュ通知)になる。
ルーカスは、返り血で汚れた自身のカフスを忌々しげに眺めると、懐に隠した「竜の心臓」の不気味な熱量を確認し、にっこりと微笑んだ。
「……三日、くらいか。……ええ、素材の鮮度を保つためにも、馬車を飛ばしすぎるのは非効率ですよね」
前線基地を出て初日の夜。
焚き火のそばで、ルーカスは独り言を言いながら事務的にペンを走らせていた。
伝書鳥が届けたハミルトン侯爵からの「承認ログ」を横目に、彼は着々と王都への「侵入プロトコル」を書き換えていく。
「……なぁ、ルーカス。そんなに時間をかけて、何を書いてるんだ?」
カイルが、落ち着かない様子で尋ねる。
未だ冷めやらぬ興奮と、目の前で起きた「生物的バグ」への不安。彼は毛布を握りしめたまま、一睡もできずにいた。
竜を倒したはずなのに、彼の表情には晴れやかさの欠片もない。
「あはは。ハミルトン様への進言、ただの『事実の整理』の報告書ですよ。人を介すると歪みますからね。……あなたがどうやって竜の隙を突き、どうやってその喉元を貫いたか。……王国が望む『正しい物語』を記述しているだけです」
「……俺が……やったことになってるんだよな。……本当は、お前が……」
「……ね? カイルさん」
ルーカスが顔を上げると、濃色のレンズ越しに、縦に裂けた瞳孔が月光を反射してギラリと光った。
厚く包帯を巻かれた右手が、ギチ、と不気味な音を立てる。
「……何度も言わせないでください。記憶をしっかりリブートして。あなたは、王国を守るために立ち上がった。それ以外に、必要な『記録』はありません」
「……っ」
「民衆が望むのは『奇跡』であり、王国が望むのは『安定』。そして、僕が望むのは『リーゼとの静かなアーカイブ(生活)』です。……あなたの金にならない良心に何の価値があります? そんな非効率なリクエスト、受理できるはずがないでしょう」
「…………わかった。……わかったよ」
カイルが、逃げるように毛布に包まる。
その横で、ゼノは震える身体を誤魔化すように火の番を続け、ガラムだけがいびきをかいて、最高に頑丈なデフォルト設定(仕様)で眠っていた。
「......ふふ」
焚き火が爆ぜる音と、ガラムの規則的ないびきだけが、不自然に静まり返った夜の森に響く。
ルーカスは、手元の包帯をこれ以上ないほどきつく締め直した。
包帯の下で、青白い鱗が疼き、人外の魔力が脈動を繰り返している。
「……長いなぁ。ね、リーゼ。……早く君に触れたい」
その声は、昼間の事務官のそれとは違う、掠れた熱を帯びていた。
懐の「竜の心臓」が、不快な熱を帯びてドクン、と跳ねる。
まるで、ルーカスの内側に潜む「捕食者」の熱量に呼応しているかのように。
「……邪魔は、僕が全部片付けてあげますから。……あはは。……もうすぐ、もうすぐ、全部、僕のものに」
闇に向かって微笑む琥珀の瞳は、もはや「人間」の光を宿していない。
今のルーカスの視界に映っているのは、ただ、王都で待つ「唯一のアーカイブ(リーゼ)」だけ。
「......ルーカス」
ゼノが、恐る恐るルーカス呼ぶ。
「......なんです?」
「無理を、して、ないか?『対竜』の遮蔽幕を入山前から張れだなんて、おかしいと思ったんだ」
「......事前対先は手厚い方がいいでしょう?」
「......異常個体を予測してたのか?なぜ、ドラゴン・ハートをそのままそのポーチに入れたんだ」
「鎖が足りないと判断したからですよ」
「ふざけるな!!そのポーチ、普通のポーチじゃないな?あんな劇物の魔圧を隠せるポーチなんて聞いたことはない。それに本来、聖物である心臓がそんな禍々しい気配を放つものじゃない。それを」
「ゼノさん」
「っ...!
