契約成立
よろしくお願いします。
バルドウィン様が吹き出した紅茶を見て、咄嗟に私は魔法を使った。
こぼれ落ちかけた水滴を集めて小さな球を作り、それをカップの上に戻すと球が弾け、元の紅茶に逆戻り。バルドウィン様の口から出たものだと思うと微妙だけど、本人が飲んでいたものなのだから問題ないはずだ。物を粗末にするのは良くない、うん。
だけど、ビアンカ様は微妙な表情になった。やっぱりまずかったようだ。
バルドウィン様には怒られるかと思いきや、彼は驚きに目を見張っていた。どこにそんな驚く要素があったのだろうか。怒られる要素は多分にあったけれど。
「……反応の速さは見事だ。今のを見る限り、あなたの得意属性は水か?」
「はい。魔力量は大したことがないので、湖の水を一気に、という大それたことはできませんが。そんなことよりも、私の質問に答えてはいただけませんか?」
この話を受けるかどうかは、先程の質問にかかっている。事情はわかったし、これも仕事だと思えば。
バルドウィン様は咳払いをすると、視線を逸らしつつ口を開いた。
「……いや、それは。私も見合いだと思っていたからそれは義務だと思っていたわけで。仕事として受けてくれるのならそんな必要はないわけで……」
何故そこでもじもじするのか。自分よりも年上の、それも見目麗しい男性が、顔を赤らめて恥じらっている。必要ないなら必要ないとはっきり言えばいいだけなのに。少しイラッときた。
「わかりました。必要ないと。それで、もし受けるとしても婚姻期間はどのくらいになるのです? いずれは離婚になるのですよね? ずっと雇用されるわけにはいかないでしょう?」
そう。閨のない白い結婚なら婚姻を無効にできるし、後継ぎが必要な貴族社会において、子どもができないなら夫から妻に離婚を突きつけることができる。雇用関係という秘密を抱えたまま、一生バルドウィン様を守り続けるのは難しい。バルドウィン様はそこまで考えているのだろうか。
「あ、ああ。だが、それだとあなたが不利になるだろう? 再婚ができないのではないか?」
どうやらバルドウィン様は私の心配をしてくれていたようだ。悪い人ではないのだろう。
「いえ、元より結婚は無理だと思っているので今更です」
そりゃそうだ。持参金のない貧乏男爵令嬢に結婚を申し込むような物好きはいない。後継ぎには長男がいるので、婿入りすらできないから旨味はない。
確かに離婚してしまえば私の不利になる。離婚する理由がたとえ夫側にあっても、弱い立場の妻側のせいにされてしまう。だけど、それならそれでまた別の生き方を考えればいい。誰かに寄りかからなくても一人で生きていけるような生き方を。
「何故だ? あなたは可愛い方だと思うし、男爵令嬢だろう。そんなに悲観しなくても……」
バルドウィン様はさりげなく毒を吐いた。
可愛い方というのはまあまあ見られるという意味だし、肩書きに惹かれてやってくる男はいるはずだ。婉曲的にそう言ったことになる。
そりゃ、美男のあなたに比べれば私の容姿は劣るでしょうよ。中身に難はあっても美女の母ではなく、人柄はいいけれど地味な父に似たのだから。
なるほど。私は喧嘩を売られていると。こうなったらふんだくれるだけ給金をふんだくって、おさらばしよう。私の決意は固まった。
「ビアンカ様、お引き受けします。契約を結びましょう」
「ちょっ……まっ……」
「ありがとう! あなたならそう言ってくれると思ったわ!」
たじろぐバルドウィン様をよそに、ビアンカ様は私の手を握って勢いよく振る。そのままビアンカ様が契約内容を決めていく。
「それで契約期間なんだけど、当面の目安はバルドウィンがまた魔法を使えるようになるまででどう? 使えなくなった理由は精神的な問題でね、解決すればまた使えるようになるみたいなの。ただ、これはあくまでも目安ね。その時の状況によっても条件が変わるようにしておきましょう。バルドウィンだけでなく、メラニーのためにもその方がいいわ。お給金も発生することだし、月単位で更新していくことにして」
「はい、私はそれで構いません。あ、あとお給金ですが、手当は出ますか? 通常業務以外に何かあった場合、あると助かるのですが」
「……ちゃっかりしてるわね。さすがはメラニー」
「お褒めいただき、光栄です」
「褒めてはないんだけどね」
「……頼むから私を無視しないでくれないか……」
バルドウィン様に口を挟む間を与えない勢いで、ビアンカ様と契約内容を詰めていったのだった。
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