ルーカスから、いつも以上に冷えた声がした。
「……これ、渡しておきます。それなりに、役に立つかと」
ルーカスが差し出したのは、鈍く紫色の光を放つ、見たこともない紋章が刻まれた魔石だった。
その芯から漏れ出すのは、魔力を吸着し、肉体の自由を物理的に剥奪する強力な「捕縛術」の波長。
「僕が、僕のためにデザインしたものです。意味、わかりますよね? 託しておきます」
ルーカスの声には、もはや事務官の丁寧な装い(スキン)は残っていない。
ゼノは、受け取った魔石の冷たさに、指先が凍りつくような錯覚を覚えた。
「……ルーカス、お前……これを自分に……?」
「……あはは。ね、賢者の称号を持つゼノさん、僕はあなたを信用しているんですよ。……もし僕が、もしも、ですよ?僕自身が『バグ(怪物)』に成り果てたら……その時は、迷わずそれを作動させてください。……リーゼに、見苦しい姿を見せるくらいならいっそ。......なんて、あはは、ただの保険です。ただの。あ、大型魔物にも使えますから。判断は任せます。認証キーは、あなたの魔力に設定しました」
ルーカスは、にっこりと微笑んだ。
だがその微笑は、慈悲深い聖者のものではなく、自分の破滅さえも「管理」しようとする、徹底した独裁者のそれだった。
「それが起動すると、助けがくるんです。でもきっと、あんまり、あなたたちは嬉しくない助けかも。あはは……さぁ、夜明けですよ。……王都へのラストスパート(同期)、始めましょうか」
ルーカスは立ち上がり、厚く包帯を巻いた右腕を愛おしそうに撫でた。
その包帯の下では、今も青白い鱗が月光を吸って不気味に明滅している。
ゼノは、手の中の魔石を握りしめたまま、立ち尽くしていた。
認証キーは、自分の魔力。
つまり、この男が「怪物」に堕ちた時、その引き金を引くのは、他でもない自分なのだ。
「……そんなに怖い顔をしないでください、ゼノさん。……僕が『人間』のままでいられるように、あなたが監視してくれればいい。……それだけのことですよ。信頼してるんですって、本当に」
ルーカスは、にっこりと「事務官」の仮面を被り直し、眠っているガラムを起こしに行った。
朝の冷気が、生臭い竜の魔圧を王都の方角へと押し流していく。
カイルは震えながら毛布を畳み、ガラムは欠伸をしながら馬を繋ぐ。
そして、ゼノは「殺害許可証」という名の重すぎる魔石を懐に隠し、服の上から握りしめた。
王都まで、あと二日。
「英雄」と「怪物」を乗せた馬車が、乾いた音を立てて動き出した。
「大丈夫か?ルーカス」
「……あはは。……すみません。……少し、計算(演算)を、やりすぎた......ようです」
ガタガタと揺れる馬車の荷台。
ルーカスは、力なく笑って隅に身を預けた。
御者はガラムに任せていた。
ドラゴン・ハートの影響が、ボロボロになったルーカスの回路に悪影響を与えている。
(……うるさいな。……静かに、してくれませんか……)
脳内に繰り返し響く竜の咆哮。
懐にある「竜の心臓」が、共鳴するように熱い。
それを握り潰してしまいたい衝動を、奥歯を噛み締めてパッキングする。
今、ここで偽装が剥げれば、この馬車に乗っている全員を「捕食」してしまいかねない。
「……顔色が真っ白だ」
カイルが、心配そうに覗き込んでくる。
自分が「英雄」として担ぎ上げられたことへの戸惑いよりも、目の前で今にも消え入りそうな事務官の「白さ」に、本能的な恐怖を覚えているようだった。
「……ええ。……王都に、着く頃には、ちゃんと『事務官』に戻っておきます、から。……今は、少しだけ、ログインを切らせて……」
ルーカスの声が、途切れる。
ガタン、と馬車が大きな石を跳ねた衝撃で、彼の身体が力なく横に倒れ、ゼノの肩に預けられた。
その額からは冷たい脂汗が流れ、呼吸は浅く、不規則なエラーを刻んでいる。
「……ルーカス!? おい、しっかりしろ!!」
カイルが慌てて身を乗り出す。
だが、ゼノは震える手でカイルを制した。
彼は知っている。
今、ルーカスの内側で、どれほど不潔で巨大な「竜の咆哮」が、彼の精神(OS)を食い荒らそうとしているかを。
(……まだだ、まだ、もう少し……)
意識の深層で、ルーカスは自身の右腕を引きちぎらんばかりの力で抑え込んでいた。
包帯の隙間から、青白い光がパルス状に漏れ出す。
それは、彼が「人間」であるための限界値を超えようとする警告灯だった。
「……ゼノ、どうすればいい!? 薬か? それとも……」
「……無駄だ。これは、外部からでは治せない。……彼が、自分自身で『修復』するのを待つしかないんだ」
ゼノは懐の「捕縛の魔石」を握りしめた。
(もし今、この男が「理性」を完全に切らし、内なる竜に権限を奪われたら。その時は、自分がこの「認証キー」を回さなければならない。だがこれは、おそらく『終焉』)
ゼノは自分が思いついた推測に、背筋を凍らせた。
馬車は、死のような静寂を乗せて、春の荒野を王都へとひた走る。
ルーカスの懐にある「竜の心臓」が、不気味な熱量でドクン、と――彼の絶望を嘲笑うように脈打った。
浅い呼吸を繰り返し、高熱を出したまま、ルーカスの体調は悪化を続けた。
懐にあるポーチが放つ生物的な「熱」は、馬車の荷台の空気を澱ませ、カイルたちの肌をチリチリと焼くような錯覚さえ与えている。
(…………あぁ、うるさい。誘うな、吠えるな、呼ぶな……俺は......お前と、違う......っ......脳を、直接、掻き回されている、ようだ……)
意識の混濁の中で、ルーカスは自身の右腕に触れた。
包帯越しでも分かる、盛り上がった、硬く鋭い「鱗」の感触。
心臓と、自分の右腕が、同じ波長で共鳴(同期)している。
「……ルーカス、おい。……呼吸が、止まってるぞ……!」
カイルが悲鳴のような声を上げる。
ゼノは、もはや祈ることさえ忘れ、懐の「捕縛の魔石」に指を掛けていた。
今、この馬車そのものが「臨界点」にあることを、本能が悟っている。
「……カイル、さん……。……けほっ...大丈夫、ですよ。……一日。……あと、少し、持たせれば、僕の……僕たちの、勝ちだ……」
ルーカスは、吐き出した血を指先で拭う。
真っ白な指先が、死人のように冷たくなっていく。
(……ねぇ、ハミルトン。……約束、だ。……これを、届けたら……彼女を……自由に。……32%…裏切……でも、いい)
意識の混濁の底で、ルーカスは冷徹に自身の「終わり」をコンパイルしていた。
懐で脈打つ「竜の心臓」の不快な熱が、自身の魔力回路をズタズタに焼き切っていく感覚。
それを、彼はどこか他人事のように眺めている。
(……このまま、……綺麗なまま......できれば……。……リーゼの記憶の中、ずっと、……『僕』のままで……)
それは、救いようのない自滅願望だった。
自分と、リーゼの安全を天秤にかける。
「化け物」の鱗が全身を覆い尽くす前に、自分という存在のログアウトさえも演算に入れて。
それが、今のルーカスの願いの全て。
「……………あと、少し……」
その顔には、破滅を間近に控えた者特有の、……不気味なほどに穏やかな「聖者」の微笑が浮かんでいた。
「……カイル、さん……」
ルーカスは力なく指先を伸ばし、カイルの服の裾を掴んだ。
その手は、凍えるように冷たいのに、肌に触れる熱は異常なほど高い。
「……ルーカス? おい、無理するな」
「……あは、は……。……ね、カイルさん。……もし、僕が……このまま……」
琥珀の瞳が、サングラスの奥で焦点の合わないまま、虚空を彷徨っている。
「………その時は…あの子を、……。……いえ、……嫌だなぁ、……本当、に……」
「おい!?ルーカス!!」
カイルの声も、ルーカスの耳には届いていない。
ただドラゴン・ハートの影響がカイルたちに及ばないよう、ひたすらに抑え続ける。
ゼノはその光景を、手をきつく握りしめて、ただ黙って見つめていた。
馬車が大きく揺れ、石畳の硬い振動が伝わってきた。
王都、正門。
その巨大な城壁の影が荷台に落ちた瞬間、死人のように冷たくなっていたルーカスの指先が、ぴくり、と跳ねた。
「……あ、は……。……着いた、ようですね……」
「ルーカス! 起きたのか!?」
カイルが駆け寄るが、ルーカスは震える手でそれを制した。
平常時の彼なら、こんな「核爆弾」のノイズなど、眉ひとつ動かさずに処理していただろう。
だが、今の彼はあまりに「使い果たして」いた。
リーゼを救うための数千の手順を、たった一人で、不眠不休で演算し続けた代償。
ルーカスは、口元に溜まった血を袖で乱暴に拭うと、ガタガタと震える手でサングラスをかけ直した。
濃色のレンズが、獣のように縦に裂けた琥珀の瞳を、再び闇の中に閉じ込める。
「……さぁ、仕事に、戻りましょう、か。……あぁ、カイルさん、……すみません、さっきは、悪夢を」
「……お前……」
カイルが絶句するほど、その微笑は「事務官」としての冷徹さを取り戻していた。
だが、包帯を巻いた右腕は、まだ不気味に熱い。
懐の心臓が、主の再起動を祝うように、ドク、ドク、と禍々しく脈打つ。
(……待っていてください、リーゼ。……今、……あなたに、会いに……)
進む馬車。
だが、そこに待っていたのは「英雄への祝辞」だけではなかった。
異常な魔圧を感知した王都守備隊の魔術師たちが、一斉に杖を構え、馬車を包囲する。
「止まれ! 馬車内から異常な魔力反応を検知した! 検査を行う!」
「……あはは。……まぁ、そう、ですよね……」
馬車の隅で、ルーカスが力なく笑う。
サングラスの奥の琥珀が、防衛結界に反応して狂ったように明滅し、内臓を焼く痛みに吐血する。
そこへ、ゼノが馬車の窓から身を乗り出し、賢者の杖を空に掲げた。
「ちっ....馬鹿め。武器を収めよ! ドラゴンスレイヤーの帰還だ!!!」
ゼノの、魂を削るような絶叫。
「賢者様!?しかし、異様な気配に、結界が排除機能の起動を!!」
「異常!?ああ、くそっ..……、竜の首を乗せているんだ!あとは.....呪いだ!ほら!見ればわかるだろう! 竜の死に際の……っ!」
ゼノは強引にルーカスの包帯を巻いた腕を掴むと、それを窓から晒した。
「それはっ....!?」
傍目にも、包帯の下が異様な盛り上がりをしているのが見えていた。
「通せ!死なせるわけには、行かないんだ!!!」
「は、はいっ!!」
ゼノの必死の迫力に、衛兵が押される。
「結界は私が張る!」
彼は即座に、馬車の内部を「対竜遮蔽幕」で何重にもコーティング(隔離)した。
「急いでるんだ!汚染が広がる! 直ちに、ハミルトン様の私邸へ通せ! 責任は私が持つ!!」
「……承知いたしました! 門を開けろ! 英雄の帰還だ!!」
兵士たちの視線が、「恐怖」から「畏敬」へと上書きされる。
結界に包まれた馬車の中で、ルーカスは真っ白な顔で、懐の「心臓」をきつく押さえ込んだ。
(……あはは。……ゼノさん。……その『呪い』という名のパッチ、……ありがたく、使わせてもらう……)
馬車は、熱狂する民衆の海を割りながら、ハミルトン侯爵の待つ「審判の場」へとログインした。
「――カイル! ドラゴンスレイヤー!!」
「英雄万歳!」
王都のメインゲートを潜った瞬間、爆発的な歓声のパケットが馬車を包み込んだ。
花びらが舞い、見知らぬ群衆が自分たちの名前を叫んでいる。
だが、その中心に座るカイルの脳内は、処理落ち(フリーズ)した画面のように白く濁っていた。
(……英雄……? 俺がか?)
カイルは縋るような思いで、隣に座るルーカスを盗み見た。
彼はいつものように、血の気のない白磁のような事務官の端正な貌で、群衆に「にっこり」と会釈を返している。
その横顔には、返り血一滴残っていない。
包帯を巻いた右腕さえなければ、激戦の傷跡など1bitも感じさせない、ただの「苦労性の事務官」そのものだ。
「……なぁ、ルーカス。俺…………」
「カイルさん、群衆に.....手を、振ってくださいよ」
ルーカスが、サングラスの奥から琥珀の瞳を細めて笑う。
「あなたが.....竜の喉元を、貫いたんですよ。僕は、それを.....見ていただけ(観測者)です。……ね? ゼノさんも、そう....見ていましたよね」
カイルが救いを求めてゼノに視線を飛ばす。
だが、魔導師は青白い顔のまま、杖を握りしめて視線を逸らした。
「……私に聞くな。……私には、何も見えなかった。……ただの、過剰な魔力酔いだ」
「ゼノ……お前まで……!」
完全なシャットダウン。
論理の人であるゼノは、自分たちの常識が通用しない「何か」を見てしまった恐怖を、記憶の底へデリートすることで保っていた。
「……ガラム……お前は……」
「ん? ああ。俺たちは竜を倒した。街には平和が戻った。酒が飲める。……立派な『英雄』じゃねぇか、カイル」
ガラムだけが、御者台で干し肉を噛みながら、事も無げに笑った。
その屈託のなさに、カイルは吐き気すら覚える。
(違う。俺が知ってる『俺の人生』は、こんなにスマート(効率的)じゃない……!)
世界、あまりに遠い。
「……あ、カイルさん。...背筋を、伸ばしてください。……ほら、ハミルトン邸が見えましたよ。……皆が、あなたの『凱旋』を待っています」
ルーカスの声が、甘い毒のように鼓膜を撫でる。
カイルは、自分が「英雄」という名のパッチ(偽装)を貼られただけの、ただの操り人形であることを、誰にも言えないまま、歓喜の渦へと引きずり込まれていった。
王都の喧騒を、ルーカスはサングラス越しに眺める。
右腕の包帯の下では、今も青白い鱗が疼き、精神を「捕食者」の側へと引きずり戻そうとしている。
(…………不便だ。……人間(正常なログ)でいるのが、これほど、リソースを食うなんて)
ハミルトン邸の門を潜る。
「ルーカス殿!」
「…………ハミルトン様。……遅い、ですよ……」
馬車の扉を開けた瞬間、ルーカスは崩れ落ちるように、手にした鞄をハミルトンの差し出した「黒曜石の封印箱」へと放り込んだ。
ガチャン、と重厚な錠前が降りた瞬間。
「……ルーカス様!!」
その静寂を切り裂いて、一陣の風が吹き抜ける。
淡い銀髪を振り乱し、群衆の視線も、騎士たちの制止も無視して駆け寄ってくる少女――リーゼ。
「……あ、……ぁ。……リーゼ……」
ルーカスが顔を上げた。
サングラス越しでもわかる、輝く彼女。
三日間、自分の体で「毒」を濾過し続けた結果、彼の倫理はボロボロに焼き切れていた。
駆け寄ってきたリーゼが、ルーカスの首に手を回し、その胸に顔を埋める。
「……よかった、無事で……本当によかった……っ!」
(……あぁ。……困ったな)
柔らかい身体。
甘い匂い。
サングラスの奥、縦に割れた琥珀の瞳が、彼女の白く細い「首筋」をスキャンした。
ドクドクと脈打つ、温かな血管。
引き裂けば、一瞬で彼女を「自分だけの不変の記録」として、永遠に保存できる。
(……なんて、美味しそうな……脈動(音)だ……)
ルーカスの右腕が、リーゼの細い背中を抱きしめようとして――。
その指先が、鋭い「鉤爪」へと変異し、彼女の白く柔らかな「首筋」へと吸い寄せられていく。
喉の奥で、人間ではない「捕食者の咆哮」が、静かに漏れ出そうとした、その時。
「――『静止』っ!!!」
背後から、ゼノの悲鳴のような詠唱が響いた。
ルーカスの背中に、何重もの魔力鎖が絡みつき、その「爪と牙」を物理的に固定する。
「……行かせるか。……ルーカス、戻ってこい。……君は、まだ!!『静止』『静止』!!」
重なる魔力鎖。
ゼノが杖を握りしめ、鼻血を流しながらも、ルーカスの「バグ」を必死に抑え込む。
懐には、あの紫色の魔石が熱を持っている。
指をかければ終わる。ルーカスの望み通り、彼が「怪物」としてリーゼを傷つける前に、その存在をこの世から抹消できる。
だが、ゼノの指は、そのスイッチ(魔石)を拒絶した。
「……あは、は。……賢者様。……優しい、な……」
力なく笑い、ルーカスの意識が強制終了された。
リーゼの腕の中に、ボロボロになった「事務官」が、ただの抜け殻のように倒れ込んだ。
ゼノは、膝を突き、荒い呼吸を繰り返しながら、ぐったりとしたルーカスの背中を見つめた。
彼が自分に託したのは、ただの「保険」ではない。
もしもの時は自分を「殺せ」という、あまりに一方的で不潔な信頼の押し付け。
(……馬鹿な男だ。……私に、その引き金が引けると思っているのか……)
ゼノは、懐の魔石を握りしめた。
それは、彼が一生背負わなければならない「殺害許可証」であり、ルーカスを救えなかった時のための、最後のリセット・ボタン。
王都の喧騒が遠のいていく。
リーゼの泣き声と、ガラムの馬を鎮める声。
そして、一命を取り留めた「怪物」の、微かな、あまりに微かな呼吸の音だけが、ハミルトン邸の中庭に満ちていた。
帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「帝国竜の殺し方?......お前、自殺希望だったのか」




